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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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久々にタハリールが燃えている。
7月8日の大規模金曜デモを組織した革命勢力は、軍と暫定政府に対して遅々として進まない旧勢力の退場を中心とする要求を突きつけ、継続した座り込みによってプレッシャーをかけている。

そして、明日火曜日も、百万人のデモを呼びかけ、体制からの前向きな回答を今にも引き出そうとしているようだ。

今日のアハラーム紙(ウェブ版)によると、Essam Sharaf首相は、日曜に革命青年グループに対して包括的な改革の約束をしたそうで、そこには、抗議者を狙撃した者を含む1400名にのぼる警官の7月15日までの解雇、7月17日までに閣僚の3分の1以上の入れ替え(旧体制派の一掃)、今月末までの国営メディア(テレビ・ラジオ)の経営陣の刷新、月末までに新たな県知事の再任命の発表を行うなど、盛りだくさんだ。

そして、この日程での改革が実現できなければ首相を辞任するとして、自らの退路を断つ気合の入れようだ。

当然、首相の裏には実権をもつ軍が構え、旧勢力やエジプトに大きく変わってほしくない湾岸王族などの要求と目の前の革命勢力の要求とを天秤にかけながら、適当な落としどころを探っているに違いない。だからこそ、首相は、自分の首をかけて、ストリートの声に殉じると宣言する必要があったわけだ。これで、シャラフ首相がさまざまな妨害によって十分に改革を断行できなければ、首相辞任となり、今度は首相の足をひっぱったとして軍の権威・信頼が失墜することになるから、軍としてもここにあがったアジェンダの多くを受け入れざるを得ないのではないか。

希望的観測だけれど、これらの要求が通って、市民が安心してラマダンを迎え、そして9月の選挙に向けて、自らの支持・所属政党を選択し、その政党のシンパを増やすという未来を向いた活動に集中できるよう、強く願っている。

タハリールが静まってくれないと、そのどまんなかにオフィスを構えるこちとら、落ち着いて仕事ができないのだから!!


(リンク:Ahram Online:'Egypt's PM Essam Sharaf races against time as protests escalate')
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5月27日、第二の怒りの金曜日は10万人近い動員だったが、一週間後のデモは結集力あるスローガンを見出せず、フェイスブックでも抗議をやめて仕事をしようとの趣旨で「労働の金曜日」などと銘打つ動きがあったりで、結局数百人のまとまりのないデモが行われただけだった。交通もまったく止まることなく流れた模様。

身元不明の女性ジャーナリストが、広場での女性へのセクハラ調査をやっていてデモ隊と小競り合いになり、軍が威嚇射撃をしてこのジャーナリストを広場から追い払うという一幕もあったようだが、総じて静かな金曜日だった。

木曜日の夜、タハリールに日参しているエジプト人女性の話を聴く機会があった。
革命の中心になった青年リベラル勢力が結成した政党のミーティングに参加したら、そこで議論されていたのが、イスラム、キリスト教、ユダヤ教以外の宗教を国は認めるべきかとか、そういう宗教の集会・結社を認めるべきかというような話題で、これが紛糾してしまう有様。なにがリベラルだ、と。彼女はこういう状況を揶揄して、「サラフィ以外はみんなリベラル」と、この国の革命後の精神のありかたを批判した。

なんでも自由が良いとはいわないが、個人が自分の信条や良心を他人に否定されない基本的権利くらいは、革命の果実として実ってほしいものだ。

来週の金曜デモは、労働の金曜を皮肉ってなのか、Friday of Hungerと銘打たれ、700LEと規定されたばかりの最低賃金法に物申す会になると報じられている。デモに政治的求心力が乏しくなって、一向に好転しない経済への憤懣にとってかわるのは、あってほしくないシナリオなのだが。
5月27日金曜日。二度目の怒りの金曜日と称して、タハリール広場に10万人近い人々が集まった。前回の日記に書いたスーザンの釈放とホスニへの恩赦説に激怒した市民が、久々に党派を越えて集まったようだ(ただし、ムスリム同胞団を除いて)。そのほかにも、3月19日に国民投票で承認された改正憲法を無効化して、新たに起草委員会を立ち上げろだとか、9月の議会選挙を遅らせろといった要求も掲げられていた模様。

それに対する今週の政府の反応は、ひとつにホスニ・ムバラク前大統領、ナズィーフ元首相らが携帯、インターネットを止めた罪の確定と罰金の適用。ムバラクには2億ポンド(約4,000万ドル)なんていうすごい数字が課された。しかし、公金横領はもちろん、なによりもデモ隊の殺傷そのものに対する責任を問うという本丸には程遠く、市民の抗議に対して、とりいそぎ結果を出しやすいところから確定させて茶を濁した感はどうしてもぬぐえない。

そして、昨日軍最高評議会が発表したのが、選挙法改正案。9月に予定されている下院議員選挙のベースになる大事な法改正で、革命青年同盟らが旧体制の悪弊を徹底的に除去するよう求めていたけれど、出てきた案は結局、随分保守的なままだったようだ。革命勢力は旧体制では選挙区制のなかで、NDP有力者が金で票を買い漁る不正が横行していたため徹底した比例代表制への移行を求めていたが、本改正案では全議席中3分の2を選挙区制で選出するとした。また、これも以前から軍と市民の対立軸になっていたものだが、農民・労働者と女性へのクォータ制の維持。前者に議席の半分、後者に64議席を分配しようというもの。これは軍と市民の間のイデオロギー闘争というよりは、このような国の形を決めるような事項について軍には変更する権限がないというのが、軍のそもそもの立ち位置。3月の憲法改正でも、国民投票にかけるにも関わらず大統領の権限や選出に係る最低限の条項に手を入れただけで、抜本的な修正は新たに選出される政府と大統領に委ねるというのが、暫定統治権力の一貫した姿勢だ。昨日の抑制の効いた選挙法改正案には、ムスリム同胞団を含む全政治勢力がすかさず反対の意を表明している(リンク:"
Draft law introducing mixed electoral system triggers intense debate," Ahram Online)。

もう一つの大きな動きは外交面から。ガザとエジプトとの国境、Rafahが解放され、18歳から40歳までの男性を除くガザ住民は、事前申請なくしてエジプトに入国できることになり、エジプト新政府の仲介で実現したファタハとハマスの和解・統一政権への対話再開に続く、アラブ外交におけるエジプトの復権を印象づけるニュースだ。もちろん、イスラエルがこの動きに警戒感を強めていることはいうまでもないが、18歳から40歳までの「戦闘可能年齢」に事前申請を課すことで、米・イスラエルの懸念にこたえる形をとっているらしい。

こんな感じで、国の形に影響を与える法制度や宗教・民族問題など重い部分には極力保守的に臨み、外交と旧指導層断罪という分りやすい分野で点数を稼ぐという天秤作戦でもって、暫定統治者たる軍は破綻しない程度の舵取りで秋の選挙までもっていこうとしているようだ。

一方で、革命でさんざん悪者にされた警察は完全にいじけて、そこにいるだけで揉め事にまったく介入しようとしないでくの坊状態。その究極の弛緩ぶりをついて、原理主義者や旧支配層が宗教マイノリティという社会の一番弱い部分を狙って社会不安を増強させるし、こうしてちっとも改善しない治安情勢は主幹産業である観光はじめ経済全体にダメージを与え、レイオフなど目に見える痛みをもたらしつつある。マダラ模様に展開するポスト・レヴォリューションは、エジプトをどこに連れていこうとしているのか。
楽観はできない。


エジプトの治安が安定してくれないので、日本から人を招いた仕事はまだ当面は難しそうだ。

だからといってヒマにしておれんと思っていたところに、去年11月にアレキサンドリアで津島佑子さんの『光の領分』を芝居にした演出家がカイロでも公演をやりたいと言ってきたので、せっかくだからと原作の翻訳者に登壇いただいて、公演後に演出家・脚本家・翻訳者の三者対談を組んでみた。エジプトの若きクリエーターたちは、原作の日本的な風景や事象を伝えることには関心がなく、むしろ夫に離縁を迫られる女と娘の社会とのかかわりの難しさという普遍的テーマに反応したようだ。だから、観客のなかで日本というより演劇自体に関心がある人たちは純粋に、作品の国籍を意識せず楽しんでくれたようだが、日本に関心をもってきてくれた人にとっては、日本を表象するものが見つけられなかったことがものたりなかった様子で、質問やコメントでは、しきりに主催者の僕に対して、もっと日本文化を紹介してほしいと激烈アピール。襟をただして臨みたいと思う一方で、こういう議論の場では、作品そのもの、そして作品の翻案・アダプテーションという問題にフォーカスした議論が少なかったことが残念だ。

女性のモノローグに仕立てた30分の芝居は、スピーディーで、ダイナミックで、原作のスローで内省的な世界とはずいぶん違う雰囲気だったけれど、言葉があまりフォローできなくとも、面白さが伝わってきた。うちのエジプト人スタッフなど、そこまでかと思うほど感心しきりで、日本文学の戯曲化という今回の方法を大いに気に入り、どんどんやろうと盛り上がっている。巷はデモだ宗教暴動だパレスチナ連帯だと大騒ぎだが、こんな形で久しぶりに日本文化を種にしてエジプト社会に一石を投じることができて、ほのかな充足感がまだ持続しているところだ。

詳細は、公式ブログ記事をご覧ください。


世の中はいっこうに落ち着きを見せず。7日のImbaba教会焼き討ち事件は、エジプトの先住民たるマイノリティ、コプト教徒の間で大きな衝撃を与えたようで、宗教間の法的な平等を求めたタハリールや国営テレビ局でのデモが、いまも続いている。5月13日の金曜デモは、イスラエル建国記念=パレスチナにとっての破局(ナクバ)記念日の5月15日に向け、パレスチナへの連帯を示すという性格の強いものとなり、本来中心テーマであるはずのムスリム・コプトの連帯は、なぜか脇へおいやられ、しかも、翌14日にはまたもやならず者(バルタギ)がテレビ局前のデモを襲撃し、死傷者が出る衝突になってしまった。国民一丸となった民主主義の遂行という革命精神を守ろうとする人々が、コプトもムスリムも一体となって、遅々として進まない3月のSorの教会焼き討ちの真相究明と、今後の宗教間の法的平等実現を求めて、勇敢にストリートで抗議を続けている。Sharaf暫定政権もImbaba事件の調査委員会を発足させ、アズハルのタイイブとコプト教会のシュノーダが和解を求める声明を出すなど、表の政治世界でも一定の努力は見られるが、一旦出来てしまった不信の亀裂は、特に劣勢にたつマイノリティ、コプトの人たちにとって修復しがたいレベルに達しているように見える。

報道は事件のみをクローズアップするため、どうしても遠目には、国民レベルでクラッシュと不和が生じているように見えてしまうが、もちろんこれは、ごく一握りのグループが引き起こしている事件で、しかも純粋に信条をめぐる対立といいきれない要素を含んでいる。大多数の国民は、宗教・宗派の違いを越えて普通に社会生活をおくっている。僕の職場にも、ムスリムもコプトもいるけれど、違いの信条に対しての嫌悪感、違和感のようなものは一切もっていない。一連の事件に、旧与党NDP勢力が関与していることは、デモを襲ったならず者がNDPのIDをもっていたことからも明白(http://www.youtube.com/watch?v=NwdoE8xQmas&feature=share)。なんとかして社会的な不安を煽って、革命前の状態への復元を一人でも多くの人が望むように方向づけたいのだろう。

ただ、事件に関与していると思われるもう一つの勢力、Salafistsとなると、話は別かもしれない。このイスラム原理主義集団については、メディアも実態を把握できていないようで、表ではムスリム同胞団らとともに宗派間連帯を説いてまわっているものの、裏では旧勢力とつながりながら、勢力を拡大させようとしているのだろうか。Al Ahram Weeklyの最新号では、1ページにわたって彼らが何者であるかを紹介している。70年代からあらわれた復古主義者たちで、大きくは1.イデオロギー型と2.組織型に分かれ、1は、1-①Scholastic Salafis(神学サラフィー、70年代にアレキサンドリアから勃興)、1-②Activist Salafis(行動型サラフィー、カイロのシュブラ地区から70年代に誕生)、1-③ジハーディスト(アルカイダも含まれる)に、2は2-①Ansar Al-Sunna Al-Mohammediya Society(預言者ムハンマドの言行支持者集団)、2-②Al Gamiya Al Sharia(シャリーア集団)、2-③ワッハービズム にさらに分類されるという。僕の拙い理解では2-③=サラフィーで、もっぱらサウジへ出稼ぎに出てそこでワッハービズムの影響を受けた人たちが湾岸戦争のせいで本国に帰還したことからエジプト社会のサウジ化が進んだというものだったが、それがもっと大きな拡がりをもつものだということだけは、この記事から理解できた。そして、ときの政権は、ムスリム同胞団の伸張をおさえるためのカウンターとしてサラフィーたちを担ぎ出したり(70~80年代)、ひっこめたりしてきたが、現在は、新たなindependentsと呼ばれる勢力が、ムバラク政権から与えられた専門衛星テレビチャンネルを利用して、市民の生活レベルの疑問にイスラム原理の解釈でもって応えることにより、絶大な支持を集めている。その代表的なイデオローグがSheikh Mohamed Hassanで、ムスリム市民の絶大な支持を得て、今回の宗派対立においても、アズハルや軍最高評議会から調停役を求められたりしているようだ。

1月25日革命に対する同氏のコメントを聞くと、決して超保守ではなく、イスラームに遵法する形で社会変革すべしと、革命を肯定している(
http://www.youtube.com/watch?v=ZFfcexRsgCw)。とすると、サラフィーというのは、異宗教に対して絶対非寛容で暴力肯定型の集団から、穏健でイスラムによる平和のなかで異宗教の存在を許容する集団まで、相当に幅のある人たちのことで、では、一連の衝突に直接に関与しているのはどのグループで、それに対して穏健派はどう反応しているのか、もっと仔細に見ていく必要がありそうだ。

片や旧勢力の審判をめぐっては、スーザン・ムバラク夫人が、エジプトの2つの口座に保有していた公金とみられる400万ドル相当額のエジプト・ポンドを返還することを条件に釈放され、ムバラク前大統領本人も同様に、私物化していた公金を返還することを見返りに、恩赦を求めていると報じられている。ムバラク一族の逮捕は、やはり革命勢力に対する目くらましで、一瞬喜ばせておいて、その実、厳しい処罰の飛び火を嫌う湾岸の王族らの要求を呑んで、こっそりと釈放・減刑していくという算段だったということだろうか。復興のために湾岸のオイルマネーをどうしても必要とする軍と暫定政権が、さまざまな裏取引のすえに、国民がなかなかに納得しえない幕引きを用意しているのかもしれない。

5月7日夜、カイロ西部の庶民街Imbaba(インババ)地区でコプト教徒とイスラム教徒が衝突、報道では少なくとも12人が死亡、186人が負傷したとのこと。

先週の日記にも書いた、ムスリムに改宗した女性をキリスト教会が幽閉しているという噂が両宗教間の緊張を高め、ついにこのような大規模なクラッシュを起こしてしまったというふうに解釈するのが簡単なのだけれど、どうも釈然としない。

まず発端となった幽閉事件について、英語での報道からは実態がよくわからない。事実だとすれば、火種はコプト側がまいたということになるのかもしれないが、そうだとしても、ひとりの女性の改宗をめぐる夫婦間のトラブルが、こういうヒステリックな集団暴動に発展してしまうプロセスには、いろいろな政治的な力が働いていると考えるのが自然だと思う。

最近シャリーアによる統治をかかげて聖人崇拝から異教徒の知事任命まで非イスラーム的と認定するあらゆる事象を避難するSalafistと呼ばれる原理主義者たちが、当然のようにこの問題でも大上段にコプト教徒たちを集団として非難する運動をしてきたが、昨日のクラッシュと教会焼き討ちに対しては、自分たちの仕業ではなく、エジプトに宗派間対立をもちこもうとする外部勢力の仕業であると公言。また、事件の直後に数百人のコプトが米大使館前で救護を求めるデモを行ったことに対しては、その事実を否定し(「自分も見に行ったが、誰もいなかった」)、外国に助けを求める必要はなく、「コプトはムスリムが守る」と融和を説く声明を出している(
'Thousands attend joint Brotherhood-Salafi rally,' Al Masry Al Youm)。

また、報道を通じてコプト側は、今回の攻撃をイスラム原理主義者たちの手によるものと断定しているようだが、現場の証言などからは、攻撃してきた者たちは少なくともImbaba地区の人間ではなく、しかも原理主義者的な外見でもなかったという様子も伺える。僕の身近なエジプト人に言わせると、(誰が出しているかは別にして)みんな誰かから金で雇われて破壊行動をしているのであって、思想的な裏づけをもっているわけではないと言う。Salafistが主張する外国勢力による撹乱という陰謀説は信じがたいが、ムバラクら旧支配者層がまだあきらめずに、宗派対立を煽るために風評を流し暴徒を送り込んでいるということは考えられる。5月3日の留置所襲撃・脱獄事件、5月4日のムバラク支持派と革命勢力のテレビ局前での衝突など、この1週間ほどの間、警察機能が十全に機能していないことを見てとって、乱暴狼藉を働くケースが増えているのは、それぞれが単独の個別意志による犯罪というよりは、元締めが組織的に差配する治安撹乱運動と見たほうが自然なように思えてならない。

一方で、革命勢力は、ムバラク一族や旧政権の幹部たちが次々と起訴され、過去の汚職や市民に対する暴力など想像を絶する非道が明るみになってきていることに一定の満足を得ているかもしれないが、そろそろ過去をほじくりかえす作業の手をやすめて、未来を見据えた政治運動に本腰を入れなければいけないように思える。旧勢力は、当然利害をすべて失いたくないから、あの手この手で社会を撹乱させ、軍や暫定政権の統治に対する国民の信頼に傷をつけようとするだろう。よしんば、ここ数日激化している宗派対立がイスラム原理主義者の手によるものだとしても、世俗的な市民社会の建設を求める都市中間層がいま一番になすべきことは、タハリールでデモを継続することではなく、来るべき秋の選挙に向けて、ムスリム同胞団や旧NDPに対抗できる力強い支持基盤をもった新しいリベラル政党の建設なのであって、それが結果的に将来の宗派対立の芽を摘むことにつながるはずだ。

このことを、Orascom Telecomの創始者で、エジプト随一の富豪にして、ONTVという革命を先導した独立系テレビ局のオーナーでもあるNaguib Sawiirisが、eniGmaという英字誌の特集インタビューで力説している(
http://www.enigma-mag.com/enigma_tv/)。

彼は、自らThe Free Egyptians Partyという政党を立ち上げ、目下、全国を行脚して全国的組織基盤確立をいそいでいる。自身がキリスト教徒である同氏にとって、権力の空隙をついてムスリム同胞団やSalafistたちがマジョリティを確保しようとする勢いの現状は相当に危機的であって、特に人口の一割を占めるキリスト教徒たちに対して、イランのような原理主義政治体制のもとでマイノリティとして弾圧されて生きたくなければ、それに対抗しうる政治集団を9月の選挙までに作らなければならないとアジっている。イランを引き合いに出すのが適当かどうかはわからないが、同胞団がSalafistと合流する今日の状況を見ると、政治の場で宗教勢力に十分対抗しうる世俗政党が最初の選挙で形成されないと、その後の改正憲法起草など国の骨格を定める作業が想像以上に宗教色の濃いものになっていく危険性を感じる(
'Brotherhood rejects pre-election drafting of constitution ,' Al Masry Al Youm)。

過去の問題をほじくりかえすよりも、未来を創造する方向へエネルギーを注げ。Naguib Sawiirisの切実な声に、すべてのエジプト人が耳を傾けてくれるといいのだが。

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