忍者ブログ
えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

年末から手をつけていたが、引越しやらなにやらで手が離れてしまっていた小説を、新居にて読了。ロンドン在住パキスタン人、Mohsin Hamidの小説、"The Reluctant Fundamentalist"を読もうと思ったのは、いわゆる「ジャケ買い」。ヒゲの厳しい目つきの若者の肖像の上に、アメリカ国旗の13本の紅白線を象徴する7本のラインと緑地に月と星のパキスタン国旗がかぶさるイメージは、タイトルとあいまって、そこはかとないスリラーを感じさせる装丁。

といっても、タイトルには「Fundamentalist=原理主義」の対立概念といってよい「
Reluctant=躊躇する」という修飾がついていて、登場人物のキャラクターに深刻な分裂があることを予感させもする。

パキスタンはラホール出身で米プリンストンを優秀な成績で卒業し、企業業績の格付けを行う難関の企業で活躍する主人公Changezは、国籍や出自を問わず万人に成功のチャンスを提供するアメリカの懐の深さを実感していた。そして、大学時代に知り合った美しい女性エリカとの関係も順調に発展し、主人公の人生の船出は順風満帆に思われた。911の前までは。

911を境に、エリカが死んだ昔のボーイフレンドの亡霊に取り付かれるが、それはいかにも未来の限りなき成長を原動力としてきたアメリカが突然過去に回帰したことを象徴的にあらわす事件として語られる。アメリカが変わっていくなかで、Changez自身も自らのアイデンティティの揺らぎを感じはじめ、攻撃される隣国アフガニスタンの人々への同情と攻撃するアメリカ軍に対する怒りに引き裂かれていく。エリート格付け会社Underwood Samsonの社是である「原理にもどづく行動」、すなわち、経済学的価値の最大化という原理にもとづいて、それ以外の文化的、人間的、情緒的、etc.な価値を捨象することに疑いをもたなかった主人公の内部で、原理への信念に対する疑いが生じ始め、それは、自分の格付けがまさにつぶさんとしているペルーの書店の経営者が、はるか彼方パキスタンの自分の叔父の本をおいていることを知ったことで、決定的な崩壊をもたらす。この書店経営者は、オスマン帝国に雇われ、もともとのトルコ軍人よりも皇帝への忠誠を示し勇猛に戦ったとされる、キリスト教徒の傭兵、イェニチェリに例えてみせた。祖国のことを忘れ、新しい帰属先である帝国の拡張欲望に奉仕するという点で、いまのChangezはイェニチェリとおんなじである、と。ただ、イェニチェリの場合には、もっと若いときに連れ去られ、もともとの帰属への記憶がないのだが、Changezの場合にはあまりにもパキスタンへの帰属意識が強すぎるために、内部で引き裂かれていると、彼は主人公の苦悩を見事に言い当ててみせる。

アメリカのアフガン攻撃の後、パキスタンはもう一つの隣国インドと厳しい緊張関係に陥り、しかもアメリカはどうやらインドを支持する雰囲気であるなか、もう一つの原理=祖国、家族へと帰還し、彼らと運命~それがどんなに過酷なものであろうとも~をともにしようと決心した主人公には、しかし、彼をアメリカに引き止めずにはおかない、もう一つの原理~エリカへの愛~が遺されていた。そのエリカは、精神病棟で亡き幼馴なじみとの思い出のなかに閉じこもったまま出てこなくなっている。ペルーでの仕事を中途で投げ出し、エリカのもとへ駆けつけたChangezは、彼女が崖の上に衣服だけを残して失踪してしまったことを知らされ、失意のままラホールへ帰還する。

パキスタンへ戻ってからの彼の営みは最終章で語られるが、果たして、Changezは、どうやってアメリカのやむことのない帝国主義的な拡張と破壊への欲望を止めようとしてきたかということを、この長い物語をラホールの食堂にて聞いているアメリカ人(おそらくはジャーナリスト?)に対して話してきかせる。エンディングは"Reluctant"というタイトルよろしく、はっきりさせないまま、不気味に幕を下ろすわけだが、『誰がダニエル・パールを殺したか?』を読んだ人ならば、僕のように、この実際に起きた事件を想起させられ、恐ろしい結末を想像してしまうかもしれない。

グローバル経済の中枢に傭兵として雇われた辺境出身者が、自らが加担する資本主義的暴力装置の手が祖国に及んだことを知ったとき、何を思い、どうふるまうのか?オスマン・トルコのイェニチェリを引き合いに出して見せたことで、読者はこの問いがはるか昔から続いている問題であることを知るに違いない。

PR
2007年12月24日にカイロの地をふんで、1年が経過した。エジプトで最初のお正月は、ホテル暮らしで右も左もわから ずじまいだったが、1年たって、少しはこの街とこの国のことがわかり、なんちゃってアラビア語を駆使してなんとか土地の人たちとのコミュニケーションをは かっている。太鼓判には程遠いが、そこそこがんばったと自画自賛。

この年末でザマーレクの家の借家契約が切れるので、11月あたりから更 新すべきかどうか悩んだ末に、引越しを決めた。新居は、ナイル側西岸のモハンデシーン地区。ナイル東岸のオフィスからだと通勤が倍くらい遠くなったが、家 のそばにただで入れる公園があるのが決め手となった。なにせ、ザマーレクの家の向かいにあった会員制の公園は、一日ビジター券を2000円も取るのだから (赴任時は600円)、われら平民には手の届かない世界になってしまっていたのだった。

元旦には、エジプトの古代遺跡を油絵に描き続けて 15年の、木下和さんの展覧会のオープニング。大晦日から仕込みをして、2メートルから4メートルもある大きな作品たちをところ狭しと並べていった。開会 式には日本人、エジプト人あわせて100人以上の人たちが集まってくれ、お正月で人が集まるかという主催者の不安をはらいとばしてくれた。
木下和さんのページ:http://www.hiroshima-e-art.com/file/main/kaiga/kinosita/index.html

か たや、隣国、ガザではイスラエル軍による大規模空爆が続き、とうとう未明からは地上部隊が突入してしまった。ここカイロでもタハリール広場を中心に市民に よる大規模なデモが組織されているが、その怒りはイスラエルに対してはもちろん、それを公然と支持するアメリカ=ブッシュ政権に、そして、国境を閉鎖しつ づけガザ住民を見殺しにするエジプト政府にも向けられている。隣国の危機に対して憤る人々を見て、市民レベルではアラブ人としての連帯感が脈々と生きてい ることを実感する。といっても、それが絶望的無力感と一緒になったものだから、聞かされるだけの自分にもその気分が伝染してしまうのだが。

イラクでブッシュに靴を投げつけた記者がアラブ人のヒーローとなった矢先の大惨事は、ひとびとの民族的高揚感を一気に冷却させてしまった。

基金の仕事を通じて知り合った尊敬する宮内勝典さんのブログ「海亀通信」の元旦の辞はこういう内容だった。


 明けまして、おめでとうございます。
世界はまだ血の海で、
いっこうに乾く気配もありませんが、
だからこそ、明けましておめでとうございます、
と、言いつのりたい思いです。


自分も同じ気持ちで、戦地の傍らから、明けましておめでとうございます、と言うことにしよう。

カイロ国際映画祭終了。

終了日前日の11/27に、パレスチナ映画『ライラの誕生日』を見る。1時間ちょっとの短い映画だが、小学生の娘をもつ初老の元弁護士現タクシー運転手の一日を小気味よく追いかける。主演はムハンマド・バクリ。アラブ系イスラエル人で、多くのイスラエル映画で悪役を中心に味のある演技をしてきた人であると四方田犬彦さんが書いていた。その四方田さんが数年前、彼を日本に呼んで、エミール・ハビービ著『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』
の一人芝居を見せてくれたことがあった。スクリーンを通してのことだけれど、久しぶりに旧友に会ったような喜びを感じた。映画でのバクリ氏の一日は、タクシーに携帯を忘れてそれを届けろという男に振り回され、車を修理に出している間に近くでテロがあり、被害にあった男を乗せて自分のタクシーは病院に運ばれてしまっていたり、病院に着いてみたらその犠牲者は亡くなっていて、帰りは悲嘆にくれる奥さんを乗せていくことになったり、駐車してライラのケーキを買っている間に車のまわりで結婚パレードがあって、タクシーが赤いリボンで飾られていたり、それこそ悲楽観ではないが悲喜劇のオンパレード。でも、家に帰ってみると、ライラの誕生日をお祝いするのにぴったりのグッズがバクリ氏の手元には残っていました、というオチ。ライラに「どんな一日だった?」と聞かれて、はにかみながら「いつもどおりさ。」と答えるバクリ氏がカッコよかった。

ダウンタウンの映画館、メトロからしばし家の方向に散歩していると、シュルークという仕事上のつきあいのある出版社の書店がある。立ち寄って、アラビア語や英語の本をちらちらと眺める。辞書のコーナーで英語→エジプト方言の辞書発見。英語の小説のコーナーで、パキスタンの作家が書いた"A Reluctant Fundamentalist"という小説とあわせて購入。2階の一角に最近国際交流基金がアラビア語訳をシュルーク社に委託して作ったNHK編の『明治』が平済みになっているのを発見。思わず写真を撮る。

11月30日。出勤して新聞を見ると、閉会したカイロ国際映画祭の結果報告が載っていて、木村文洋監督の『へばの』がデジタル部門銀賞受賞!『ライラの誕生日』は脚本賞。多忙を口実にあまり多くの映画を見れなかったけれど、素敵な出会いがあって良かった。木村監督に祝電ならく祝メールを送る。数日後、カイロから戻った同氏から嬉しい、嬉しい返事をもらった。

この日は、午前11時にアル・ホレイヤ・スクールという私立学校のChildren's Dayのパーティに呼ばれていたので、15分だけのつもりで出かける。校長室に呼ばれ、5分くらい話したら、子どもたちの声がする中庭のほうへ案内された。外に出てみると、そこは二階のバルコニーになっていて、見下ろすと100人強の子どもたちがこちらを向いて手をふっている。校長、教育省のオエラさんとならんで、メイン・ゲストならぬパンダにされていたわけだ。そしてボクの隣には、アラブポップを全開にかけ、頭からヘッドマイクを下げるDJのおにいちゃん。このおにいちゃんはDJをやったと思ったら、次には手品師になり、そのあと腹話術をやって、最後にマペットショー。なんでもこなすスーパーマンは、こうして毎日のように学校や幼稚園を回っているのだろう。実際、うちの娘の通う保育園にも、園児の誕生パーティとかいって、よくマジシャンが来るのだ。2月あたり、ここで中学生向けに日本についてのレクチャーをする約束をさせられてしまったのが、少し気が重いが、子どもたちとお付き合いするのは精神衛生上いいことは間違いない。

11月末、家の契約更改の通告期限。夫婦で悩んだ末、年末に引越し断行を決定。この1年、苦痛でしかなかった偏屈大家とオサラバするのだ。その翌日、12月1日夕刻には引っ越す先の家を訪問し、大家と契約書を交わす。犠牲祭が終わったら、ワタワタと準備することになるだろう。新居の近くには、タダで入れるきれいな花の咲き乱れる公園がある。ここで娘たちを思う存分遊ばせるのだ。

契約は、契約期間とか電話の問題とかで結構モメて、1時間ほどかかる。きびすを返してサウィー文化センターで主催している折り紙教室へ。この日が3回コースの最終日で、前回やった3回コース同様、アレキサンドリア在住のスーパー折り紙青年、イケメンのオサマくん、通称オズオズが講師。前2回はうちの事務所の若干21歳のネヴィンさんがメインで教え、僕らが巡回して指導補助する形だが、この日はオサマの独壇場。視聴率の高い民放Dreem TVの取材も入っていて、オズオズを中心にこれから折り紙がちょっとしたブームになっていくかもしれない。

12月2日は、秋のお茶会。日本人の奥様が中心に週一で練習している茶道同好会の1年に二回(春と秋)の晴れ舞台。カイロ大や基金日本語講座の学生、いけばなの会員、折り紙講座受講者などが来て、15分ばかり、タタミに脂汗をかきながら座り、砂糖の入っていない慣れない薄茶を、おいしそうな作り顔して飲んでくれた。貴重な異文化体験だ。何回かトライしていくうちに、本当に好きになる人が出てくる。きっとそういうものだ。

その後は、12月7日に実施の日本語能力試験の準備、12月1日締切りの公募助成プログラムの申請書とりまとめやらで、珍しく帰宅が10時、11時になる。8日からは犠牲祭となり、世の中は5日から13日まで1週間以上動かなくなる。その前にいろんな仕事を片付ける必要があって、てんやわんや。自分自身も8日から13日まで、念願のルクソール→アスワン→アブシンベルの旅に出かけるから、そのためにも仕事をせっせと片付ける。

12月5日から、"HEAVY METAL ISLAM"の著者、マーク・レビン氏が映画クルーを引き連れてカイロにやってくるらしい。アイマン・ヌールの息子Shadyらのバンドや、女の子だけのメタルバンドなど4つのグループの生活と音楽を取材して、ドキュメンタリーを作るらしい。11日にはサウィーで彼らのライブがあるという。こちらも見たいのはヤマヤマだが、今回は友人の記者Fさんの取材後日談を楽しみにして、古代エジプトにトリップすることにしよう。

11月は、ロンドンで買ってきた、Arvind Dogra著"White Tiger"を読み耽った。知恵をつけて下克上で主人をやっつけて起業する元使用人の物語。今年のブッカー賞受賞のインド人作家のデビュー作。めざましい発展を続けるインドの裏側を描く、ちょっと背筋が寒くなるお話。ボクも下手をすると運転手にやられるかもしれない。。。。

今週は、"A Reluctant Fundamentalist"を読み耽っている。感想はまた今度書くことにしよう。

ということで、これから犠牲祭の休みで長期旅行に出かけます。ブログもしばらくお休みです。

ではでは。


カイロに来てはや8ヶ月。その間、アウェイでの出産と育児を経験し、つたないアラビア語でなんとか日常をやり過ごし、それなりにたくさんの文化交流の仕事にいそしんできました。

国際交流基金カイロ事務所の最重要事業の一つ、中東日本語教育セミナーを無事終え(食中毒など事件もあったものの)、9月からエジプトは酷暑のなかのラマダーンに入ることもあり、断食などとてもできそうにないひ弱な僕としては、2週間ばかり日本に帰ってこようと思います。

それでも、ラマダーン後半はしっかりとカイロにいますから、日中歯を食いしばる事務所スタッフたちをアプセットさせないようハラハラしつつ、断食明けのお食事、イフタールにたぶんときどき誘ってもらったりして、自分なりにはじめてのラマダーンを味わってみようと思っています。

では、しばらくのあいだ、さようなら。

今もキリストの使った言葉を話す街マアルーラで、聖セルジウス修道院から聖テクラ修道院へと貫ける半洞窟(左右を峻厳な岩壁に挟まれた通路)の存在を現地で雇った運転手さんに教えられ、てくてくと歩き始めたところで、聖テクラの側から歩いてきた日本人らしき男性と遭遇した。

海外の観光地で日本人同士が出会うと、なんとなく気まずくて、ついついお互いに顔をそむけてしまうことがあるが、ここでいわゆる観光地とはちょっと違い、観光バスが乗り入れるような土地ではなかったせいか、お互いぎこちなくも日本語で挨拶を交わす。

すると、相手の日本人は、

「いや、私、ここに一ヶ月くらい住んでるんですよ。」

とおっしゃるからびっくり。

聞くと、いまやこのマアルーラを含めて3箇所しかないアラム語を話すコミュニティに居を定め、この消えかかっている言語の調査・研究をされているのだという。

学術的な関心からではなかったが、自分もインドでアラム語の賛美歌に出会って以来、この言葉に興味を持ち続けていたので、たまたま自分がこの街を訪ねたときにこのような奇特な研究者とお会いできたことが、単なる偶然ではないような気がした。

この旅では、もう一度、ささやかだが、嬉しい驚きの出会いがあった。
中世の十字軍が築いた山上の要塞、クラック・ド・シュバリエの城門をくぐったところで、アラブ人女性数名と日本人女性1名のグループとすれ違った。そのうちの何人かがうちの二人の小さい娘を見て嬌声を上げるので、それに応えてという訳ではないが、

「こんにちは。」

と応答すると、先方もこちらが日本人だと気づいて、立ち止まって話しかけてきた。
彼らは、ダマスカス大学で日本語を教える協力隊員と、その教え子だちだった。教え子の一人が旅行業界で働いているとかで、その便宜で国内旅行を楽しんでいるのだという。

これも、他人からすれば、「だからどうしたの?」と言いたくなるような些細なエピソードだが、こちとら勝手に海外の日本語教育にたずさわる身として、単なる偶然とは片付けたくない気持ちになってくるものだ。

自分は運命論や決定論を心底信じるわけではないが、旅をしているときに自分の属性や関心に寄り添うような出会いには、どこかしらときめいてしまう。深追いするでもないが、その出会いを自分の心のなかで大切にしたいという気持ちが自然に沸いてくる。

マアルーラで出会った言語学者に、恐縮しながらお名前を伺った。「ふくはら」というお名前を教えてくださった。カイロに戻って、インターネットで「福原+アラム語」で検索をかけると、

福原信義(ふくはらのぶよし、1943年2月~ )は日本のフィールド言語学者。専門は中東の言語であり、とりわけアラビア語・コプト語・アラム語を研究テーマとしている。現在は大阪外国語大学のアラビア語教官でもある。(ウィキペディア)
 
 
という情報が得られた。エジプトで数十人しか話者がいないというコプト語の研究もされているそうで、エジプトにもご縁のある方だとわかった。

きっと、いずれまた、出会うことがあると信じている。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[05/13 Backlinks]
[12/27 すっかる]
[12/26 やもり]
[11/25 すっかる]
[11/25 跡部雄一]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
すっかる・ちーにー・しゅがー
性別:
男性
職業:
国際文化交流
趣味:
カレー
自己紹介:
インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]

Template by MY HEALING ☆彡