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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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以前の日記で、Wust El Baladのメンバーらによる新しい世代の息吹を感じるSout El Horeyyaを紹介しました。楽曲的にはアラブ的な匂いが薄くて、なんだかU2みたいなギターカッティングとか、空間系のエフェクトのいかにもな使い方とか、ちょっとやりすぎな気もしますが、タハリールのモンタージュ映像とのマッチングも素晴らしくて、いつ聴いてもヒロイックな気持ちになれて嬉しくなります。

友人、知人から教えてもらって、このほかにもたくさんの革命記念ソングが書かれていることを知りました。

まずは、Bahebek Ya Belady 。「祖国よ、お前を愛する」という感じかな?



われらがビラーディーの会の友人が、英訳つきの歌詞を見つけてくれたので、紹介します。革命に命を捧げる青年が母に別れを告げるという設定、涙なしに聴けないですね。

Ya belady ya belady ana bahebbek ya belady

oulo le ommi matez'aleesh wehyati andek mat'ayyateesh
oulolha ma'lesh ya ommi amoot amoot we' baladna t'eesh
amana tebosouli edeha we tsallemouli ala belady

Ya belady ya belady ana bahebbek ya belady

fi gesmi naar w rosas w hadeed alamek fi eedi we esmi shaheed
bawaddaa el donya we shayfek ya masr helwa w labsa gdeed
le'akher nafas feyya banadi bamoot w ana baheb

belady Ya belady ya belady ana bahebbek ya belady

tayreen malayka hawalayya teer lahzet fora'ek ya habibti
3'eer hamshi ma'aahom wahaseebik washof ya masr wishik bekhayr
a'alouli yalla ala el ganna oultelhom el ganna belady

Ya belady ya belady ana bahebbek ya belady

---------------------------------------------------------------------
Oh my country I love you my country.
Tell my mother don't be upset , if you love me mom please don't cry.
Tell my mother I'm sorry I'll die I'll die but my country will live.
I ask you to kiss my mother's hand and tell my country goodbye.
Oh my country I love you my country.
In my body fire, bullets and iron your flag in my hand and my name is Martyr.
I tell the world goodbye while I'm watching you.
Egypt is wearing new cloth till my last breath.
I'll shout. I'm dying while I'm loving my country.
Oh my country I love you my country.
Angels are flying around me at the strange moment.
I'll go, I'll go with angels and leave you and I wish to see you.
Egypt in the best face they told me to go to the paradise.
I told them the paradise is my country.
Oh my country I love you my country.
Oh my country I love you my country.


次は、エジプト南部に今も大きなコミュニティをもつヌビアの血をひく、エジプト大衆歌謡のヒーロー、Muhamed Mounirの"Ezay (How)"。


歌詞のことはよくわかりませんが、もともと彼はこの曲を革命前に書いて、立ち上がった若者の不満をよく代弁しているので、こうして革命の映像クリップとともにリリースされたようです。楽曲的には同じフレーズの繰り返しだし、ギターリフにもこれといった展開がなくて正直つまらないですが、きっと歌詞がいいんだろうね。勉強しなきゃ。


続いて、英字月刊誌EGYPT TODAYの革命特集で紹介されているのが、Tamam Ya Fandim 。


アラブ・ポップの王道を行く、哀愁たっぷりのNayとQaanoonが素敵ですね。こちらも歌詞、勉強します。


最後は、同僚の村上さんが教えてくれたこの曲(現場の血が流れているシーンがあります)。


Youtubeのタイトル、Tarek Geddawyというのは、たぶん歌手の名前。歌の題名はなんというのでしょう?英語字幕がついています。革命に赴く若者の勇ましい正義感を表現していますね。


この革命を期に、アラブポップスにも興味をもってくれる人が増えたら嬉しいです。
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先週末から昨日3月6日にかけて、革命の次のターゲットであった国家治安機関、すなわち秘密警察が持つ各地の庁舎で、証拠隠滅しようとする機関スタッフと、革命をさらに前を押しすすめようとする革命連立委員会メンバーとが交錯、特に昨日、カイロの内務省前では、これまで市民の側に立ってきた軍が中立的立場を守りきれなくなって市民に対して威嚇射撃を行い、先週金曜日に続いて市民の軍に対する信頼が揺らぐおそれが強まっている。革命の遂行においてさらなる純粋さを求めるデモ隊からは、軍最高評議会のタンターウィの辞任を求める声が大きくなっているらしい。

Ahram Onlieの記事では、この秘密警察を使って、つい先週末のAhmed Shafiq首相の辞任のときまで、Shafiqと内務大臣のMahmoud Wagdyらが、退陣してシャルム・エル・シェイクに退いているムバラク前大統領と連携して、革命の遂行を妨害する様々な作戦を繰り広げていたという内部告発が紹介されていて、興味深い。革命勢力も、そろそろ抗議デモをやめて日常の社会生活に戻ったほうが良いと思ったりしていたが、彼らが疑念を抱いていたことがこうして事実だとわかると、確かにここで出せる限りのウミを出しておかないと、生き残った残党が必ずや巻き返し(Counter-revolution)をしかけてくるだろうことがわかってきた。Shafiqが退陣した翌日、彼の自宅前で1000人規模の彼を支持する集会があったこと、そして昨日、内務省のデモ隊に暴力団が襲い掛かって軍が威嚇射撃を余儀なくされたことなどから想像するに、権力から引きずりおろされた者の陰惨な復讐、軍と移行政権の統治に対する信頼を失わせるようなデマや策動がこれからも計画されるのかもしれない。

一方で、旧支配者たちが持ち去ったかもしれないドキュメントや、革命勢力の誰かが内部潜入して入手した秘密文書は、今後の新しい政治システムを作っていくプロセスのなかで、市民を代表する政府が管理と公表の方法を決めることができるように、ひとまず軍の手に回収されるべきなのだろう。今朝、携帯にARMED FORCESからSMSが入っていて、秘密警察の文書を持っている者はただちに軍に提出するようにと書いてあった。

これからの政治プロセスと治安回復が順調に進むためにも、エジプトが持つユニークな資産である軍と市民の信頼関係がもう一度修復されることを期待する。
ジャーナリストではない僕としては、仕事でもないのに大使館や家族からの勧告に逆らってタハリール広場に行く理由をひねり出すこともできず、この日々ドラマチックに展開していく革命を、基本的には日本にいるみなさんと同じように家のテレビで眺めるしかなかった。

それでも、必要から外出した折々に現在進行形の革命の断片を目撃して、わずかばかりにしても歴史が音をたてて転換する同じグラウンドに立っている実感をもてたときに抱いた感情は、やはり「嬉しい」というものに近かったように思う。

【第1日:1月25日(火)】
この日は、去年から突然、「警察の日」として祝日に指定された。いまでは世界中のみんなが知っている悪名高きエジプトの警察。そんな輩を慰労するなんてちゃんちゃらおかしい、というムードが街中に充満していた。宗教的な祝日以外は日本の祝日を採用しているうちのオフィスは通常営業。デモの噂を聞いてはいたが、どうせ2008年4月6日のゼネストのように、事前に権力に封じ込まれて、何もできないだろうとあきらめて、もくもくと事務仕事にいそしむ。タハリール広場からものの200mくらいしか離れていないオフィスではあるが、僕の席からは外の騒擾はほとんど聞こえてこなかった。

午後3時頃だったか、ふとどうなっているか気になって、スタッフに声をかけて、図書館からタハリールへまっすぐ伸びるKasr El Aini通りを眺めたら、目の前でデモ隊と警察部隊が石を投げ合っている。デモ隊の何人からは通りに面する上院議会に乗り込もうとするが、ゲートの向こう側から警官が青年たちを水攻めにする。
じーっと眺めているうちに変なことに気がつく。デモ隊の輪に入って、警察部隊と対峙していた何人かの男が、突然向きを変えて、若者をボコボコに殴る。制服の警官がジョインして、さらに殴る、蹴る。意識がなくなるくらい、執拗な暴力を加える。そうか、ムバラク時代を通して、いやきっとそれ以前から、この国の警察組織はこうやって、私服で市民社会のなかにまぎれながら、突然牙をむいて襲うという残虐性で恐れられてきたのか。そうやって何人か見せしめのように暴力を加えられた若者たちが、車に連れ込まれ、どこかの留置場へと運ばれていった。

数では圧倒的に勝るデモ隊は、それでも優勢に警察を追い込むが、とうとう警察部隊は催涙弾を使用。この先毎日毎日、何万発も若者に向けて発射された、白い煙を上げ毒をまきちらす、あの殺傷兵器だ。一旦は逃げるが、また前進する若者たちの勇気に感動する。

そうやって呆然と事態の推移を眺めていたわれわれスタッフ一同、いつもより数段高い規模と緊張感のデモになってきたことに驚き、はて、こんな衝突の真っ只中にいるわたしたちはここから安全に脱出できるのか、という不安にかられはじめる。ドライバーたちが何度か下に降りて様子をみるが、Kasr El Ainiもナイル川沿いのCornicheも、どちらも衝突でふさがれていて、すぐには出られそうもない。「夜は危ないから今すぐなんとかして出たほうがいい。」という意見と「夜になればデモの継続は難しいからもう少し待つべきだ」という意見がまっぷたつに割れ、その場の責任者の役割から逃れられない僕の結論をみんなが注視する。こんなこと経験したことなんだから、まともな判断なんかできるもんか!内心ではやぶれかぶれになりながらも、どちらかといえば日の高いうちに出たほうがいいと言い、またドライバーが下に降りてタイミングを見計らう。公用車2台と僕の私用車1台に分乗して、市内の西と北と南へと脱出し、午後6時過ぎにはみな無事家に戻ることができた。

このデモはきっと長期化するだろうと、みなが思った。そして、タハリール広場と目と鼻の先という好立地のわれらがオフィスに通い続けるのは、あまりに危険だ。僕は、みなに連絡して次の日を自宅待機とした。そのときは、こんな待機状態が3週間も続くとは思っていなかったけれど。

写真をとっておけばよかったと今になって思うが、このとき自分はシャッターを切る気になれなかった。ジャーナリストにはなれそうもない。
ジャーナリストではない僕としては、仕事でもないのに大使館や家族からの勧告に逆らってタハリール広場に行く理由をひねり出すこともできず、この日々ドラマチックに展開していく革命を、基本的には日本にいるみなさんと同じように家のテレビで眺めるしかなかった。

それでも、必要から外出した折々に現在進行形の革命の断片を目撃して、わずかばかりにしても歴史が音をたてて転換する同じグラウンドに立っている実感をもてたときに抱いた感情は、やはり「嬉しい」というものに近かったように思う。

【第1日:1月25日(火)】
この日は、去年から突然、「警察の日」として祝日に指定された。いまでは世界中のみんなが知っている悪名高きエジプトの警察。そんな輩を慰労するなんてちゃんちゃらおかしい、というムードが街中に充満していた。宗教的な祝日以外は日本の祝日を採用しているうちのオフィスは通常営業。デモの噂を聞いてはいたが、どうせ2008年4月6日のゼネストのように、事前に権力に封じ込まれて、何もできないだろうとあきらめて、もくもくと事務仕事にいそしむ。タハリール広場からものの200mくらいしか離れていないオフィスではあるが、僕の席からは外の騒擾はほとんど聞こえてこなかった。

午後3時頃だったか、ふとどうなっているか気になって、スタッフに声をかけて、図書館からタハリールへまっすぐ伸びるKasr El Aini通りを眺めたら、目の前でデモ隊と警察部隊が石を投げ合っている。デモ隊の何人からは通りに面する上院議会に乗り込もうとするが、ゲートの向こう側から警官が青年たちを水攻めにする。
じーっと眺めているうちに変なことに気がつく。デモ隊の輪に入って、警察部隊と対峙していた何人かの男が、突然向きを変えて、若者をボコボコに殴る。制服の警官がジョインして、さらに殴る、蹴る。意識がなくなるくらい、執拗な暴力を加える。そうか、ムバラク時代を通して、いやきっとそれ以前から、この国の警察組織はこうやって、私服で市民社会のなかにまぎれながら、突然牙をむいて襲うという残虐性で恐れられてきたのか。そうやって何人か見せしめのように暴力を加えられた若者たちが、車に連れ込まれ、どこかの留置場へと運ばれていった。

数では圧倒的に勝るデモ隊は、それでも優勢に警察を追い込むが、とうとう警察部隊は催涙弾を使用。この先毎日毎日、何万発も若者に向けて発射された、白い煙を上げ毒をまきちらす、あの殺傷兵器だ。一旦は逃げるが、また前進する若者たちの勇気に感動する。

そうやって呆然と事態の推移を眺めていたわれわれスタッフ一同、いつもより数段高い規模と緊張感のデモになってきたことに驚き、はて、こんな衝突の真っ只中にいるわたしたちはここから安全に脱出できるのか、という不安にかられはじめる。ドライバーたちが何度か下に降りて様子をみるが、Kasr El Ainiもナイル川沿いのCornicheも、どちらも衝突でふさがれていて、すぐには出られそうもない。「夜は危ないから今すぐなんとかして出たほうがいい。」という意見と「夜になればデモの継続は難しいからもう少し待つべきだ」という意見がまっぷたつに割れ、その場の責任者の役割から逃れられない僕の結論をみんなが注視する。こんなこと経験したことなんだから、まともな判断なんかできるもんか!内心ではやぶれかぶれになりながらも、どちらかといえば日の高いうちに出たほうがいいと言い、またドライバーが下に降りてタイミングを見計らう。公用車2台と僕の私用車1台に分乗して、市内の西と北と南へと脱出し、午後6時過ぎにはみな無事家に戻ることができた。

このデモはきっと長期化するだろうと、みなが思った。そして、タハリール広場と目と鼻の先という好立地のわれらがオフィスに通い続けるのは、あまりに危険だ。僕は、みなに連絡して次の日を自宅待機とした。そのときは、こんな待機状態が3週間も続くとは思っていなかったけれど。

写真をとっておけばよかったと今になって思うが、このとき自分はシャッターを切る気になれなかった。ジャーナリストにはなれそうもない。
3月5日土曜日。こういう難しい状勢にも関わらず、228点のアマチュア美術家の作品の展覧会をある団体が日本からもってきてくれたので、その開会式に出かけた。

この開会式に、1週間ほど前にAhmed Shafiq前首相から文化大臣に指名されたMuhamed El Sawyさんが来てくれると聞いていたから、それも楽しみの一つだった。

会場のPalace of ArtsでディレクターのMohamed Talaatさんに会って挨拶。「大臣が来るんだよね?」とはしゃいで聞いたら、「うん、でも、変わったばかりだから、なんとも言えないね。もう、いまのエジプトは毎日何かが変わるから!」と言って苦笑い。そうだよな、Sawyさんになったばかりだもんな、いろいろ忙しくて来れないかもな、と思っていたら、会場の待合室で初めて、この日、Sawyさんが辞任したと知らされビックリ。首相が変わったから自然な流れでそうなったのか。それとも一部アーティストや文化人からの批判(Ahmed Shafiqが組閣した内閣を認めないというのと、ビジネスマンが主のSawyさんは適任ではないという意見など)に応える形だったのか。

結局、Sawyさんの後に指名された大臣は現れず、文化省Fine Arts Sectorの局長が大使と一緒にテープカットを行った。

展覧会は、アマチュアとはいえ、特に日本画や書道は見ごたえのある作品が多くて、集まったエジプトのお客さんたちも心動かされていたように思う。それから、同じ会場で企画された日本とエジプトの子どもたちの絵画の展示も、未来のわが国をテーマにした希望にみちあふれた作品が多かった。おしむらくは、もともと日本からこれにあわせて来る予定だった作家たちが、状勢が完全にもとにもどらず旅行をキャンセルしたこと。絵を書いた子どもたちが出会って言葉と心を通わせる場面が実現されず、残念だ。

何人かのエジプトの子どもの絵のなかに戦車の絵があって、最初は「あー、子どもたちはこの非常事態に心を痛めて、戦地の子どもたちのように、自分の心のなかに澱として残っている悲しみや恐怖が表れてしまったのか。」と、こういう絵を見て条件反射的に出る感想が思い浮かんだのだが、よくよく考えると、今回の革命で初めて戦車が通りに現れた1月28日から、市民は軍を歓迎しつづけ、軍もこの期待にこたえて中立を守り続けたことに思い至る。とすれば、未来の理想図に戦車が描かれることは、エジプトにおいては、ポジティブな気持ちの発現として、喜んでいいことなのかもしれないと思い直したのだった。

それだけに、今日になってその軍と市民の良好な関係に亀裂が走ったことが残念だ。
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