えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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昨日は、遅い展覧会オープニングから11時過ぎに帰宅して、健康のためみそ汁一杯で夕食を済ませた。
そして、待望の朝食!!娘が手にとって渡してくれたのは、「おとなのふりかけ」わさび味!あつあつ白米にサラサラとふりかけると・・・・
ぎゃあああああ!
のりとごまたちの間をうごめく小さな陰。それは、小さなハサミムシの集団だった!
みなさんのよく知っている一食用にとりわけ密封された小袋の、いったいどこから虫さんたちが侵入できるんだろうか?エジプトの虫さんはトランスポーテーションの術が使えるのかしらん。
あやうく箸をつけそうだったが、1年ほど前にビンに移し変えたふりかけがほとんど虫に変身してしまった事件を経験済みだったから(そのときはイッパイごちそうになってしまいました)、今回はすんでのところで箸が止まった。
暑い国の虫さんたちは、生命力豊かであります。
『世界を食いつくす』とかいうタイトルの本で、世界中のゲテモノを食べつくした文化人類学者が「一番うまいのはなんといっても虫だ」ということを書いていたが、ウマイ・マズイではなく、問題は心理学の方面なのだ。モゾモゾとあやしく動くあの虫さんたちを食べてしまったというイメージが頭のなかで増殖し、そして深く意識下で固定化された禁忌の観念が胃袋に作用して、吐き気をもたらす。考えてみればシャコやナマコのほうが不気味だが、こちらのほうは日本人の文化コード的に「食べてよいもの」=「ウマイ」となるから不思議なものだ。
要は、自分のなかでどうやったらこの禁忌を打ち破れるかなのだ。それができた暁には、「虫入り」特性ふりかけがふりかけのチャンピオンになるのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・
閑話休題。
昨日の展覧会はコプト地区に去年オープンしたDARBという小ギャラリーにて。
オーナーから来いと言われていたのもあるが、日本人のアラブ音楽バンドが演奏するという新しい趣向も面白くて、出かけてみた。先月の日本人会秋祭りではじめて見た彼らの演奏は、1ヶ月あまりで見違えるほどタイトにまとまって、なかなかなレベルだった。エジプトのオーディエンスたちもお世辞ぬきでほめていた。
展覧会の作品のほうは、ケニアとスーダンの出品作家が多くて、カイロのダルフール難民のポートレートなど、ややポリティカルでシリアスなものが多かった。
ケニアのある作家の”Can you wear it?"は、黒地のサリーに赤糸で2007年の総選挙後の惨事の記録を刺繍したもので、「あらゆる事件をすべて忘却の彼方においやるあなたにこのサリーを纏うことができますか?」と問うている。ただ、このサリーをヒンドゥー教のカーリー女神にひっかけて語るレトリックは、僕にはよくわからなかった。衆前で衣服を剥ぎ取られる恥辱を味わったのは、マハーバーラタのドラウパディーであって、カーリーとは関係なかったはずでは?伝えたいメッセージは痛いほど伝わってきたけれど、なぜにケニアの作家がインド神話をミスリードしてまでサリーにこだわったのか、そのあたりがよくわからなかった。
エジプトのアマル・ケナウィーは、最近日本でも作品が紹介されている若手の実力あるアーティストだが、今回の作品は、僕には「?」。”God's Calling"とかいうタイトルで、暗室に吊り下げられたアラビア語で「アッラー」と書かれた看板に、青い発光ダイオード電飾がチラチラ光る。スピーカーからは、アラビア語でシェイフの説教らしき声がずっと流れている。これはなにかの皮肉なのか?アラビア語がちゃんと理解できれば、タイトルと作品の意味が見えてくるのか?外国人がメインのオーディエンスじゃないのはわかるけれど、なにか理解の補助になる解説などあったらよかった。
"Beyond the Desert”と題して、外側からしか語られることのないアフリカをアーティストが内側の言葉で語るという、キュレーターがやろうとしている意図は、それなりに理解できたようには思うのだけれど、個々の作品にこれはと思わせる面白いものが少なかったのが残念。
忘れがちだけど、エジプトって、中東でもあるけど、アフリカでもあるんだよね。
そして、待望の朝食!!娘が手にとって渡してくれたのは、「おとなのふりかけ」わさび味!あつあつ白米にサラサラとふりかけると・・・・
ぎゃあああああ!
のりとごまたちの間をうごめく小さな陰。それは、小さなハサミムシの集団だった!
みなさんのよく知っている一食用にとりわけ密封された小袋の、いったいどこから虫さんたちが侵入できるんだろうか?エジプトの虫さんはトランスポーテーションの術が使えるのかしらん。
あやうく箸をつけそうだったが、1年ほど前にビンに移し変えたふりかけがほとんど虫に変身してしまった事件を経験済みだったから(そのときはイッパイごちそうになってしまいました)、今回はすんでのところで箸が止まった。
暑い国の虫さんたちは、生命力豊かであります。
『世界を食いつくす』とかいうタイトルの本で、世界中のゲテモノを食べつくした文化人類学者が「一番うまいのはなんといっても虫だ」ということを書いていたが、ウマイ・マズイではなく、問題は心理学の方面なのだ。モゾモゾとあやしく動くあの虫さんたちを食べてしまったというイメージが頭のなかで増殖し、そして深く意識下で固定化された禁忌の観念が胃袋に作用して、吐き気をもたらす。考えてみればシャコやナマコのほうが不気味だが、こちらのほうは日本人の文化コード的に「食べてよいもの」=「ウマイ」となるから不思議なものだ。
要は、自分のなかでどうやったらこの禁忌を打ち破れるかなのだ。それができた暁には、「虫入り」特性ふりかけがふりかけのチャンピオンになるのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・
閑話休題。
昨日の展覧会はコプト地区に去年オープンしたDARBという小ギャラリーにて。
オーナーから来いと言われていたのもあるが、日本人のアラブ音楽バンドが演奏するという新しい趣向も面白くて、出かけてみた。先月の日本人会秋祭りではじめて見た彼らの演奏は、1ヶ月あまりで見違えるほどタイトにまとまって、なかなかなレベルだった。エジプトのオーディエンスたちもお世辞ぬきでほめていた。
展覧会の作品のほうは、ケニアとスーダンの出品作家が多くて、カイロのダルフール難民のポートレートなど、ややポリティカルでシリアスなものが多かった。
ケニアのある作家の”Can you wear it?"は、黒地のサリーに赤糸で2007年の総選挙後の惨事の記録を刺繍したもので、「あらゆる事件をすべて忘却の彼方においやるあなたにこのサリーを纏うことができますか?」と問うている。ただ、このサリーをヒンドゥー教のカーリー女神にひっかけて語るレトリックは、僕にはよくわからなかった。衆前で衣服を剥ぎ取られる恥辱を味わったのは、マハーバーラタのドラウパディーであって、カーリーとは関係なかったはずでは?伝えたいメッセージは痛いほど伝わってきたけれど、なぜにケニアの作家がインド神話をミスリードしてまでサリーにこだわったのか、そのあたりがよくわからなかった。
エジプトのアマル・ケナウィーは、最近日本でも作品が紹介されている若手の実力あるアーティストだが、今回の作品は、僕には「?」。”God's Calling"とかいうタイトルで、暗室に吊り下げられたアラビア語で「アッラー」と書かれた看板に、青い発光ダイオード電飾がチラチラ光る。スピーカーからは、アラビア語でシェイフの説教らしき声がずっと流れている。これはなにかの皮肉なのか?アラビア語がちゃんと理解できれば、タイトルと作品の意味が見えてくるのか?外国人がメインのオーディエンスじゃないのはわかるけれど、なにか理解の補助になる解説などあったらよかった。
"Beyond the Desert”と題して、外側からしか語られることのないアフリカをアーティストが内側の言葉で語るという、キュレーターがやろうとしている意図は、それなりに理解できたようには思うのだけれど、個々の作品にこれはと思わせる面白いものが少なかったのが残念。
忘れがちだけど、エジプトって、中東でもあるけど、アフリカでもあるんだよね。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
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