えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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最近、DIWANなどの本屋さんでよく平積みになっている英語小説があって、気になって購入。
本棚に飾っただけになっていたのを今週とりだして、一気に読んだ。
以下、ネタバレ注意。
ニューヨークのNew Amsterdam Booksという出版社が出しているTWENTIETH CENTURY LIVESというシリーズからの1冊で、1989年に出版されたもの。もともとエジプト人のWaguih Ghaliが1964年に書いた本が20年後にアメリカで出版され、そのまた20年後にエジプトで脚光を浴びているというのが、可笑しい。とにかく、不世出の天才が書いたエジプト人のアイデンティティを問う名著が、出版当時どの程度読まれたのかはわからないが、世紀を超えてエジプトに帰ってきたのは、喜ぶべき兆候と言って良いのだろう。
状況設定は、50年代のエジプトとロンドン。ナセル率いる自由将校団の革命から56年のスエズ動乱にかけての、激動の時代を生きた、カイロの上流インテリに属する若者3人を主人公に据える。
一人称でナレーションを引き受ける第一の主人公RAM(本名RAMOS)は、作者の分身で、ネットの書評などを見ると、相当にこの本が半自伝的な色彩をもっているという。家系としては超リッチ、でも父を亡くし母は資金ぐりに困って、兄弟姉妹に頼っているクリスチャン。親友のFONTも、富裕層のクリスチャン。そして、RAMが熱烈に恋に落ち、RAMとFONTを自分のお金でロンドンへ連れていくユダヤの富豪の娘、EDNA。
RAMは、知識人を自称し、実際膨大な読書を通じて世界のありようを複合的に捉える能力を持っているだけでなく、誠実さをも持ち合わせているために、ナセル革命が裏側で大量のコミュニストを投獄・拷問している状況や、スエズで何万人もの若きエジプト人(大半が貧農)がイギリス人に虫けらのように殺されている状況に対して、目をつぶれずにいる。それでいて、その矛盾を構造的に支持する上流階級の瀟洒な生活から足を洗うこともできずに、毎日のようにクラブで人の奢りで酒を飲み、玉突をしている。
EDNAは、自分自身もアラブ世界のユダヤ人という微妙な立ち位置のなかで、共産党を支持し(この本によると、エジプト共産党はイスラエル建国に対して容認の立場をとっていたという)、欧米の帝国主義的な暴力に対して、RAMやFONT同様の怒りをもてあましていた。
RAMとFONTの知性を見込んだEDNAは、エジプトで職もなく、王政以来の贅沢暮らしに浸って身動きがとれなくなっている二人を、自分のお金でロンドンに連れていって、世界に対する新しい視点を与えようとするのだが、そのうちに深く恋に落ちたRAMとEDNAは、立場の違いやEDNAの抱える秘密のせいで絶望的に破局を迎え、EDNAとFONTだけがエジプトに戻り、RAMはロンドンとドイツを転々としながら、スエズを含めて第三世界の悲劇を生み出すヨーロッパ側の人々の世界認識や考え方を観察する。
帰国したRAMは、EDNAと寄りを戻そうとするが、再会した彼女の顔には官憲からムチで打たれたアザが刻まれ、そして心は固く閉ざされてしまっていた。そこでRAMは、EDNAが実はユダヤ人の男性と結婚していて、その男が共産党活動を理由に収容所で暴行を受け、命からがらイスラエルに亡命していたという事実をはじめて知る。そんな強烈な体験をした後では、二人がいかに愛し合っていたとしても、幸せに結ばれることはできなかった。
EDNAとの愛が悲劇的に終わる一方で、RAMはスエズで命を落とす若者のように向こう見ずに突進することはなく、相変わらず、親戚のスネをかじりながら、バーやクラブをはしごする毎日を送り、そして、EDNAが去った後のロンドンでしばらく恋人として同棲した金持ちの女性を誘惑して、彼女との結婚を選ぶ。そんな一見ハチャメチャに見える生活の裏で、収容所の暴力の証拠写真をプレスに横流しするきわめて危険な仕事をしていたRAMは、妻となる女性からそんな危険なことはやめてと懇願されるが、陰で大義のために危険を冒すことによってしか、世の中を知りすぎた男は正気を保てなかったのだった・・・
アラスジだけを追いかけると、絶望的な小説のように思われるかもしれないが、全編を通して、作者の諧謔的ユーモアが満載で、面白い。EDNAとの決別を宣言するくだりでは、エリートに属する者はエジプト人ではないといつかEDNAに言われたことを話題にして、でも、自分はエジプト人であって、エジプト人ではないのはEDNAの方だと罵るのだが、自分がエジプト人であるその根拠は、自分にはエジプト人特有のユーモアがあるからだと言い、エジプト人というのは、このユーモアの精神がなかったら大昔に絶滅していただろうなんて誇張した言い方をしている。
世の中がどんなに絶望的に不条理で不公正であっても、エジプト人はユーモアの精神でもって生きていくと言ったRAM(作者)は、その不公正さの上に成り立つ上流階級の遊戯と危険な政治運動との間のきわどい綱渡りを続けながら、最後には、バランスを崩して、自死を選んでしまったということらしいけれど。
40年代から50年代にかけてのエジプト社会を知るうえで役立つというだけでなく、世の中の不公正な構造を知ってしまって、しかも自分がその構造を強化する側にいることを知りすぎてしまった者が、どうやって正気でいられるかという、いまなお終わっていない存在論的課題を考えさせられる本でありました。
本棚に飾っただけになっていたのを今週とりだして、一気に読んだ。
以下、ネタバレ注意。
ニューヨークのNew Amsterdam Booksという出版社が出しているTWENTIETH CENTURY LIVESというシリーズからの1冊で、1989年に出版されたもの。もともとエジプト人のWaguih Ghaliが1964年に書いた本が20年後にアメリカで出版され、そのまた20年後にエジプトで脚光を浴びているというのが、可笑しい。とにかく、不世出の天才が書いたエジプト人のアイデンティティを問う名著が、出版当時どの程度読まれたのかはわからないが、世紀を超えてエジプトに帰ってきたのは、喜ぶべき兆候と言って良いのだろう。
状況設定は、50年代のエジプトとロンドン。ナセル率いる自由将校団の革命から56年のスエズ動乱にかけての、激動の時代を生きた、カイロの上流インテリに属する若者3人を主人公に据える。
一人称でナレーションを引き受ける第一の主人公RAM(本名RAMOS)は、作者の分身で、ネットの書評などを見ると、相当にこの本が半自伝的な色彩をもっているという。家系としては超リッチ、でも父を亡くし母は資金ぐりに困って、兄弟姉妹に頼っているクリスチャン。親友のFONTも、富裕層のクリスチャン。そして、RAMが熱烈に恋に落ち、RAMとFONTを自分のお金でロンドンへ連れていくユダヤの富豪の娘、EDNA。
RAMは、知識人を自称し、実際膨大な読書を通じて世界のありようを複合的に捉える能力を持っているだけでなく、誠実さをも持ち合わせているために、ナセル革命が裏側で大量のコミュニストを投獄・拷問している状況や、スエズで何万人もの若きエジプト人(大半が貧農)がイギリス人に虫けらのように殺されている状況に対して、目をつぶれずにいる。それでいて、その矛盾を構造的に支持する上流階級の瀟洒な生活から足を洗うこともできずに、毎日のようにクラブで人の奢りで酒を飲み、玉突をしている。
EDNAは、自分自身もアラブ世界のユダヤ人という微妙な立ち位置のなかで、共産党を支持し(この本によると、エジプト共産党はイスラエル建国に対して容認の立場をとっていたという)、欧米の帝国主義的な暴力に対して、RAMやFONT同様の怒りをもてあましていた。
RAMとFONTの知性を見込んだEDNAは、エジプトで職もなく、王政以来の贅沢暮らしに浸って身動きがとれなくなっている二人を、自分のお金でロンドンに連れていって、世界に対する新しい視点を与えようとするのだが、そのうちに深く恋に落ちたRAMとEDNAは、立場の違いやEDNAの抱える秘密のせいで絶望的に破局を迎え、EDNAとFONTだけがエジプトに戻り、RAMはロンドンとドイツを転々としながら、スエズを含めて第三世界の悲劇を生み出すヨーロッパ側の人々の世界認識や考え方を観察する。
帰国したRAMは、EDNAと寄りを戻そうとするが、再会した彼女の顔には官憲からムチで打たれたアザが刻まれ、そして心は固く閉ざされてしまっていた。そこでRAMは、EDNAが実はユダヤ人の男性と結婚していて、その男が共産党活動を理由に収容所で暴行を受け、命からがらイスラエルに亡命していたという事実をはじめて知る。そんな強烈な体験をした後では、二人がいかに愛し合っていたとしても、幸せに結ばれることはできなかった。
EDNAとの愛が悲劇的に終わる一方で、RAMはスエズで命を落とす若者のように向こう見ずに突進することはなく、相変わらず、親戚のスネをかじりながら、バーやクラブをはしごする毎日を送り、そして、EDNAが去った後のロンドンでしばらく恋人として同棲した金持ちの女性を誘惑して、彼女との結婚を選ぶ。そんな一見ハチャメチャに見える生活の裏で、収容所の暴力の証拠写真をプレスに横流しするきわめて危険な仕事をしていたRAMは、妻となる女性からそんな危険なことはやめてと懇願されるが、陰で大義のために危険を冒すことによってしか、世の中を知りすぎた男は正気を保てなかったのだった・・・
アラスジだけを追いかけると、絶望的な小説のように思われるかもしれないが、全編を通して、作者の諧謔的ユーモアが満載で、面白い。EDNAとの決別を宣言するくだりでは、エリートに属する者はエジプト人ではないといつかEDNAに言われたことを話題にして、でも、自分はエジプト人であって、エジプト人ではないのはEDNAの方だと罵るのだが、自分がエジプト人であるその根拠は、自分にはエジプト人特有のユーモアがあるからだと言い、エジプト人というのは、このユーモアの精神がなかったら大昔に絶滅していただろうなんて誇張した言い方をしている。
世の中がどんなに絶望的に不条理で不公正であっても、エジプト人はユーモアの精神でもって生きていくと言ったRAM(作者)は、その不公正さの上に成り立つ上流階級の遊戯と危険な政治運動との間のきわどい綱渡りを続けながら、最後には、バランスを崩して、自死を選んでしまったということらしいけれど。
40年代から50年代にかけてのエジプト社会を知るうえで役立つというだけでなく、世の中の不公正な構造を知ってしまって、しかも自分がその構造を強化する側にいることを知りすぎてしまった者が、どうやって正気でいられるかという、いまなお終わっていない存在論的課題を考えさせられる本でありました。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
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