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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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アラブの政財界の重要人物を輩出しつづけるカイロ大学政治経済学部。ここのアジア研究センターというユニットが開催する日本研究入門集中講座に、日本から経済学の先生にお越しいただいている。

3コマのなかで、日本の経済発展、日本文化、日本の教育を扱ってほしいという依頼を大学側から受けていたが、教授陣も学生も関心の中心は戦後の日本の高度経済成長の秘密。

昨今、落ち込むところまで落ちた日本のことを思えば、こんなテーマで日本の知恵を求めてくれる地域はそう多くないのが実情。自信をつけまくるアジア、特に韓国や中国は日本を哀れみ、心配してくれるような有様というし。

学生は熱心に聴いてくれるけど、質問やコメントを聞いてみると、どこか他力本願。
「隣国が紛争していて、それに巻き込まれる」
「日本と違って殖民地支配されたダメージが大きいから、大変なんだ」
というような意見が多く聞かれる。

先生と後で話したのは、もう少し、この世代の若い世代が、自分たちで自分たちのおかれている状況を真剣になんとかしようとしないと、何も変わらないよね、というようなこと。一方で高齢化進む日本はといえば、後先長くない世代の厚い保守層が、緊急に求められている改革を妨げているという、また違った事情を抱えている。

お互いが相手の状況をよくよく勉強し、理解し、意見を言い合ったり、助け合ったりするには、もっともっと対話が必要なんだよなー。それをやるだけのリソースも体力も不足しているけど、知恵を絞って、対話の機会をもっと増やしていきたい。


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先日、夏休みでカイロに来てくれた奇特な友人に頼んで、文庫になったばかりの若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』を持ってきてもらった。当時の一時資料や後世の研究者の分析のみならず、登場人物の人となりや来し方からの推測までをも総動員して、若桑さんは天正少年使節の真実に迫る。

文庫にして上巻600ページ弱、下巻500ページ弱の大著だが、上巻も最後になってようやく使節のヨーロッパへの旅が始まるのは、使節派遣に至るまでの日本の情勢や主要登場人物の言動の絡み合いを整理して読者に提示する意図からだろう。上巻を読み通して印象に残った点は、

1.当時の地方の殿様たちは、権力闘争のなかで自分の所領への経済的・軍事的メリットを多いに期待してキリスト教の布教を受け入れたが、うち大村・有馬・大友らは個人としてこの教えに共感して入信した。

2.ポルトガルのイエズス会、スペインのフランチェスコ会の間、またイエズス会の中でもポルトガル宣教師とイタリア宣教師との間には思想上、政策上の差異が際立っており、イタリア人の文明的洗練に比して、ようやくイスラーム勢力との戦いを退けたばかりのイベリア半島勢は、認識の上でも方針の上でも、西欧優位アジア蔑視の立場が明瞭であった。

3.前者を代表するのが巡察使のヴァリリャーノ。後者が前任のポルトガル人カブラル。ヴァリリャーノは実に賢人であり、異国での布教にあたりその土地の人々の思想、信条、文化、規範に自らを可能な限り適応させることを旨とした。当時の世における認識としては最高度のものであったと言える。

この第三の点について、以下にヴァリリャーノの考えをよく示すくだりを抜粋した。

ここで不足しているのは神父です。だからこそ、日本での布教には日本人の助けを得ること(日本人神父をつくること)がほかのどこよりも必要なのです。(上巻p. 205)

ヴァリリャーノは日本だけではなくインド、フィリピンなどすべての視察官なので、とくに日本語ができたのだはなかったが、彼の弟子マッテーオ・リッチに指示したように、宣教師はまずなによりもその布教する国のことばを知らなければいけないと固く信じていた。(上巻p. 207)

「国は異なり、風習は異なる。つまるところ、われわれの風習もまたヨーロッパという小さな地域にあわせてできたものにすぎないではないか。」これはこの時代の西洋人としてはまことに驚くべきことばである。彼がたとえ何者であったにせよ、このことばは賢人のものである。(上巻p.247)

ヴァリリャーノは日本の少年を「西洋人」にする気はなかった。「東西を知る人間」にすることが基本的な理念である。キリスト教思想を知るには、それが出てきた西洋の思想を知るべきである。しかし、それを日本のなかで日本人に語るには、禅僧などと同等の日本文化や思想の知識やことばを知らなければならない。(上巻p.296)

だいじなことは、すでに成長した木に接ぎ木をしたのが、成人改宗者であるとすれば、少年は、キリスト教がこの日本という大地に蒔かれて、はじめてそこで「採れた初穂」なのだ。布教以来30年、いまやっと初穂が採れた。だから少年をローマに送るのである。(上巻p.305)

日本に学校をつくるばかりでなく、知的な教育普及のために書物の出版が欠かせないと考えて、書物の印刷所をつくることを計画し実行した。(上巻p.309)

現地に教師を養成すること、指導するものはその地の言葉を解さねばならない、国や風習が異なるという相対感をもつ必要性、自国と外国文化の両方を知った人間こそがよい教育ができる、理屈ではなく感性で外国文化に共感できる少年期を大事にすべし、教育とあわせて出版がなされねばならない。

これらは、宗教の布教から離れて、いま、われわれがやっている国際文化交流やその一環としての日本語教育、日本研究の指針としてもそのまま当てはまる知見で、この商売をやっている者としてはとても面白く読んだ。

日本文化を他国に紹介するにあたり、自国文化優位の立場にたつのではなく、相手の文化をよく理解したうえで土地ごとの独自の受け入れ方を許容する姿勢が必要であり、自らが正しい日本を伝えられると過信することなく、その土地の人々のなかから、その土地の言葉で、その土地の文脈をふまえてやわらかく伝達できる教師を養成することが肝要である。

これらは、自分が国際交流を志した当初から先輩たちに教えられた考えと寸分も違わない。

絶対主義拡張期特有の圧力型の布教トレンドに対し、あくまで日本人を尊敬し日本に適合的な布教のあり方を常に考え実行してきたヴァリリャーノは、その信望の厚さの分だけ嫉妬の対象ともなり、それが彼が送り出した天正少年使節に対する後世の語られ方にも影響を与えてしまったという。

この先は、下巻を読んでのお楽しみ。また改めて、心にとまった文を書きおいてみたいと思う。

5月9日金曜日。

当地はイスラームの国だから、金曜日は集団礼拝の日でお休み。そういう理由だから日本ではありえない静かな休日を、異教徒のわれわれは堪能することができる。

この日はアテが外れて、ものすごい群集のなかで、7時間、折り紙を折り続けた。

というのも、「文化革命遂行機関」(と筆者が勝手に思っている)SAKIA(EL SAWY CULTURE WHEEL)より、「スーザン・ムバラク大統領夫人と共同で新市街の路上を封鎖して”PEACE EVENT”をやるから、美術作品3点を貸してくれ。それからブースを作るから折り紙ワークショップをやってくれ。」との要請を受けて、事務所スタッフ総勢6名で出動したのだった。

IMG_4681.JPG 以前も類似のイベントがあったらしく、それを見た同僚によると1万人近くの参加者があったということだったが、恒例化して随分と広く市民の認知を得ているようなのだ。開始時の午後1時はまだ可愛いものだったが、あれよあれよと群集が押し寄せ、午後7時頃の主催者発表では3万人が来場したという。わずか200mばかしの道路に6時間ばかりでこれだけの数が来たのだから、路上は人と人の隙間がないほどに密着して、ただでさえ暑いというのに、とんでもない熱気が渦巻いていた。

IMG_4678.JPG そんななか、われわれの折り紙ブースにもひっきりなしに老若男女が訪れ、一人平均20分程度、折り紙という新たしい遊びと親しんでいく。レパートリーを広げすぎるとわれわれのレベルの低さが露呈してしまうので、あえて洋服と箱とかえるの3種類だけを用意して、指導にあたった。参加者は年齢に関わりなく器用さの程度に差があって、用意したアラビア語解説つきマニュアルを見ながら自力でどんどん折って行くものもあれば、まったく自分で開拓する気力なく、ほとんどこちらまかせな人まで様々だった。たいていは、僕らが1枚とって手本を示しながら一緒に折りすすめるというやり方をとった。そんなことだから、7時間の間で僕だけでも50枚以上は折ったんじゃないかと思う。この3種類については、いつでもマニュアルなしで折ることが出きると、自信をもって言える。

IMG_4669.JPG 休む間もなく折り続けるわれわれに珍しい訪問客が現れた。アレキサンドリア在住のオリガミスト、オマル君。新聞や雑誌で紹介されるほどの実力と活動実績をもつ同氏は、アレキサンドリア、カイロ、アスワン、シーワなど数々の街へ出向いていっては子供たちにワークショップを開いてやっているという。しかも、イケメン。テレビで歌ったり踊ったりしていてもおかしくない。7月からSAKIAではじめる折り紙講座に協力してもらえればと思っているが、あのアトラクティブな顔だけで十分客寄せができそうなのだ(写真がなくて、ゴメンナサイ)。

IMG_4652.JPG それにしても、聖なる静かな金曜日に3万人の動員、である。
役所系の舞台やギャラリーに閑古鳥が鳴いているなか、大統領夫人と民間代表SAKIAのユニットが破格のスケールで人々を呼び込むというのが、先日見た映画「大統領の料理人」のプロットを思い出させた。トップが善政を行うかどうかは別にして、トップの威信を上手に使って賢い民間人が面白くて意義のあることを行う。やはり、SAKIAは”静かな革命家”と呼ぶにふさわしい。

翌土曜日は、どこにも出かけず家にいたが、前日の熱が冷めず、キリン、ゾウ、ウサギ、ペンギン、ハクチョウ、旋回飛行機を立て続けに折って、娘を喜ばせた。イケメン・オリガミストには到底かないっこないが、せめて自分の子どもだけでも喜ばせてやりたいものである。

4月21日午前、エジプトではここ以外ほぼ皆無の100%民間の文化施設、El Sawy Culture Wheel(通称=SAKIA(車輪))を訪問した。2月末、SAKIAの5周年フェスにブース出展し、凧づくりと折り紙のワークショップをやったのがまだ記憶に新しい。我々のブースがとりわけ好評だったため、双方気をよくして、これを発展させ常設化しようという話になった次第。

SAKIAの代表、Mohammad EL SAWY氏は、元文化大臣のご子息というサラブレッドにして、父とは違うやり方でこの国の文化振興に取り組んでいる。毎日必ず何かプログラムが進行していて、平均すると日に3本の催しがあるというから、その精力的な取り組みは政府系文化機関の比ではない。月刊のカレンダーを一瞥すると夜の音楽公演が圧倒的に目立つが、日中も子供や若者が集まるワークショップや、文化と社会のあり方について討論するセミナーなどが頻繁に行われていて、さながら市民のための市民によるサロンの体をなしている。コンサートについていえば、アマチュア・バンドに毛のはえたような若者から世界屈指のウード奏者ナスィール・シャンマまで玉石混交という感じだが、それもライブハウスのようなスペースの少ないこの地において、若い才能に場を提供するというミッションに基づいてのことという。今日聞いた話では、来月あたりから、こうした将来性のあるミュージシャンの楽曲をインターネットで配信するサービスを開始するという。

この日も午後から、文学・芸術と民主主義をテーマとするセミナーがあるというのでSAWY氏は忙しそうだったが、そんななか僕たちとの協議のために
1時間あまりも時間をとってくれたのが嬉しかった。このセミナーについて新聞の告知記事を見ていたので水を向けたら、4月6日の「世界一静かなゼネスト」をとりあげ、今は政府に封じ込められてなす術なくしている市民を、少しずつ文化の力で啓蒙していくことが必要で、今日のセミナーを含むSAKIAの事業がゆっくりと人々の意識を変え、社会を下から変革していくというヴィジョンを語ってくれた。

SAWY氏がセミナーの準備のため席を離れたあと、スタッフの一人、ブルガリア人のドニカさんが僕達に語ってくれた。SAWY氏は頻繁に政界からラブコールを受けるひとかどの人物だが、同時にその市民への影響力を政府は警戒もしていて、なかなかに難しいかけひきをしながら、この静かな革命にとりくんでいるという。

ゴミ溜めを掘り起こしてナイル河岸に作り上げた革命拠点SAKIAは、5年の活動を通して確実にカイロ市民の認知と支持を得ている。折り紙とはいかにもささやかだが、単発のイベントだけではなく、何か恒常的な取り組みを通してこの静かな革命に参画したいと思っていたので、SAWY氏が今日のプロポーザルを二つ返事で受けとめてくれたことが嬉かった。

「車輪」っていうのは、やっぱりボブ・ディランだろうか。Like a Rolling Stone。回転(revolve)し続ける石が、ゆっくりと、確実に、カイロっ子のスピリットを変革しつづけている。


クリスマス・イブに入国し、これで3度目のアレキサンドリアとは、なかなか快調に飛ばしている。今回は、「現代日本の工芸展」と題して世界を巡回するコレクションを当地の現代美術館で展示するための出張だった。


アレキサンドリアは、その名のとおりアレキサンドリア大王が開いた港町で、グレコローマンの貴重な遺跡がそこここにある。そして、なにせ地中海。海と空は青々と輝き、魚が上手い。イタリアに来たのではないかと勘違いしそうなくらいだ。

かつて文化が栄えたこの町には、今も芸術家が好んで住みつき、そしてユネスコの支援で再建されたアレキサンドリア図書館(Biblioteka Alexandoria)がこの町の文化の中心に構えている。11月に日本とアラブ諸国の識者が集った日・アラブ会議は、この図書館を舞台にして行われた。

CIMG1856.JPGそんな町の現代美術館だから、建物はかつての宮殿を利用してとても立派。でも、設備はちょっと不十分。今回もっとも苦しんだのは、作品64点を載せるためのスタンドの確保だった。1月に下見をかねて館長と打ち合わせたときには、ここには10点ほどしかスタンドがないという。そんなわけで、僕らはカイロの美術館に頭を下げて、2つの施設から45台のスタンドを借り受けることに成功した。写真は、ゲジーラ・アート・センターから15台を運び出しているところ。

オープニングを3月27日午後7時に設定し、僕らスタッフは26日の朝9時にカイロを経った。作品のなかに漆器が含まれているため、木箱を開けたあと24時間は段ボールを開梱しないよう指示が出ていて、この日の作業はフロア・プランにあわせてスタンドとパネルを設置するところまで。これだけの作業のために、夜の8時半までかかったのは予想外だった。CIMG1862.JPG美術館の人手が足りず、木箱を1階から2階に運び上げるために、近ばの駅からポーターを4人ばかり連れてこなければならなかったり。はたまた、美術館保有のスタンドには塗装してくれたのに、カイロで僕らがかき集めたほうにはノータッチだったり。思うようにいかない一日で、フラストレーションが蓄積した。



CIMG1866.JPGそれをふきとばすように、9時すぎからスタッフ全員で魚料理のレストランに出かける。お目当てのレストランを発見できず、海沿いのコルニーシュ通りで車を止めて街の人に道を聞く。CIMG1869.JPG親切で陽気なおじさんが、僕らが探しているのとは別の「アルース・エル・バハル(「海の花嫁」で人魚の意)」を絶賛するので、さらに30分ほど迷いつつ、10時過ぎにたどり着く。探し歩いた甲斐あって、そこで注文したエビと舌平目のフライは絶品だった。ホテルにチェックインしたら、11時半をまわっていた。

翌日は、予想以上に時間がかかることを見込んで、朝9時から作業開始。館のスタッフの手をほとんど借りることなく、6人の基金スタッフで効率よく作品を並べ、午後1時までには展示を完了。あとは照明を残すのみとなった。

CIMG1874.JPG照明のスタッフは午後2時半ころから始動。いい具合に腐ってよくしなる3メートルはある木製の脚立をもって、二人の若いお兄ちゃんがかけつける。フラフラしながら上のライトにぶつけたり、作品のすぐそばに急接近したり、見ている者をハラハラさせる作業ぶりだ。こちらは気が気でなく、脚立と作品の間に立って万が一に備えるが、先方は平然と猿のように、しなりの良いハシゴをスルスルと昇降し、ジャグラーのように上と下から電球を放り投げる。CIMG1873.JPG脚立の脚をよく見ると、真ん中あたりで折れて、ロープで接ぎ木されている。自分が昇ることは、イメージすらできない恐ろしいハシゴであった。





気のいい師匠のおじさんと若いヤンチャなおにいちゃんが3人で、ほぼ3時間かけて、照明作業が完了。開会式の30分前のことだった。

CIMG1904.JPG美術館の招待者、アレキサンドリア-日本友好協会のメンバー、アレキサンドリア名誉総領事館のメーリング・リストから、80名近い美術愛好家たちが出席し、主賓には文化省美術局長で自らもアーティストであるモフセン・シャーラン氏がカイロよりいらして、にぎやかな開会式となった。誰もが、工芸品に技巧と個性的表現を盛り込む日本人の徹底ぶりに驚嘆し、惜しみない賛辞の言葉をかけてくれた。

この日もまた、前日に探し出せなかった魚料理店、カッドゥーラを見つけだし、エビ、イカ、スズキに舌鼓をうった。アウェイでのプロジェクトは行ってみるまで予測がつかないことが多く、苦労が多かったが、アレキの土地の魅力はそれを補ってあまりあった。

帰途、アレキとカイロを結ぶハイウェーを、今春はじめての巨大な砂嵐(ハマシーン)が襲った。これが過ぎ去れば、いよいよ本格的な夏到来だ。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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