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ブログ最初の投稿で「デリー以上だ」と驚愕した交通マヒは、その後も悪化の一途をたどっているようで、後手後手の都市計画にだいたんなメスが入ることがのぞまれます。
でも、短気でプップカプップカならしてののしりあう姿も、ひとつの文化として愛すべきところがあり、これが日本のように整然としてしまうと、もはやそれはエジプトではないと言わざるを得ません。適度な改善を望みます。
この国の文化、エンターテインメントを知りたい、知ったかたわら数少ないフォロワーに面白い情報をご提供したいと思って書きはじめました。
カイロのエンターテインメントの目玉って、結局なんなんでしょう?
ベリーダンスは結婚式の花ですが、一般的にはイスラム的戒律から忌避されるようだし、かつて映画大国だったエジプトの今は、製作本数さえ2000年代から盛り返しをみせているものの、秀作は少ないようで、たまに出かける映画館もガラガラ。どこの国でもテレビに客を奪われ映画が沈むというのが潮流だけど、エジプトの映画づくりもなかなかに厳しい様子。1月25日革命後の混沌とした一種無政府状態のなかで、「もはや表現してはいけないものはない」的空気が一瞬流れたものの、最近のカウンター・レヴォリューションの流れをみるに、表現者はこれからも厳しい社会的制約のなかで活動していかざるを得ないように思います。
音楽もね~。こぶしまわしや短調メロディーがどことなく演歌との類似性を想起させて、日本人的にはイケルかなと思わせるアラブポップスも、最新の音を聞いている限りでは、ソングライティングにバラエティが感じられず、全部同じに聞こえる。アラブの歌謡曲に親しもうという趣旨で在留邦人が集うビラーディの会に入り、10曲強の歌を覚えました。Sayyed DarwishとかDalidaとかAbdel Moneim Hafezとか、わりとクラシックな名曲中心でしたが、これも「昔の歌はすごく個性的でかっこいい」という個人的な印象。現代の歌手では、結局、King of Arab PopsのAmr Diabが、いまも僕のなかにすっと入ってくる歌でありつづけています。「アラブポップスに新風よ吹け」という気分です。
そんななか、こちらも革命がきっかけで新しい音がそれなりに注目されてきたのはいい傾向。CairokeeがWust El BaladのHany Adelとタッグを組んで、タハリール広場を駆け抜けた若者の心情を表現した"Sout El Horreya"は、1月25日をリアルに体験した一人としては、ビデオクリップのイントロ、Semiramis Intercontinental Hotelをバックに飛び去る渡り鳥の絵が出た瞬間にノックアウト状態。一生懸命歌詞を覚え、9月のPeace Festival、野外ステージで、カイロの若者と一緒に大合唱するという夢を果たすことができたのは、幸せなことでした。
ポップスというのではないけれど、アラブ音楽とジャズなど西洋音楽のフュージョンでいい音出してるのが、Fathy SalamaとEftekasat。前者は、ユッスー・ンドゥールの"Egypt"というアルバムの作曲でグラミーをとったということで、カイロでも僕ら外人には人気なのだけれど、一般的エジプト人で知っている人は異常に少ない。2,3か月に1回、オペラハウスの野外シアターに100人程度の客を集めてライブ、チケットは400円くらいっていう地味さは、どういうこと?歌謡曲のようにいかないのは当然としても、アラブポップス以外の音楽にマーケットが存在していない状況が、革命後に改善されていくことを願ってやみません。
Eftekasatも同様の通しかしらない音楽という一づけですが、でも最近日本語講座にやってくる若者たちからもこのバンド名が聞かれたりするので、知名度があがってきている様子。彼らとは仕事でも濃い関係をもち、僕のカイロ滞在にも豊かな彩を与えてくれました。リーダー、キーボーディストのAmro Salahは、Trinity Collegeで音楽を専門にマスターした理論家でもあり、そして素晴らしいソングライター。そのうえ、音楽で人をハッピーにし本気でエジプトを世界を平和へと1ミリでも進めようとしている超ナイスガイ。2008年から知人らとともにCairo Jazz Festivalを立ち上げ、各国からミュージシャンを集め、エジプトにジャズ文化を広め、根付かせようと本気でとりくんでます。2009年にクリヤ・マコトさんのTokyo Freedom Soulをお迎えしてコンサートやワークショップをひらいたあの時間を通して、Amroと僕のなかに育まれた信頼と友情は、2010年にJapan Foundationが企画したUnit Asia公演でのEftekasatとの共演、そして凱旋東京公演へと実を結び、そして、2011年12月20日、Cairo Jazz ClubでのAmro Salah Jazz TrioとNorie Gaga(筆者と筆者のボスが9月のpeace Festivalのために結成したユニット)との共演によるJ-pop Nightで、(僕的には)大団円を迎えたのでした。
このJ-pop Night、9月の路上ライブを見にきてくれたAmroがたいそう面白がって、Cairo Jazz Clubのマネージメントに売り込んでくれて実現したわけですが、僕が縁あって台詞の日本語訳を手伝ったエジプト人の若い映画監督の日本人を配役した短編映画の上映と寿司パーティと結合して、実にたくさんのお客さんに楽しんでもらうことができました。エジプトにおける認知度がゼロに近い日本の大衆歌謡曲の魅力をうまく伝えたいと思い、ボスと一緒に18曲の候補曲をリストアップ。Amroのトリオに聴いてもらって、11曲に絞り、当日演奏したのは9曲。在留邦人の女性にゲスト出演いただき、女性の歌として、「異邦人」「ハナミズキ」「誰より好きなのに」を披露。僕のほうでは、「勝手にしやがれ」「島唄」「希望の轍」「真夏の果実」「ありがとう」(奥田民生・井上陽水)「上を向いて歩こう」を歌わせていただきました。
トリオの演奏は完璧。プロとはこういうものかと改めて痛感しました。なにより、ジャズミュージシャンらしくいくらでもアバウトにアレンジできるところを、原曲に忠実に敬意いっぱいに演奏してくれたのがうれしかったです。カイロ市内のスタジオでのリハのとき、Amroが「異邦人」をして自分の生涯聞いた音楽のなかで最高に美しい曲と興奮して語ってくれたときが、今回のプロジェクトのなかで一番心躍った瞬間でした。自分がこよなく愛する日本の文化やアートを気に入ってもらえたときにエクスタシーを感じてしまう。これは職業病なんでしょうかね?
1月25日以降は、このブログの性格も、文化芸術を語るよりも革命後の社会の激動を追いかけることにかなり移ってしまい、数少ない愛読者のみなさんをがっかりさせたかもしれません。自分のカイロ滞在の備忘録的にはじめたものなので、一貫したテーマ、編集方針というものがなかったものですから、こんな形で脱線しながら書いてきた4年間でした。
昨日、Amro Salah Trioのライブを見たあと、Amroとその友人たちとカフェでよもやま話を楽しんだのですが、政治の話になると、最近はなかなか明るくなれくて、最後はしんみりしてしまったものです。なぜか順調に進む選挙の合間に、11月、12月と続いた軍・警察と市民との衝突は、明らかに1年前の革命に沸いた熱狂の圧倒的な後退を示していて、未来に希望をもとうとする人々を陰鬱な気分にさせます。タハリール広場と目と鼻の先にある僕のオフィスは、再度の衝突への懸念から満足に営業できないまま年を越しそうです。結局、革命を擁護すると公言するエジプトの軍というのは、1952年の自由将校団による王政転覆革命以来ずっと、この国の政治・経済・社会を牛耳ってきたわけで、事情通の友人の話だと、軍保有の400社にのぼる企業が国内総生産の35%を占め、あらゆる課税から免除され巨万の富をほしいままにしているのだそうだ。だから、革命後の民政移管というのも、その軍のアンタッチャブルな超法規的権益を侵害しないことが前提になって進行中で、今回の下院選挙で7割をとったといわれるムスリム同胞団と軍は、すでにそれを前提にした同盟を結んでいるという構図。ということは、このままこの政治プロセスを追認した先には、軍を超法規的存在として追認する新憲法が制定され、民主的手続きで選出された議会も大統領も、この超法規的存在からのプレッシャーから自由にはなれないという悲しい事態が待っているということなのだろうか。
それが1年前の「革命」の顛末だとしたら、あまりにも悲しい。
昨夜未明、ザマーレクのオンム・クルスーム像の前で、Amroと握手を交わして別れた。たとえそうであっても、希望をもちつづける、そして音楽で、文化の力で、世の中を楽しくしていくんだ、と誓った。
明日、12月26日は最終勤務日。引き継ぎをできる限りがんばって、夕方には日本をJapan Foundationを愛して日々やってきてくれた若者たちと最後の時間を楽しみ、27日早朝、カイロをたちます。
僕が愛するエジプトの友人の未来が幸多からんことを祈ります。
それに対する今週の政府の反応は、ひとつにホスニ・ムバラク前大統領、ナズィーフ元首相らが携帯、インターネットを止めた罪の確定と罰金の適用。ムバラクには2億ポンド(約4,000万ドル)なんていうすごい数字が課された。しかし、公金横領はもちろん、なによりもデモ隊の殺傷そのものに対する責任を問うという本丸には程遠く、市民の抗議に対して、とりいそぎ結果を出しやすいところから確定させて茶を濁した感はどうしてもぬぐえない。
そして、昨日軍最高評議会が発表したのが、選挙法改正案。9月に予定されている下院議員選挙のベースになる大事な法改正で、革命青年同盟らが旧体制の悪弊を徹底的に除去するよう求めていたけれど、出てきた案は結局、随分保守的なままだったようだ。革命勢力は旧体制では選挙区制のなかで、NDP有力者が金で票を買い漁る不正が横行していたため徹底した比例代表制への移行を求めていたが、本改正案では全議席中3分の2を選挙区制で選出するとした。また、これも以前から軍と市民の対立軸になっていたものだが、農民・労働者と女性へのクォータ制の維持。前者に議席の半分、後者に64議席を分配しようというもの。これは軍と市民の間のイデオロギー闘争というよりは、このような国の形を決めるような事項について軍には変更する権限がないというのが、軍のそもそもの立ち位置。3月の憲法改正でも、国民投票にかけるにも関わらず大統領の権限や選出に係る最低限の条項に手を入れただけで、抜本的な修正は新たに選出される政府と大統領に委ねるというのが、暫定統治権力の一貫した姿勢だ。昨日の抑制の効いた選挙法改正案には、ムスリム同胞団を含む全政治勢力がすかさず反対の意を表明している(リンク:"Draft law introducing mixed electoral system triggers intense debate," Ahram Online)。
もう一つの大きな動きは外交面から。ガザとエジプトとの国境、Rafahが解放され、18歳から40歳までの男性を除くガザ住民は、事前申請なくしてエジプトに入国できることになり、エジプト新政府の仲介で実現したファタハとハマスの和解・統一政権への対話再開に続く、アラブ外交におけるエジプトの復権を印象づけるニュースだ。もちろん、イスラエルがこの動きに警戒感を強めていることはいうまでもないが、18歳から40歳までの「戦闘可能年齢」に事前申請を課すことで、米・イスラエルの懸念にこたえる形をとっているらしい。
こんな感じで、国の形に影響を与える法制度や宗教・民族問題など重い部分には極力保守的に臨み、外交と旧指導層断罪という分りやすい分野で点数を稼ぐという天秤作戦でもって、暫定統治者たる軍は破綻しない程度の舵取りで秋の選挙までもっていこうとしているようだ。
一方で、革命でさんざん悪者にされた警察は完全にいじけて、そこにいるだけで揉め事にまったく介入しようとしないでくの坊状態。その究極の弛緩ぶりをついて、原理主義者や旧支配層が宗教マイノリティという社会の一番弱い部分を狙って社会不安を増強させるし、こうしてちっとも改善しない治安情勢は主幹産業である観光はじめ経済全体にダメージを与え、レイオフなど目に見える痛みをもたらしつつある。マダラ模様に展開するポスト・レヴォリューションは、エジプトをどこに連れていこうとしているのか。
楽観はできない。
木曜から金曜にかけて、アレキサンドリアへ出張。街の治安状況を調べて、日本語講座などの文化事業再開の目処をつけてきた。そこで出会った関係者や日本語学習者も、カイロの仲間のように、日本の震災被害に対して真剣な眼差しでお見舞いの言葉をかけてくれた。日本が世界に向けて示してきた誠意、勤勉さ、共感の積み重ねが、こういうときにちゃんと温かい気持ちとして返ってきている。
カイロに戻って、金曜の夜、EL SAWY CULTURE WHEELで木曜から始まった第三回カイロ・ジャズ・フェスティバルに顔を出してきた。1月25日革命による混乱の影響で開催があやぶまれていたが、主催者のゆるぎない信念が、このお祭りを単なる音楽の祭典以上に意味あるものにしていた。
フェスティバルは、公式ウェブサイトで、「1月25日革命の殉死者に捧げる」と銘打った。いくらなんでもそれは大げさじゃないと思うかもしれないが、人々が立ち上がり、強権的な政権に立ち向むかったそのうちのひとつは間違いなく、自由に音楽が出来ること、自由に言いたいことがいえる社会の実現であったはず。音楽を愛する若者が大勢集まっていた。みんな、勝ち取った自由がもたらしてくれたユーフォリアに酔いしれていた。音楽は人をつなぐ。言い古された言葉が生き生きとした実態をともなって、空間をひとつに結んでいた。
会場には、タハリール広場の革命の日々が切り取られた写真たちが飾られた。
エジプトに続いて今度は日本が大変なことになり、結果的に難しかったとはいえ、この空間に日本の音楽家を招くことができなかったことが残念だ。
革命の成就を祝福するよりむしろ、これからの民主制度作りがいかに大変か、時間がかかり忍耐を要するかという課題を説教しに来たみたい(リンク Ahram Online:Clinton to tell Egyptians democracy takes time)。
いちいちもっともなことを言っているが、革命勢力を代表するRevolution Youth Coaliton側はヒラリーからの面会希望をお断り(リンクAhram Online:Revolution Youth Coalition refuses to meet Clinton
)。そりゃそうだろうな、民主主義は普遍的価値などと称揚しながらその裏で自分たちの世界戦略の便利な手足として動いてくれる権威主義的政権をたくさんの戦略上の重要国に置き続けてきたのだから、その犠牲になった国民たちが簡単にアメリカさんに気を許すわけがない。こうして、本質的な論点に対する本質的に深い対話はスルーされたまま、世の中はまわっていく。
そしてなんと、あと4日たつと、憲法改正の国民投票だ。マイノリティを十分に代表する制度になりえないとして女性、コプト、若者、貧者などが反対しつつも、ムバラク独裁を支えた国民民主党残党と、これまで非合法の憂き目にあってきたがいま大々的にうってでようとするムスリム同胞団という二つの既存のマジョリティは逆に改正案を支持。プライベートの小規模でやっている世論調査では改正案に反対の人が多いことになっているが、それが国民の意見を代表しているものかどうか。でも、軍は「もし否決されたら」という仮定をおくびにも出さないところがクレバーで、民主主義的制度の導入に関して「そのあとのオプションが何もない=もっと悪い方向へ向かう危険性」という恐怖心を人心に植えつけながら、うやむやに、しかも早々に、改正案を通してしまい、次のステップ(大統領選挙?)に移行しくことを確信しているかのようだ(リンク:Blog Arab: Constitutional Amendments, continued)。
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