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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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在留邦人向けのツアーに乗っかって、家族でシナイ半島を回った。
シナイ半島といえば、モーゼ!

クライマックスは、真夜中のシナイ山登頂とご来光拝みだが、海が二つに割れた伝承の伝わる土地などを訪ねて歩いた。

シナイ山登頂については、体力にまったく自身のない僕は、家族の強い勧めもあって、7合目までラクダのお世話になるお気楽登頂。

これでは、モーゼにあやかってご利益を得るというわけにも行かないか。

ちなみに、ツアーをご一緒したある方によると、富士山よりは楽だったとのこと。この先登頂をお考えで富士山に登ったことがある人は、参考にしてください。


日中に、ランクルを飛ばして渓谷に出かけ、2時間ほど平地をトレッキングしたのも楽しかったし、ヌエバの海もハルガダみたいに人であふれかえっておらず、心穏やかに過ごせた。

惜しむらくは、この地の主、ベドウィン(アラビア語ではバダウィ)の文化に触れる機会があまりなかったこと。

アリーシュという地中海側の町では、毎週木曜日にベドウィンの市が開かれていると聞いた。そのうち、出かけてみようと思っている。




それにしても、ワールドカップ最終予選が終わった後の、エジプトとアルジェリアの大騒動は、いったいなんだろう?攻撃を受けて負傷した人がいるのは事実とは思うが、双方とも被害をことさら大きく吹聴し、それをメディアが増幅し、さらに市民を激高させるという悪循環。
アルジェリアの暴徒をスーダンに送り込んだのは湾岸のある国(アルジャジーラの国)だとする陰謀説までが、まことしやかに紙面を賑わしていて、あきれるばかり。

市民の暴挙を静めるべき政治家たちは、市民以上に興奮して、エジプトのプライドを傷つけるヤツは絶対に許さんなどと発言して、事実上、市民の暴動を容認してしまっている始末。

サッカーとナショナリズムの癒着による暴力は世界中で見られる現象だけど、この国の政治家とメディアの血の気の多さは、結果的に国益を損なっていると思われてならない。


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10日から20日まで開催されていた映画祭。
今年も、専用ウェブサイトにすらシノプシスが載っておらず、これでどうやって見たい作品を選んで行けるんだという広報ぶり。

そんななか、うちが主催した陶芸展に来てくれた知人の映画評論家から、見るべき作品を教えてもらって、その二本だけを見にでかけた。

1本目は、Birds of Nilesというエジプトの作品。
調べてみると、Ibrahim Aslanという作家のNile Sparrowsという小説をもとにした映画ということで、農村と下町文化を描くことで、エジプトから失われてしまった中流階級へのノスタルジアを語るという趣旨。

悔しいことに、ジョークや笑いのツボがまったくわからない。英語字幕で案内されているのに、どうやっても物語の核心にあるエジプト的なるものに届かないもどかしさがあって、終始外国人であることを痛感させられた。

かなり悔しかったので、いましがた本屋で原作本を購入。これを読んだら、少しはエジプト庶民文化の神髄に近づけるか?

2本目は、Cairo Timeというカナダ・アイルランド合作。
カナダがエジプトとロケーションの合意をもっていないため、アイルランドの製作者をまきこんでカイロを舞台に撮ったラブストーリー。
映画の専用サイトを読むと、ヨーロッパ的なメロドラマに堕ちない魅力があるとかなんとか言っているが、僕の感想としては、結局のところ、夫ある妻が夫のシリア人の部下と「やらなかった」というだけであって、道義的には完全に裏切ってしまっている。そして、このシリア人、はっきりいってカッコよすぎる!Alexander Siddiqiという役者だが、カイロに遊びに来て、空港でこんなカッコイイアラブ人が待っていないっつーの!ガラベーヤをかっこよく着こなして、マクハーでシーシャ吸いながらチェスを打つっていう設定も、ちょっと作りすぎ。まあ、美しいラブストーリーを作りたかったのだからいいけど、はっきりいって、わざわざアイルランド人を巻き込んでまでカイロロケをやる必然がないなあ・・・

でも、主人公の女性がこの出会いを通じてオンム・クルスームに魅せられたという設定はなかなか良くて、気がつけば僕自身が帰りのタクシーで流れるアラブ・クラシックに酔いながら、カイロの夜景に見とれてしまっていたのでした。まあ、軽いけど、酔わせてくれる映画ってとこですね。

翌日、ゴミの運搬車からもうもうとゴミが周囲に飛び散る光景と出くわし、夢は夢でしかなかったと痛感させられたのでした。


今日こそはちゃんと最初から見るぞと誓った最終決戦だが。
消灯して子どもたちにおはなしをしてやっているうちに、またもや睡魔に襲われ・・・

ハッと気づいて、あわてて居間のテレビにかけつけたら、前半20分が経過していた。

しかし、その後10分足らずでアルジェリアに目茶目茶かっこいいゴールを決められ、あとは焦るエジプトに決定打が出ないまま、試合終了。

土曜日の真夜中までの喧騒がウソのように、あのノイズにあふれかえるカオス的活気に満ちたカイロが、シーンとひそまりかえってしまった。

翌朝。

土曜日の勝利を「半分だけおめでとう!」と祝福したことに猛反発して「なに言ってる。もうエジプトに決まりなんだよ!」と色をなしたバワーブ(門番)のアリは、あの日の勢いを完璧に殺がれて、声も出ないようだった。

サッカー凶のドライバーは、思いのほかクールにふるまう。
スーダンで、エジプトのサポーターが勝ち誇るアルジェリアサポーターにハラスメントをうけていることを嘆いていた。エジプトの友人たちの手にかかると、アルジェリア人というのはエライ狂暴な人たちになってしまうが、本当だろうか?カイロでアルジェリア人が殺されたというニュースがアルジェリア人の感情に火をつけたとも言われている。程度の違いはあるのかもしれないが、サッカーが誘発するナショナリズムはいつもあぶなっかしいのだ。

カイロアメリカン大学のダウンタウンキャンパスで、もともとの本屋がつぶれてQasr el-Aini通り沿いの入り口に面して新しくてカッコイイ本屋が新装開店した。もともとの本屋が在庫一層で半額セールをやっているというので、ナギーブ・マフフーズの小説2冊、パレスチナ映画についての評論1冊、50年前に書かれた
トルコの小説1冊、そしてアラブ文学雑誌BANIPALを購入した。マフフーズの2冊のうち1冊”MIRRORS”は、Seif Wanlyというアーティストの挿絵がとってもクールで、眺めているだけで嬉しくなってくる。新しい本屋は、蔵書数も増えて、分類・整理も以前よりしっかりしているので、これも嬉しい限り。なんといっても、うちの事務所からもともと歩いて6~7分だったのが、移転で2~3分に短縮されたから、ついついフラっと立ち寄って、財布のヒモが緩んでしまうのが怖い。

今日、19時から、ワールドカップ出場をかけたエジプト×アルジェリア戦キックオフ!
中立地のスーダンでの開催だが、両国から陸路・空路で応援団が続々と集結し、ハルツームは宿泊や交通などパニックになっているとか。

なによりも、国民レベルで激高していて、エジプトの報道ではアルジェリア駐在のエジプト人たちが多数襲撃されているとか。なんとなく一方的な報道の気がするが、エジプトでアルジェリア人がやられているという報道はあまり入ってきていない。

僕は家で今度こそ寝ないでテレビ観戦するつもりだが、ハルツームやアルジェやカイロのストリートで興奮した群集が衝突しないといいなと思う。

Egyptian Gazette:http://www.egyptiangazette.net.eg/gazette/world/detail_0_0.shtml

昨日は、遅い展覧会オープニングから11時過ぎに帰宅して、健康のためみそ汁一杯で夕食を済ませた。

そして、待望の朝食!!娘が手にとって渡してくれたのは、「おとなのふりかけ」わさび味!あつあつ白米にサラサラとふりかけると・・・・


ぎゃあああああ!

のりとごまたちの間をうごめく小さな陰。それは、小さなハサミムシの集団だった!

みなさんのよく知っている一食用にとりわけ密封された小袋
の、いったいどこから虫さんたちが侵入できるんだろうか?エジプトの虫さんはトランスポーテーションの術が使えるのかしらん。

あやうく箸をつけそうだったが、1年ほど前にビンに移し変えたふりかけがほとんど虫に変身してしまった事件を経験済みだったから(そのときはイッパイごちそうになってしまいました)、今回はすんでのところで箸が止まった。

暑い国の虫さんたちは、生命力豊かであります。

『世界を食いつくす』とかいうタイトルの本で、世界中のゲテモノを食べつくした文化人類学者が「一番うまいのはなんといっても虫だ」ということを書いていたが、ウマイ・マズイではなく、問題は心理学の方面なのだ。モゾモゾとあやしく動くあの虫さんたちを食べてしまったというイメージが頭のなかで増殖し、そして深く意識下で固定化された禁忌の観念が胃袋に作用して、吐き気をもたらす。考えてみればシャコやナマコのほうが不気味だが、こちらのほうは日本人の文化コード的に「食べてよいもの」=「ウマイ」となるから不思議なものだ。

要は、自分のなかでどうやったらこの禁忌を打ち破れるかなのだ。それができた暁には、「虫入り」特性ふりかけがふりかけのチャンピオンになるのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・

閑話休題。
昨日の展覧会はコプト地区に去年オープンしたDARBという小ギャラリーにて。

オーナーから来いと言われていたのもあるが、日本人のアラブ音楽バンドが演奏するという新しい趣向も面白くて、出かけてみた。先月の日本人会秋祭りではじめて見た彼らの演奏は、1ヶ月あまりで見違えるほどタイトにまとまって、なかなかなレベルだった。エジプトのオーディエンスたちもお世辞ぬきでほめていた。

展覧会の作品のほうは、ケニアとスーダンの出品作家が多くて、カイロのダルフール難民のポートレートなど、ややポリティカルでシリアスなものが多かった。

ケニアのある作家の”Can you wear it?"は、黒地のサリーに赤糸で2007年の総選挙後の惨事の記録を刺繍したもので、「あらゆる事件をすべて忘却の彼方においやるあなたにこのサリーを纏うことができますか?」と問うている。ただ、このサリーをヒンドゥー教のカーリー女神にひっかけて語るレトリックは、僕にはよくわからなかった。衆前で衣服を剥ぎ取られる恥辱を味わったのは、マハーバーラタのドラウパディーであって、カーリーとは関係なかったはずでは?伝えたいメッセージは痛いほど伝わってきたけれど、なぜにケニアの作家がインド神話をミスリードしてまでサリーにこだわったのか、そのあたりがよくわからなかった。

エジプトのアマル・ケナウィーは、最近日本でも作品が紹介されている若手の実力あるアーティストだが、今回の作品は、僕には「?」。”God's Calling"とかいうタイトルで、暗室に吊り下げられたアラビア語で「アッラー」と書かれた看板に、青い発光ダイオード電飾がチラチラ光る。スピーカーからは、アラビア語でシェイフの説教らしき声がずっと流れている。これはなにかの皮肉なのか?アラビア語がちゃんと理解できれば、タイトルと作品の意味が見えてくるのか?外国人がメインのオーディエンスじゃないのはわかるけれど、なにか理解の補助になる解説などあったらよかった。

"Beyond the Desert”と題して、外側からしか語られることのないアフリカをアーティストが内側の言葉で語るという、キュレーターがやろうとしている意図は、それなりに理解できたようには思うのだけれど、個々の作品にこれはと思わせる面白いものが少なかったのが残念。

忘れがちだけど、エジプトって、中東でもあるけど、アフリカでもあるんだよね。

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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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