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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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今回だけはテレビ釘付けで見るぞと誓ったサッカー。
夜6時過ぎに娘たちとふとんに入って消灯・・・・・Zzzzzz・・・


うぉぉぉぉぉぉおおお!

という地鳴りのように下から沸き起こるどよめきで目が覚めた。
ん、な、なんだ?おれは寝ちまったのか?点が入ったのか?

あたふたと起き出して、外の大通りを眺めると、エジプトの旗
をもった若者たちが走り回っている。

そしてテレビをつける。どうも、目の前の通りの光景と同じような
映像が流れていて、それがただダラダラと流れ続けている。

試合は、どうなったんだ???

テレビの前で待つこと30分ばかり。やっと解説者らしきおじさん
が現れて、再現ビデオでエジプトが2点入れるシーンが流れ、
「次の18日には、ぜひ勝ってほしい、インシャアアッラー。」
というようなコメントが流れた。

なるほど、2対0で勝ったので、エジプトとアルジェリアが同率首位
になり、18日に今後はハンデなしの試合でワールドカップ出場者
を決めるんだな、ということがわかった。

それにしても、2点目がロスタイムの95分で入ったという劇的展開
だったというのは理解できるが、優勝を決めたわけでもないのに、
国中が夜中の1時過ぎまで浮かれ騒いでいるというのは、どういう
ことだ????いったい、18日はどんなことになるんだ?????

しかも18日夜はタブラ教室だ。

身の安全が気になる今日この頃である。


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ちなみに、サッカーにはまったく興味がない。
中学生くらいまで、スポーツはそれなりに出来たほうだと思うのだが、どうもサッカーボールというヤツだけは、僕の足に吸い付いてくれないのだ。また、世の中にはまったくやらないのに観戦だけ好きという人もいるが、僕はそのタイプではなく、いまはやらないとはいっても昔それなりになじんだことのあるスポーツじゃないと見る気がしないというのもあって、だから、サッカー中継にはまったく関心がない。

ところが、エジプトときたら、明けても暮れても、サッカーの話ばっかり!僕のドライバーとの通勤時の会話の7割はサッカー。僕はいつも、自分が見てもいない試合や選手の話に口裏を合わせて、さも楽しそうに話をもりあげなければならないのだ。

でも、この土曜日、18:30の試合だけは、テレビの前に座って、ちゃんと見ようと思う。
この一戦で、エジプトがワールドカップ本選に出れるかどうかが決まるんだそうだ。しかも、アルジェリア相手に、少なくとも2対0で勝たないと終わり。3対1で勝てば、そのまま地区チャンピオンということで、なかなか厳しい条件らしいのだ。ドライバー曰く、アルジェリアは、いつもディフェンシブなプレイに徹するから、最初の10分間で先制ゴールを決めれば勝算あり。逆に先制されると逃げ切られる可能性大。

この日は、アルジェリアンということで、ジダンも観戦に来るそうだ。

勝てば、この夜は町中にこだまするクラクションで寝かせてもらえないのだろう。
負ければ・・・

翌日のドライバーの機嫌が悪くなるだけのことだ。

50年代のカイロ・ロンドンを舞台にしたクリスチャンとユダヤ教徒を主人公にした小説を読んだ後、同じく50年代のカイロを舞台にしたユダヤ人家族のEXODUS(脱出、移住)にまつわる伝記を読み始めた。

LUCETTE LAGNADO著 ”THE MAN IN THE WHITE SHARKSKIN SUIT"

小説”BEER IN THE SNOOKER CLUB"のEDNA同様、この伝記の主人公、LAGNADO一家もたいへんリッチな名士の家系で、本書によると、エジプトのユダヤ人は、世界でもっとも富裕で社会的に優遇されたユダヤ人だったようだ。ただし、1956年までは、という限定つきで。

平たく言うと、1952年のナセル革命、続く56年のスエズ動乱を通して、エジプトにおける財力を含む権力が、クリスチャン・ユダヤ連合からイスラームへ、外国人と王族から軍人へと移行したということで、上流層に限定されるとはいえ、夜のナイトクラブやホテルなどで英語やフランス語が飛び交い、オペラなどヨーロッパ文化を堪能しながらの社交がさかんにくりひろげられた、コスモポリタンなカイロは、その担い手の消滅とともに、霧散してしまった。

実際、スエズ動乱直後、ナセルは、すべての外国人を追放し、ユダヤ国家を殲滅し、植民地主義と王政の残滓を徹底的にとりのぞくと宣誓して、フランス人とイギリス人を強制退去させ、そしてユダヤ人に第2の「出エジプト」を決意させる悲惨な状況を作り出した。「革命」と言われるからには、それくらい明らかで断定的な措置が必要とも言えるかもしれないし、その後、エジプトは一定程度対外的開放性を回復して外国人が戻ってきたわけだけれども、この本で描かれるユダヤ人の貴族的文化の魅力に触れたとき、エジプトが革命と独立と運河の見返りに失ったものもまた大きかったのだなと思わされる。

その合間に、DVDで”NASSER 56"という映画を見た。名優Amed Zakiがナセルを演じるドキュメンタリータッチのフィクションで、わざと作りこんだ白黒の荒い映像が、実写を思わせるような作品。民意を決定的に見方につけ産業を興すために決定的に重要だったアスワンハイダム建設をアメリカに邪魔されたナセルが、この危機を打開するために構想し実行に移したのがスエズ運河の国有化だったというところまでは、歴史の教科書で読まされる。この映画では、その国有化がいかに大変なことで、その無謀とも言われた計画をどうやって形にしていったのかが、ナセルと側近とのやりとり、記録に残っているナセルの演説を織り交ぜて描かれる。

映像というのはほんとうに説得力があるもので、この映画を見て僕ははじめて、国有化というものがただ「いまから国有化します」と宣言するだけでは成り立たないことと理解した。そのためには、まず第一に、運河そのものをただちに接収するための実力行使がなければならない。エジプト政府は、7月26日革命記念日のナセル演説と同時進行で、軍と警察を動かし、無血で運河の管理権をフランス人たちから奪い取る。その後、すぐに対応をせまられたのは、フランスが支払っていただけの給与が保証されないというので次々とやめていく運河のナビゲーターの代替を探すこと。これを、非同盟国を中心とした外交努力によって、実現させる。そして、次は、途方にくれた英仏イスラエル連合による宣戦布告に備えた軍事的準備。そして、戦局の悪化にともなってゲリラ戦化していく前線に農民を中心とした国民動員を行うためのプロパガンダ。最後の点については、映画のラストで、ナセルがモスクの説教壇にて大演説をぶつのだが、ムスリムの宗教心に訴えかけて動員を図るというのは、はっきりいって日本顔負けのストレートさだ。相手が異教徒だから、「アッラー・アクバル」と言ってもそれを自分たちだけの神としておけるかもしれないけど、イラン・イラク戦争なんかで双方がモスクで「アッラー・アクバル」って言い合っていたとしたら、アッラーはどっちの味方にもなれなくて大変だなと思う。

この映画では、基本的に描かれているのはナセルの機知、責任感、愛国心、そして家族におしみなく注ぐ愛といった賛美的要素で、当時のエジプト社会や庶民の暮らしはほとんど出てこないのだけれど、作中3人だけ、意図的に庶民代表が登場させられる。一人目は、理由なくスエズ運河会社を解雇された技師。ナセルの街頭演説の後彼をおいかけ、直談判する。二人目は、ナセルの執務室に間違い電話をかけ、相手がナセルだとわかると「息子よ、おまえの将来が輝かしい勝利に導かれますように」と念じる老女。そして三人目は、ナセルが国有化を宣言した直後、執務室を無理やり尋ねて、自分の祖先が運河の建設で命を落としたことに触れつつそれに報いたナセルに謝意を伝える老女。ナセルの失敗をあてにして将来の権力奪取をたくらむ旧権力者も登場するが、これも基本的には悪役で、結局のところ脇役もナセルを美化する方向にしか作用しないつくりになってしまっているせいで、残念だけれど、映画に奥行き感がない。それこそ、小説に出てきたRAMのような反ナセル知識人だとか、出エジプトを余儀なくされるユダヤ人だとか、時代に翻弄されるいろいろな登場人物がからんできたとしたら、もっと面白い映画になったのにな・・・

そして、さっき書いた終わり方にしても、モスクで神に祈ったシーンのあと、エジプトが戦争に勝利したというナレーションが入って映画が終わってしまうわけで、戦局としてはほとんど負け戦になりつつあったところをアイゼンハワーが英仏イスラエルを非難する声明を出したことで敵国が撤退せざるを得なくなったという事実にまったく触れていない。その点で、歴史ドキュメンタリーとしても、この映画は片手落ちになってしまっている。

というわけで、国有化という政治事件の舞台裏を覗くという点では勉強になるけれど、当時の時代状況全般をイメージするのは役不足な作品でありました。

でも、こうして小説や伝記や映画を通して一つの時代をいろんな角度から眺めると、だんたんとイメージが出来上がってくるもので、それが最近楽しくなってきたところではある。
最近、DIWANなどの本屋さんでよく平積みになっている英語小説があって、気になって購入。

本棚に飾っただけになっていたのを今週とりだして、一気に読んだ。

以下、ネタバレ注意。

ニューヨークのNew Amsterdam Booksという出版社が出しているTWENTIETH CENTURY LIVESというシリーズからの1冊で、1989年に出版されたもの。もともとエジプト人のWaguih Ghaliが1964年に書いた本が20年後にアメリカで出版され、そのまた20年後にエジプトで脚光を浴びているというのが、可笑しい。とにかく、不世出の天才が書いたエジプト人のアイデンティティを問う名著が、出版当時どの程度読まれたのかはわからないが、世紀を超えてエジプトに帰ってきたのは、喜ぶべき兆候と言って良いのだろう。

状況設定は、50年代のエジプトとロンドン。ナセル率いる自由将校団の革命から56年のスエズ動乱にかけての、激動の時代を生きた、カイロの上流インテリに属する若者3人を主人公に据える。

一人称でナレーションを引き受ける第一の主人公RAM(本名RAMOS)は、作者の分身で、ネットの書評などを見ると、相当にこの本が半自伝的な色彩をもっているという。家系としては超リッチ、でも父を亡くし母は資金ぐりに困って、兄弟姉妹に頼っているクリスチャン。親友のFONTも、富裕層のクリスチャン。そして、RAMが熱烈に恋に落ち、RAMとFONTを自分のお金でロンドンへ連れていくユダヤの富豪の娘、EDNA。

RAMは、知識人を自称し、実際膨大な読書を通じて世界のありようを複合的に捉える能力を持っているだけでなく、誠実さをも持ち合わせているために、ナセル革命が裏側で大量のコミュニストを投獄・拷問している状況や、スエズで何万人もの若きエジプト人(大半が貧農)がイギリス人に虫けらのように殺されている状況に対して、目をつぶれずにいる。それでいて、その矛盾を構造的に支持する上流階級の瀟洒な生活から足を洗うこともできずに、毎日のようにクラブで人の奢りで酒を飲み、玉突をしている。

EDNAは、自分自身もアラブ世界のユダヤ人という微妙な立ち位置のなかで、共産党を支持し(この本によると、エジプト共産党はイスラエル建国に対して容認の立場をとっていたという)、欧米の帝国主義的な暴力に対して、RAMやFONT同様の怒りをもてあましていた。

RAMとFONTの知性を見込んだEDNAは、エジプトで職もなく、王政以来の贅沢暮らしに浸って身動きがとれなくなっている二人を、自分のお金でロンドンに連れていって、世界に対する新しい視点を与えようとするのだが、そのうちに深く恋に落ちたRAMとEDNAは、立場の違いやEDNAの抱える秘密のせいで絶望的に破局を迎え、EDNAとFONTだけがエジプトに戻り、RAMはロンドンとドイツを転々としながら、スエズを含めて第三世界の悲劇を生み出すヨーロッパ側の人々の世界認識や考え方を観察する。

帰国したRAMは、EDNAと寄りを戻そうとするが、再会した彼女の顔には官憲からムチで打たれたアザが刻まれ、そして心は固く閉ざされてしまっていた。そこでRAMは、EDNAが実はユダヤ人の男性と結婚していて、その男が共産党活動を理由に収容所で暴行を受け、命からがらイスラエルに亡命していたという事実をはじめて知る。そんな強烈な体験をした後では、二人がいかに愛し合っていたとしても、幸せに結ばれることはできなかった。

EDNAとの愛が悲劇的に終わる一方で、RAMはスエズで命を落とす若者のように向こう見ずに突進することはなく、相変わらず、親戚のスネをかじりながら、バーやクラブをはしごする毎日を送り、そして、EDNAが去った後のロンドンでしばらく恋人として同棲した金持ちの女性を誘惑して、彼女との結婚を選ぶ。そんな一見ハチャメチャに見える生活の裏で、収容所の暴力の証拠写真をプレスに横流しするきわめて危険な仕事をしていたRAMは、妻となる女性からそんな危険なことはやめてと懇願されるが、陰で大義のために危険を冒すことによってしか、世の中を知りすぎた男は正気を保てなかったのだった・・・

アラスジだけを追いかけると、絶望的な小説のように思われるかもしれないが、全編を通して、作者の諧謔的ユーモアが満載で、面白い。EDNAとの決別を宣言するくだりでは、エリートに属する者はエジプト人ではないといつかEDNAに言われたことを話題にして、でも、自分はエジプト人であって、エジプト人ではないのはEDNAの方だと罵るのだが、自分がエジプト人であるその根拠は、自分にはエジプト人特有のユーモアがあるからだと言い、エジプト人というのは、このユーモアの精神がなかったら大昔に絶滅していただろうなんて誇張した言い方をしている。

世の中がどんなに絶望的に不条理で不公正であっても、エジプト人はユーモアの精神でもって生きていくと言ったRAM(作者)は、その不公正さの上に成り立つ上流階級の遊戯と危険な政治運動との間のきわどい綱渡りを続けながら、最後には、バランスを崩して、自死を選んでしまったということらしいけれど。

40年代から50年代にかけてのエジプト社会を知るうえで役立つというだけでなく、世の中の不公正な構造を知ってしまって、しかも自分がその構造を強化する側にいることを知りすぎてしまった者が、どうやって正気でいられるかという、いまなお終わっていない存在論的課題を考えさせられる本でありました。





どの国に出かけても、なにはなくともこれだけは確保したいもの。

ミネラル・ウォーター。

イスラエルのホテルに着いたのは夜10時頃。水を買いに出るのはおっくうな時間だが、うれしいことに机の上にコンプリメンタリーのミネラル・ウォーターがおいていった。それが、これ。

CIMG4145.JPG右側はその後自分で買ったボトルで、ヘブライ語で商品名が書かれている。読み方は忘れてしまったが、「湧き出る」というような意味だったと記憶している。

そして、左側の商品。聞くと、これがイスラエルの主流のお水だそうだが、その名も、「エデン」。



そりゃあ、水は命の源で、ミネラル・ウォーターというのは格別その鮮度や純度をアピールしなければならない宿命を負った商品だから、誰がやってもきっとこの名前になっただろうと思われる。

ちなみに、エデンのを源流として、ビション、ギホン、ヒデケル、ユーフラテスの4本の川が流れていた、ということになっているという。まさに、命の水の源流として、ミネラル・ウォーターのネーミングに使われないほうがおかしいのである。

ちなみに、エジプトでよく飲まれているミネラル・ウォーターにSIWA(シーワ)というのがある。西南部にある有名なオアシスからもらった名前で、エデンに比べると神聖さには欠けるが、やはり純度の高い水の湧き出る場所というイメージを喚起させる名前なのである。

かたや、僕の古巣インドでは、市場に多く流通していたのは、Bisleriという水で、これはヒマラヤの山の名前。あとはKIngfisherなんてのもあって、これはインドの国鳥なんだけど、もともとはビール造ってたところなので、インド的浄性という価値判断ではないネーミングではる。「いかにも」という名前はないなと思って、ネット検索してみたら、画像イメージこそないものの、以下のブランド名を発見。

1.GANGA(ガンジス川)
2.BURAHMAPUTRA(ブラフマプトラ川)
3.GANGOTLI(ガンゴトリー、ガンジスの源流)

世の中の花鳥風月すべてに神が宿るインドのこと、特に川はそのものが神様であるからして、ミネラルウォーターのネーミングにはぴったし。でも、そのわりにはこれにちなんだ名前は多くないのは、神への畏敬の念ゆえだろうか。ちなみに、ネットではある人が1番目の水のことを、聖なる川の名を語り品質管理を軽視しているなどと、ケチョンケチョンに酷評していた。

この業界で一番大胆なのは、イランかもしれない。
2003年、ドバイからテヘランに向かう機内で出てきた缶ジュース。その名も、


ZAMZAM

「その名も・・・」なんて言いながら、当時僕は「ザムザムなんて、変な響きのジュースだな。作ってる人たちは売る気あるんかいな。」くらいの無知ぶりだったのだけれど、その後、それがイスラームの聖地メッカに湧く聖水のことだと知り、改めてなるほどと合点がいったのだった。

ネットでこのZAMZAM社について検索してみたら、さらに面白いことがわかってきた。
このZAMZAM社は、ZAMZAM COLAとか、ZAMZAM ORANGEなどといった炭酸系飲料を中心に製造・販売しつつ、ミネラル・ウォーターも作っている。他方、ライバル社もいて、フランス資本を入れたMecca ColaとMuslim-Upというのがあったり、英国資本によるQibla Cola(キブラとは、礼拝のためにカーバ神殿の方角を示す印のこと)というのもあるのだそうな。どれも、根底に敵国であるアメリカに対する意趣返しというのが流れているように思うのは、僕だけではないだろう。

それにしても、ZAMZAMをミネラルウォーターに使うというのは、水が体と心両面を清めるという日本人の神道マインドから十分理解できる範囲だが、コーラだのセブンアップだの、骨が溶けそうなドリンクとイスラームの聖なるシンボルとの組み合わせについては、宗教を安っぽく貶めているような落ち着きのなさを感じるのだが、いかがなものだろうか?

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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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