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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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家族でエジプトにやってきて最初に直面したのが食事のことだった。独身で4年間を過ごしたインドでは、若かったということもあるが、食には無頓着で、どんな食材をどこで調達して何を調理するかという全てを、完全にお手伝いさんにまかせていたものだった。しかし、2歳と0歳の子供をもついまは、そういうわけにはいかない。

僕自身というよりは妻が食と人間と自然のあり方に強い関心をもち、東京にいたときから有機野菜からなる宅配サービスを受けていたので、こちらに来た初日から同僚や知人たちに同様のサービスがないか聞いてみた。

そうしたところ、教えてもらったのが、ISISというブランドだった。イシスはエジプト神話の女神の名前として聞いたことのある名前だったが、このブランドの商品はMETROやALFAなどのスーパーマーケットで買えることがすぐにわかった。野菜だけでなく、牛乳やオリーブオイルなども陳列されていた。

生活をはじめて、自宅のあるザマーレクを歩いているうちに、ISISのロゴが入った看板のあるお店を発見。ISIS商品の専門店だ。野菜や果物などの食材のほかに、子供服などもおいてある。直営店というのが安心感を与えてくれるので、妻はそれから頻繁にこの店を利用するようになった。

ある日、妻が運転手さんにISISに行くようにお願いしたところ、彼が首を傾げてよくわからない素振りを見せ、実際にお店に着いてみたら、「なんだ、SEKEMのことじゃないか。」と言った。確かに看板のISISのロゴの下に、SEKEMの文字があることを、僕自身も後になって発見した。でも、ISISとSEKEMの違いについては、人に聞いたりしてもよくわからずじまいだった。

そんなある日、カイロ・アメリカン大学の書店で、その名も"SEKEM  A Sustainable Community in the Egyptian Desert"という本を発見!200ポンド(4,000円)という高値だったが、奮発して購入し、ヒマをみつけてはパラパラと読み進んだ。

著者は、SEKEMの創設者、イブラヒーム・アブレーシュ(Ibrahim Abouleish)さん。扉一面に使われている彼の穏やかで優しげな表情、たたずまいからは、とても1937年生まれとは思えない若々しさがあふれている。SEKEMとは、太陽の恵みという意味だそうだ。

この本は、イブラヒームさんの自伝として読むこともできるし、SEKEMという理念を彼と仲間たちが現実に変えていく物語としても読めるし、はたまた、西洋哲学、なかでもルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーと、イブラヒームさん独自のイスラーム教の実践哲学の融合の試みとしても読める。

第一章 "The Story of My Life"は、イブラヒームさんの幼少から青年期までの物語だ。早くから独立心の旺盛だったイブラヒームさんは、19歳のとき、両親の反対を押し切って単身、オーストリアのグラーツへ向かう。この街に住む友人を頼って、片道の旅費だけをもっての無謀ともとれる旅だったが、この街で大学の門を叩き、薬学を修め、そして、民間企業の研究所で薬物の特許をとるほどの働きを示した。オーストリア人の女性と結婚し、子をもうけ、ヨーロッパを生活の拠点としていた彼だったが、シュタイナーのアントロポゾフィーへと導いてくれたある女性をエジプトへ案内したりしているうちに、ヨーロッパで培った知識や理想をエジプトの地で実践してみたいという気持ちを抱くようになる。そして、1977年、エジプトに帰国し、北部の砂漠に70ヘクタールの土地を購入し、有機農業をはじめた。

第2章で展開される砂漠を緑に変える壮大な実験は、当初は遊牧民であるベドウィンに邪魔されたり、建築や土木の受注をした業者に騙されたり、ようやく育ちはじめた作物が砂嵐でふっとんだり、いろいろな障害に遭遇したらしく、もうそれだけでイブラヒームさんという人がいかに楽観的でかつ不屈の精神の持ち主であるかが実感される。

感動的なくだりは、ある新聞記者が当事者に取材しないで勝手な憶測でもって「SEKEMは太陽を神としてあがめている」と書いた記事が巻き起こしたイスラム聖職者たちとの衝突の模様に出てくる。イブラヒームさんは、シュタイナーの思想とイスラームの教えを融和させ、宇宙論的視座から人間と自然をホリスティックに調和させる有機農業の必要性を説き、逆に激情した聖職者たちに感動の涙をもたらし、SEKEMの力強いシンパに変えてしまうことに成功したのだという。実際、SEKEMのコミュニティでは、日々の礼拝、折々のイスラームの祝祭日の儀式を尊重し、神の意志の実践としての社会改革に取り組んでいるのだ。

第3章では、軌道にのったSEKEMの活動が、さらに幅を広げて、教育事業、職業訓練活動、医療、薬草薬学へと枝葉を伸ばしていった軌跡を記録している。19世紀エジプトの近代化の屋台骨を担った綿花産業についても、イブラヒームさんはそれが大量の殺虫剤・農薬を使用し環境を悪化させていることを問題視し、いまやSEKEMのみならずエジプトのほとんどの綿花生産を有機農業に切り替えることに成功した。北部の70ヘクタールからはじまった実験は、政府のみならず大衆的な支持を得て、全土に広がりを見せている。

2003年、SEKEMとイブラヒームさんの活動は、スイスのSchwab Foundatonから、オルターナティブ・ノーベル・プライズ(共生のノーベル賞)を受賞し、彼の第二の拠点であるオーストリア、ドイツを中心に今や国際的な支持と注目を集めている。イブラヒームさんはまた、イスラームを基盤とする協同組合型の社会改良運動の成功者として、たとえばアメリカの議員や有識者による会合に招かれ、911以降先鋭化する西と東の思想・観念的緊張の緩和にも尽力している。

SEKEMウェブサイト:http://www.sekem.com/english/default.aspx

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在留邦人の知人の誘いを受けて、8人の希望者がグループを作り、二人のプロのタブラ奏者から指導を受けるレッスンが、昨日(6月22日)から始まった。

4月頃から案内をもらっていたので、とにかく楽器だけはそろえておくことにして、アタバ市場内ムハンマド・アリ通りの楽器街にあるシャムスというお店で一台、購入した。螺鈿の綺麗な装飾がボディーに張られているもので、250ポンド(約5,000円)だった。

レッスンは、まずタブラの部位の名称から開始した。
筒状で叩く面に向かって円すい状に広がるボディー部分を、その名もゲスム(ボディー)と言う。
ボディーにつながる叩く面を固定する枠を、シャンバル。シンバルと同じ語源か?
そして、叩く面を、ラアマ。今はプラスチックの市販品で交換も簡単だが、昔は魚の皮を使っていたらしい。面が緩むと火であぶっていたそうだ。

続いて、タブラで出る(出す)基本音3種類。
1.DOM(D):手を広げてシャンバルの縁に親指がかかるあたりからラアマの中心までを反動をつけて叩く。深くて重いベースの音が出る。
2.TAK:DOMの手から親指を内側に畳み込み、ラアマの中心よりさらに奥をめがけて、今度は手をそっと置く感じ。反動で弾ませないのがコツ。ドラムでいうスネアのような効果。
3.ES(E):薬指でシャンバルの縁付近のラアマをはじくようにして、乾いた高温を出す。この薬指のことをアーンマールというが、どうやらアーンマールを鍛えることが、タブラ奏者には求められるようだ。実際、普段使わない筋肉を使うことになり、手がつりそうだった。

そして今日は最初のリズム、マクスームの練習をした。
DTTDT が基本。ドン(半拍)タック(1拍)タク(半拍)ドン(1拍)タック(1拍)。これが、アラブ音楽でもっとも頻繁に使われるリズムだ。
単純なリズムだけれど、DとTの手の移動がもたついて、違う音を出し分けるのが意外と難しい。

ある程度慣れてきたところで、今度はEを加える。
DTETDET。ドン(半拍)タク(半拍)エス(半拍)タク(半拍)ドン(半泊)エス(半拍)タク(1拍)。

最後のタクを半拍に変えて、残り半拍を右のエスと左のエスで1/4泊ずつ叩く装飾音に変えると、さらにノリが出てくる。でも、エスはアーンマール(薬指)の力が必要で、先生が叩くようなカツーンと響く高音が出てくれないのがはがゆい。

あとはスピードが三段階。
ゆっくりがバアーア
中くらいがアアーディ
速いのがサリーア

初日はアアーディまでで精一杯。サリーアは次回にもちこしとなった。

これで1時間45分くらいの講義が終了。
計5回で
マクスーム No.1
マクスーム No.2
サイーディ
マルフーフ
ワルス
の5種類のリズムを覚えるとういプランになっている。

いい音を出そうとすると手の一部をシャンバルの固い部分にぶつけることになるので、終わったら右手が真っ赤にはれ上がっていた。来週の2回目を楽しみにしていたら、さっそく仕事が入ってしまった。

さてさて・・・
CIMG2104.JPG5月29日、カイロ新市街ヘリオポリスに建つ、1920代の古いフラットを訪ねた。
この家の持ち主、Ladislav Otakar Skakal氏は、どう見てもエジプト人には見えない。

聞くと、イタリア人50%、チェコ人25%、そして日本人25%という素敵なミックス。

それぞれのお国の調度品に囲まれた居間でお茶をご馳走になりながら、ドラマのような実話が語られる。


CIMG2092.JPG時は、1914年。パリ留学を終えた若き日本人女性MISUMOTO ITOさんは、客船に乗り、地中海からスエズ運河を渡って、帰国の途についていた。

そこで、第一次世界大戦が勃発。スエズ運河が閉鎖され、イトさんはフランスがエジプトに築いた運河の街、ポート・サイード(フランス流にはポール・サイード)で立ち往生を食う。イトさんは、時を同じくしてポート・サイードに逗留していたチェコ人男性と劇的に恋に落ち、そしてエジプトの地で夫婦として暮らすことになった。

カイロに移り住み、2人の男の子を得、そのうちの一人がイタリア人女性と結婚し、目の前にいるLadaislavさんが生まれた。

CIMG2093.JPG20世紀初頭に一人フランス留学する日本人女性というのは、相当に裕福で先進的教養に溢れた家に生まれ育ったに違いない。カイロの上流階級のサロンでも一際ファッショナブルに着飾ったおしゃれな女性として、記憶されているらしい。2つの世界大戦、王政の廃止とナセル革命という、激動の中東史を生き、50年代に亡くなったイトさんの生涯は、きちんと記録すれば、多くの人に読まれておかしくないはずだ。そして、孫のLadaislavさんが、いま、頑張ってその伝記執筆に取り組んでいる。

ただ、残念なことに、一次資料が足りない。聞くと、イトさんが日本の長崎の実家とやりとりしていたはずの手紙など、イトさんと日本をつなぐ証が記録としてほとんど残っていないのだという。Ladaislavは、長崎の原爆で家族との音信が途絶え、イトさんは絶望して自分の日本人としての文化的背景を抹殺したのではないか、と推測するのだが、事実ははたしてどうだろうか?

かつて、Ladaislavさんは長崎を訪ね、イトさんの足跡を調べようと試みたが、手持ちの情報があまりにも少なく、また、自信日本語ができないため、手がかりすらつかめなかったそうだ。

Ladaislavさんは、イトさんを主人公にした伝記が完成したら、次にはオーストリアと日本の血を分けた父のことを書き、最後に自分のことを書いて(自分が生きていたら)三代の家族史を編纂したいと意気込む。1920年代まで書き進めたイトさんの伝記は、イトさんのアイデンティティの根幹を成す日本時代の記録、そしてイトさんが外国に渡ってからの日本の家族との交信の記録なくして、果たして完成・出版の日の目を見ることができるだろうか?
日本ではダラダラと2年半も社会人向け語学教室に通い、形ばかりの免状をいただいたものの、日常会話ができるレベルにはまったく到達できず仕舞いだった。

そして、カイロ赴任の内示をもらってから赴任までの2ヶ月ばかりで付け焼刃的にエジ方言会話の個人レッスンを受けてきたわけだが、ほんとうに付け焼刃で、到着早々から地元の人々とのコミュニケーションにえらく苦労する日々を送っている。

そんな状況を打開すべく、5月初めより、カイロ大学アラビア語学科の先生の個人レッスンを受けはじめた。
使用教材は、カイロアメリカン大学発行の、「Sabah il Khair ya Masr(おはよう、エジプト)」。2冊セットの上巻を5回のレッスンでほぼ終えようとしているが、各課につき6~7行程度の簡単な会話スキットに比して膨大な量の反復練習問題と単語帳がついているのが特徴。その特徴を最大限に活かして、先生は毎回大量の宿題を課しながら、1レッスンにつき二課から三課を終えていくのだ。語学は反復が命ということに、改めて気付かされている。

だからといって、1ヶ月足らずで劇的にアラビア語が上達した訳ではなく、僕の珍・発言に周囲の人たちが驚き呆れる日々が続いている。

おとといは、夏の現代日本写真展の会場探しのために、「ムバラク公共図書館(Mubarak Public Library)」へ向かう際、事務所の運転手さんに、"Maktaba il Raiis(大統領の図書館)"と言うべきところを、"Maktab il Raiis(大統領の事務所)"と発言。それでも、事前に事務所のスタッフから指示を受けていた運転手さんは、優しく"Haadar(了解!)"と応じてくれたのだった。

今朝は、エジプト国立博物館のそばにあるエジプト・エアーのオフィスのことを自分の運転手さんに説明しようとして、"Mathaf Masr(エジプト博物館)"のところを誤って"Matbah Masr(エジプトの台所)"と発言。運転しながら運転手さんが僕の顔を5秒くらい、穴のあくほど凝視してから、ようやくピンときて、"Mathaf"と言い直してくれた。

こんがらがった頭のまま、ランチタイムに突入。今日はAUCの留学生とダウンタウンのエジ料理店「アラベスク」でランチのお約束をしており、同僚と歩いて向かったのだが、途中で道がわからなくなり、信号待ちのおじさんに質問。

"Matbah Arabesque feen(アラベスクの台所はどこですか)?"

今度は、"Mat'am(レストラン)"と"Matbaf(台所)"の言い間違え。博物館と台所の間違えよりはずいぶんとマシだったようで、おじさんはちゃんと道を教えてくれた。

こうして、日々トンデモ・アラビア語を駆使して、なんとかかんとか、土地の人たちとの会話を楽しんでいる。
ネットのニュースを手繰っていくうちに、5月10日グリニッジ標準時21:00に世界一斉に映像の祭典が行われることを知った。その名もパンゲア・デイ(PANGEA DAY)。辞書を引くと、PANGEAとは、「大陸移動が起こる前の超大陸」とある。世界が一つだった日に立ち返ろうというメッセージからの命名のようである。

http://www.pangeaday.org/

世界中からのショート・フィルムの投稿を各地で上映し、かつインターネットで放送する。あわせて各地でミュージシャンや社会運動家たちによるイベントも行われる。映像を通して他者を知り、その他者のなかに自分を発見するというようなことが、スローガンとして掲げられていた。

サイトを見るとカイロもイベント会場となるというので、サイト管理者に詳細情報をメールで聞いたりしたのだが、結局最後までわからずじまい。気がつくと5月10日は過ぎゆき、「あー、あのイベント、どうなったのかな?」と思ってウェブサイトを再訪してみると、たくさんの映像でもって結果が報告されていた。カイロでも、確かにピラミッドの近くでイベントがあったらしく、エジプト人らしきひとびとが群がっている映像がチラッと紹介されていた。じぶんの情報収集能力の欠如を痛感して、ちょっと落ち込む。

さはさりながら、このウェブサイトでは、数万の投稿作品のなかから優れたものをストリーミングで見ることができるし、いくつかの会場でのイベントも紹介されているので、興味をもたれた方は見てほしい。

サイトのメニューから"SPEAKERS"を選ぶと、各地のイベントに出演したセレブリティたちの顔ぶれが紹介されている。

そのなかのひとり、Khaled Aboul Nagaは、3月に国際交流基金が開催したアラブ映画祭へのエジプトからの出品作、"In the Heliopolis Flat"の主演男優。ユニセフの親善大使などの役割を通じて、エイズ救済、子どもたちの肝炎防止、女子割礼反対キャンペーンなどといった社会活動をしているのだそうだ。立派な方ですねぇ。

もうひとり注目したのは、Ali Abu Awwad。パレスチナ人で兄弟をイスラエル兵によって失い、自らも足に負傷を負った経験をもつ彼は、その悲しみを怒りとして発露させるのではなく、パレスチナの報復により身内を失ったイスラエル人との対話を積極的に進めている。彼の紹介ページのストリーミングでは、家族を失ったイスラエル女性Robi Damelinと二人で、憎しみの連鎖から自らを解き放ち、互いを許しあうことの必要性を訴えかけている。AliやRobiらの活動を追いかけたドキュメンタリー、"Encounter Point"のサイトにもリンクが貼ってあり、この映画にも興味をそそられる。

この映画の製作を手がけるJust Visionのウェブサイトはこちら。
http://www.justvision.org/

「メディアと教育を通じて、イスラエルとパレスチナの市民の非暴力による平和実現を支援する」

というのが、冒頭から理念として語られている。

"Encounter Point"についても、ただ鑑賞してくれと誘いかけるだけでなく、どうやって自分の生活拠点においてパブリックな上映会、あるいは教育目的の上映会を行うべきかについてのマニュアルを提供しているのが、特徴的。

そして、”What You Can Do"と題されたメニューをクリックすると、彼らのこの運動に対して、当事者ではないわれわれに出来ることを可能性、アイデアとして書いてある。その最後に、「平和構築と非暴力に取り組むイスラエル人とパレスチナ人の団体について知ること」とあり、その下に代表的組織の概略が紹介されている。

絶望せず、平和を実現する可能性を信じて、日夜努力を続けている人たちがいる、ということを知るだけでも、きっと意味のある行為なのだろう。

さて、来年のPANGEA DAYには、参加することができるだろうか??
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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