えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
twitter: @sukkarcheenee
facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2007年のクリスマスイブにカイロにやってきて、ほぼちょうど4年。任務を終え、12月27日に帰任します。
ブログ最初の投稿で「デリー以上だ」と驚愕した交通マヒは、その後も悪化の一途をたどっているようで、後手後手の都市計画にだいたんなメスが入ることがのぞまれます。
でも、短気でプップカプップカならしてののしりあう姿も、ひとつの文化として愛すべきところがあり、これが日本のように整然としてしまうと、もはやそれはエジプトではないと言わざるを得ません。適度な改善を望みます。
この国の文化、エンターテインメントを知りたい、知ったかたわら数少ないフォロワーに面白い情報をご提供したいと思って書きはじめました。
カイロのエンターテインメントの目玉って、結局なんなんでしょう?
ベリーダンスは結婚式の花ですが、一般的にはイスラム的戒律から忌避されるようだし、かつて映画大国だったエジプトの今は、製作本数さえ2000年代から盛り返しをみせているものの、秀作は少ないようで、たまに出かける映画館もガラガラ。どこの国でもテレビに客を奪われ映画が沈むというのが潮流だけど、エジプトの映画づくりもなかなかに厳しい様子。1月25日革命後の混沌とした一種無政府状態のなかで、「もはや表現してはいけないものはない」的空気が一瞬流れたものの、最近のカウンター・レヴォリューションの流れをみるに、表現者はこれからも厳しい社会的制約のなかで活動していかざるを得ないように思います。
音楽もね~。こぶしまわしや短調メロディーがどことなく演歌との類似性を想起させて、日本人的にはイケルかなと思わせるアラブポップスも、最新の音を聞いている限りでは、ソングライティングにバラエティが感じられず、全部同じに聞こえる。アラブの歌謡曲に親しもうという趣旨で在留邦人が集うビラーディの会に入り、10曲強の歌を覚えました。Sayyed DarwishとかDalidaとかAbdel Moneim Hafezとか、わりとクラシックな名曲中心でしたが、これも「昔の歌はすごく個性的でかっこいい」という個人的な印象。現代の歌手では、結局、King of Arab PopsのAmr Diabが、いまも僕のなかにすっと入ってくる歌でありつづけています。「アラブポップスに新風よ吹け」という気分です。
そんななか、こちらも革命がきっかけで新しい音がそれなりに注目されてきたのはいい傾向。CairokeeがWust El BaladのHany Adelとタッグを組んで、タハリール広場を駆け抜けた若者の心情を表現した"Sout El Horreya"は、1月25日をリアルに体験した一人としては、ビデオクリップのイントロ、Semiramis Intercontinental Hotelをバックに飛び去る渡り鳥の絵が出た瞬間にノックアウト状態。一生懸命歌詞を覚え、9月のPeace Festival、野外ステージで、カイロの若者と一緒に大合唱するという夢を果たすことができたのは、幸せなことでした。
ポップスというのではないけれど、アラブ音楽とジャズなど西洋音楽のフュージョンでいい音出してるのが、Fathy SalamaとEftekasat。前者は、ユッスー・ンドゥールの"Egypt"というアルバムの作曲でグラミーをとったということで、カイロでも僕ら外人には人気なのだけれど、一般的エジプト人で知っている人は異常に少ない。2,3か月に1回、オペラハウスの野外シアターに100人程度の客を集めてライブ、チケットは400円くらいっていう地味さは、どういうこと?歌謡曲のようにいかないのは当然としても、アラブポップス以外の音楽にマーケットが存在していない状況が、革命後に改善されていくことを願ってやみません。
Eftekasatも同様の通しかしらない音楽という一づけですが、でも最近日本語講座にやってくる若者たちからもこのバンド名が聞かれたりするので、知名度があがってきている様子。彼らとは仕事でも濃い関係をもち、僕のカイロ滞在にも豊かな彩を与えてくれました。リーダー、キーボーディストのAmro Salahは、Trinity Collegeで音楽を専門にマスターした理論家でもあり、そして素晴らしいソングライター。そのうえ、音楽で人をハッピーにし本気でエジプトを世界を平和へと1ミリでも進めようとしている超ナイスガイ。2008年から知人らとともにCairo Jazz Festivalを立ち上げ、各国からミュージシャンを集め、エジプトにジャズ文化を広め、根付かせようと本気でとりくんでます。2009年にクリヤ・マコトさんのTokyo Freedom Soulをお迎えしてコンサートやワークショップをひらいたあの時間を通して、Amroと僕のなかに育まれた信頼と友情は、2010年にJapan Foundationが企画したUnit Asia公演でのEftekasatとの共演、そして凱旋東京公演へと実を結び、そして、2011年12月20日、Cairo Jazz ClubでのAmro Salah Jazz TrioとNorie Gaga(筆者と筆者のボスが9月のpeace Festivalのために結成したユニット)との共演によるJ-pop Nightで、(僕的には)大団円を迎えたのでした。
このJ-pop Night、9月の路上ライブを見にきてくれたAmroがたいそう面白がって、Cairo Jazz Clubのマネージメントに売り込んでくれて実現したわけですが、僕が縁あって台詞の日本語訳を手伝ったエジプト人の若い映画監督の日本人を配役した短編映画の上映と寿司パーティと結合して、実にたくさんのお客さんに楽しんでもらうことができました。エジプトにおける認知度がゼロに近い日本の大衆歌謡曲の魅力をうまく伝えたいと思い、ボスと一緒に18曲の候補曲をリストアップ。Amroのトリオに聴いてもらって、11曲に絞り、当日演奏したのは9曲。在留邦人の女性にゲスト出演いただき、女性の歌として、「異邦人」「ハナミズキ」「誰より好きなのに」を披露。僕のほうでは、「勝手にしやがれ」「島唄」「希望の轍」「真夏の果実」「ありがとう」(奥田民生・井上陽水)「上を向いて歩こう」を歌わせていただきました。
トリオの演奏は完璧。プロとはこういうものかと改めて痛感しました。なにより、ジャズミュージシャンらしくいくらでもアバウトにアレンジできるところを、原曲に忠実に敬意いっぱいに演奏してくれたのがうれしかったです。カイロ市内のスタジオでのリハのとき、Amroが「異邦人」をして自分の生涯聞いた音楽のなかで最高に美しい曲と興奮して語ってくれたときが、今回のプロジェクトのなかで一番心躍った瞬間でした。自分がこよなく愛する日本の文化やアートを気に入ってもらえたときにエクスタシーを感じてしまう。これは職業病なんでしょうかね?
1月25日以降は、このブログの性格も、文化芸術を語るよりも革命後の社会の激動を追いかけることにかなり移ってしまい、数少ない愛読者のみなさんをがっかりさせたかもしれません。自分のカイロ滞在の備忘録的にはじめたものなので、一貫したテーマ、編集方針というものがなかったものですから、こんな形で脱線しながら書いてきた4年間でした。
昨日、Amro Salah Trioのライブを見たあと、Amroとその友人たちとカフェでよもやま話を楽しんだのですが、政治の話になると、最近はなかなか明るくなれくて、最後はしんみりしてしまったものです。なぜか順調に進む選挙の合間に、11月、12月と続いた軍・警察と市民との衝突は、明らかに1年前の革命に沸いた熱狂の圧倒的な後退を示していて、未来に希望をもとうとする人々を陰鬱な気分にさせます。タハリール広場と目と鼻の先にある僕のオフィスは、再度の衝突への懸念から満足に営業できないまま年を越しそうです。結局、革命を擁護すると公言するエジプトの軍というのは、1952年の自由将校団による王政転覆革命以来ずっと、この国の政治・経済・社会を牛耳ってきたわけで、事情通の友人の話だと、軍保有の400社にのぼる企業が国内総生産の35%を占め、あらゆる課税から免除され巨万の富をほしいままにしているのだそうだ。だから、革命後の民政移管というのも、その軍のアンタッチャブルな超法規的権益を侵害しないことが前提になって進行中で、今回の下院選挙で7割をとったといわれるムスリム同胞団と軍は、すでにそれを前提にした同盟を結んでいるという構図。ということは、このままこの政治プロセスを追認した先には、軍を超法規的存在として追認する新憲法が制定され、民主的手続きで選出された議会も大統領も、この超法規的存在からのプレッシャーから自由にはなれないという悲しい事態が待っているということなのだろうか。
それが1年前の「革命」の顛末だとしたら、あまりにも悲しい。
昨夜未明、ザマーレクのオンム・クルスーム像の前で、Amroと握手を交わして別れた。たとえそうであっても、希望をもちつづける、そして音楽で、文化の力で、世の中を楽しくしていくんだ、と誓った。
明日、12月26日は最終勤務日。引き継ぎをできる限りがんばって、夕方には日本をJapan Foundationを愛して日々やってきてくれた若者たちと最後の時間を楽しみ、27日早朝、カイロをたちます。
僕が愛するエジプトの友人の未来が幸多からんことを祈ります。
ブログ最初の投稿で「デリー以上だ」と驚愕した交通マヒは、その後も悪化の一途をたどっているようで、後手後手の都市計画にだいたんなメスが入ることがのぞまれます。
でも、短気でプップカプップカならしてののしりあう姿も、ひとつの文化として愛すべきところがあり、これが日本のように整然としてしまうと、もはやそれはエジプトではないと言わざるを得ません。適度な改善を望みます。
この国の文化、エンターテインメントを知りたい、知ったかたわら数少ないフォロワーに面白い情報をご提供したいと思って書きはじめました。
カイロのエンターテインメントの目玉って、結局なんなんでしょう?
ベリーダンスは結婚式の花ですが、一般的にはイスラム的戒律から忌避されるようだし、かつて映画大国だったエジプトの今は、製作本数さえ2000年代から盛り返しをみせているものの、秀作は少ないようで、たまに出かける映画館もガラガラ。どこの国でもテレビに客を奪われ映画が沈むというのが潮流だけど、エジプトの映画づくりもなかなかに厳しい様子。1月25日革命後の混沌とした一種無政府状態のなかで、「もはや表現してはいけないものはない」的空気が一瞬流れたものの、最近のカウンター・レヴォリューションの流れをみるに、表現者はこれからも厳しい社会的制約のなかで活動していかざるを得ないように思います。
音楽もね~。こぶしまわしや短調メロディーがどことなく演歌との類似性を想起させて、日本人的にはイケルかなと思わせるアラブポップスも、最新の音を聞いている限りでは、ソングライティングにバラエティが感じられず、全部同じに聞こえる。アラブの歌謡曲に親しもうという趣旨で在留邦人が集うビラーディの会に入り、10曲強の歌を覚えました。Sayyed DarwishとかDalidaとかAbdel Moneim Hafezとか、わりとクラシックな名曲中心でしたが、これも「昔の歌はすごく個性的でかっこいい」という個人的な印象。現代の歌手では、結局、King of Arab PopsのAmr Diabが、いまも僕のなかにすっと入ってくる歌でありつづけています。「アラブポップスに新風よ吹け」という気分です。
そんななか、こちらも革命がきっかけで新しい音がそれなりに注目されてきたのはいい傾向。CairokeeがWust El BaladのHany Adelとタッグを組んで、タハリール広場を駆け抜けた若者の心情を表現した"Sout El Horreya"は、1月25日をリアルに体験した一人としては、ビデオクリップのイントロ、Semiramis Intercontinental Hotelをバックに飛び去る渡り鳥の絵が出た瞬間にノックアウト状態。一生懸命歌詞を覚え、9月のPeace Festival、野外ステージで、カイロの若者と一緒に大合唱するという夢を果たすことができたのは、幸せなことでした。
ポップスというのではないけれど、アラブ音楽とジャズなど西洋音楽のフュージョンでいい音出してるのが、Fathy SalamaとEftekasat。前者は、ユッスー・ンドゥールの"Egypt"というアルバムの作曲でグラミーをとったということで、カイロでも僕ら外人には人気なのだけれど、一般的エジプト人で知っている人は異常に少ない。2,3か月に1回、オペラハウスの野外シアターに100人程度の客を集めてライブ、チケットは400円くらいっていう地味さは、どういうこと?歌謡曲のようにいかないのは当然としても、アラブポップス以外の音楽にマーケットが存在していない状況が、革命後に改善されていくことを願ってやみません。
Eftekasatも同様の通しかしらない音楽という一づけですが、でも最近日本語講座にやってくる若者たちからもこのバンド名が聞かれたりするので、知名度があがってきている様子。彼らとは仕事でも濃い関係をもち、僕のカイロ滞在にも豊かな彩を与えてくれました。リーダー、キーボーディストのAmro Salahは、Trinity Collegeで音楽を専門にマスターした理論家でもあり、そして素晴らしいソングライター。そのうえ、音楽で人をハッピーにし本気でエジプトを世界を平和へと1ミリでも進めようとしている超ナイスガイ。2008年から知人らとともにCairo Jazz Festivalを立ち上げ、各国からミュージシャンを集め、エジプトにジャズ文化を広め、根付かせようと本気でとりくんでます。2009年にクリヤ・マコトさんのTokyo Freedom Soulをお迎えしてコンサートやワークショップをひらいたあの時間を通して、Amroと僕のなかに育まれた信頼と友情は、2010年にJapan Foundationが企画したUnit Asia公演でのEftekasatとの共演、そして凱旋東京公演へと実を結び、そして、2011年12月20日、Cairo Jazz ClubでのAmro Salah Jazz TrioとNorie Gaga(筆者と筆者のボスが9月のpeace Festivalのために結成したユニット)との共演によるJ-pop Nightで、(僕的には)大団円を迎えたのでした。
このJ-pop Night、9月の路上ライブを見にきてくれたAmroがたいそう面白がって、Cairo Jazz Clubのマネージメントに売り込んでくれて実現したわけですが、僕が縁あって台詞の日本語訳を手伝ったエジプト人の若い映画監督の日本人を配役した短編映画の上映と寿司パーティと結合して、実にたくさんのお客さんに楽しんでもらうことができました。エジプトにおける認知度がゼロに近い日本の大衆歌謡曲の魅力をうまく伝えたいと思い、ボスと一緒に18曲の候補曲をリストアップ。Amroのトリオに聴いてもらって、11曲に絞り、当日演奏したのは9曲。在留邦人の女性にゲスト出演いただき、女性の歌として、「異邦人」「ハナミズキ」「誰より好きなのに」を披露。僕のほうでは、「勝手にしやがれ」「島唄」「希望の轍」「真夏の果実」「ありがとう」(奥田民生・井上陽水)「上を向いて歩こう」を歌わせていただきました。
トリオの演奏は完璧。プロとはこういうものかと改めて痛感しました。なにより、ジャズミュージシャンらしくいくらでもアバウトにアレンジできるところを、原曲に忠実に敬意いっぱいに演奏してくれたのがうれしかったです。カイロ市内のスタジオでのリハのとき、Amroが「異邦人」をして自分の生涯聞いた音楽のなかで最高に美しい曲と興奮して語ってくれたときが、今回のプロジェクトのなかで一番心躍った瞬間でした。自分がこよなく愛する日本の文化やアートを気に入ってもらえたときにエクスタシーを感じてしまう。これは職業病なんでしょうかね?
1月25日以降は、このブログの性格も、文化芸術を語るよりも革命後の社会の激動を追いかけることにかなり移ってしまい、数少ない愛読者のみなさんをがっかりさせたかもしれません。自分のカイロ滞在の備忘録的にはじめたものなので、一貫したテーマ、編集方針というものがなかったものですから、こんな形で脱線しながら書いてきた4年間でした。
昨日、Amro Salah Trioのライブを見たあと、Amroとその友人たちとカフェでよもやま話を楽しんだのですが、政治の話になると、最近はなかなか明るくなれくて、最後はしんみりしてしまったものです。なぜか順調に進む選挙の合間に、11月、12月と続いた軍・警察と市民との衝突は、明らかに1年前の革命に沸いた熱狂の圧倒的な後退を示していて、未来に希望をもとうとする人々を陰鬱な気分にさせます。タハリール広場と目と鼻の先にある僕のオフィスは、再度の衝突への懸念から満足に営業できないまま年を越しそうです。結局、革命を擁護すると公言するエジプトの軍というのは、1952年の自由将校団による王政転覆革命以来ずっと、この国の政治・経済・社会を牛耳ってきたわけで、事情通の友人の話だと、軍保有の400社にのぼる企業が国内総生産の35%を占め、あらゆる課税から免除され巨万の富をほしいままにしているのだそうだ。だから、革命後の民政移管というのも、その軍のアンタッチャブルな超法規的権益を侵害しないことが前提になって進行中で、今回の下院選挙で7割をとったといわれるムスリム同胞団と軍は、すでにそれを前提にした同盟を結んでいるという構図。ということは、このままこの政治プロセスを追認した先には、軍を超法規的存在として追認する新憲法が制定され、民主的手続きで選出された議会も大統領も、この超法規的存在からのプレッシャーから自由にはなれないという悲しい事態が待っているということなのだろうか。
それが1年前の「革命」の顛末だとしたら、あまりにも悲しい。
昨夜未明、ザマーレクのオンム・クルスーム像の前で、Amroと握手を交わして別れた。たとえそうであっても、希望をもちつづける、そして音楽で、文化の力で、世の中を楽しくしていくんだ、と誓った。
明日、12月26日は最終勤務日。引き継ぎをできる限りがんばって、夕方には日本をJapan Foundationを愛して日々やってきてくれた若者たちと最後の時間を楽しみ、27日早朝、カイロをたちます。
僕が愛するエジプトの友人の未来が幸多からんことを祈ります。
PR
カレンダー
02 | 2024/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(12/26)
(11/23)
(08/04)
(08/01)
(07/29)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
すっかる・ちーにー・しゅがー
性別:
男性
職業:
国際文化交流
趣味:
カレー
自己紹介:
インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
ブログ内検索
最古記事
(01/24)
(01/26)
(01/28)
(01/30)
(02/04)
カウンター
アクセス解析