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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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今日のAl Masry Al Youmの記事が面白い。
"Brotherhood youths broach reformation at conference denounced by group's vanguard "というタイトルで、「ムスリム同胞団所属の若者達、会議で改革を切り出すも幹部の非難」といった感じ。

36歳のSameh al-Barqyは、組織の民主化促進のために90年代中ごろから開会されていない、選出代表からなる代表者委員会で重要事項が決定されるべきと主張。

アインシャムス大学医学生のMohamed Effanは、組織の多数を構成する若者と女性に、それぞれ25%、15%の割り当てが適用されるべきと発言。

同胞団幹部が公認しなかった本日の会議に招待された穏健派の旧幹部Abdel Moneim Abouel Fotouh は別の機会に、革命後に同胞団が政治部局としての設立を発表した自由正義党は同胞団とは別組織であるべきと発言し、この日の会議でも同氏の考えに共鳴する若者から同様の意見が表明された。23歳のMohamed Shamsは、同胞団はパルチザン的政治闘争にのめりこむべきではなく、イスラムの正しい教えを大陸を越えて普及するというより崇高な目的に奉じるべき。統治者と人民の間に新しい社会的な絆を導き、良き価値の普及と社会教育に集中すべきと主張した。

30歳の薬剤師Mohamed Othmanは、同胞団がシャリーアに基づく市民政党を結党することに賛同しつつも、党の意思決定は親組織である同胞団から影響されてはならないし、同胞団以外の市民にも訴えかける力をもつべきとして、設立委員会のメンバーの3割を同胞団の外から招致し、コプト・若者・女性がそれぞれ10%、30%、25%の割り当てをもつべきと主張。

もっとも広範な大衆的基盤をもつ社会組織でありながら政権から弾圧され続けるなかでさまざまな課題を抱える同胞団の将来に対し、その担い手である若者からこんな建設的な意見が表明されていることに新鮮な驚きを感じた。この記事でも老幹部たちはこれらの意見を一蹴したとしており、短期的に目に見える変革は生じないとは思うが、「原理主義」組織として頑迷とか非寛容といったイメージで表象され、西側からその台頭が恐れられているこの組織も、決して一枚岩ではないのだと気づかされる。
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まだ完全には治安状況が回復していないカイロに来て、奈良美智展の撤収をしていってくださったお二人、ありがとうございました。あなたがたの熟練技術と作品への愛がなければ、状況は厳しいものになっていたと思います。

そんなお二人を慰労申し上げたく、週末の一日半、博物館、ハンハリーリ市場、ピラミッドを案内した。僕にとっては革命後はじめてのカイロ観光案内で、特に心配はしていなかったとはいえ、無事に案内できて良かった。

それにしても、いまだ観光客は戻らず、エジプト観光ベストシーズンである温暖な3月に、感覚的には通常の1割くらいしかいない気がした。ピラミッドでは、普通は一番奥のパノラミック・ヴュー・エリアででーんと構えているラクダ使いたちが、ゲートそば、クフ王ピラミッド前で行列をなし、入ってくる客にむらがって早速に乗せこもうとしているのが痛ましかった。そのうちのひとり、サラーハ氏とうちとけて世間話をした。新婚3ヶ月の彼、新婚旅行から帰ってきたら革命勃発、それ以来、まったく商売あがったりで完全に乾せ上がっているという。心なしか、客引き、物売りが最初に提示して(ふっかけて)くる相場が下がっている気もする。観光業で食っている人たちは本当に大変だ。

さて、Al Masr El Youmへの有名作家Alla Al Aswanyの寄稿があるブログで紹介されていたので、以下引用。

Unfortunately, Egypt’s history is replete with lost opportunities for democratization. We now have another opportunity, which I hope will not be lost. The 25 January revolution forced Hosni Mubarak to step down. Hundreds of Egyptians sacrificed their lives for the sake of freedom. Since its inception, however, the revolution was confronted with a vicious counter-revolution — both inside and outside of Egypt.  

A few days ago, the Kuwaiti newspaper Al-Dar reported that Egyptian authorities are under massive pressure from Arab rulers, especially from Saudi Arabia and the United Arab Emirates, to ensure that Mubarak is not tried. The report asserted that these Arab states had directly threatened to freeze all relations with Cairo, cut all financial assistance, and withdraw their investments from Egypt. They even went as far as threatening to dismiss the 5 million Egyptians working in those countries, if Mubarak were to be tried.

For its part, Israel always defended Hosni Mubarak, one of its best allies. The Israeli press does not conceal its concerns about meaningful democratic change in Egypt. The US administration has a similar position. Both American and Israeli officials recognize Egypt’s potential and know it will become a powerful regional force in a matter of years, if it becomes a democracy.

暫定政権が、サウジやUAEの王室から、ムバラクを裁判にかけたら援助や投資を停止、出稼ぎ労働のエジプト人を追放するなど恐慌措置を辞さないという強烈な圧力をかけられているという。メディア筋の話ではないので情報の確からしさは約束できないが、抗議運動禁止法制定などの反動的なアクションの裏には、国内の既得権益層からのみならず、こうした域内の恐々とする王室あたらりからの強い風当たりもあるということは、当然のこととして想定に入れてみておくと良いだろう。

Ahram Onlineによると、Essam Sharaf暫定統治内閣が、ストリートでの抗議運動を規制し最大で懲役一年の罰則を課す「抗議運動禁止令」を発布するらしい。facebookやtwitterでは民主革命勢力からの猛烈な抗議が噴き出しており、抗議運動禁止令に対する大規模な抗議運動が起こり、緊張が再燃する恐れが出てきた。

19日の投票後スピーディに翌20日には憲法改正の成立を確認し、同日からは長らく停止していた株式市場を再開するなど、社会と経済の正常化へと勢いよく舵を切り始めた暫定統治者たちは、企業経営者など安定を求め政治とのパイプをもっている勢力の要求に押され、市民の怒りの温度を読み違えてはいないだろうか。Shafiqの後任としてタハリールや国営放送ビルなどデモの現場で大衆とともに歩む姿勢を見せ大きな支持を集めたSharafに対する支持も、これで大きく揺らぐことになるかもしれない。

あちらこちらで連日デモばかりでは経済も観光もままならないという気持ちはわかるが、議会選挙、大統領選挙を通して国民の信任による民主政府が樹立させるまでは、「暫定」政権は控えめに、バランスのとれた政策を打ち出していってもらいたいものだ。

リンク
:"Egypt to protest against anti-protest law", Ahram Online


「どうせマニュアル集計なんだから、今日は結果出ないでしょ。」

憲法改正の国民投票が大きな事故なく終わった翌日の20日。事務所で僕らはそんな言葉を交わして、およそこういうことには日本的なスピード感は期待しちゃいけないのよ的に、失礼な上から目線で状況を見ていた。

そしたら、帰宅前の午後8時頃、警備スタッフのAさんがやってきて、7割賛成で開票が終わったと言うのでびっくり。びっくりしたのは結果が出た早さだけじゃなく、その結果そのものに対してもだったけれど。

民間の小規模な世論調査で反対が優勢と言われていた。でも、それは都市の革命運動に積極的に参加したような若者層にかたよった調査だったかもしれないし、地方都市や村の人たちの考えまではすくいきれないだろうと思ったので、ド素人の見立てで結果は五分五分と踏んでいたのだ。でも結果は77.2%、8割近くが改正案に賛成を投じた(リンク
:"Egypt referendum results: 77.2 per cent say 'Yes' to the amendments", Ahram Online)。このまま軍が設定したスケジュールで政治プロセスが進んでいくと、来るべき議員選挙では既に政党としての基盤をもっているムスリム同胞団と国民民主党(の残党)以外が進出することがとても難しい、ということはアムル・ムーサ、エルバラダイなど多くの識者が言っていることで、世間にも随分浸透していると思ったのだけど、革命の第一章が終わったばかりのこの国の世論の総和は、新しい世俗的な民主政党が台頭するまで待っていられない、それよりは早く治安や経済が安定して、普通に仕事が出来て学校に行けるようにしてほしい、というものだったのだろうか。

そんな感慨もヨソモノの戯れ言。はじめて民主主義を手にして誇りをもって投票に臨む人の群れ、また群れ。19日の夕方5時、投票所となった自宅そばの学校のまわりで数百メートルにわたって行列をつくる住民の姿は、誕生したばかりの民主主義の力強い息吹を感じさせるに十分な爽快な光景だった。

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そして、この数千人のエジプト人たちが、文句ひとつ言わず、ほほえみを浮かべてちゃんと順番を守って待っているのがまた驚き。こんなふうにじっと行列を作るのは日本人と英国人くらいじゃあなかったのか??手に入れた価値の尊さをひとりひとりが実感しているからなのだろうな。こんな生まれたてで元気の良いデモクラシーと一緒に歩めるエジプト人はいいなと、心底うらやましくなって、ニヤニヤしながらその場所を後にしたら、路上売店のおにいちゃんに「なにヘラヘラ笑ってんだよ!」といちゃもんをつけられた。

ただ、残念な報道もあった。委員会の押印のない投票用紙があって、しかも係官がめんどくさがったのか投票者に署名させる形でその投票用紙を使わせてしまったという。この記事からはどのくらいの規模でこんなことが起こったのかはわからないが、規模にかかわらずひとりでもそんな形で国政に対する最初の大切な意思表示を阻まれてしまった人がいたことが残念。ちゃんとした調査を通して、繰り返しのないことを期してほしいと思う(リンク:"
Irregularities in Egyptian vote?", ALJAZEERA)。

もうひとつ残念だったのは、投票にやってきたエルバラダイが住民に石を投げつけられて投票できずに立ち去ったという報道。どんな政治信条をもっていようとも、他と同じ一票を行使できるのがデモクラシーでしょ?それをいまここで実践してるんなら、どうしてそんなことが出来るんだい??

8000万人のデモクラシーはあちこちつまづきながら、歩き始めたばかりなのだった。
昨夜、知人宅で音楽家と集う会があり、そこでカイロシンフォニーオーケストラのメンバーと立ち話。
革命騒動がひと段落して、ようやく定期公演などルーティンの活動が始まったこの国立楽団。これまでは代表の女性が言うことは絶対で、誰も反論できない空気が充満していたのに、革命後の練習ではたくさんの団員が彼女にモノ申して言うことをきかない。それに怒った彼女は立ち去って戻ってこないとか。

また、この僕に話を聞かせてくれたミュージシャンが知人から聞いた話では、カッタメイヤ地区のハイスクールで、学生が学校側に、カンティーンの食事の質改善と下校時間の早期化を要求したところ、カンティーンの責任者が更迭され、休み時間の圧縮などによって下校時間が実際に早められた。また別の小学校では、まだ7歳から10歳くらいの年代の子どもたちが打倒校長を叫んでデモをしたとか。

これまで自由にものを言えなかった人々が、その圧制に対して立ち上がり、そして団結する大衆の力で革命を実現してしまったそのあとは、こうやって社会のいたるところで、老若男女がイヤなことをイヤとストレートに叫ぶようになるのだなあ。権利意識をもち、人々が意見を闘わせる自由な言論空間が形成されることがその社会を豊かにするという考えに僕は基本的に賛同するが、こうやって劇的に180度の転換をなした社会に育つ次世代は、はたして社会を発展させる担い手として育っていくのか、はたまた既存の価値を否定しことごとく破壊していくのか。目の前のイヤな障壁をとりのぞいたあとに広がる茫漠とした自由を、どうやって建設的に行使していくか。それが革命世代にとっても新たなチャレンジになるだろう。

紆余曲折、暴力的反動からのチャレンジなど、いろいろありながらも前進し続ける政治プロセス。委員会が起草した改正憲法案に対する国づくりのリーダーのなかからの本質的な反対意見などから、3月19日に予定されていた改正国民投票の延期が噂されていたが、今日の報道では予定どおり実施だそうだ。あるセンサスでは市民の59%が改正案になんらかの理由で反対だと聞くが、果たして拙速で否決されてやり直し、ということになりはしないだろうか。なにせ革命が起きているわけなので、現在のプロセスが現行憲法上の安定的根拠をもっていないことはいたしかたない。軍最高評議会が大統領に代わって暫定統治をし、選挙を行い、選出された大統領を任命するという一連の行為をする正当性そのものが、現行憲法によっては担保されていないようだが、いまそれを言っていると、プロセスは一歩も前進しない。日本も終戦後、明治憲法から新憲法への移行においては同じようなジレンマを経験し、矛盾のなかで新しい制度を受容していったし、今もその矛盾が導く古くて新しい問題と向き合っている。このエジプト革命を経て決まっていく新しい国のあり方も、圧倒的コンセンサスをもって承認されていくという単純なものにはなりえないだろうから、同様に長く将来に続く課題を引きずりながら前進していくのだろうと思う。

日本では、未曾有の大惨事のなか、「娯楽」のにおいがする行為に対して「不謹慎」だとして自粛を求める強い世論がツイッター上で多くみられる。どれだけの思いを込めても鎮魂したなどと言い切れないほど多くの命が奪われたのだから、生き残った者が快楽を忌避し禁欲的たらんとするのも人間らしいと思うし、誰の心のなかにもそういう気持ちがあるはず。でも、こういうときだから生き残った者は元気を出して、自分の生きる場所で、自分が出きることをして、他の人々を幸せにしなければならない、とも言える。それを別のことばで言えば「経済」と言うのかもしれない。文化とアートで人と人をつなぐことを職業とする自分は、自粛を超えて人がどうつながれるのかを考えたい。そんなとき、二人の音楽家の力強い言葉と出会って、僕はそれに力を得た。万人が共感するわけではないと思うけれど、ひとりでも多くの人がこれらの言葉をポジティブに受けとめてくれたらいいと思う。

佐野元春 
「それを「希望」と名づけよう」
二井原実 
「普通の活動すること」
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