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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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先週末から昨日3月6日にかけて、革命の次のターゲットであった国家治安機関、すなわち秘密警察が持つ各地の庁舎で、証拠隠滅しようとする機関スタッフと、革命をさらに前を押しすすめようとする革命連立委員会メンバーとが交錯、特に昨日、カイロの内務省前では、これまで市民の側に立ってきた軍が中立的立場を守りきれなくなって市民に対して威嚇射撃を行い、先週金曜日に続いて市民の軍に対する信頼が揺らぐおそれが強まっている。革命の遂行においてさらなる純粋さを求めるデモ隊からは、軍最高評議会のタンターウィの辞任を求める声が大きくなっているらしい。

Ahram Onlieの記事では、この秘密警察を使って、つい先週末のAhmed Shafiq首相の辞任のときまで、Shafiqと内務大臣のMahmoud Wagdyらが、退陣してシャルム・エル・シェイクに退いているムバラク前大統領と連携して、革命の遂行を妨害する様々な作戦を繰り広げていたという内部告発が紹介されていて、興味深い。革命勢力も、そろそろ抗議デモをやめて日常の社会生活に戻ったほうが良いと思ったりしていたが、彼らが疑念を抱いていたことがこうして事実だとわかると、確かにここで出せる限りのウミを出しておかないと、生き残った残党が必ずや巻き返し(Counter-revolution)をしかけてくるだろうことがわかってきた。Shafiqが退陣した翌日、彼の自宅前で1000人規模の彼を支持する集会があったこと、そして昨日、内務省のデモ隊に暴力団が襲い掛かって軍が威嚇射撃を余儀なくされたことなどから想像するに、権力から引きずりおろされた者の陰惨な復讐、軍と移行政権の統治に対する信頼を失わせるようなデマや策動がこれからも計画されるのかもしれない。

一方で、旧支配者たちが持ち去ったかもしれないドキュメントや、革命勢力の誰かが内部潜入して入手した秘密文書は、今後の新しい政治システムを作っていくプロセスのなかで、市民を代表する政府が管理と公表の方法を決めることができるように、ひとまず軍の手に回収されるべきなのだろう。今朝、携帯にARMED FORCESからSMSが入っていて、秘密警察の文書を持っている者はただちに軍に提出するようにと書いてあった。

これからの政治プロセスと治安回復が順調に進むためにも、エジプトが持つユニークな資産である軍と市民の信頼関係がもう一度修復されることを期待する。
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ジャーナリストではない僕としては、仕事でもないのに大使館や家族からの勧告に逆らってタハリール広場に行く理由をひねり出すこともできず、この日々ドラマチックに展開していく革命を、基本的には日本にいるみなさんと同じように家のテレビで眺めるしかなかった。

それでも、必要から外出した折々に現在進行形の革命の断片を目撃して、わずかばかりにしても歴史が音をたてて転換する同じグラウンドに立っている実感をもてたときに抱いた感情は、やはり「嬉しい」というものに近かったように思う。

【第1日:1月25日(火)】
この日は、去年から突然、「警察の日」として祝日に指定された。いまでは世界中のみんなが知っている悪名高きエジプトの警察。そんな輩を慰労するなんてちゃんちゃらおかしい、というムードが街中に充満していた。宗教的な祝日以外は日本の祝日を採用しているうちのオフィスは通常営業。デモの噂を聞いてはいたが、どうせ2008年4月6日のゼネストのように、事前に権力に封じ込まれて、何もできないだろうとあきらめて、もくもくと事務仕事にいそしむ。タハリール広場からものの200mくらいしか離れていないオフィスではあるが、僕の席からは外の騒擾はほとんど聞こえてこなかった。

午後3時頃だったか、ふとどうなっているか気になって、スタッフに声をかけて、図書館からタハリールへまっすぐ伸びるKasr El Aini通りを眺めたら、目の前でデモ隊と警察部隊が石を投げ合っている。デモ隊の何人からは通りに面する上院議会に乗り込もうとするが、ゲートの向こう側から警官が青年たちを水攻めにする。
じーっと眺めているうちに変なことに気がつく。デモ隊の輪に入って、警察部隊と対峙していた何人かの男が、突然向きを変えて、若者をボコボコに殴る。制服の警官がジョインして、さらに殴る、蹴る。意識がなくなるくらい、執拗な暴力を加える。そうか、ムバラク時代を通して、いやきっとそれ以前から、この国の警察組織はこうやって、私服で市民社会のなかにまぎれながら、突然牙をむいて襲うという残虐性で恐れられてきたのか。そうやって何人か見せしめのように暴力を加えられた若者たちが、車に連れ込まれ、どこかの留置場へと運ばれていった。

数では圧倒的に勝るデモ隊は、それでも優勢に警察を追い込むが、とうとう警察部隊は催涙弾を使用。この先毎日毎日、何万発も若者に向けて発射された、白い煙を上げ毒をまきちらす、あの殺傷兵器だ。一旦は逃げるが、また前進する若者たちの勇気に感動する。

そうやって呆然と事態の推移を眺めていたわれわれスタッフ一同、いつもより数段高い規模と緊張感のデモになってきたことに驚き、はて、こんな衝突の真っ只中にいるわたしたちはここから安全に脱出できるのか、という不安にかられはじめる。ドライバーたちが何度か下に降りて様子をみるが、Kasr El Ainiもナイル川沿いのCornicheも、どちらも衝突でふさがれていて、すぐには出られそうもない。「夜は危ないから今すぐなんとかして出たほうがいい。」という意見と「夜になればデモの継続は難しいからもう少し待つべきだ」という意見がまっぷたつに割れ、その場の責任者の役割から逃れられない僕の結論をみんなが注視する。こんなこと経験したことなんだから、まともな判断なんかできるもんか!内心ではやぶれかぶれになりながらも、どちらかといえば日の高いうちに出たほうがいいと言い、またドライバーが下に降りてタイミングを見計らう。公用車2台と僕の私用車1台に分乗して、市内の西と北と南へと脱出し、午後6時過ぎにはみな無事家に戻ることができた。

このデモはきっと長期化するだろうと、みなが思った。そして、タハリール広場と目と鼻の先という好立地のわれらがオフィスに通い続けるのは、あまりに危険だ。僕は、みなに連絡して次の日を自宅待機とした。そのときは、こんな待機状態が3週間も続くとは思っていなかったけれど。

写真をとっておけばよかったと今になって思うが、このとき自分はシャッターを切る気になれなかった。ジャーナリストにはなれそうもない。
ジャーナリストではない僕としては、仕事でもないのに大使館や家族からの勧告に逆らってタハリール広場に行く理由をひねり出すこともできず、この日々ドラマチックに展開していく革命を、基本的には日本にいるみなさんと同じように家のテレビで眺めるしかなかった。

それでも、必要から外出した折々に現在進行形の革命の断片を目撃して、わずかばかりにしても歴史が音をたてて転換する同じグラウンドに立っている実感をもてたときに抱いた感情は、やはり「嬉しい」というものに近かったように思う。

【第1日:1月25日(火)】
この日は、去年から突然、「警察の日」として祝日に指定された。いまでは世界中のみんなが知っている悪名高きエジプトの警察。そんな輩を慰労するなんてちゃんちゃらおかしい、というムードが街中に充満していた。宗教的な祝日以外は日本の祝日を採用しているうちのオフィスは通常営業。デモの噂を聞いてはいたが、どうせ2008年4月6日のゼネストのように、事前に権力に封じ込まれて、何もできないだろうとあきらめて、もくもくと事務仕事にいそしむ。タハリール広場からものの200mくらいしか離れていないオフィスではあるが、僕の席からは外の騒擾はほとんど聞こえてこなかった。

午後3時頃だったか、ふとどうなっているか気になって、スタッフに声をかけて、図書館からタハリールへまっすぐ伸びるKasr El Aini通りを眺めたら、目の前でデモ隊と警察部隊が石を投げ合っている。デモ隊の何人からは通りに面する上院議会に乗り込もうとするが、ゲートの向こう側から警官が青年たちを水攻めにする。
じーっと眺めているうちに変なことに気がつく。デモ隊の輪に入って、警察部隊と対峙していた何人かの男が、突然向きを変えて、若者をボコボコに殴る。制服の警官がジョインして、さらに殴る、蹴る。意識がなくなるくらい、執拗な暴力を加える。そうか、ムバラク時代を通して、いやきっとそれ以前から、この国の警察組織はこうやって、私服で市民社会のなかにまぎれながら、突然牙をむいて襲うという残虐性で恐れられてきたのか。そうやって何人か見せしめのように暴力を加えられた若者たちが、車に連れ込まれ、どこかの留置場へと運ばれていった。

数では圧倒的に勝るデモ隊は、それでも優勢に警察を追い込むが、とうとう警察部隊は催涙弾を使用。この先毎日毎日、何万発も若者に向けて発射された、白い煙を上げ毒をまきちらす、あの殺傷兵器だ。一旦は逃げるが、また前進する若者たちの勇気に感動する。

そうやって呆然と事態の推移を眺めていたわれわれスタッフ一同、いつもより数段高い規模と緊張感のデモになってきたことに驚き、はて、こんな衝突の真っ只中にいるわたしたちはここから安全に脱出できるのか、という不安にかられはじめる。ドライバーたちが何度か下に降りて様子をみるが、Kasr El Ainiもナイル川沿いのCornicheも、どちらも衝突でふさがれていて、すぐには出られそうもない。「夜は危ないから今すぐなんとかして出たほうがいい。」という意見と「夜になればデモの継続は難しいからもう少し待つべきだ」という意見がまっぷたつに割れ、その場の責任者の役割から逃れられない僕の結論をみんなが注視する。こんなこと経験したことなんだから、まともな判断なんかできるもんか!内心ではやぶれかぶれになりながらも、どちらかといえば日の高いうちに出たほうがいいと言い、またドライバーが下に降りてタイミングを見計らう。公用車2台と僕の私用車1台に分乗して、市内の西と北と南へと脱出し、午後6時過ぎにはみな無事家に戻ることができた。

このデモはきっと長期化するだろうと、みなが思った。そして、タハリール広場と目と鼻の先という好立地のわれらがオフィスに通い続けるのは、あまりに危険だ。僕は、みなに連絡して次の日を自宅待機とした。そのときは、こんな待機状態が3週間も続くとは思っていなかったけれど。

写真をとっておけばよかったと今になって思うが、このとき自分はシャッターを切る気になれなかった。ジャーナリストにはなれそうもない。
3月5日土曜日。こういう難しい状勢にも関わらず、228点のアマチュア美術家の作品の展覧会をある団体が日本からもってきてくれたので、その開会式に出かけた。

この開会式に、1週間ほど前にAhmed Shafiq前首相から文化大臣に指名されたMuhamed El Sawyさんが来てくれると聞いていたから、それも楽しみの一つだった。

会場のPalace of ArtsでディレクターのMohamed Talaatさんに会って挨拶。「大臣が来るんだよね?」とはしゃいで聞いたら、「うん、でも、変わったばかりだから、なんとも言えないね。もう、いまのエジプトは毎日何かが変わるから!」と言って苦笑い。そうだよな、Sawyさんになったばかりだもんな、いろいろ忙しくて来れないかもな、と思っていたら、会場の待合室で初めて、この日、Sawyさんが辞任したと知らされビックリ。首相が変わったから自然な流れでそうなったのか。それとも一部アーティストや文化人からの批判(Ahmed Shafiqが組閣した内閣を認めないというのと、ビジネスマンが主のSawyさんは適任ではないという意見など)に応える形だったのか。

結局、Sawyさんの後に指名された大臣は現れず、文化省Fine Arts Sectorの局長が大使と一緒にテープカットを行った。

展覧会は、アマチュアとはいえ、特に日本画や書道は見ごたえのある作品が多くて、集まったエジプトのお客さんたちも心動かされていたように思う。それから、同じ会場で企画された日本とエジプトの子どもたちの絵画の展示も、未来のわが国をテーマにした希望にみちあふれた作品が多かった。おしむらくは、もともと日本からこれにあわせて来る予定だった作家たちが、状勢が完全にもとにもどらず旅行をキャンセルしたこと。絵を書いた子どもたちが出会って言葉と心を通わせる場面が実現されず、残念だ。

何人かのエジプトの子どもの絵のなかに戦車の絵があって、最初は「あー、子どもたちはこの非常事態に心を痛めて、戦地の子どもたちのように、自分の心のなかに澱として残っている悲しみや恐怖が表れてしまったのか。」と、こういう絵を見て条件反射的に出る感想が思い浮かんだのだが、よくよく考えると、今回の革命で初めて戦車が通りに現れた1月28日から、市民は軍を歓迎しつづけ、軍もこの期待にこたえて中立を守り続けたことに思い至る。とすれば、未来の理想図に戦車が描かれることは、エジプトにおいては、ポジティブな気持ちの発現として、喜んでいいことなのかもしれないと思い直したのだった。

それだけに、今日になってその軍と市民の良好な関係に亀裂が走ったことが残念だ。
アラビア語報道をおっかけられないと大事な動きをリアルタイムで捕捉できない。

今日、事務所内のミーティングでアレキサンドリアの治安の話題になったとき、エジプト人スタッフからアレキの治安部隊本部にデモ隊が入り込み公文書を押収したというような話を聞いた。そのときは「ふーん」という感じで何が起こっているのかよくわかっていなかったのだが、夜8時過ぎに帰ってツイッターを開くと、どうもカイロでも治安部隊本部や内務省に群集が押し寄せ軍との間で緊張が高まっていて、内務省前で軍が発砲したらしいと気がつく。

最初はリビアかどこかのことかななどと寝ぼけた錯覚をしていたが、発信者はカイロ在住者のようだし、どう考えてもカイロでライブでおこっていることらしい。現場にいる複数の人たちのつぶやきを組み合わせると、アレキ同様、庁舎内に入って治安部隊の数々の所業が書かれた文書を入手しようとしたデモ隊が、軍とどこからか組織されてやってきた暴徒のはさみうちにあい、デモ隊の何人かが兵士に武力でもって威圧され、ある者は拘束され、ある者は追い払われたようだ。付近の住宅から火炎瓶が投げ込まれたというつぶやきも混じってきて、現場で何がおきているのか混乱してくる。また、ある人は拘束されたのは、暴徒からプロテクトするためだとわかったと書き、ある人はこれまで築かれてきた軍と市民の間の信頼関係が損なわれたと嘆いた。

あるオブザーバーが、軍とNDPの旧権力者が演出した衝突の匂いがすると発言。おりしも米国防長官Robert Gatesがエジプトにやってきいて、現場からのツイートは、この二日間でデモ隊が入手した文書のなかに、公になっては困るトップ・シークレットが含まれているから、この緊急事態をなんとかするためにやってきているのではないかと推測していた。いくら市民の信頼を得ているとはいえ、ムバラク体制を支えてきた軍が、国民に知られたくない文書をたくさん抱えていることは想像に難くないから、市民をやすやすと通すわけにはいかない。だからといって、1対1の関係で武力を行使すればここまで築いてきたものがすべて壊れるから、旧政権の息がかかった悪者を組織して、市民間の対立を演出、これを防ぐ名目で威嚇してデモ隊を追い払うというのが狙いだったと考えられなくもない。

それが事実かどうかよりも、市民のなかに軍に対するぬぐいがたい不信感が生まれたことが、どのくらいこの先の政治プロセスによくない影響を及ぼすかが気になるところだ。

昨日も、ヘルワンのシャフィーク前首相自宅前で、シャフィーク指示の千人のデモがあった。土曜日には何者かによってコプト教会が燃やされ、今夜、国営放送局前や10月6日市でコプト教徒たちの抗議デモが行われたという情報も入ってきている。カイロ大学では、ムバラクの息のかかった教職員に対する抗議デモを行っていた学生たちに暴徒が攻撃をしたという話も入ってきている。

アルジャジーラのAyman Mohyeldin特派員が、ツイッターで

Counter protests in various parts of Cairo in support of dismiss PM Ahmed Shafiq and in support of the police force

と書いているが、一番てっぺんのムバラクが追放されても、そういう独裁的体制を支えることでオイシイ思いをしてきた人たちがゴマンといて、その彼らが表面上は革命を支持していたとしても、裏ではまったく別のことを考えて事態をゆりもどすアクションをとらないほうが不思議ともいえる。

革命勢力が求める首相が指名されたことでようやくストリートも落ち着くかに見えたが、明日からどうなるか、またわからなくなってきた。

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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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