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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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なにを隠そう、パレスチナとイスラエルは、エジプトの隣国だ。アラブ諸国にとって積年の宿敵イスラエルが隣国にあり、同志が苦境にたたされているのだから、さぞかしカイロの日常にパレスチナ問題が横たわっているのだろうと想像して来てみたら、あてがはずれた。われわれ外国人居候者にとってみれば、日本から見ているのとほとんど変わらないくらいの存在感しかない。

もちろん、メディアでは毎日なにかしら関連ニュースが報道されてはいる。僕はテレビはほとんど見ないが、新聞ではパレスチナ・イスラエル関連の記事・論説を見ない日はないくらいだ。それでも、やはりパレスチナは遠い。

「あてが外れた」と思う一番の理由は、日常的に人々がこの話題を口にすることがないせいだ。あるいは、われわれの目に入ってくるほどには、パレスチナの大義を訴える運動が顕在化していないせいでもあるかもしれない。

もう一つは、いくら報道が騒いでいても、「他山の火事」という雰囲気がありありと漂っているからだと思う。ナセルの時代に高揚したアラブ民族主義は過去の遺物となり、政府もメディアも、国家が抱える課題の優先リストからこの問題を外してしまった感がある。そもそもからして、サダトのイスラエル電撃訪問に続くキャンプ・デービッド合意でイスラエルと国交を結んでしまった「アラブの盟主」は、その時点で国際政治におけるリーダーシップを放棄してしまったと、内外から認知されたのだ。

おまけに、巨額の財政赤字の埋め合わせとして米国の援助に依存しているから、湾岸戦争以降のアラブの危機に際して、アラブ・中東世界の利益のために立ち回ることができない。大局的にみると、アメリカに言いように押さえ込まれている、日本のような国なのだ。

1月9日、ブッシュ・オルメルト会談を、出張先のアレキサンドリアのホテルのCNN実況中継で見た。「実況」といっても、たまたま時差のない国にいてたまたまテレビのスイッチをひねったから、ライブになったに過ぎない。ブッシュはイスパレ訪問に続いてエジプトでムバラクにも会ったようだが、ムバラクがパレスチナの立場にたって何かを本気で訴えたというような報道には接していない。

1月23日、ハマスがガザとエジプトの国境の壁を破壊、物資欠乏にあえぐ20万人から30万人のガザ市民がエジプト側に流出し、市場で買い漁った。ハマスの行為は、ハマスによるガザ制圧、イスラエルによるガザ封鎖、人道支援物資以外の物資供給停止という一連の事態に対するやぶれかぶれの挙といえなくもなく、飢えに苦しむ市民の立場にたってみれば同情してしかるべきだ。しかし、数日をもって壁はふたたび閉じられ、ガザ市民の窮乏生活は今も続いている。ここでもエジプトは、アラブの同志としての大義を果たせないまま、結果として米国・イスラエルを利することになる。

かくいう僕自身に、パレスチナ問題に向き合う主体性がないため、一層隣国にいるという切迫感がないわけだが、少しばかり気持ちをもりあげたくて、2冊の本を読んだ。一冊は、エドワード・サイードの『パレスチナへ帰る』(四方田犬彦訳、作品社)。もう一冊は、コミック・ジャーナリズムの名著『パレスチナ』(ジョー・サッコ著、小野耕世訳、いそっぷ社)。

前者所収の「悲嘆の普遍性のなかのふたつの民族」は、世界が絶賛し当事者にノーベル賞が贈られたオスロ合意への徹底的な不服表明として書かれた。

「もし過去を忘れて、二つの分離国家を築こうなどと口にすることは、いかなる意味でも受け入れがたいことだ。過去を忘れることが、ホロコーストのユダヤ人の記憶のなかで侮蔑であればあるほど、イスラエルの側の手で土地を奪われ続けているパレスチナ人にとっても、それはひとしく侮辱なのである。」(同掲 p. 129)

このとき「現実的解決」とマジョリティが礼賛した解決策=分離案に対し
サイードが敢えて哲学的高みから理想を語らざるを得なかった絶望的状況から、事態はさらに絶望の度合いを深めている。西岸のアッバス政権、ガザのハマスにパレスチナ自体が引き裂かれた状況は、イスラエルとの間の未来に向かってのなんらかの対話すら不可能にしている。

サッコのコミックは、遠く日本で読んだとしたら違った感想をもったかもしれないが、隣国で読むには二重にきつすぎる。二重の意味は、一つにはサッコが描くパレスチナの現実の厳しさとイスラエルの非道さへの悲しみや怒りの感情を刺激されるから。もう一つは、「現場」にいるサッコが作品のなかで「観察者」としての自分自身のあいまいな立場に負い目を見せたり皮肉を言ったりしている「揺れ」がこの作品の強さなのだろうが、じゃあ、それをさらに高みから、カイロの高級住宅地のソファに寝そべって紅茶を啜りながら眺める自分は一体なんなのか?隣国で、なまじっか関心をもってしまうから、こんなことになる。どうせなら、自分の世界から存在として消してしまえばいいものを。

国際交流に従事する者として、たまたまパレスチナの隣国で仕事をする好機をもらったものの、いまはただ、エジプトにとってそれが「他山の火事」であるように、静観するしかない。サッコの描く厳しい現実と、サイードが唱える理想を前にして、「何かしたい」というナイーブな気持ちだけでは、どうしようもない。
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事務所のすぐそば、タハリール広場は、いつも市民のデモでかまびすしい。
もっとも声高に叫ばれるスローガンは、「パンを値上げするな!」

いろいろ不満は尽きないが、当然ながら「食えない」ことへの恐怖感、その恐怖感の元凶である政府の無策ぶりや腐敗に対する憤りは、市民の心に蓄積して沸点に達っせんとしているように感じられる。

この土地の主食は、米というよりは、パンだ。袋状のピタに似たそれは、この土地の食文化がトルコ料理の影響を強く受けていることの象徴だ。焼きたてはフカフカして上手い。

そして、上流・下流を問わず、人々が日々食するパンの価格が常に政治の争点となる。70年代、サダトの開放政策「インフィターハ」によりパンなど主食への補助金削減が行われたとき、国内で暴動が起きたという。それ以降、政府は自由化政策の必然的帰結としての補助金削減への願望を、市民の顔色を見ながら実行にうつそうとするが、前例の再発への惧れからいつも矛を下ろしているという訳だ。

英語誌"Egypt Today"3月号は、'A PORTRAIT OF POVERTY'という特集を組み、市井の人から政治家、学者まで立場の違う人たちの声を拾い、現代エジプト社会における貧困問題の実相に迫っている。

以前、スークでの買い物体験を記したとき、6枚で1.5ポンド(約30円)と報告したが、われわれが消費しているパンは随分と高級なものであることがわかった。同誌によると、下層の庶民は1枚5ピアストル=1円のパンを買っているらしい。移動中の車窓から、時折、パンを求めて行列をなす人々を見かけることがある。これが、配給で買う補助金ののっかったパン市場の現状である。

同誌で最初に登場する公務員のシングルマザーは、月給が240ポンド(4,800円)。それに対して、16歳の娘と暮らす部屋の家賃が月500ポンド。足りない分は母親と兄弟に支援してもらっているという。さらに、昨今の急激な物価上昇が生活苦に追い討ちをかける。秋のラマダーンのとき1本7ポンド(140円)だった食用油が今では10ポンドに、キロ4.5ポンドだったレンズマメが9.25ポンドになった。2007年に7.1パーセントを記録した経済成長率も、それを凌ぐインフレと低所得層の固定的賃金のせいで、まったく庶民に還元されていないという。

次に登場する世界銀行のエコノミストは、マクロの数字を持ち出して、エジプトの経済成長を肯定的に評価してみせる。すなわち、貧困を年収980ポンド(約2万円)以下の「最貧層(extremely poor)」、1400ポンド(28,000円)未満の「貧困層(poor)」、1800ポンド(36,000円)以下の「準貧困層(near poor)」に分類・整理してみると、「最貧層」は人口のわずか3.8パーセント、「貧困層」がこの10年~15年の間20%程度で微増、「準貧困層」が2000年の25.5%から2005年には20%まで縮小している。準貧困層が社会的に上昇していわゆる中間層に厚みが出ているということが言えるというわけだ。
むしろ、問題は実態としての貧困ではなく、願望と実態との格差認識にあるとする。都会生活では、自由化とマクロ成長の恩恵をうけて、市場にものがあふれ、実際にそれを消費する階層が増加している。それにもかかわらず、自分たちにはその恩恵がおこぼれしてこない不満、目の前に出現してしまった豊かな生活に自分は届かないという不満こそが、人々の自己認識を「貧しい」と感じさせ、社会や政府への批判となって噴き出しているという。

その次に登場するのは野党左翼政党の議員で、こちらはすべての元凶を与党独裁政治の腐敗に帰す。配給をはじめとする物資の供給過程にさまざまな許認可がからみ、そのプロセスで権威をもった者が「着服」を行い、庶民のもとに届くときには経済成長の果実はすべてそれら権力者に食い尽くされてしまう。小説"Yacoubian Building”の作者Alaa Aswanyと共通の基本認識だ。

どの意見にも一定の真実があるように思えるが、最初に登場する庶民の声が現実の厳しい生活をリアルに主張していて、切なくなる。自分のまわりで自分を支えてくれる運転手さんやお手伝いさんは、まさにこの階層にいて、言葉のはしはしから、驚異的物価上昇と社会的サービスの低下の両方に押しつぶされた悲鳴が聞こえてくる。エコノミストが主張する「上昇願望が実現されないフラストレーション」にも一理あろうが、現実の厳しさにも目をむけて、彼らの生活のことを気にしてやることも必要だなーと思う、今日このごろである。

インドと同じで、この国でも日本人が3人以上集まるとエジプトおよびエジプト人の悪口に花が咲く。そこから何かを得られる訳でもないので積極的に参加することはないのだが、エジプト側にたってエジプトを擁護するほどにはこの国と国民性に対する理解も愛着もまだ持ち合わせていないため、静観を極め込む。

頭に来るエジプト人の台詞を総称して、IBMと言うらしい。
Iは、インシャーアッラー。神がお許しになれば。
Bは、ボクラ。明日。
Mは、マアーレーシュ。気にするな。

Iは、エジプトに来る前からしょっちゅう使われていると聞いていたが、本当にそのとおりだった。将来にむけて何かを約束しようという段になると、このフレーズが末尾に付加され、アクセントとなる。最初のうちは、運転手さんに家まで送り届けてもらって、「では、また明日。」と声をかけると「では、また明日、インシャーアッラー。」という声が返ってきて、一抹の不安を覚えたものだが、必ず翌日定時に来てくれていることに安心して、いまのところこの言葉に対する特段の不信感はない。

Bは、どうかな。
こちらもいまのところ、多くの日本人が参っているほどには、悩まされていないのだろうか。「明日にはできる。」という言葉で1週間も1ヶ月も引っ張られる経験が積み重なっていくと、B はその場しのぎの先送りに違いないとの信念がその人の中で強化されていくのかもしれない。もちろん、僕自身に何も災厄がふりかかっていないと言うわけではなく、航空便の別送荷物の引き取りに1ヶ月半かかったとか、外国人居住者へのIDカード発給に2ヶ月かかったとか、いろいろ不利益を被っているのだが、元来ルースな性格のためか、怒りが沸いてくるというほどではない。

そして、Mである。
エジプト滞在が3ヶ月になろうとしているが、今ひとつ、この言葉のニュアンスをつかみきれていない。

正則アラビア語の「Maa Alayhi Shay (何事もない)」が方言化したもので、アラビア語やエジプト社会の入門書などでは、「気にするな」などと訳されていることが多いようである。でも、この言葉は、人と人がぶつかったりしたとき、ぶつかってきた加害者の口から発せられる言葉であるというのが、僕を混乱させる。普通なら、

ぶつかった人 「ごめんなさい。」
ぶつけられた人 「すみません。」

のところを、

ぶつかった人 「気にするな。」
ぶつけられた人 「・・・・・?」

となるのか?一体、どういうことだ?

エジプト関係の出版物やブログを見ていると、この言葉Mに対する怒りが燃えさかっていて、長く生活していると相当腹立たしい経験を積んでいくのであろうかと推察するが、本当に、「気にするな」という意味なのかどうか。

僕と机を並べているエジプト歴の長いアラビア語の達人、Sさんに聞くと、
「Mが「すみません」とか「堪忍してください」という意味を含んでいることは常識だし、そんなこと、ぶつかってきた人の表情見ればわかるじゃないですか!」

これにはどうも直訳の問題がからんでいるようである。異なる言語間の単語同士が一対一対応とはならないのは当然のこと。誤解を与えやすい言葉には違いないが、ぴったりと合致する訳を考える前に、その言葉を発する相手の感情の動きにきちんと五感を働かせたい。

というわけで、外国の土地や人々の悪口は、身内で軽いレフレッシュメントとしてやる分にはいいかもしれないが、自分の卑小な経験を敷衍して国民性の議論にまで昇華させてしまうことにはいつも慎重でありたいし、いわんや、俄かにかじった外国語を乱暴に直訳して、それを国民性論に接合させることからも距離をおいていたいと思う次第だ。

翻って、日本人はでは、自分からぶつかってしまったら、なんと言う?

ぶつかった人 「すみません。」
ぶつけられた人 「気にしないでください。」

この「すみません。」がたとえば英語の”I am sorry."と同義かどうかを考えてみると、先のMの直訳の誤謬の問題との同根性が見えてくる。友人から聞いた話だが、ある日本語のわかるエジプト人が日本人に迷惑を被ったとき、「すみません。」と言われて更に激昂したという。なぜなら、彼女は「すみません。」を"Excuse me"と同義と解釈していたのだそうだ。言葉を使う状況と使う人の言語外表現によって「ごめんなさい」にも「ごめんください」にも
「ありがとう」にもなり得る「すみません」だって、相当にやっかいな言葉じゃあないか。

ことが人間の接触による摩擦をめぐっての謝罪と赦しを扱う言語であるだけに、Mにしても「すみません」にしても、謝られる側が相手が「誠意をもって謝ったのかどうか」を主体的にどう判断するのかが、赦しのカギを握る。日本が戦後60年以上を経た今も、隣国から「もっとちゃんとした」謝罪を要求されることにも、言葉の翻訳の問題が横たわっている。

かくいうわけで、当面はIBM問題からは身を引いておくことにしようと思っている。
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クリスマス・イヴの昼下がり、僕は妻と娘の沙羅とともに、カイロ空港に降り立った。




4年間のインド滞在を終え東京に戻ってから、さらに4年半あまりが経過していた。いちど異国の地の空気と食物で自分の体組織がすっかり入れ替わってしまう体験をしてしまった者は、その追体験を渇望するものかもしれない。このブログに最後の日記を記したちょうどその頃、エジプト赴任の内示を受けた。地球上のどの土地へ行けと言われても喜んで飛び立つつもりでいたが、アラブ文化の中心で輝きを放つカイロで生活し、かの地との文化交流に奔走する自分のイメージを膨らませてきただけに、組織から受けたこの命は実際、嬉しかった。妻も僕以上に興奮して、家族で始めての海外生活への夢を一緒に膨らませ始めた。2歳に満たない沙羅も、ここが東京であり、自分もいっぱしにパスポートをもって海を越えて時差7時間の世界へと旅立つことを、自分なりに理解しようとしているように思えた。

「沙羅、えぢぷと行くの。飛行機でびゅーんって飛んで行くの。」

と嬉々として語る姿に、身内や保育園の仲間から娘を引き裂いてしまうことへの呵責の念が和らいだものだった。

 
カイロで僕達を待っていたものは、デリーを凌ぐばかりの人、人、人。そして、車、車、車。空港は白タクの運転手を筆頭に男臭い熱気で沸き返り、路上は車線と道路標識を無視してクラクションを鳴らし続ける自動車が、お互いの車体をいまにも擦りあわしかねない無茶苦茶なバトルを繰り広げている。デリーとは違ってここの自動車はサイドミラーをちゃんとつけて走行しているので、一瞬、カイロのドライバーはデリーよりはお上品なのかなと思いかけたが、多くの自動車がボディーに激しい戦いの傷跡を残しているのを見て、即座に印象を改めた。10年前、国際運転免許証を懐に忍ばせてインドへ旅立ち、一度も使用しないまま4年を過ごし帰国したものだが、家族あげての引越しの手続きの多さにパニック状態になりながらも、なんとか時間をみつけて取りに行った今次の国際免許も、同じ運命をたどるに違いない。そういえば、鮫洲の窓口のお兄さん、新婚旅行がエジプトだったって、嬉しそうに話してくれたっけな。

 
家探しの期間泊まっていたホテル脇の路上で英字新聞アハラーム・ウィークリーを買ったら、ちょうどカイロの交通問題を特集していた。それによると、カイロの自動車数は、許容台数50万台に対して4倍の200万台にまで達しており、平均時速は21Kmを割った。交通マヒは既に末期状態に達している。同紙はまた、この深刻な交通問題の解決に対して政府があまりにも無策であると、この国の政府系メディアにしてはわりとストレートに辛辣な批判を投げかけていた。皮肉が利いていて笑えたのがDena Rashid氏寄稿のドライバー心得14箇条。「隣の車が大チョンボをするといつも仮定し、常に一歩前を進め。」とか、「道路を横断している歩行者があなたに注意を向けていないとき、絶対にクラクションを鳴らしてはいけない。そうすれば歩行者はびっくりして道路のど真ん中で立ち止まってしまうだろう。そのまま渡らせてあげなさい。」といったごもっともな忠告に混じって、「あなたのサイドミラーが何度も何度もぶつけられても、決して怒ってはいけない。それは車の一部ではないというのが、正しい一般的仮定である。」という、もはや悟りの境地にあるかのような訓示には、胸打たれるものがある。

 
カイロ・アメリカン大学教授のGalal Amin氏は著書"Whatever Happened to the Egyptians"のなかで、この末期的症状をこのように描写している。
 
「宇宙人がある日のカイロの路上に着陸したとしたら、我々が『プライベート・カー』と呼んでいる物体をどのように思うだろうか。素早く、便利で経済的な交通手段であるといった我々の認識を彼に一切伝えずして、それが道路の両脇に停めてある、あるいは狭い通りを亀の歩みでのろのろ進み、ちょっとの間前進したかと思ったらまた立ち止まり、しかも45人を収容することができるにもかかわらずどの1台にも1人か多くて2人しか乗っていない、何千台もの自動車のことを指しているなどとどうしてわかるだろうか?」
 
著者はこの状況の原因を70年代中盤に導入された輸入自由化に求め、これがきっかけて市中が世界中の乗用車のショールームと化したと言う。金のある者がみな一斉に乗用車に飛びつき、プライベート・カーの普及とともに公共交通機関はますます下層の人々に帰属するものとなった。こうして、公共交通機関の効率性と利便性の悪化が私用車のさらなる増加を招き、それがますます公共交通機関をダメにしていくという悪循環が産み出された。この国だけの問題ではないが、政府が経済の自由化を先行させ、その副作用に対して無策である時間が長すぎたことを、目の前の光景があまりにも露骨に語っているのだ。

 
家探しを辛抱強く助けてくれたローカル・スタッフのNさんに通勤事情を聞いてみると、自宅の車の送迎とバスの併用で朝は1時間程度でオフィスに着くが、帰宅ラッシュに巻き込まれる夕方は2時間を優に超えるらしい。あの家は家具がダメだ、この家は居間が狭いなどとケチをつけまくる我々を優しく見守り励ましてくれる彼女の忍耐は、毎日の通勤によって培われているのかもしれない。Nさんもすごいが、事務所の運転手さんの冷静さ、我慢強さにも敬服してしまう。無理な車線変更で追い抜かれてヒヤッとさせられるのは日常の行事だが、彼等は一般のドライバーと違ってやたらクラクションを鳴らしまくったりはしない。一車線の右に2列、左に2列、路駐の車がどこまでも並んでいるような状況でも、あせらずに最良の駐車場所を確保して、わずかな隙間にわれらの車を挟み込む神業を披露してくれるのだ。

 
こうして、どうしようもない道路状況に象徴されるお上の無策ぶりと、それを耐え忍びさらには笑いにまで高める庶民のたくましさが交差するカイロの日常は、われらよそ者の目を飽きさせることがない。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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