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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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「どうせマニュアル集計なんだから、今日は結果出ないでしょ。」

憲法改正の国民投票が大きな事故なく終わった翌日の20日。事務所で僕らはそんな言葉を交わして、およそこういうことには日本的なスピード感は期待しちゃいけないのよ的に、失礼な上から目線で状況を見ていた。

そしたら、帰宅前の午後8時頃、警備スタッフのAさんがやってきて、7割賛成で開票が終わったと言うのでびっくり。びっくりしたのは結果が出た早さだけじゃなく、その結果そのものに対してもだったけれど。

民間の小規模な世論調査で反対が優勢と言われていた。でも、それは都市の革命運動に積極的に参加したような若者層にかたよった調査だったかもしれないし、地方都市や村の人たちの考えまではすくいきれないだろうと思ったので、ド素人の見立てで結果は五分五分と踏んでいたのだ。でも結果は77.2%、8割近くが改正案に賛成を投じた(リンク
:"Egypt referendum results: 77.2 per cent say 'Yes' to the amendments", Ahram Online)。このまま軍が設定したスケジュールで政治プロセスが進んでいくと、来るべき議員選挙では既に政党としての基盤をもっているムスリム同胞団と国民民主党(の残党)以外が進出することがとても難しい、ということはアムル・ムーサ、エルバラダイなど多くの識者が言っていることで、世間にも随分浸透していると思ったのだけど、革命の第一章が終わったばかりのこの国の世論の総和は、新しい世俗的な民主政党が台頭するまで待っていられない、それよりは早く治安や経済が安定して、普通に仕事が出来て学校に行けるようにしてほしい、というものだったのだろうか。

そんな感慨もヨソモノの戯れ言。はじめて民主主義を手にして誇りをもって投票に臨む人の群れ、また群れ。19日の夕方5時、投票所となった自宅そばの学校のまわりで数百メートルにわたって行列をつくる住民の姿は、誕生したばかりの民主主義の力強い息吹を感じさせるに十分な爽快な光景だった。

CIMG6000.jpg







CIMG6001.jpg








そして、この数千人のエジプト人たちが、文句ひとつ言わず、ほほえみを浮かべてちゃんと順番を守って待っているのがまた驚き。こんなふうにじっと行列を作るのは日本人と英国人くらいじゃあなかったのか??手に入れた価値の尊さをひとりひとりが実感しているからなのだろうな。こんな生まれたてで元気の良いデモクラシーと一緒に歩めるエジプト人はいいなと、心底うらやましくなって、ニヤニヤしながらその場所を後にしたら、路上売店のおにいちゃんに「なにヘラヘラ笑ってんだよ!」といちゃもんをつけられた。

ただ、残念な報道もあった。委員会の押印のない投票用紙があって、しかも係官がめんどくさがったのか投票者に署名させる形でその投票用紙を使わせてしまったという。この記事からはどのくらいの規模でこんなことが起こったのかはわからないが、規模にかかわらずひとりでもそんな形で国政に対する最初の大切な意思表示を阻まれてしまった人がいたことが残念。ちゃんとした調査を通して、繰り返しのないことを期してほしいと思う(リンク:"
Irregularities in Egyptian vote?", ALJAZEERA)。

もうひとつ残念だったのは、投票にやってきたエルバラダイが住民に石を投げつけられて投票できずに立ち去ったという報道。どんな政治信条をもっていようとも、他と同じ一票を行使できるのがデモクラシーでしょ?それをいまここで実践してるんなら、どうしてそんなことが出来るんだい??

8000万人のデモクラシーはあちこちつまづきながら、歩き始めたばかりなのだった。
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今日、ヒラリー・クリントン米国務長官がカイロに来たようだ。
革命の成就を祝福するよりむしろ、これからの民主制度作りがいかに大変か、時間がかかり忍耐を要するかという課題を説教しに来たみたい(リンク Ahram Online:
Clinton to tell Egyptians democracy takes time)。

いちいちもっともなことを言っているが、革命勢力を代表するRevolution Youth Coaliton側はヒラリーからの面会希望をお断り(リンクAhram Online:
Revolution Youth Coalition refuses to meet Clinton
)。そりゃそうだろうな、民主主義は普遍的価値などと称揚しながらその裏で自分たちの世界戦略の便利な手足として動いてくれる権威主義的政権をたくさんの戦略上の重要国に置き続けてきたのだから、その犠牲になった国民たちが簡単にアメリカさんに気を許すわけがない。こうして、本質的な論点に対する本質的に深い対話はスルーされたまま、世の中はまわっていく。

そしてなんと、あと4日たつと、憲法改正の国民投票だ。マイノリティを十分に代表する制度になりえないとして女性、コプト、若者、貧者などが反対しつつも、ムバラク独裁を支えた国民民主党残党と、これまで非合法の憂き目にあってきたがいま大々的にうってでようとするムスリム同胞団という二つの既存のマジョリティは逆に改正案を支持。プライベートの小規模でやっている世論調査では改正案に反対の人が多いことになっているが、それが国民の意見を代表しているものかどうか。でも、軍は「もし否決されたら」という仮定をおくびにも出さないところがクレバーで、民主主義的制度の導入に関して「そのあとのオプションが何もない=もっと悪い方向へ向かう危険性」という恐怖心を人心に植えつけながら、うやむやに、しかも早々に、改正案を通してしまい、次のステップ(大統領選挙?)に移行しくことを確信しているかのようだ(リンク:
Blog Arab: Constitutional Amendments, continued)。

昨夜、知人宅で音楽家と集う会があり、そこでカイロシンフォニーオーケストラのメンバーと立ち話。
革命騒動がひと段落して、ようやく定期公演などルーティンの活動が始まったこの国立楽団。これまでは代表の女性が言うことは絶対で、誰も反論できない空気が充満していたのに、革命後の練習ではたくさんの団員が彼女にモノ申して言うことをきかない。それに怒った彼女は立ち去って戻ってこないとか。

また、この僕に話を聞かせてくれたミュージシャンが知人から聞いた話では、カッタメイヤ地区のハイスクールで、学生が学校側に、カンティーンの食事の質改善と下校時間の早期化を要求したところ、カンティーンの責任者が更迭され、休み時間の圧縮などによって下校時間が実際に早められた。また別の小学校では、まだ7歳から10歳くらいの年代の子どもたちが打倒校長を叫んでデモをしたとか。

これまで自由にものを言えなかった人々が、その圧制に対して立ち上がり、そして団結する大衆の力で革命を実現してしまったそのあとは、こうやって社会のいたるところで、老若男女がイヤなことをイヤとストレートに叫ぶようになるのだなあ。権利意識をもち、人々が意見を闘わせる自由な言論空間が形成されることがその社会を豊かにするという考えに僕は基本的に賛同するが、こうやって劇的に180度の転換をなした社会に育つ次世代は、はたして社会を発展させる担い手として育っていくのか、はたまた既存の価値を否定しことごとく破壊していくのか。目の前のイヤな障壁をとりのぞいたあとに広がる茫漠とした自由を、どうやって建設的に行使していくか。それが革命世代にとっても新たなチャレンジになるだろう。

紆余曲折、暴力的反動からのチャレンジなど、いろいろありながらも前進し続ける政治プロセス。委員会が起草した改正憲法案に対する国づくりのリーダーのなかからの本質的な反対意見などから、3月19日に予定されていた改正国民投票の延期が噂されていたが、今日の報道では予定どおり実施だそうだ。あるセンサスでは市民の59%が改正案になんらかの理由で反対だと聞くが、果たして拙速で否決されてやり直し、ということになりはしないだろうか。なにせ革命が起きているわけなので、現在のプロセスが現行憲法上の安定的根拠をもっていないことはいたしかたない。軍最高評議会が大統領に代わって暫定統治をし、選挙を行い、選出された大統領を任命するという一連の行為をする正当性そのものが、現行憲法によっては担保されていないようだが、いまそれを言っていると、プロセスは一歩も前進しない。日本も終戦後、明治憲法から新憲法への移行においては同じようなジレンマを経験し、矛盾のなかで新しい制度を受容していったし、今もその矛盾が導く古くて新しい問題と向き合っている。このエジプト革命を経て決まっていく新しい国のあり方も、圧倒的コンセンサスをもって承認されていくという単純なものにはなりえないだろうから、同様に長く将来に続く課題を引きずりながら前進していくのだろうと思う。

日本では、未曾有の大惨事のなか、「娯楽」のにおいがする行為に対して「不謹慎」だとして自粛を求める強い世論がツイッター上で多くみられる。どれだけの思いを込めても鎮魂したなどと言い切れないほど多くの命が奪われたのだから、生き残った者が快楽を忌避し禁欲的たらんとするのも人間らしいと思うし、誰の心のなかにもそういう気持ちがあるはず。でも、こういうときだから生き残った者は元気を出して、自分の生きる場所で、自分が出きることをして、他の人々を幸せにしなければならない、とも言える。それを別のことばで言えば「経済」と言うのかもしれない。文化とアートで人と人をつなぐことを職業とする自分は、自粛を超えて人がどうつながれるのかを考えたい。そんなとき、二人の音楽家の力強い言葉と出会って、僕はそれに力を得た。万人が共感するわけではないと思うけれど、ひとりでも多くの人がこれらの言葉をポジティブに受けとめてくれたらいいと思う。

佐野元春 
「それを「希望」と名づけよう」
二井原実 
「普通の活動すること」
3月1日のNY timesの記事は、しょっぱなの写真からインパクト大。
カイロの地下鉄の駅のひとつ、MUBARAK駅の看板が、何者かによって書き換えられている。

"SHAHDAA SAWRET 25"。「1月25日革命殉死者駅」

政府が公式に銘銘したわけではなく、市政の人々が勝手にやったことだが、すでに人々からそういうものとして認知されている。

記事によると、ムバラク独裁政権時代につくられた、ムバラク家の名前を冠する機関の数のすごいこと。学校だけで大統領の名前で388校、奥さんのスーザンの名前で160もある。次男でホスニの後継者と目されていたガマルの名前はさすがにまだ1校しかなかったようだが。

その他の国家機関でもムバラクの名前をどうしようかと思案しているようだが、なにしろ数が多くて手続き的にはそれなりの時間がかかる模様。

まだ案のレベルとしているが、ホスニの名前を関する国立警察学校(Mubarak Police Academy)を、なんと、“Khaled Said Police Academy"に改名しようとするアイデアがあるというから、革命とは本当に180度舵を転換しようとする所作なのだと感心してしまう。Khaled Saidとは、去年6月アレキサンドリアで警察に拷問され死亡した若いネット活動家の名前で、この事件がきっかけとなって、1月25日の革命運動に火がついた。ほんとうにこの名前が実現したら、それって結構、すごいことなんじゃないかな。

ムバラクが退陣したカイロに着地して、街の変化をひととおり眺めたとき、まず認識するのは、市内の各所に掲げられていた肖像写真が一掃されたことだった。革命の実質的成就のためには、まさにいま運動家たちが闘っているように、頂点の一人だけじゃなくてそれを支えたシステムと構成していた人間をこそ一掃しなければならないことはもちろんだが、目に見える形でムバラクの姿と名前がこの国の公共空間から消滅することも、ひとつの重要な証となることだろう。
3月10日のCNNのネット記事で紹介されているEgyptian Democratic Academyが元気だ。2009年、ムバラク政権時代に設立されたNGOで、秘密警察や与党の非情な暴力に負けず、2010年の議会選挙の不正モニタリングを行った勇敢な若者たちの組織だ。
リンク:"Democracy's Heroes: The Egyptian Democratic Academy", International Republican Instituteウェブサイト

彼らも前線で闘って勝ち取ったムバラク退陣の勝利。そのあとに待っていたもののほうがもっと困難だ、と語る。国民の理解を前提にした民主制度の確立という大課題である。ダウンタウンの隠れ家的施設で主要メンバーが勉強会やミーティングを開き、カイロ内外でタウン・ミーティングを組織して民衆レベルで来るべき選挙を真に民主的に実施できる基盤づくりに奔走している。軍最高評議会や企業に働きかけ、テレビを活用した啓蒙を国民レベルで展開しようとしている。
リンク:"Egyptians Learn Tough Lessons in Democracy", 3月10日CNN News

このEDAのリーダーの一人、Israa Abdelfattahさんは、今回の1月25日革命のなかで主要なリーダーシップをとったグループ、4月6日運動の共同設立者。エジプト革命のジャンヌ・ダルク。1981年生まれの若き女性革命家だ。ムバラクが退陣してまだ間もない頃、ネット記事で革命を主導した女性革命家として紹介されていたのが気になっていたが、なにもこの1月にぽっと出て有名になったわけではなく、もっと前から自由を抑圧し不正で権力を独占する権力に抗議し、そしてムバラクがいなくなった今は、エジプトが真に自由で民主的な国になるための息の長い運動に身を投じているから、筋金入りだ。
リンク:①WIKIPEDIA、②eArabGirls.com

EDAとは別に、エジプトで最大規模の若者動員力をもつ文化センターEL SAWY CULTURE WHEELは、カイロアメリカン大学と共同で、やはり民主主義の学校を開講し、先の日記で書いたように、エルバラダイなど新しい国づくりを担うリーダーやthinkerたちの講義を企画している。

今回の革命運動では、タハリール広場で躍動する女性たちの姿が多く目にとまった。近年、湾岸への出稼ぎ労働者の継続的な保守化の影響などもあって、エジプトのムスリム女性の大部分がスカーフを着用するようになるなど、従属的、ドメスティックな傾向にあるように見えたが、人は外見だけで判断してはいけない。人口の半数以上を占める30歳以下の若者たちが、男女の隔てなく参加して作り上げていく新しい民主国家エジプト。保守反動勢力に対抗する組織や戦術をもって、ぜひ目標を達成してもらいたい。
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