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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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土曜日、キリスト教(コプト教)地区オールド・カイロに去年オープンしたギャラリー、DARBで開催される写真展のオープニングに顔を出した。DARBの創設者、アーティストのモアターズ・ナスルさん自ら招待状を届けてくれたので、行かないわけにはいかない。

まだ無名の若い写真家に発表の機会を与えようという企画で、8人の作家がカイロからルクソールまで旅をしながら撮りためた作品をセレクトして、われわれの一般的エジプト認識にはない世界を紹介しようというのが、企画趣旨だそうだ。

企画の趣旨とは裏腹に凡庸な風景やポートレートという域を出ない写真もあるが、鋭い観察で、独自の切り口を見出している写真もあって、なかなかに楽しかった。

CIMG4003.JPGたとえば、気球から撮った家々の屋上の連なりのカオスぶりは知られてはいるが、こうしてパノラミックに見せられると、めちゃくちゃ面白い。脱税目的でいつまでも「建設途中」にしていて、鉄杭がニョキニョキ飛び出ている建物だとか、屋上にバラックを建てて住んでいる人がいたりだとか。




CIMG4009.JPG個人的に目にとまったのは、ルクソールの神殿に太陽の光差す、この写真。死んで動かない遺跡というのではなく、今の時の流れがきちんと空間のなかから感じられて、存在感のある写真だと思った。








CIMG4012.JPGムアターズ・ナスルさんが立ち上げたこの新しいアートセンターは、徐々に人々の注目を集めていて、昨日も50人近い人たちでにぎわっていた。来年を目処に、内外のアーティストに場所を提供してレジデンスをはじめたり、カフェを開いたりして、この場所をアーティストのコミュニティ・スペースとしてますます活性化させるつもりと、意気盛んだ。

ぼくらも、このスペースで近々展覧会をやってみたいと思っていて、ムアターズさんの活動を応援していきたい。

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2009年の幕開けは、展覧会のオープニングとともにはじまった。
1994年から15年間にわたって、油絵の技法でピラミッド、スフィンクス、アブシンベル神殿など古代エジプトの遺跡を中心とするエジプトの風物を描いてきた、木下和(きのした・かず)さんの個展を、国際交流基金カイロ事務所が現地主催者となって受け入れた企画だ。

この事業は、自分が赴任する前、いまから3年以上前に基金カイロ事務所にもちこまれていた提案で、僕としては作家にも作品にも面識のない状態から引き継いだこともあり、勝手がつかめない時期が長く続いた。カイロオペラハウスのギャラリーに交渉に出かけ、元旦からの10日間でよければ無償で会場を提供いただけるということになり、いよいよ広報と作品受け入れの準備という段階になっても、僕はもちろんのこと、事務所のエジプト人スタッフにも、どういう展示になって観客がどんな反応をするのか、そもそも観客は来るのか、という疑問符がたくさん並んだ状態だった。というのも、この1年、エジプト人と接していて、彼らが古代エジプトの偉大なる栄光とどう向き合ったらいいかわからず、それをもてあましているのではないかと感じていたからだ。エジプトでの初仕事であったピラミッドでの凧揚げ大会においても、下見に出かけたうちのスタッフは、ピラミッドを見るのは小学生以来だし、ほとんどのエジプト人は古代遺跡に関心がないと言っていた。そんなエジプト人が、古代の遺跡を描いた絵画を見に来るだろうか、しかもお正月に。これが、不安の正体である。

ところが、フタをあけてみたら、連日100人から200人の観覧を記録し、20件以上のメディアが取材に訪れた。取材は個別に作家インタビューを希望してきたため、最短10分のテレビ取材から最大2時間の雑誌取材まで、僕や事務所スタッフが通訳に駆り出された。この数字は、カイロでの展覧会としては、相当にいい数字である。

しかも、特筆すべきは、リピーターが多かったこと。まず、一人一人、じっくりと鑑賞し、写真をとったりメモをとったり、作家に質問したり、実に熱心だった。そして熱心が高じた数名は、翌日家族を連れてやってきて、後日、友人を連れてまたやってきたりした。メディアの広報効果もすごかったが、口コミの力も大きかったのは、まだコミュニティが生きているカイロらしさが現れた結果といえる。

元旦のオープニングに果たして人が集まってくれるか、最後の瞬間まで気をもんでいた事務所の広報担当スタッフも、200人近い人だかりに驚きと安堵の表情を浮かべていた。後日、彼女がこの現象を分析したところによると、エジプトはいま落ちるところまで落ちていて、みな自信をなくしている。今回のガザ攻撃をめぐってエジプトがアラブ中から非難されているのを見ても、外からも評価や感謝の声が聞かれない。これはアラブ民族主義を唱え、第三世界の盟主の名をほしいままにしたナセルの時代からすると、いかにも対照的な事態だ。そんなとき、日本のアーティストが、エジプトのことをよく評価してくれたことが、彼らの誇りを刺激したのではないか、と。王朝の断絶や紛争があったとしても、厳然とそこにあり続ける古代遺跡、太古から変わらずナイルを照らしてきた月・日は不変であり、それを大切にし後世へ伝えていくことが、現在を生きるわれわれの責務である。この木下さんの普遍的なメッセージが、年初に新たな気持ちでギャラリーを訪ねたカイロ市民に通じたということだろうか。先日紹介したバレンボイムのコメントではないが、言葉を超えた芸術の訴求力を実感した瞬間だった。
12月21日(日)の夕方、所長と現地スタッフとともに、3件の美術イベントをはしごした。

1件目は、「本」をテーマにした国際ワークショップ&展覧会のオープニングが午後6時30分から。世界中から参加した50名あまりの作家が、自分がイメージする本を制作するという企画のオープニング。主催者はムハンマド・アブンナーガ氏。日本で和紙の紙漉きと和紙アートを勉強してエジプトでも紙にこだわった作品を作るアーティストで、自身、Nafeza(窓)というNGO紙工房を経営している。ここに日系アメリカ人のトーマス松田さん、日本滞在の長い韓国人アーティスト金景秀さんが参加したので、うちの事務所の小さいお財布から滞在費の一部を補助した。トーマスさんは、カイロの街中を歩き、文化遺産や建築物の壁などに和紙をおき、上から圧力をかけてプレスすることによって表面の模様やデザインを写し取るという仕事をしていた。和紙の上に浮かび上がる模様からカイロの町並みや人の息吹が伝わってくる感じがした。金さんの作品は二つあった。一つは遠くから見たらカイロの地図。近づいてみると、青いインクでスタンプされた日付を数万個押すことで線や面が形づくられていることがわかった。その日付は、カイロで制作した日々であり、彼自身のカイロの足跡ということ。もう一つはより本をイメージしたもので、3つの本それぞれにやはり日付がたくさん印字され、表紙には日本語、ハングル、アラビア語でそれぞれ「本」と書かれている。このほかエジプトや他国の作品にも面白い作品がいっぱい。エジプト人作家の石で作った本は、石なのに紙のしなやかな感触が感じられる秀作。思わず触ってみたくなる。

ここのオープニングを駆け足で見て、今度はカイロオペラハウスへ移動。前日の20日から始まっているカイロ・ビエンナーレの表彰式。日本からは彫刻家の山下晴子さんが参加したが、残念ながら受賞はならず。山下さんは1ヶ月前からアスワンに入り、かの地の石を作って作品を制作された。アブシンベルやピラミッドなどに使われた歴史のある石で作品を作るということに重みがある、といったことを山下さんが語っていたのが印象に残っている。グランプリはエジプト人ララ・バラディさんの「希望の塔」。レンガを積み上げて作った未完成の巨大建造物は、カイロ市内にたくさんみられる未完了なまま住人が生活をはじめてしまった家を思わせたり、あるいはレバノンやパレスチナやイラクなどで銃弾を受けた住宅をイメージさせたりもする。この作品も2ヶ月のフェスティバルが終わったら取り壊されてしまう。人工のあらゆるものの儚さを表現したかっただろうか。ララさんは、基金のフェローシップなどで来日経験も何度かあり、日本のカワイイ系サブカルをモチーフにした作品なども作っている。ざっと駆け足で会場を回ってみたら、この地もやはり伝統的なプラスティック・アートよりもメディア・ミックスのインスタレーションが多くて、美術というよりは映画に近いと思わせる作品もいくつかあった。審査員の専門もそっちよりの傾向があり、賞も特に分野で分けていないため、山下さんのようなオーセンティックなアーティストにとって不利な状況であったかもしれない。山下さんは2001年からアスワンの国際彫刻シンポジウムに参加するなど、かれこれ通算では一年ほどアスワンに滞在しているツワモノで、美術を通した二国間の交流にとって少なからぬ貢献をしてくれている。

2件目が終わって、今度はその山下さんをお連れして、オールド・カイロ(コプト教地区)に新しくできたアートギャラリー、DARBのオープニングへ。この一帯が焼き物などの職人の街の一角は、現代のアーティストの発表の場としていい空気をもっていると思う。国際的に活躍するアーティスト、ムアターズ・ナスル氏が作ったスペースで、彼のビデオアート、"The Other Side of A Coin"も置かれていた。1件目と2件目のアーティストもこの会場に流れてきていて、西洋人が多いことを見越してだろうか、屋上のドリンクコーナーには密かにアルコールも用意されていたらしい。酔いが回ったエジプト人アーティストが絡んできて、自分をガマル・アブデル・ナーセルと名乗る。それって、あのナセル大統領の名前とおんなじなんですけど、ほんとうでしょうか・・・・何作ってんのと聞いたら、'stupid great sculptor'とか言って大笑い。やっぱり最近のアートはミックス・メディアで自分にはよくわからないというような話をしながら、2月の自分の彫刻個展に招待したいと言ってくれた。陽気で楽しいおじさんだが、ちょっと酔っ払いすぎだよ、それは。

二階の屋上スペースでは、スーフィーの旋回舞踊タンヌーラのダンサーが、休む間もなく回転し続けていた。
通勤途中、ゲジーラ島の中洲をナイル川をはさんで中心街へと結ぶKASL EL NILブリッジ(通称=虎橋)の入口で、背の高い台座に乗っかった銅像と対面する。19世紀から20世紀初頭にかけてのエジプト独立運動をリードしたサアド・ザグルールの像だ。

最近読んだ新聞で、この銅像がエジプト近代芸術の父、マハムード・モフタール(Mahamoud Mokhtar、1891-1934)の作であることがわかった。同氏の最も有名な作品は、カイロ大学の正門に構える”Reawakening of Egypt"(「エジプトよ、再び目覚めよ」)。スフィンクスを従える農村の女性が、頭にかけたスカーフを外そうとする瞬間を切り出した。タイトルが示すように、自立する女性の姿を通して、偉大な伝統を尊重しつつ自らを覚醒させたエジプト人による新しい国づくりを鼓舞している。

サアド・ザグルールと同時代を生きたマハムード・モフタールも負けず劣らずのナショナリストで、芸術表現を通して国民の団結と植民地支配からの解放を訴え続けたらしい。新聞記事に興味深い記述があった。サアド・ザグルールのような独立運動のリーダーを称える像の作成は、王室からの要請に基づくものではあったものの、英国支配にたてついたという意味で、王室にとっては微妙な要素をはらんでいた。それを承知のうえでマハムード・モフタールは、敢えて王族や英国支配者の銅像よりも大きい像を作り、ナショナリストの面目を保ったという。

マハムード・モフタールの2つの作品は、以下のサイトで詳しい解説とともに紹介されています。

http://www.egy.com/landmarks/01-06-21.shtml
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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