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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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1月25日、13:45。15:55発ウィーン行きの飛行機に乗ってもらうためには、ずいぶん遅れて市内を出てしまった一抹の不安をかき消すように、僕と田村氏は車中でコシャリをかきこんだ。

前日のカイロ・シンフォニー・オーケストラとの共演は、田村氏の気合と熱情のこもった演奏に引っ張られるように、シンフォニーの演奏も熱気を帯び、「いつもと違う」と感激した観客のスタンディング・オベーションで会場は沸いた。このあとに二曲の演目が残っているにも関わらず、アンコールの声がこだまし、田村氏がショパンの「子犬のワルツ」の高速プレイでさらに観客を沸かせた。演奏が終わって楽屋に戻ってきた彼曰く、いざイスに腰掛けペダルに足をかけると、なんと、ペダルがあたる床の部分にちょうど穴が開いていて、いつもの角度で踏むことが出きず、ずいぶん苦労したとのこと。そんなことを微塵も感じさせない、感動的な演奏だった。

弱冠20歳にして、ロンディボー国際音楽コンクールで1位になったピアニスト田村響さんは、現在22歳。まだあどけなさの残る顔立ちがその圧倒的若さを物語るが、接してみてすぐに、こちら側はその考えを改めなければならないと痛感させられる。小さい頃から大人とつきあってきたということ、そして音楽を通して多くの人と出会い、世界を見、さまざまなことを学び吸収してきたことが、22歳にここまで成熟した思考と感性を育てたのだろうか。昨年7月のカイロでのソロ公演、そして今回のシンフォニーとの共演の両方を通して、ずいぶん長い時間、今をときめく名ピアニストと一緒の時間をすごすことができた。その事実だけでも光栄なことだが、音楽のこと、人生のこと、世の中のことを話しながら、彼の生き方、ものの考え方に共感し、多くのことを学んだことが最大の財産と思う。

公演前のメディアのインタビューで、今後の夢を問われた田村氏は、それは3つあると前置きしたうえで、
1.家庭をもつこと
2.世界中を旅すること
3.世界中でピアノを演奏すること
とした。なにかピアノや音楽にまつわる話が出るかと思ったら、この順番で語られたことに、記者も僕も驚く。音楽は大事だが人生の一部。人生を謳歌し、人として日々成長していくことが、音楽にとっての肥やしになると言う。西洋古典音楽の世界では僻地といっても間違いではないカイロに二度も来てくれたことにも、一期一会的な彼の思考が背景にあったことがわかる。相手が上手いかそうでないかは一番大事なことではない。相手を理解しあいながら、一つの音楽を作っていくプロセスこそが大事である。そして、新しい土地、新しい人との出会いから得られるエネルギーを糧に人間としての自分に磨きをかけていく。

同じ記者から、ガザでの戦争について感想をきかれたときも、「戦争は悲惨だ、多くの人が傷つくのは悲しいと言うだけなら簡単。クラシックの戦争をテーマにした名曲が感動を与えるのは、作曲家が実際の戦争自分の内側から身をもって体験したからこそ。その意味では、自分も戦争というものをこの目で見て感じる必要があるかもしれない。でも、死にたくはないですけどね。」と、最後に茶目っ気を残しつつ、やはり人生経験を通じて人間として大きくなることの重要性を述べられた。

公演後の打ち上げにて、アナリーゼをどの程度やるのか聞いたときも、やはり同様の考え方が基礎にあると思わせる答えが返ってきた。本を読んで言葉で理解する前に、楽曲を鑑賞して共感するための自分のキャパシティを成長させなければ頭でっかちになってしまうと、いたずらに字面だけ追ってわかった気になることに対する戒めを語っていた。

リハーサルの場面でも、指揮者や共演者に言葉でいろいろ注文をつけるのかと思いきや、言葉で言ってしまうことを極力控え、自分の演奏でもって自分がやろうとしていることを伝えたい、と言う。言語化するよりも前に、本質を理解することが大切であるとの哲学が、あらゆる場面で彼の態度、反応に現れていた。

いかに美辞麗句を述べる天才でも、自分がしゃべっていることを心の深いところで自分のものに出来ていない人は、いずれ自分の言葉を簡単に裏切ってしまうものかもしれない。自分のなかで思考や感情が熟成することを大事にしていれば、本質はいずれついてくる。それが、田村響さんから僕が学んだとても大切なことだと思っている。

車は渋滞に巻き込まれ、空港に到着したのは14:45。あと10分でカウンターが閉まるというタイミングだった。

公演に次ぐ公演の多忙なスケジュールは、本拠ザルツブルグに戻った翌日から、また休みなく続くそうだ。いずれ間違いなく大物になるであろうそんな風格を漂わせる、それでいて陽気で気さくな愛されるキャラクターの持ち主。田村響の今後の活躍のその行く先は未知数で、計り知れない。

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年末にカイロの知人からメールをもらって、1月12日にカイロ・オペラハウスでWest-Eastern Divan Orchestraの公演があることを知った。ただし、発表されたその日に開始されたイスラエルによるガザ空爆のため、公演実施は実際には危ういとも書いてあった。知人から受け取ったメールによると、West-Eastern Divan Orchestraのカイロ公演は2年前にも企画されていたのだが、このときはイスラエルのレバノン攻撃であえなく中止となった経緯があり、今回もこの公演を中止にすることが目的であったかのように、空爆が開始されたのだった。

僕自身はクラシック音痴で、最近になって、のだめブームでにわか勉強を始めた程度。頭でっかちのそしりを受けて当然ではあるが、アルゼンチン生まれのイスラエル人ダニエル・バレンボイムとレバノン生まれ、カイロ育ちのパレスチナ人故エドワード・サイードが互いの思想に共鳴して作り上げた、イスラエル人とパレスチナ人を中心とするアラブ人によるオーケストラという、その成り立ちに惹かれて、この楽団に関心をもってきたのだった。作曲家バレンボイムはもちろんのことだが、アラブを代表する知識人サイードもまた音楽を心底愛していた。音楽をともに奏でることで言葉を介さずに理解しあえることを、二人は対談をまとめた本『Parallels and Paradoxes』のなかで繰り返し称え、その一点こそが二人をこの楽団の結成へとつき動かしていったという。

ウィキペディアでWest-Eastern Divan Orchestraを引くと、そこにバレンボイムの面白いコメントが紹介されていた。

"The Divan is not a love story, and it is not a peace story. It has very flatteringly been described as a project for peace. It isn't. It's not going to bring peace, whether you play well or not so well. The Divan was conceived as a project against ignorance. A project against the fact that it is absolutely essential for people to get to know the other, to understand what the other thinks and feels, without necessarily agreeing with it. I'm not trying to convert the Arab members of the Divan to the Israeli point of view, and [I'm] not trying to convince the Israelis to the Arab point of view. But I want to - and unfortunately I am alone in this now that Edward died a few years ago - and...I'm trying to create a platform where the two sides can disagree and not resort to knives."

つまり、このオーケストラはよく平和のためのプロジェクトとして認識され紹介されることが多いが、そうではない。それは、「無視」「無知」に対抗するプロジェクトであ り、音楽を通して他者の考えや思いを理解することが目的なのだ。合意が形成されなくともよい、一方が他方に同化したりする必要もない。両者が凶器に手をか けることなく「不同意」するためのプラットフォームを作ろうというのが、この企てである。


異なる考えをもつ人々の対話=相互理解=合意形成=平和

というのが、国際交流や他者間の対話に携わる者のなかに意識的・無意識的を問わず作られたイメージだろうと思うが、ここでバレンボイムとサイードがやろうとしていることは、共通の考えを作ることではなく、違う考えのままに共存することなのだ。楽譜を解釈し、それを楽器でともに表現する行為のなかで演奏者たちはお互いを理解し、お互いが違うということを尊重し、そして決して傷つけあうことはない。百の言葉を重ねるよりも音楽を一緒に作ることが、お互いの理解を促すという確信は、アマチュアなれど、音楽をやったことのある自分にも共有できるものだ。

世界のだれもが音楽家で、いたるところに音楽があふれていたら、この血なまぐさい世の中は、少しは癒されるだろうか。このようなときだからこそ、カイロの地で、彼らの公演を見てみたかった。

今日、大使公邸での賀詞交換会にて、先の知人より、公演のキャンセルを知った。





エジプトのことを書くブログではありますが、勝手ながら脱線をお許しください(ときどき、このヒトは脱線してしまいますなー)。

年末に入ってから、緒方拳、峰岸徹、筑紫哲也などの著名人が相次いで亡くなって、多くの国民が驚きと悲しみのなかにいる。彼らの演技や発言などに子どもの頃から接してきた自分も、悲しんでいる一人であることは間違いない。が、樋口宗孝が亡くなったということをウェブニュースで知ってから、ずっとそのことが頭を離れない。先にあげた3人を足した衝撃よりもなお強いインパクトを受けている自分に、正直面食らっているのだ。

日本のハードロック・ヘヴィーメタルの王者、LOUDNESSのドラマー。

そんなこと、みんな知ってるんだろうと思っていたら、報道ぶりなど見ても、なにやら伝説のバンドのことをはじめて知って急いで調べたかのような雰囲気で、なるほど今も現役ではあっても、音楽業界のメインストリームからはちょっと遠いところにあるのだなーと知って、これまた悲しい。

彼らが米ビルボードを駆け上がった80年代前半に中高生だった30台後半から40台前半くらいの世代にとっては、LOUDNESSもヘヴィーメタルもギラギラと輝いていた。僕らにとってLOUDNESSは、音楽界のTOYOTAやHONDAのような存在で、ロック揺籃の地アメリカに乗り込んで、英語で歌い、そして熱狂的に受け入れられたほとんど唯一の存在なのだ。その後、北海道出身のFLATBACKERというバンドがKISSのジーン・シモンズに見出され、EZOという名前でアメリカで活躍したけれど、イチローよりも野茂が偉いように、先陣を切って前人未到のことをやってのけたLOUDNESSの偉業は、日本人として生まれ、アメリカのロックにとりつかれ、でもアメリカ人には当然ながらなれない一種のコンプレックスをもつ僕らにとって、爽快な体験であったことは確かだ。

1983年、ハードロック、ヘヴィーメタルと出会い、一夜にしてロック少年に変身、大学までバンドにのめりこんでいた自分も、卒業と就職を経て、気がつくとカラオケですら歌うことのないおじさんになってしまっている。ヘボとはいえ毎日のようにいじっていたギターも、錆びた弦がくっついたまま、埃を被っている。LOUDNESSも、何度かのメンバーチェンジや活動休止を経つつ現在も活動しているのは知っているけれど、新譜を買って聞くこともなくなっていた。

そんななか、ひぐっつぁんの死をきっかけに、自分が青春を送ったロックが熱かった時代のことが思い出され、久しぶりに高揚した気分になっている。伏線として、エジプトのヘヴィーメタルのことを調べていたことも、少しながら影響しているかもしれない。

GoogleやYoutubeでLOUDNESSのこと、EZOのこと、同じく世界で認められた実力派グループVOW WOWのことなど調べたりしていると、LOUDNESSのヴォーカリスト、二井原実(にいちゃん)のブログを発見。にいちゃんの高校時代から現在までの音楽遍歴がたくさんのエピソードとともに紹介されていて、最高に面白い。恥ずかしながら、にいちゃんが初代アースシェーカーのボーカルだったことを、このブログではじめて知ったのだが、70年代後半から80年代前半頃、日本のハードロックの黎明期を関西方面の彼らがいりまじりながら盛り上げていったことがイキイキと描かれている。この時代にハードロック、ヘヴィーメタルにちょっとでも触れた人なら、絶対に楽しめる内容。たくさん寄せられたコメントにも、僕とおんなじで久しぶりにロックにときめいた人たちの高揚した気分が満ちている。ぜひ、読んでみてください!

ラウドネス二井原実ブログ「R&R GYPSY」:http://loudness.exblog.jp/
前回のブログで紹介したバンド、Your Prince Harmingのメンバーで、大統領選に出馬した結果投獄されてしまったアイマン・ヌールの息子、Shadyと会った。前述の本"HEAVY METAL ISLAM"の内容を当地邦人プレスの友人に紹介したら、想像以上に関心をもってくれて、独自に取材を始めてくれたのだ。今日はShadyのインタビューをやるというので、ちゃっかり同席させてもらった。

同社のオフィスに現れたShadyくんは、なんと弱冠16歳。トップが上向きな感じだけど短くまとめたヘアースタイルは、今風とはいえ、メタルのイメージとは違う。体型は華奢で一押しで骨が折れそうな感じだが、話し始めたら、年齢のことを忘れた。この国の権威主義にたてついた勇気ある父の行動は、彼の逮捕を機に、10代の少年をなみはずれた哲学者に育ててしまったようだ。

ジャーナリスティックなセンスでは、「音楽に乗せて父の政治的挫折の無念を晴らす」といったコピーにのっかるようなストーリーが望ましいところだが、当人が語る物語はそこからどんどん外れていく。別に政治的、あるいは反体制的メッセージを広めたいわけではさらさらない。いわんや、権力や大衆がヘヴィーメタルに勝手にはりつけた悪魔崇拝的な主張など、皆無なのだ。

日常の生活でうまくいかないこと、人とのコミュニケーションのすれ違いといったこと、そうしたことの積み重ねが心に刻む痛みといったことを歌に託し、そしてその痛みを表現するために、叫ぶ。ただそれだけの、純粋な芸術表現であるはずの音楽が、必要以上に社会から差別を受け、権力からの弾圧を受けている。メタルコンサートのオーガナイザーは、「今度イベントの企画に関与するときには、その結果に全責任を負うこと」という念書を書かされ、それ以降、身に危険を感じて、コンサートの企画が出来ないと言っているそうだ。

「要は社会は、常に問題の責任をそらし、スケープゴートを必要としているだけ。やれアメリカが悪い、やれイスラエルの陰謀だ、そしてメタルヘッドこそが道徳的退廃をもたらす、って。目の前の問題を自分のでも政府のでもない、第三者の責めに負わせるっていうのが、権力の常套手段でしょ。」とShady。

12月初旬、"HEAVY METAL ISLAM"の著者Mark LevInが、映画クルーを引き連れてエジプトにやってきて、ShadyのYour Prince Hamingなどいくつかのバンドを取材したドキュメンタリー映画を作るそうだ。その撮影の一環として、12月11日、SAWY CULTURE WHEELにて、彼らが総出演するライブが企画されている。

メタルだけじゃなく、テクノやアンビエンス、さらには伝統楽器ウードを使った作曲などへと創作の幅を広げるShadyは、メタル=悪というマジョリティからのレッテル貼り、メタルヘッド=黒Tシャツ+長髪というグルーピー的ステレオタイプのどちらにも違和感をもち、するりするりとその圧力をかわしながら、ジャンルを飛び越えていこうとしている。彼のこの国に対する絶望は深く、「何かが変わるとしても、2世代は先のことだ」とうそぶくが、政治ではなく、弱冠16歳、Shadyのような人間こそが、内部から社会や人を変えていける力を持っているんじゃかいか。この国で自由に音楽をやれる場が完全になくなってしまったら、どこか他の国に行くしかないとも言っていた彼に、勝手な役割を押し付けるのは、ヨソモノの身勝手にすぎないとはわかりつつも、期待しないではいられない何かを彼に感じたのも事実なのだ。
MARK LEVIN著"HEAVY METAL ISLAM"のエジプトの章から得た情報をもとにネット検索を中心に情報収集してみたら、けっこう色々なバンドが引っかかってきた。

最初に出てきたのが、WYVERN(飛龍)。アインシャムス大の学生が
日本とエジプトのヘヴィメタについての学士論文で紹介していたバンドだ。カイロの自由な文化・芸術の拠点、サウィー・カルチャー・ウィールで最初に演奏の機会を得たメタルバンドということで、97年の陰惨な悪魔狩り事件以降地下潜伏を余儀なくされたメタルがようやく日の目を見るきっかけを作る重要な役割を果たした。

発見した映像は、http://www.kiraku.tv/category/35685/movie/1/KZaU4ZsJRww
自身のサイトも持っている。http://www.wyvernegypt.com/

正統派メタルという印象で、ヴォーカルもデスメタルのようなダミ声ではなくしっかりと歌っている。短髪なのは、社会における差別や偏見から逃れるためだろうか。メタルだから長髪でなければならない訳ではないが、欧米の長髪バンドを見慣れた目にはちょっと違和感がある。自身のサイトでも語っているように、社会の不正を糾弾する歌詞を歌っているのであり、社会や権力が一様にメタルバンドにレッテル張りをしている悪魔崇拝とは対極にあると言って良い。

次に発見したのは、2005年大統領選に対抗馬として挑戦したアイマン・ヌール氏の二人の息子がやっているバンド、Your Prince Harming(http://www.facebook.com/pages/Your-Prince-Harming/9309755394)。こちらのルックスはメタルっぽくはないが、ロックらしさは十分に感じさせる。なかなかにイケメン。音は、デスメタルやブラックメタルとカテゴライズされるジャンルに当たるだろうか、ヴォーカルののどを絞った歌いまわしが特徴的。演奏レベルは相当に高度であると言っていいだろう。

最後は、今日、たまたまうちのオフィスのウェブマスターあてにメールを送ってきたアレキサンドリア・ベースのバンド、Massaregbari(http://www.myspace.com/massaregbari)。こちらはメタルではなく、本人たちはProgressive Rockというふうに自己認識している。一聴してまず、歌がかなりいい。キーボードのおもちゃっぽい音は興ざめだが、ベースラインとドラムリズムのコンビネーションもクールだし、かなりカッコイイんじゃないだろうか。マルタ、イスタンブール、イタリアなどのロックフェスに多数出演しているようで、相当の実力派バンドだ。

エジプトのロックは、メインストリームからはあまり見えてこないが、ネットから初めて人脈をたどっていくとなかなかに深くて魅力的な鉱脈かもしれない。早く彼らに会って、スタジオでのセッションやライブを見てみたい。


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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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