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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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50年代のカイロ・ロンドンを舞台にしたクリスチャンとユダヤ教徒を主人公にした小説を読んだ後、同じく50年代のカイロを舞台にしたユダヤ人家族のEXODUS(脱出、移住)にまつわる伝記を読み始めた。

LUCETTE LAGNADO著 ”THE MAN IN THE WHITE SHARKSKIN SUIT"

小説”BEER IN THE SNOOKER CLUB"のEDNA同様、この伝記の主人公、LAGNADO一家もたいへんリッチな名士の家系で、本書によると、エジプトのユダヤ人は、世界でもっとも富裕で社会的に優遇されたユダヤ人だったようだ。ただし、1956年までは、という限定つきで。

平たく言うと、1952年のナセル革命、続く56年のスエズ動乱を通して、エジプトにおける財力を含む権力が、クリスチャン・ユダヤ連合からイスラームへ、外国人と王族から軍人へと移行したということで、上流層に限定されるとはいえ、夜のナイトクラブやホテルなどで英語やフランス語が飛び交い、オペラなどヨーロッパ文化を堪能しながらの社交がさかんにくりひろげられた、コスモポリタンなカイロは、その担い手の消滅とともに、霧散してしまった。

実際、スエズ動乱直後、ナセルは、すべての外国人を追放し、ユダヤ国家を殲滅し、植民地主義と王政の残滓を徹底的にとりのぞくと宣誓して、フランス人とイギリス人を強制退去させ、そしてユダヤ人に第2の「出エジプト」を決意させる悲惨な状況を作り出した。「革命」と言われるからには、それくらい明らかで断定的な措置が必要とも言えるかもしれないし、その後、エジプトは一定程度対外的開放性を回復して外国人が戻ってきたわけだけれども、この本で描かれるユダヤ人の貴族的文化の魅力に触れたとき、エジプトが革命と独立と運河の見返りに失ったものもまた大きかったのだなと思わされる。

その合間に、DVDで”NASSER 56"という映画を見た。名優Amed Zakiがナセルを演じるドキュメンタリータッチのフィクションで、わざと作りこんだ白黒の荒い映像が、実写を思わせるような作品。民意を決定的に見方につけ産業を興すために決定的に重要だったアスワンハイダム建設をアメリカに邪魔されたナセルが、この危機を打開するために構想し実行に移したのがスエズ運河の国有化だったというところまでは、歴史の教科書で読まされる。この映画では、その国有化がいかに大変なことで、その無謀とも言われた計画をどうやって形にしていったのかが、ナセルと側近とのやりとり、記録に残っているナセルの演説を織り交ぜて描かれる。

映像というのはほんとうに説得力があるもので、この映画を見て僕ははじめて、国有化というものがただ「いまから国有化します」と宣言するだけでは成り立たないことと理解した。そのためには、まず第一に、運河そのものをただちに接収するための実力行使がなければならない。エジプト政府は、7月26日革命記念日のナセル演説と同時進行で、軍と警察を動かし、無血で運河の管理権をフランス人たちから奪い取る。その後、すぐに対応をせまられたのは、フランスが支払っていただけの給与が保証されないというので次々とやめていく運河のナビゲーターの代替を探すこと。これを、非同盟国を中心とした外交努力によって、実現させる。そして、次は、途方にくれた英仏イスラエル連合による宣戦布告に備えた軍事的準備。そして、戦局の悪化にともなってゲリラ戦化していく前線に農民を中心とした国民動員を行うためのプロパガンダ。最後の点については、映画のラストで、ナセルがモスクの説教壇にて大演説をぶつのだが、ムスリムの宗教心に訴えかけて動員を図るというのは、はっきりいって日本顔負けのストレートさだ。相手が異教徒だから、「アッラー・アクバル」と言ってもそれを自分たちだけの神としておけるかもしれないけど、イラン・イラク戦争なんかで双方がモスクで「アッラー・アクバル」って言い合っていたとしたら、アッラーはどっちの味方にもなれなくて大変だなと思う。

この映画では、基本的に描かれているのはナセルの機知、責任感、愛国心、そして家族におしみなく注ぐ愛といった賛美的要素で、当時のエジプト社会や庶民の暮らしはほとんど出てこないのだけれど、作中3人だけ、意図的に庶民代表が登場させられる。一人目は、理由なくスエズ運河会社を解雇された技師。ナセルの街頭演説の後彼をおいかけ、直談判する。二人目は、ナセルの執務室に間違い電話をかけ、相手がナセルだとわかると「息子よ、おまえの将来が輝かしい勝利に導かれますように」と念じる老女。そして三人目は、ナセルが国有化を宣言した直後、執務室を無理やり尋ねて、自分の祖先が運河の建設で命を落としたことに触れつつそれに報いたナセルに謝意を伝える老女。ナセルの失敗をあてにして将来の権力奪取をたくらむ旧権力者も登場するが、これも基本的には悪役で、結局のところ脇役もナセルを美化する方向にしか作用しないつくりになってしまっているせいで、残念だけれど、映画に奥行き感がない。それこそ、小説に出てきたRAMのような反ナセル知識人だとか、出エジプトを余儀なくされるユダヤ人だとか、時代に翻弄されるいろいろな登場人物がからんできたとしたら、もっと面白い映画になったのにな・・・

そして、さっき書いた終わり方にしても、モスクで神に祈ったシーンのあと、エジプトが戦争に勝利したというナレーションが入って映画が終わってしまうわけで、戦局としてはほとんど負け戦になりつつあったところをアイゼンハワーが英仏イスラエルを非難する声明を出したことで敵国が撤退せざるを得なくなったという事実にまったく触れていない。その点で、歴史ドキュメンタリーとしても、この映画は片手落ちになってしまっている。

というわけで、国有化という政治事件の舞台裏を覗くという点では勉強になるけれど、当時の時代状況全般をイメージするのは役不足な作品でありました。

でも、こうして小説や伝記や映画を通して一つの時代をいろんな角度から眺めると、だんたんとイメージが出来上がってくるもので、それが最近楽しくなってきたところではある。
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新車がやってきた。

前任から引き継いだ車の調子が悪くなり、完全にポンコツになる前にと思って売り飛ばしたのが5月25日、TOYOTAに新車購入のお金を払ったのが翌26日だから、1ヶ月半もの間、車のない生活を余儀なくされたことになる。

なにが大変かって、役所との手続きだ。無税通関の手続きの書類を外務省に出しても、担当の役人が出した書類をなくしたとかなんとか言って、いっこうに進まない。外務省の許可が降りたってんで、あと数日でおニューな車と対面できるかと期待したら、今度は税関が「外国人は滞在中に一台しか車をもてない」とか言って、前の車を売った時点で車をもつ権利そのものを失ったとかなんとか、イチャモンをつけてくる。外交官とそれに準じるスタッフは、その対象から外れているのは明白だし、外務省のよく書類をなくす担当も問題ないと言っていたのに。

今度は、その税関の問題児を外務省から説得してもらうため、うちの事務所のスタッフが外務省の別の職員に頼んで、税関を最終的に納得させてくれた。「今度こそ!」と思ったら、今度は、外務省のよく書類をなすくほうの職員が、「税関職員が言ったとおり外国人は二台目をもてない。」なんて言って、話を振り出しに戻した。

僕も、事務所のスタッフも、これにはブチきれて、プロトコル担当の大使(つまり彼の上司)に抗議のレターを出して、面会を申し込んだ。そしたら、大使に面会するまでもなく、すんなりと話が通って、ようやく、外務省と税関のすべての壁がとりはらわれた。それが先週末の出来事。

そして、今週、僕のドライバーさんにアレキサンドリアのフリーゾーンに引き取りに出かけてもらったのだが、びっくりするくらい疲れた顔で帰ってきた。無事新車をカイロに連れてきてくれたはいいが、なんで、そこの税関スタッフの一人一人からのチップ要求にさらされ、大変な思いをしたとか。

役所のしかるべき役職をもったスタッフが、なんだかんだ言って業務をダラダラと引き延ばすのも、どこかでワイロを求めてのことなのかしらないが、とにかく役所が上から下まで深刻なコラプションと機能不全に陥っていることは、明らかだ。

そして、外国人だけでなく、土地の人たちもこれには悩まされている。うちの事務所のすぐ前にそびえる巨大な政府合同庁舎「ムガンマア」の機能不全ぶりをコミカルに描いた映画『テロリズムとケバブ』を日本で見たときは、コメディならではの誇張した表現に大笑いしたものだが、なに、住んで実際に見てみたら、誇張でもなんでもないじゃあないか。僕だって、警備員のマシンガンを奪って、人質をとって、ケバブを要求したくなってくる。

1ヶ月半の長い闘いが、こうして終わろうとしている。もちろん、ナンバープレートを外交ナンバーにつけかえるという仕事が残っていて、まだ一つくらい小さな波乱があるのかもしれないけれど。
imageview.aspx.jpeg英字月刊誌"EGYPT TODAY"の記事、'No-Strings Marriage'(拘束なし結婚)が、昨今の世相を反映したエジプトの結婚事情をわかりやすく教えてくれていて、面白い。

(記事が http://www.egypttoday.com/article.aspx?ArticleID=8531 で読めます。)

イスラーム法で規定された結婚にはいくつかの形式があって、それぞれに適法(ハラール)、違法(ハラーム)の裁定がアズハルなどイスラーム法の番人によってなされている。同じイスラームの解釈であっても国よって個々の事象に対する解釈には差異があるらしいことも記事では紹介されていた。

すべての条件が整った完全な結婚のほかに、この記事で紹介されている結婚形式が2つあって、うち一つは、Mut'aと呼ばれるもので、普通必要とされる証人と後見人いらずで、夫婦となる二人の合意のみで成立する。未婚での性交渉が歓迎されない社会において、もっぱら男性側がせつな的な欲望を満たすために利用するもの、と記事では説明されている。これが、シーア派の解釈ではハラールなのだという。

もう一つの形式が本記事で中心的に紹介されているmisyarで、これは証人や後見人などの要件は満たすものの、新郎から新婦に通常提供されるべきダウリ(結納)やアパートが義務づけられず、かつ夫に妻と同居して家族を営むことも課されていない。Mut'aと似ているが、形式面では契約としてちゃんとしているため、2007年のアズハルのファトワ(裁定)でも、あいまいながらも違法ではないとされたそうで、それがエジプト社会で議論を呼んでいるとある。

この議論の背景には、高騰する物価、急増する都市人口、悪化する失業などの複合的な悪条件のなか、イスラームが定めるあるべき結婚を実現できるケースが激減し、社会が未婚者であふれているという事情がある。ダウリやアパート、結婚指輪を用意しようにも先立つもののない若い男性たちが、いい相手をみつけて家庭をもち、子を設け次世代へとバトンをわたしていくというささやかな願いを実現できず、くすぶっている。当然、男がくすぶっていれば女もあぶれる。政府の統計では、現在この国には、30歳以上の未婚女性が900万から1千万人もいるという。「適齢期」を超えて独身でいることが宗教的モラルとして恥ずべきことと認識されている社会だけに、Mut'a婚同様に男性に都合よく利用されることがわかっていても、いやいやながらmisyar婚を受け入れざるを得ないと感じている女性も多いと書かれている。

おそらくは、誠実に愛し合い家族をもちたいが、資産のないカップルがやむなくMisyar婚を選ぶということもたくさんあるのだろうが、複数妻帯が合法であるイスラーム国にあっては、第二、第三の妻を合法的にもちつつその事実を第一夫人に知られずに済むというメリットから、Misyarを利用するケースも多くあるそうで、だからこそ、この制度を手放しで奨励してしまうことは、総じて社会全体のモラル低下を引き起こしかねないと危惧する人たちも多くいるわけだ。

結婚するかしないか、子どもをもつかもたないか、これらは現代社会においては個々人のまったき自由とされているが、「結婚したくてもできない」、「子どもをもちたくてももてない」エジプトの若者の悲劇を見ていると、宗教や法による縛りがなく両性の合意のみで結婚できることになっている日本は恵まれているとも言えるが、一方でエジプトと同様に晩婚化が進む日本の社会もまた、「未来に希望をもてない」という一点で同根の問題を抱えているのだと思う。
団欒中、たまたま、とある知り合いの道をぜんぜん知らない運転手さんの話題になった。その運転手さん、ゲジーラ島の南端にタワーのようにそびえるSOFITEL GEZIRA HOTEL(旧SHERATON GEZIRA TOWER)に行けと言われて大事な客人を乗せ、ゲジーラ島の中央にでんと構えるカイロ・タワーにつけてしまい、主人に大叱責を受た。

そんな思い出を語っていると、ふと、インド勤務時代のふるい思い出までがよみがえってきた。2000年、クリントンやらプーチンやら、大国の首脳が成長しつづけるインド市場に注目してこの国を訪問していた。その波にのって、わが国の総理大臣森さんもまた、インドにやってこられ、当時のヴァジパイ首相との間でグローバル・パートナーシップを高々と宣言したのだった。

僕は、その二国間の晴れやかな未来を誓うイベントの裏の裏で冷や汗をかいていた。さすがに首相受け入れともなると大使館のマンパワーだけでは間に合わないようで、僕ら政府系機関の駐在員も助っ人として期待される。朝食時の日本側首脳たちの会合に間に合わせるべく、早朝から彼らが滞在するホテルに作られたスタッフルームにて、朝刊の和訳作業。そのほか僕にあてがわれたのは、同行して東京からやってきた記者さんたちのお世話。お世話にといってもたいしたことをするわけではないが、彼らが乗るバスに一緒に乗り込んで、車列を乱さぬよう、総理一行のバスを追跡するというのが主たる業務。ただ乗ってりゃいいお気楽な仕事かと思っていたら、なんと、そのプレスご一行のバスの運転手が、まったくデリーの道を知らないときた。前を走る車列を見失ってから、どうもフラフラしてるなと思っているうちに、目的地のホテルとはあさっての方向へとすすんでいたのだ!「おまえ、なんで道知らないんだ、運転手のくせに?」と問いただしたら、「あたしゃあ、ラジャスターンの田舎から3日前に出てきたばかりですぅ・・・」とか細い声。おい、そんなデリーにウェルカムされたばかりの田舎もんが、なんで運転手やってる???しかも、日本国の総理大臣の車列を動かす大役を???

僕は、アグラにも同行した。これは余興で、要はインドに来てタージマハルを見ないのは、外交的に失礼にあたるってんで、特に要人との面談があるでなく、ただタージマハルに行って帰ってくればいいのだが、ここでも事件がおきた。この時期、インド最高裁は、白亜の宮殿が煤けてきている公害問題を重視して、半径1キロ以内の車両通行を禁止する命令を下したものだから、われらが森総理ご一行もまた、途中で車を降りて、そこからフリーで出ている電気自動車に乗り込むことになった。またもや、プレスを乗せて最後尾を走る僕は、最後に電気自動車乗り場にたどり着き、プレスご一行を乗せこんで、タージマハル前の門に一番最後にたどり着いた。この日は特別にこの時間帯、日本の一行のために貸し切りになったタージマハル!緊張感が緩んで、僕もめいっぱい至上の美に酔いしれようと思って、ゲートをくぐった。そのとき、ふっと後ろをふりかえると・・・・

なんと、日本の一行数十人を分乗させてきた電気自動車たちがぜんぶ、出発地点へむけて引き返えしているではないか!!まずい、このままでは総理大臣が来たとき、お輿がない。そんな結果になったとき、いったい、責任は誰のところに飛んでくるのか・・・・怖くなった僕は、力の限り叫んだ。「ルコー!!」(ヒンディー語で「止まれ」)。そして、何度も叫びながら、全力で走った。電気自動車とはいえ、時速20キロくらいは出るから、とても追いつけない。もうだめか、とあきらめかけたとき、僕の叫びが届いたらしく、運ちゃんたちがこちらをふりむいて、そして戻ってきてくれた。説明すると、事情を理解してくれたらしく、それからはおとなしくタージマハルの門の前で待機していてくれた。

何がいいたいかって?インドでもエジプトでも、運転手さんとの話題には事欠きません。
故障が多くなって修理代がばかにならなくなってきた車を売って、新車を購入した。といっても、新車の納入手続きがいろいろあって、先週からずっとタクシー通勤をしている。カイロのタクシーは、新しい規格にのって登場したイエローとホワイトの新車群のメーターは一応動くことになっているが、従来の黒地に白模様のほうで、メーターをまわしてくれた人はほとんど皆無。カイロ生活も1年5ヶ月を超え、いまは乗る前の料金交渉には一切応ぜず、目的地に着いたら、いったん車から外に出て、運転席の窓から小銭の束を投げ入れてそそくさと立ち去る方式をとっている。これなら、よっぽど交通のない通りでもない限り、運転手が車から降りて追いかけてくることはないので、自分の言い値で乗ることが出来るのだ。

それでも、眠っていれば運転手さんが目的地に運んでくれる私用車暮らしとは全く違う体験であることには違いなく、毎日のこととなれば、けっこうなストレスではある。

昨日も、午後6時頃、ビルの下に降り、微妙にアンニュイな気分でタクシーを待っていた。もちろん、ワイシャツのポケットには、自分の言い値のエジプトポンドをしのばせて。

すでにお客さんが乗っていたり、運転手がめんどくさがったりして、数台のタクシーにパスされる。炎天下、じりじりと焼かれて、さらに気が滅入ってくる。そこで、自分の待っている通りに三叉路で接している大通りを、特殊な噴霧機をしょったトラックが走ってきて、真っ白い粉末を放出し続けている。トラックの周囲は一面真っ白になり、視界から消え、そして20mほど先の僕にまで襲いかかってきた。強力な消毒剤が喉や鼻を刺激する。おい、こんなもん、平然と路上にぶちまけるんじゃねー!!!

怒りにうちふるえているところへ、白い煙のなかから黒地に白の旧型タクシーがやってきて、止まってくれた。乗り込んだ僕に、おもむろにティッシュを2枚、ボックスからとりだして、渡してくれた。

こんなおそろしい消毒液噴霧は、こっちに来てはじめて見た。
もしかして、オバマが4日にやってくるってんで、カイロ中を消毒してまわっているんだろうか???
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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