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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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とうとう、ヤツが上陸してしまった。
カイロ・アメリカン大学の学生2名。それぞれアメリカの別の場所へ出かけて帰ってきてから症状が出た模様。

昨日、お客様を出迎えにカイロ空港に行ったら、パスポートコントロールの手前で白衣にマスクの女性職員たちが、質問票記入とサーモスタットでの体温チェックにキビキビとあたられていた。でも、日本と同様、いったん水際が破られたら、そのあとは国内の蔓延予防対策にウェイトをずらしていく必要があるのだろう。現在、アメリカン大学は完全閉鎖中。

なにをしたらいいかわからず右往左往してしまいがちだが、とりあえず、手洗い・うがいの励行を。
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オバマが来る、交通は完全マヒってゆうもっぱらの噂なもんで、今朝は7時に家を飛び出してタクシーを拾ったら、道路はスカスカに空いていて、普段30分近くかかる道が15分で着いてしまった。

かえって、みんなが警戒して家にとじこまったせいか、終始パニックになることなく、街は平穏なままだった。

朝11時頃、事務所のテレビからめちゃくちゃにへたくそなアメリカ国歌が流れてきたので、見に行ってみると、迎賓館を前にオバマとムバラクが厳粛に並んでいた。おいおい、その管楽器習いたての中学生みたいな演奏って、かなり失礼なんじゃないかしらん???

迎賓館での首脳会談のあと、スルタン・ハサン・モスクを経て、カイロ大学での講演、そしてピラミッドを見学して今日のうちにカイロを飛び立つ(もう、とびたった頃かな?)

ジャジーラのニュースなどを見ても、これまでの敵対的、軍事的なイスラム世界への対峙の仕方を友好的・協同的な方向にシフトしたことで、ハマスをはじめ関係訪問にのきなみ好印象を与えた模様。中東和平の二国家共存についても、一部都合のよい解釈をされているような気がするが(エルサレムを首都とするパレスチナ国家を認めたと、ハマスのスポークスマンは語っていた)、一つのスピーチでこれだけ人々の気持ちを動かしてしまう力は、たいしたものなのだろう。

ちなみに、空港にはムバラク大統領は迎えにでず、迎賓館でのレシービングになったとのこと。健康問題は、それほどに深刻ということか。
昨日、エジプト人のスタッフから突然、「明日、テレビインタビューが入っています。」と言われ、「何について聞くの?」と問うたら、「Your life.」との回答。

ホワット?マイ・ライフ??

思わず、声が上ずった。エジプトの大切な電波を使って、お仕事のミッション紹介かと思いきや、なぜにこのオレのことをしゃべるのが番組になるのか。。。

まあ、そのへんがうちのスタッフの辣腕のなせる技というのが一つの真実で、もう一つはこの国のテレビ業界自体が試行錯誤しながら視聴者のニーズがどのへんにあるのか探っている段階だということだろう。

「それで、番組のタイトルは?」
「VIP。」

ホワット?ヴイー・アイ・ピー??

これにはさすがに抵抗した。そんなのありえないだろ。いくら自分が可愛い僕だって、そのタイトルでみなさまのお茶の間を濁すわけにはいかない(「お茶を濁す」とは言っても、「お茶の間」は濁さないか・・・)。

よく聞くと、実はまだこの新番組は放送されていなくて、タイトル未定のまま人選を行って採りためをしているとのこと。そして、その場で彼女がテレビ局のディレクターに電話で確認したら、最終的なタイトルは「Guest of Honor」に決まったそうだ。

まあ、ゲスト・オブ・オナーなら、ぎりぎり許されるかな。うちのスタッフGさんがせっかくつかまえてきた広報機会だし、断ったら泣かれそうだったので、引き受けることにした。

チャンネルは、Nile TV for Culture and Artsとかいう、Nile TVの文化版で、視聴者対象が限定されているからか、英語番組。アナウンサーの女性は流れるような美しい英語で質問を投げかけ、通訳も間にはさまらないので、気持ちよく話すことができた。

自分のライフストーリーといっても、何歳で初恋とか、中学のとき草野球でかっこつけて鎖骨を折ったこととかを話してもしょうがないし、さすがにそんなことに水を向ける質問はなかったが、それでも、なんで法学部に進んだのかなんていった、僕のことを個人的に知りたいと思う人じゃなきゃ絶対に関心をもちそうもないことまで聞いてきたので、日本の教育のありかた~大学は実質よりも名前で、社会はつぶしの効きそうなヤツをとりたがるという前提について前置きしたりして、少しでも一般化できるようにしてみた。

インドの話とエジプトの話をつなげて、アジアと中東ではやはり違いがあるのか、というような質問もされたが、本質的な差異を語るのには相当いろんなことを言わないといけないと思い、長い歴史のなかで文明の興亡があり、その堆積の上に現代の暮らしがあることを実感できるという点で、デリーもカイロも、自分にはえらく魅力的なのだ、と答えた。こちらは逆に主観にひきつけて話してしまって、耳に聞こえはいいけど面白くない話になってしまったかもしれない。

まー、実際に放送されるかどうかはまだわからないし、海外で自分がテレビに出るというのは、日本にいるときよりも受け止め方の比重がぐんと落ちるので、「あとは好きにしてください。」という気持ちなのだが、たいていは予告なく放送されてしまって、記録が残らず、そのうち自分の記憶からも消えてしまうはかない運命をたどりがちなので、放送された暁には、できれば録画したいなー。
ちょうど一年前、2008年5月29日、イタリア人ハーフ、チェコ人クオーター、日本人クオーターで、生まれも育ちもエジプトというコスモポリタン、ラダイスラブ・スカーカルさんの自宅を訪問した。

http://egyptians.blog.shinobi.jp/Entry/43/

で報告したように、彼の日本人のおばあさんの数奇な人生は、あまりにもドラマチックで、こんな話をテレビ局関係のしかるべき人にしたら、昨今急増している感動で涙腺を振るわせたい人たちを喜ばせようと思って、力の入ったお涙ちょうだいヒューマンドラマを作りたがるだろうと思う。

去年の訪問とときを同じくして、共同通信の特派員が彼を取材した。その配信記事が長崎の地方紙に載ってしばらくして、おばあさんのイトさんの親戚が新聞社に名乗り出てくれて、とうとうラダイスラブさんは自分の日本の身内にたどりついたのだった。長崎新聞の記事をもって、事務所でうれしそうに報告してくれた彼の喜びようといったら!

ラダイスラブさん、一年前から書いていたイトおばあちゃんの伝記をまもなくフランスで書き終えるそうで、それが終わったら、いよいよ、秋には日本に行くんだそうだ。そんなこんなの近況を話してくれたのは、昨夜彼が知人・友人をいっぱい呼んでのホームパーティ。彼の友人のレバノン人ドキュメンタリー映画作家は、ぜひこの日本ツアーに同行して、親族の再会の物語を記録したいと意気込んでいた。

パーティーには、いろんな国籍、エスニシティの人たちが30人ほど集まり、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、イタリア語が飛び交っていた。そして、この5つの言語すべてを、ラダイスラブさんは自由に使いまわしている。残念ながら、日本語はどうも手につかないそうだが、できればこの秋の日本旅行をゆったりと計画して、日本語環境のなかでじっくりと学んでみたい、と話していた。

しかも、おどろいたことに、ラダイスラブさんが一生懸命料理してくれたのが、豚肉と黒豆をつかったブラジル料理!エジプト人のムスリムもいっぱいいるパーティーなのに!しかも、カイロの豚が皆殺しになったばかりなのに!後者については、聞くとカイロ郊外で養豚農場を経営するドイツ人から買った肉だとかで、今回大処分にあったストリートの豚とは違った形で処分されて、こうして食卓に現れているのだという。前者については、食事がセットされたテーブルに群がるエジプト人と思しき人たちが、「これ、なんの肉?」と聞くので、僕は素直に「豚肉だよ。」と答えた。言った途端にまずいことを言ったかなと汗をかき、「ソーリー。」と言い直したら、彼らは「ノー・プロブレム」と言って、自分の皿にいっぱいに盛りつけていた。え、「ソーリー」なんてカッコ悪いこと言ってしまった僕の立場は・・・?お酒も豚肉もありのパーティーの渦中にいると、宗教に回帰していくエジプトにいることを忘れそうになる。

そして、僕は思った。イトおばあさんと彼女のチェコ人の夫が暮らした1920年代からナセルの革命が起こる50年代までの時代は、カイロが世界で最も自由なコスモポリタン都市であったんだということ。そして、その孫のラダイスラブさんは、その自由なカルチャーをいままで受け継いでいるから、彼のまわりには、その空気に共振する自由人たちが自然と集まってくるのだということ。パーティーに来ていた人の半分は、世界的に著名なエジプト人彫刻家アダム・ハネインさんら、アーティストたちだった。「ヤコウビアン・ビルディング」のなかで、アーデル・イマーム演じる落ちぶれたパシャの末裔がノスタルジアいっぱいに語る自由の街カイロが、1920年、ヘリオポリスにイトさんたちが買って孫に受け継がれたフラットの屋上に再現されているような、そんな現実とも幻ともつかないような不思議な気分にさせられた夜だった。
昨年5月の暑い暑い日に、ムバラク大統領夫人が代表を務めるNGOが主催したホコ天イベントに出店を出して、ひたすらに折り紙を折り続けた。総計で何万人ものエジプト人~若者や家族連れなど~が交通を遮断した繁華街に群がり、各国大使館や文化機関が出店する出店を冷やかし、ステージ上のパフォーマンスに熱狂した。

そして今年もお呼びがかかった。「あー、去年は気が遠くなるほど暑かったなー。」と、ただただ暑さの記憶だけがよみがえってきたが、こういう瞬発力系のイベントは好きなので、今年も乗り込むことに決めた。くわえて、折り紙だけじゃさびしいので、ブースを2つ分もらって、オセロ対戦、日本関連本のアラビア語訳展示、J-popのPVローテーションなど、新しい企画ももりこんでみた。

またまた日本のブースはとぎれることなく行列が出来る人気を集めて、うちのスタッフも、手伝ってくれた日本人会のみなさんも、ご飯を食べるヒマも与えられず、一生懸命に折り紙を折り、子どもたちとオセロで遊んだ。

夕方5時半。人気のエジ・ポップ・バンド、Wust El Baradがステージに現れた。ロック好きの所長と二人でステージまで近寄ろうと思って歩いていくが、ステージから30mくらいのところで人の波にさえぎられて、思うように前にすすめなくなる。このライブだけで2~3千人の人たちが集まっている感じだ。彼らの演奏もタイトでカッコいい。

ステージはまだしも、とりたてて面白いブースが並んでいるわけでもないこのホコ天に、毎年数万人の人間が集まってくるというのは、やっぱり、いかに人々がのびのびできる開放的空間に飢えているかを雄弁に物語っているように思えてならない。このイベントそのものにケチをつける気はないけど、それを大統領夫人が演出しているというのが、権力にとっての「ガス抜き」なのかな、とうがった見方を僕にさせてしまうのだ。

閑話休題。スリランカでLTTEの指導者、プラバーカルが死んで、LTTEが降伏したんだそうな。
インド亜大陸の大きな大きな問題の一つが、かなり乱暴な方法とはいえ、終息したことになる。
デリーで働いていたとき、南アジアの演出家が演劇の共同制作をしようというプロジェクトの初期段階にかかわった。インドの演出家、アビレーシュ・ピライは、作品の候補として、Anita Pratapというジャーナリストが書いたドキュメンタリー、Island of Bloodを選んだ。それが、スリランカのいつ果てるともしれない内戦、特にプラバーカルという人間の恐ろしいまでのカリスマ性を描いていて、この人が健在である限り争いが終わることはないだろうと思ったことを、よく覚えている。南アジアはこのほかにも、印パ対立やネパール内戦、ナクサライト運動など、きりがないほど問題にあふれているが、その一つが落ち着いたことで、この地域は安定のほうへ舵をきるのだろうか?
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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