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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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4月1日金曜日。タハリール広場が一掃されてから元気がなくなっていた革命勢力が沈黙を破って、50,000人も再結集した。ムバラクやとりまきの早急の裁判と抗議集会禁止令の撤回など、最近歩みののろくなった改革を軍と臨時政府に求めるものだった。4月8日に百万人規模のデモを行うと警告しつつ改革を促す戦術と言われていたが、勢いで行ってしまったのだろうか。そのために当局へのプレッシャーとして微妙なサイズになってしまい、1週間後のデモ組織に悪影響を与えたのだとしたら残念だけれど。

成り行きでタハリールに居合わせデモに参加したうちのドライバーさんによると、一団の大半は世俗的な民主化要求を掲げる人たち(4月26日運動、キファーヤなど)だったけれど、なかに超イスラム原理主義者グループ(Salafist)が混じっていて、フセイン・モスクやサイイダ・ゼイナブなどの聖者をまつるモスクに安置される棺の撤去を叫んでいたとか。この人たちはキリスト教など異教を排除したいだけでなく、古代エジプトから面々と受け継がれてきたエジプト人がもつ多神教的民間信仰をも一掃させたいらしい。19日の憲法改正国民投票でも改革派の投票妨害をしたなど、最近存在感が増してきているのが気になる。

さて、3月31日から4月3日まで、タハリール広場そばのCairo American University旧キャンパスにて、Tahrir Book Fairなる本の祭典が開催中。Book Fairといえば歴史あるCairo International Book Fairがあるが、今年は革命のためにキャンセルとなってしまったため、革命を記念し、書籍への自由なアクセスによる市民啓蒙を訴える機会として、20世紀初頭からエジプトに根をはるこれまた歴史あるアメリカン大学が、これにとってかわったBook Fairを企画したものらしい。キャンパスのガーデンに欧米系の大使館や出版社がブースを10店くらい開いている、ごく小規模なイベントだったけれど、ステージが作られ、ライブやレクチャーなどいろんなイベントが用意された、開放感あふれる場になっていた。Sout El HorreyaのWust El Baradも演奏したようだ。

期間中は、ここのBookshopの本が全品2割引になっているのも嬉しい。新刊の棚にあった、"ON THE STATE OF EGYPT", Alaa Al Aswany、"Egypt in the Era of Hosni Mubarak", Galal Amin、そして、その名も"TAHRIR"と題した1月25日革命が繰り広げられたタハリール広場のスナップを集めた2012年カレンダーを購入。世界各国の言語に翻訳のある両名だけに、著者もAUC Pressもエジプトが世界から注目されているうちに直近の社会時評を世に出しておきたいと思ったに違いない。前者は2009年頃からの著者のエッセイを編集したもの、後者は革命後に著者が新聞に連載したエッセイをまとめたもので、どちらも正しく「現在」を論じたものではないが、ジャーナリズムとは違う次元で現時点での総括的時評をエジプト人知識人から聞きたいという要望に応えたものといえるだろう。

さて、この革命によって、文学、演劇、美術など芸術表現の世界にどのくらい自由な場が生まれてくるのか、これがもう少し中長期的な関心事項なのだが、この点について作家たちの肉声をひろっているAl Masry Al Youmの記事がなかなか面白かった(リンク:
)。

取材されたほとんどの作家が、革命による表現の自由の保障については楽観的な様子だが、一方で、政府ではなく市民による検閲の行方については不透明との観測をしている。特にイスラム教徒がマジョリティの国ということもあって、性表現と預言者やイスラームへの批判や中傷については寛容になりきれない。革命前も、作品が発禁に追い込まれる経緯は、たいていが市民からの告発によるものだったようで、だとすると、今後も体制批判という方向では何でも言えるようになっても、性や信条など人間の本性を問う文学にとっては、タブーとの厳しい闘いは続いていくのかもしれない。
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今日のAl Masry Al Youmの記事が面白い。
"Brotherhood youths broach reformation at conference denounced by group's vanguard "というタイトルで、「ムスリム同胞団所属の若者達、会議で改革を切り出すも幹部の非難」といった感じ。

36歳のSameh al-Barqyは、組織の民主化促進のために90年代中ごろから開会されていない、選出代表からなる代表者委員会で重要事項が決定されるべきと主張。

アインシャムス大学医学生のMohamed Effanは、組織の多数を構成する若者と女性に、それぞれ25%、15%の割り当てが適用されるべきと発言。

同胞団幹部が公認しなかった本日の会議に招待された穏健派の旧幹部Abdel Moneim Abouel Fotouh は別の機会に、革命後に同胞団が政治部局としての設立を発表した自由正義党は同胞団とは別組織であるべきと発言し、この日の会議でも同氏の考えに共鳴する若者から同様の意見が表明された。23歳のMohamed Shamsは、同胞団はパルチザン的政治闘争にのめりこむべきではなく、イスラムの正しい教えを大陸を越えて普及するというより崇高な目的に奉じるべき。統治者と人民の間に新しい社会的な絆を導き、良き価値の普及と社会教育に集中すべきと主張した。

30歳の薬剤師Mohamed Othmanは、同胞団がシャリーアに基づく市民政党を結党することに賛同しつつも、党の意思決定は親組織である同胞団から影響されてはならないし、同胞団以外の市民にも訴えかける力をもつべきとして、設立委員会のメンバーの3割を同胞団の外から招致し、コプト・若者・女性がそれぞれ10%、30%、25%の割り当てをもつべきと主張。

もっとも広範な大衆的基盤をもつ社会組織でありながら政権から弾圧され続けるなかでさまざまな課題を抱える同胞団の将来に対し、その担い手である若者からこんな建設的な意見が表明されていることに新鮮な驚きを感じた。この記事でも老幹部たちはこれらの意見を一蹴したとしており、短期的に目に見える変革は生じないとは思うが、「原理主義」組織として頑迷とか非寛容といったイメージで表象され、西側からその台頭が恐れられているこの組織も、決して一枚岩ではないのだと気づかされる。
まだ完全には治安状況が回復していないカイロに来て、奈良美智展の撤収をしていってくださったお二人、ありがとうございました。あなたがたの熟練技術と作品への愛がなければ、状況は厳しいものになっていたと思います。

そんなお二人を慰労申し上げたく、週末の一日半、博物館、ハンハリーリ市場、ピラミッドを案内した。僕にとっては革命後はじめてのカイロ観光案内で、特に心配はしていなかったとはいえ、無事に案内できて良かった。

それにしても、いまだ観光客は戻らず、エジプト観光ベストシーズンである温暖な3月に、感覚的には通常の1割くらいしかいない気がした。ピラミッドでは、普通は一番奥のパノラミック・ヴュー・エリアででーんと構えているラクダ使いたちが、ゲートそば、クフ王ピラミッド前で行列をなし、入ってくる客にむらがって早速に乗せこもうとしているのが痛ましかった。そのうちのひとり、サラーハ氏とうちとけて世間話をした。新婚3ヶ月の彼、新婚旅行から帰ってきたら革命勃発、それ以来、まったく商売あがったりで完全に乾せ上がっているという。心なしか、客引き、物売りが最初に提示して(ふっかけて)くる相場が下がっている気もする。観光業で食っている人たちは本当に大変だ。

さて、Al Masr El Youmへの有名作家Alla Al Aswanyの寄稿があるブログで紹介されていたので、以下引用。

Unfortunately, Egypt’s history is replete with lost opportunities for democratization. We now have another opportunity, which I hope will not be lost. The 25 January revolution forced Hosni Mubarak to step down. Hundreds of Egyptians sacrificed their lives for the sake of freedom. Since its inception, however, the revolution was confronted with a vicious counter-revolution — both inside and outside of Egypt.  

A few days ago, the Kuwaiti newspaper Al-Dar reported that Egyptian authorities are under massive pressure from Arab rulers, especially from Saudi Arabia and the United Arab Emirates, to ensure that Mubarak is not tried. The report asserted that these Arab states had directly threatened to freeze all relations with Cairo, cut all financial assistance, and withdraw their investments from Egypt. They even went as far as threatening to dismiss the 5 million Egyptians working in those countries, if Mubarak were to be tried.

For its part, Israel always defended Hosni Mubarak, one of its best allies. The Israeli press does not conceal its concerns about meaningful democratic change in Egypt. The US administration has a similar position. Both American and Israeli officials recognize Egypt’s potential and know it will become a powerful regional force in a matter of years, if it becomes a democracy.

暫定政権が、サウジやUAEの王室から、ムバラクを裁判にかけたら援助や投資を停止、出稼ぎ労働のエジプト人を追放するなど恐慌措置を辞さないという強烈な圧力をかけられているという。メディア筋の話ではないので情報の確からしさは約束できないが、抗議運動禁止法制定などの反動的なアクションの裏には、国内の既得権益層からのみならず、こうした域内の恐々とする王室あたらりからの強い風当たりもあるということは、当然のこととして想定に入れてみておくと良いだろう。

Ahram Onlineによると、Essam Sharaf暫定統治内閣が、ストリートでの抗議運動を規制し最大で懲役一年の罰則を課す「抗議運動禁止令」を発布するらしい。facebookやtwitterでは民主革命勢力からの猛烈な抗議が噴き出しており、抗議運動禁止令に対する大規模な抗議運動が起こり、緊張が再燃する恐れが出てきた。

19日の投票後スピーディに翌20日には憲法改正の成立を確認し、同日からは長らく停止していた株式市場を再開するなど、社会と経済の正常化へと勢いよく舵を切り始めた暫定統治者たちは、企業経営者など安定を求め政治とのパイプをもっている勢力の要求に押され、市民の怒りの温度を読み違えてはいないだろうか。Shafiqの後任としてタハリールや国営放送ビルなどデモの現場で大衆とともに歩む姿勢を見せ大きな支持を集めたSharafに対する支持も、これで大きく揺らぐことになるかもしれない。

あちらこちらで連日デモばかりでは経済も観光もままならないという気持ちはわかるが、議会選挙、大統領選挙を通して国民の信任による民主政府が樹立させるまでは、「暫定」政権は控えめに、バランスのとれた政策を打ち出していってもらいたいものだ。

リンク
:"Egypt to protest against anti-protest law", Ahram Online


木曜から金曜にかけて、アレキサンドリアへ出張。街の治安状況を調べて、日本語講座などの文化事業再開の目処をつけてきた。そこで出会った関係者や日本語学習者も、カイロの仲間のように、日本の震災被害に対して真剣な眼差しでお見舞いの言葉をかけてくれた。日本が世界に向けて示してきた誠意、勤勉さ、共感の積み重ねが、こういうときにちゃんと温かい気持ちとして返ってきている。

カイロに戻って、金曜の夜、EL SAWY CULTURE WHEELで木曜から始まった第三回カイロ・ジャズ・フェスティバルに顔を出してきた。1月25日革命による混乱の影響で開催があやぶまれていたが、主催者のゆるぎない信念が、このお祭りを単なる音楽の祭典以上に意味あるものにしていた。

フェスティバルは、公式ウェブサイトで、「1月25日革命の殉死者に捧げる」と銘打った。いくらなんでもそれは大げさじゃないと思うかもしれないが、人々が立ち上がり、強権的な政権に立ち向むかったそのうちのひとつは間違いなく、自由に音楽が出来ること、自由に言いたいことがいえる社会の実現であったはず。音楽を愛する若者が大勢集まっていた。みんな、勝ち取った自由がもたらしてくれたユーフォリアに酔いしれていた。音楽は人をつなぐ。言い古された言葉が生き生きとした実態をともなって、空間をひとつに結んでいた。

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会場には、タハリール広場の革命の日々が切り取られた写真たちが飾られた。

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エジプトに続いて今度は日本が大変なことになり、結果的に難しかったとはいえ、この空間に日本の音楽家を招くことができなかったことが残念だ。

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