えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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12月6日は世界一斉開催の日本語能力試験。できるだけいい環境で試験を受けさせてやりたいという思いで準備にあたってきたので、終わったら神経が磨り減った感じ。体力的にはまったくタフではないのだけれど。
そんなわけで、その夜、友達に誘われていたFATHY SALAMAのコンサートは、凝り固まった心がやさしくほぐれるようなアットホームな内容だった。
FATHY SALAMAは、エジプト・アラブ音楽をツーツにもちつつも、シンセサイザーや西洋楽器を取り入れジャズ的アレンジも取り混ぜながら、ユニークな音楽を作っているアーティストで、その才能はエジプトの庶民というよりは、世界のワールドミュージック・ファンに認められている。ユッスー・ンドゥールのグラミー賞受賞アルバム”EGYPT”の作曲とプロデュースの多くを担ったり、「キング」アムル・ディアブのヒットソングを提供していることが、彼の才能を証明している。
ファトヒ・サラマの音楽は、ココで聴けます。
彼が率いるバンド、シャルキヤートの音は、叙情に流されすぎない淡白なメロディーラインのなかに、ときたま綺羅星のように除く甘美な旋律が覗いて、そのストイックさが好きな人には堪らない。そして、リズム隊は、4人の凄腕パーカッショニストたちが支えているから、その安定感とソロの飛翔感は欧米ポップミュージックの世界では体験できないグルーヴを生んでいる。特に、タブラのスゴイのなんのって!自分がタブラをかじるようになったせいか、そのすさまじさが以前にも増して理解できるようになって、嬉しいやら悔しいやら。つくづく、こんなレベルで打楽器が出来たら人生はどんなに楽しいだろうと夢想してしまう。言いすぎかもしれないが、インドのタブラ(こちらはニケの小型タイコを使う)の名手、ザキール・フセインを聞いたときなみの興奮を味わった。
この日のコンサートの一番の収穫は、後半にやってきた。
ファトヒさんが公募で集まってきた若者たちと一緒に作った音楽を披露するセッション。まだ10代か20代前半と思われる少年少女たちは、いかにもステージ慣れしていなくて、オドオドしながら上がってきた。服装もなんだかきまっていなくて、借りてきた猫状態。こんなんで大丈夫かと期待しないで見ていたら、最初に出てきた女性の第一声でノックアウト!この人が歌った、「フスターン・アディーマ(古いドレス)」という曲の美しさ、そしてそれをアラブ歌謡の様式で見事に歌い上げるシンガーの技量に、鳥肌が立った。無名の若い歌い手さん。名前も聞かないで帰ってきてしまったけど、またどこかで彼女の歌声を聞いてみたいと思わずにはいられない。中東の文化習俗に詳しい友人によると、彼女のちょっとインドっぽい服装は、レバノンのドルーズ教徒のものではないかとのこと。そうか、エジプト人じゃあないのか。これも、生で聞いたことがないので本当は比較はできないのだけど、僕はフェイルーズなんかより全然好きな声。Souad MassiとかNatasha Atlasっぽいけど、彼女たちに特徴的ななんとなく口のなかに篭った感じでもなくて、もう少し透明感がある。
舞台上の5人の女の子が1フレーズずつアドリブで謳う次のセッションで、さらに彼女のレベルの違いが歴然となる。どの子たちも、コード進行にあわせて平坦なハミングをするだけで、チープな西洋ポップスを聴かされているというレベルなのだけど、彼女だけは、独特のアラブ歌唱で節を転がしていく。ルックスの問題ではなくて、とてもセクシーだ。
続いて、レクというアラブ・タンバリン奏者のお兄さんが、スーフィー・ミュージックを歌ってくれたのだが、これもあちらの世界にトリップさせてくれる力をもっていた。
僕らが慣れ親しんでいる西洋音階のわかりやすい大衆歌謡とは違うルーツをもつ、綿々と受け継がれてきた歌や音楽と出会うと、近代化・画一化する社会の表層を一皮めくれば豊かな文化的土壌が満ちていることに気づかされる。
不条理を呪いたくなることも多いエジプトだが、なんのなんの、あなどれないのである。
そんなわけで、その夜、友達に誘われていたFATHY SALAMAのコンサートは、凝り固まった心がやさしくほぐれるようなアットホームな内容だった。
FATHY SALAMAは、エジプト・アラブ音楽をツーツにもちつつも、シンセサイザーや西洋楽器を取り入れジャズ的アレンジも取り混ぜながら、ユニークな音楽を作っているアーティストで、その才能はエジプトの庶民というよりは、世界のワールドミュージック・ファンに認められている。ユッスー・ンドゥールのグラミー賞受賞アルバム”EGYPT”の作曲とプロデュースの多くを担ったり、「キング」アムル・ディアブのヒットソングを提供していることが、彼の才能を証明している。
ファトヒ・サラマの音楽は、ココで聴けます。
彼が率いるバンド、シャルキヤートの音は、叙情に流されすぎない淡白なメロディーラインのなかに、ときたま綺羅星のように除く甘美な旋律が覗いて、そのストイックさが好きな人には堪らない。そして、リズム隊は、4人の凄腕パーカッショニストたちが支えているから、その安定感とソロの飛翔感は欧米ポップミュージックの世界では体験できないグルーヴを生んでいる。特に、タブラのスゴイのなんのって!自分がタブラをかじるようになったせいか、そのすさまじさが以前にも増して理解できるようになって、嬉しいやら悔しいやら。つくづく、こんなレベルで打楽器が出来たら人生はどんなに楽しいだろうと夢想してしまう。言いすぎかもしれないが、インドのタブラ(こちらはニケの小型タイコを使う)の名手、ザキール・フセインを聞いたときなみの興奮を味わった。
この日のコンサートの一番の収穫は、後半にやってきた。
ファトヒさんが公募で集まってきた若者たちと一緒に作った音楽を披露するセッション。まだ10代か20代前半と思われる少年少女たちは、いかにもステージ慣れしていなくて、オドオドしながら上がってきた。服装もなんだかきまっていなくて、借りてきた猫状態。こんなんで大丈夫かと期待しないで見ていたら、最初に出てきた女性の第一声でノックアウト!この人が歌った、「フスターン・アディーマ(古いドレス)」という曲の美しさ、そしてそれをアラブ歌謡の様式で見事に歌い上げるシンガーの技量に、鳥肌が立った。無名の若い歌い手さん。名前も聞かないで帰ってきてしまったけど、またどこかで彼女の歌声を聞いてみたいと思わずにはいられない。中東の文化習俗に詳しい友人によると、彼女のちょっとインドっぽい服装は、レバノンのドルーズ教徒のものではないかとのこと。そうか、エジプト人じゃあないのか。これも、生で聞いたことがないので本当は比較はできないのだけど、僕はフェイルーズなんかより全然好きな声。Souad MassiとかNatasha Atlasっぽいけど、彼女たちに特徴的ななんとなく口のなかに篭った感じでもなくて、もう少し透明感がある。
舞台上の5人の女の子が1フレーズずつアドリブで謳う次のセッションで、さらに彼女のレベルの違いが歴然となる。どの子たちも、コード進行にあわせて平坦なハミングをするだけで、チープな西洋ポップスを聴かされているというレベルなのだけど、彼女だけは、独特のアラブ歌唱で節を転がしていく。ルックスの問題ではなくて、とてもセクシーだ。
続いて、レクというアラブ・タンバリン奏者のお兄さんが、スーフィー・ミュージックを歌ってくれたのだが、これもあちらの世界にトリップさせてくれる力をもっていた。
僕らが慣れ親しんでいる西洋音階のわかりやすい大衆歌謡とは違うルーツをもつ、綿々と受け継がれてきた歌や音楽と出会うと、近代化・画一化する社会の表層を一皮めくれば豊かな文化的土壌が満ちていることに気づかされる。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
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