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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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前回日記は1月7日。2ヶ月以上サボってしまった。ぼちぼち、再開していきますね。

いろいろあったが、最近とみに学ぶことが多かったのが、邦楽公演ツアーのチュニジア・イランの部分の随行。
2月22日にカイロを発ち、3月6日に戻ってきた。

和太鼓の金子竜太郎さん、篠笛の狩野泰一さん、馬頭琴・のど歌の嵯峨治彦さんの三人で結成されたユニット、Ryu's beat with Kano and Sagaと、マネージャー、舞台、音響、照明スタッフ5名のお伴として、カタール、モザンビーク、アンゴラ、チュニジア、イラン、オマーンの中東・アフリカ6カ国公演のうち、真ん中のチュニジアとイランだけだが全行程を体験することができた。

彼らの音楽は生き生きとして、楽しくて、日本とアジアに息づく伝統芸能を活かしつつ新しい音楽を創造する自由さがストレートに聞くものに伝わってくる。覚えたての現地語MCや、サッカーの応援を使った観客とのかけあいも効果的に観客をひきこんで、クライマックスでは興奮しまくった観客が総立ちで音楽に溶け込んでいた。

「今まで聞いた音楽コンサートのなかで一番良かった。」という感想を伝えにきたお客さんがいた。
イランのお客さんは、「こういう悲しい時に、タイムリーに日本から喜びの音楽、正の気を運んできてくれたことが嬉しい」と、涙ぐんで感動を伝えてきた。

久しぶりに、国境を越えて人々の間に共感と友情を育てる音楽の力に心の底から感動を覚えた。

この地域の音楽家との交流プログラムも用意されていたけれど、日本とも西洋音楽とも違う、独自の音楽的伝統の奥深さに触れて、この地域の文化的豊かさを再発見した思いだ。

チュニジアの音楽については、ベルベル人が昔も今もその主力となっていて、ジブラルタルを越えてイベリア半島の音楽にも影響を与えつつ、地中海的広がりのなかで「アンダルシア音楽」というジャンルの中心にいるということを知らされた。音楽大学の某先生は、日本の音楽のパフォーマンス性に強く惹かれていると言う。そして、一般にチュニジアの音楽ではその要素は少ないが、パーカッショニストの自分は意識してパフォーマンスを取り入れているのだと言って、片足を上げ、自分はこのままの姿勢で10分間叩き続けることができるぞ、と得意げだった。

イランでは、現地のミュージシャンから、「悲しみ・怒りを表現する」というイラン音楽の伝統について教えを受けた。日本の音楽に触れ、彼は、悲しみや怒りで燃えたぎる気持ちを鎮めてくれる水のような音楽と、表現していた。そして、これから自分の音楽のなかに、彼らの音楽のような喜びや幸せをも表現していきたいとも語ってくれたのが、嬉しかった。

音楽を通して、日本の心を伝えるだけでなく、相手の国の人たちの心のありように触れることができた気がした、貴重な二週間だった。

カイロに戻って、改めて新鮮な気持ちで、この国のアート、人々と向き合っていこうと思った。

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その後、新聞やネット報道を見て、ガザのボーダーで何が起こっているのかを知り、これでは我々家族が警察に止められたのも仕方ないと納得。

イスラエルのガザ攻撃一周年に際して、今も続くイスラエルのガザ封鎖、そしてエジプト政府も国境に壁を建設している事態への抗議と、食糧と医療品の物資援助を目的に、世界中から1300人もの支援グループがアル・アリーシュに集結していたのだった。

援助物資は当初、ヨルダンのアカバ湾からエジプトのヌエバに届けられる予定だったものが、セキュリティ上の理由でエジプト政府がこのルートの使用を認めなかったことから、シリアのラタキア港から地中海を航行して、アル・アリーシュに到着、このPalestine Peace Convoyのメンバーたちとともに、陸路ガザに入る予定とか。地中海を通らないといけなくなったということはイスラエル沿岸を航行することを意味し、船はイスラエル軍の妨害を乗り越えてアル・アリーシュにたどり着いた、とある。

その後もスムーズに行っているようではなく、援助物資と一緒に国境を越えるトラックと人間の数をめぐってエジプト当局とNGOとの間の交渉が決裂、それを受けたNGO側のデモンストレーションに対して警察が危害を加え、けが人が続出しているというテレビ報道がネット上に載っていた。

セキュリティ上の理由とは言え、世界中の善意ある援助を快く仲介できないエジプトの対応は、全然カッコヨクない。

今年の年末年始は日本にならって6連休だったので、エジプト国内旅行を計画。
国内といっても、目的地はまたまたシナイ半島。でも、今回は地中海側。パレスチナのガザとの国境の街ラファに程近い、アルアリーシュ(Al Arish)という町だった。

前回参加したシナイ山ツアーの道中、ガイドさんがこの町で毎週木曜日にベドウィンの朝市が開かれると聞いて、それを見たくなったのだった。シナイの海といえば、十中八九シャルムッシェイフなど紅海側のリゾート地が出てくるなか、アルアリーシュは、シャルムには経済的に届かないエジプト人中流層の観光地として、夏はそれなりの賑わいを見せるのだそうだ。

おまけに、町を囲むようにして存在する湖一帯が自然公園になっていて、ペリカンやフラミンゴなどのバードウォッチングも楽しめるというから、これはなかなか楽しい旅行になるはずだった。ところが。

朝9時30分。代理店が送ってくれた運転手つきハイエースに家族4人で乗り込んで、いざ出発。
運転手さんはとってもジェントルでいい人だから、旅はますます楽しくなりそうな予感に満ちていた。

空港へ向かう道から左に折れて、車はイスマイレーヤ・ロードに乗り、地中海へまっしぐら。
乗ること約2時間。最初の料金所で、警察官のパスポート・チェック。シナイ方面に行く場合、こういうチェックが厳しい。やはり、イスラエル・パレスチナとの国境地帯になるからだろう。

ある程度時間がかかることは覚悟していたが、1時間たってもまだ動きがない。
警察官詰所のキタナイ便所で用を足して車に戻ると、運転手さんがパスポートを戻してくれて、
「でも、警察は、道路の反対車線に車をつけるように言うんです。理由はわかりませんが。」
と不安げに言う。

車は2~300mほど直進してユーターン。頭をカイロ側にむけ、先ほどの料金所に戻ってきた。

ポリスのなかでも一番偉そうなおじさんが近づいてきて、ドアを開ける。そして、一言。
「君たちは行ってはいけない。カイロに帰りなさい。」

抗弁の余地なし。代理店の人に電話で聞いたら、ちゃんとカイロの警察には許可をとっていて、運転手にもたせたというのに・・・・

代理店の人も、こんなのは始めてだという。法律で義務付けられているエスコートをつけるのが面倒くさかったのか、それともワイロがほしかったのか。一説には、ガザとのボーダーに建設中の分離壁工事を見せたくないというような事情もあるのでは、とも聞こえてくるが、真相はわからないままだ。

こうして一家はもと来た道を引き返し、夕方にはカイロに戻り、そして平凡な正月を家で迎えたのだった。


国際交流の専門雑誌『をちこち』が12月号をもって休刊となります。
世界で活躍する日本人をたくさん紹介する今号で、エジプトからベリーダンサーの木村佳寿美さんにインタビューした記事を寄稿しました。

2時間に及ぶインタビューでは、2ページの記事におさまりきらない、面白い話をたくさん聞くことができました。これからも、ますます活躍していって欲しいですし、僕たち日本人コミュニティもカスミ先生から刺激を受けながら、アラブ音楽とアラブ舞踊の世界をさらに探求していきたいと思います。

昨日も、ビラーディーの会(歌の会)とタブラのお稽古をハシゴして、アラブ音楽を満喫しました。
来年は、さらに欲張って、ウードなどやってみたいものです。




12月6日は世界一斉開催の日本語能力試験。できるだけいい環境で試験を受けさせてやりたいという思いで準備にあたってきたので、終わったら神経が磨り減った感じ。体力的にはまったくタフではないのだけれど。

そんなわけで、その夜、友達に誘われていたFATHY SALAMAのコンサートは、凝り固まった心がやさしくほぐれるようなアットホームな内容だった。

FATHY SALAMAは、エジプト・アラブ音楽をツーツにもちつつも、シンセサイザーや西洋楽器を取り入れジャズ的アレンジも取り混ぜながら、ユニークな音楽を作っているアーティストで、その才能はエジプトの庶民というよりは、世界のワールドミュージック・ファンに認められている。ユッスー・ンドゥールのグラミー賞受賞アルバム”EGYPT”の作曲とプロデュースの多くを担ったり、「キング」アムル・ディアブのヒットソングを提供していることが、彼の才能を証明している。

ファトヒ・サラマの音楽は、ココで聴けます。

彼が率いるバンド、シャルキヤートの音は、叙情に流されすぎない淡白なメロディーラインのなかに、ときたま綺羅星のように除く甘美な旋律が覗いて、そのストイックさが好きな人には堪らない。そして、リズム隊は、4人の凄腕パーカッショニストたちが支えているから、その安定感とソロの飛翔感は欧米ポップミュージックの世界では体験できないグルーヴを生んでいる。特に、タブラのスゴイのなんのって!自分がタブラをかじるようになったせいか、そのすさまじさが以前にも増して理解できるようになって、嬉しいやら悔しいやら。つくづく、こんなレベルで打楽器が出来たら人生はどんなに楽しいだろうと夢想してしまう。言いすぎかもしれないが、インドのタブラ(こちらはニケの小型タイコを使う)の名手、ザキール・フセインを聞いたときなみの興奮を味わった。

この日のコンサートの一番の収穫は、後半にやってきた。

ファトヒさんが公募で集まってきた若者たちと一緒に作った音楽を披露するセッション。まだ10代か20代前半と思われる少年少女たちは、いかにもステージ慣れしていなくて、オドオドしながら上がってきた。服装もなんだかきまっていなくて、借りてきた猫状態。こんなんで大丈夫かと期待しないで見ていたら、最初に出てきた女性の第一声でノックアウト!この人が歌った、「フスターン・アディーマ(古いドレス)」という曲の美しさ、そしてそれをアラブ歌謡の様式で見事に歌い上げるシンガーの技量に、鳥肌が立った。無名の若い歌い手さん。名前も聞かないで帰ってきてしまったけど、またどこかで彼女の歌声を聞いてみたいと思わずにはいられない。中東の文化習俗に詳しい友人によると、彼女のちょっとインドっぽい服装は、レバノンのドルーズ教徒のものではないかとのこと。そうか、エジプト人じゃあないのか。これも、生で聞いたことがないので本当は比較はできないのだけど、僕はフェイルーズなんかより全然好きな声。Souad MassiとかNatasha Atlasっぽいけど、彼女たちに特徴的ななんとなく口のなかに篭った感じでもなくて、もう少し透明感がある。

舞台上の5人の女の子が1フレーズずつアドリブで謳う次のセッションで、さらに彼女のレベルの違いが歴然となる。どの子たちも、コード進行にあわせて平坦なハミングをするだけで、チープな西洋ポップスを聴かされているというレベルなのだけど、彼女だけは、独特のアラブ歌唱で節を転がしていく。ルックスの問題ではなくて、とてもセクシーだ。

続いて、レクというアラブ・タンバリン奏者のお兄さんが、スーフィー・ミュージックを歌ってくれたのだが、これもあちらの世界にトリップさせてくれる力をもっていた。

僕らが慣れ親しんでいる西洋音階のわかりやすい大衆歌謡とは違うルーツをもつ、綿々と受け継がれてきた歌や音楽と出会うと、近代化・画一化する社会の表層を一皮めくれば豊かな文化的土壌が満ちていることに気づかされる。

不条理を呪いたくなることも多いエジプトだが、なんのなんの、あなどれないのである。



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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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