えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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12月7日から11日までの犠牲祭休暇に週末をくっつけて、5泊6日の旅に出た。
エジプトに来てはや1年。エジプトといえば誰もが行きたがる南の一大観光地、ルクソール、アスワン、アブシンベルにはじめて出かけることができた。
ルクソールまでは飛行機で1時間のひとっとび。そこからナイル川河畔で待つクルーズ船に乗り込み、4泊5日の間、船に乗って食べて寝ていれば身は勝手に南へと流れていくお気楽な旅は、古くよりエジプト観光の定番だったらしいが、通の旅人からは邪道とされてきたともいう。
初日はルクソールに留まったまま、手配してある車とガイドさんが東岸のカルナック神殿、ルクソール神殿を丁寧に案内してくれる。この日は寝て朝になってもまだルクソールのままで、早朝から今度は西岸へと連れ出され、王家の谷とハトシェプスト葬祭神殿を見学。それなりに感動するも、もともとファラオニック・エジプトにそれほど愛着のない自分にとっては、ガイドブックでも十分に見たものの再確認といった感もあり、そこそこの感慨が沸いてきた程度というのが正直なところ。
二日目の夜から船は上流へと動き出し、エスナの水門を抜け、朝になるとエドフという町に着いていた。午前中に馬車でつれていってもらったホルス神殿、そしてさらに南下したコムオンボにあるハトホル神殿は、ともにグレコローマン時代の建築なのだが、様式はまったくファラオニックなままなのが意外だった。それも、ローマ時代にキリスト教化が進んで以降は、土着のヤオロズ神をあがめることを禁止したらしく、ことごとく神々のレリーフが削られてしまっており、変わって十字架などキリスト教のイメージが刻まれていて、歴史の移行期の爪あとが見られるのが面白い。
三日目の夜を明かし、四日目に起きてみたら船はアスワンに着いていた。
この町はエジプトというよりはアフリカ的な匂いがし、川から離れると砂漠が広がっているにも関わらず、川の周囲はうっそうと草木が茂り、ナイルに浮かぶ島々は湿地帯の様相を呈し、浅瀬で魚を狙う色とりどりの野鳥を鑑賞することができる。朝一番でアスワンハイダムへ向かったのだが、このダム建設で多くの村が沈み、100万人強のヌビア人が移住させられたと聞き、ダムが出来る前はもっと美しく豊かな自然がここにあったであろうことを想像してみた。洪水の管理、耕作地の確保、電力の自給など、近代化の果実を得る見返りに、失ったものもまた大きかったということのようだ。4日間ずっとつきあってくれたガイドさんはアスワン出身のヌビア人であり、たんたんと事実を述べつつも、彼の表情や表現には複雑な陰影が見てとれた。クルーズ船のサンデッキで彼が語ってくれた言葉が印象に残った。
「ナセル政権、北のエジプト人たちは、潜在的なヌビアの力を恐れていたから、それを削いでしまうこともダム建設の隠れた目的にあったはずだ。」
ラムセス二世がこの地にアブシンベル神殿を建てたとき、それを見ていた土地のヌビア人たちは、これほどの強大な文明を自分のものにしてみたいと願うようになり、それが第25王朝においてヌビア人による国家統一を導いたとも、ものの本には書いてある。近代以降も、この地はヌビア人による事実上の自治が行われていたらしく、19世紀以降、ヨーロッパの探検家や考古学者が恐る恐る湿地を分け入り、土地の人たちとはじめて接触していくなかで、徐々にヌビアの地が植民化されたエジプトに統合されていったということらしい。
4日目の夕方は、ボートに乗ってヌビアの村に出かけた。僕ら一般人に観光プログラムとして見せる村だから、相当世俗化しているだろうとは思っていたが、四六時中観光客を入れ、茶を出し、ワニと遊ばせ、ヘンナを塗るサービスをするヌビアの家族を見ていると、純粋な伝統文化などというものはありえないとは知りつつも、やはり近代化が導いた喪失を思わなかったといえば、ウソになるだろう。
たまたま、旅に出る前日に、仕事関係で入手した1本のドキュメンタリー映画を見ていた。それが、NUBAというタイトルで、ヌビア人の歴史と現在をインタビューを中心に追ったものだった。全編アラビア語、字幕なしなので、ストーリーをちゃんと追うことは出来なかったが、最後に一人一人に自分のアイデンティティをインタビュアーが聞くシーンがあって、「エジプト人でありヌビア人でもある。」という回答が一番多かったものの、どちらかというと「ヌビア人」のほうを強調する傾向があった。ヌビア村観光を追え、タクシーでクルーズ船に戻るとき、タクシーの運転手が自分たちの出身を聞いてくるので、日本人だと答えつつ、反対に聞き返してみた。
"I am Nubian."
というのが、彼の返事だった。
なにぶんお気楽な豪華客船の旅なもんで、焦点が定まった感想もないわけだが、ヌビアという存在に対する関心がちょっとだけ膨らんだようには思っている。旅の締めくくりはアブシンベル。満月の夜、音と光のショーを見に出かけたが、ショーそのものよりも、開始前に暗転したときに、月明かりを反射してその輪郭をくっきりと浮かび上がらせた大神殿、小神殿の姿が、いちばん美しく見えた。
エジプトに来てはや1年。エジプトといえば誰もが行きたがる南の一大観光地、ルクソール、アスワン、アブシンベルにはじめて出かけることができた。
ルクソールまでは飛行機で1時間のひとっとび。そこからナイル川河畔で待つクルーズ船に乗り込み、4泊5日の間、船に乗って食べて寝ていれば身は勝手に南へと流れていくお気楽な旅は、古くよりエジプト観光の定番だったらしいが、通の旅人からは邪道とされてきたともいう。
初日はルクソールに留まったまま、手配してある車とガイドさんが東岸のカルナック神殿、ルクソール神殿を丁寧に案内してくれる。この日は寝て朝になってもまだルクソールのままで、早朝から今度は西岸へと連れ出され、王家の谷とハトシェプスト葬祭神殿を見学。それなりに感動するも、もともとファラオニック・エジプトにそれほど愛着のない自分にとっては、ガイドブックでも十分に見たものの再確認といった感もあり、そこそこの感慨が沸いてきた程度というのが正直なところ。
二日目の夜から船は上流へと動き出し、エスナの水門を抜け、朝になるとエドフという町に着いていた。午前中に馬車でつれていってもらったホルス神殿、そしてさらに南下したコムオンボにあるハトホル神殿は、ともにグレコローマン時代の建築なのだが、様式はまったくファラオニックなままなのが意外だった。それも、ローマ時代にキリスト教化が進んで以降は、土着のヤオロズ神をあがめることを禁止したらしく、ことごとく神々のレリーフが削られてしまっており、変わって十字架などキリスト教のイメージが刻まれていて、歴史の移行期の爪あとが見られるのが面白い。
三日目の夜を明かし、四日目に起きてみたら船はアスワンに着いていた。
この町はエジプトというよりはアフリカ的な匂いがし、川から離れると砂漠が広がっているにも関わらず、川の周囲はうっそうと草木が茂り、ナイルに浮かぶ島々は湿地帯の様相を呈し、浅瀬で魚を狙う色とりどりの野鳥を鑑賞することができる。朝一番でアスワンハイダムへ向かったのだが、このダム建設で多くの村が沈み、100万人強のヌビア人が移住させられたと聞き、ダムが出来る前はもっと美しく豊かな自然がここにあったであろうことを想像してみた。洪水の管理、耕作地の確保、電力の自給など、近代化の果実を得る見返りに、失ったものもまた大きかったということのようだ。4日間ずっとつきあってくれたガイドさんはアスワン出身のヌビア人であり、たんたんと事実を述べつつも、彼の表情や表現には複雑な陰影が見てとれた。クルーズ船のサンデッキで彼が語ってくれた言葉が印象に残った。
「ナセル政権、北のエジプト人たちは、潜在的なヌビアの力を恐れていたから、それを削いでしまうこともダム建設の隠れた目的にあったはずだ。」
ラムセス二世がこの地にアブシンベル神殿を建てたとき、それを見ていた土地のヌビア人たちは、これほどの強大な文明を自分のものにしてみたいと願うようになり、それが第25王朝においてヌビア人による国家統一を導いたとも、ものの本には書いてある。近代以降も、この地はヌビア人による事実上の自治が行われていたらしく、19世紀以降、ヨーロッパの探検家や考古学者が恐る恐る湿地を分け入り、土地の人たちとはじめて接触していくなかで、徐々にヌビアの地が植民化されたエジプトに統合されていったということらしい。
4日目の夕方は、ボートに乗ってヌビアの村に出かけた。僕ら一般人に観光プログラムとして見せる村だから、相当世俗化しているだろうとは思っていたが、四六時中観光客を入れ、茶を出し、ワニと遊ばせ、ヘンナを塗るサービスをするヌビアの家族を見ていると、純粋な伝統文化などというものはありえないとは知りつつも、やはり近代化が導いた喪失を思わなかったといえば、ウソになるだろう。
たまたま、旅に出る前日に、仕事関係で入手した1本のドキュメンタリー映画を見ていた。それが、NUBAというタイトルで、ヌビア人の歴史と現在をインタビューを中心に追ったものだった。全編アラビア語、字幕なしなので、ストーリーをちゃんと追うことは出来なかったが、最後に一人一人に自分のアイデンティティをインタビュアーが聞くシーンがあって、「エジプト人でありヌビア人でもある。」という回答が一番多かったものの、どちらかというと「ヌビア人」のほうを強調する傾向があった。ヌビア村観光を追え、タクシーでクルーズ船に戻るとき、タクシーの運転手が自分たちの出身を聞いてくるので、日本人だと答えつつ、反対に聞き返してみた。
"I am Nubian."
というのが、彼の返事だった。
なにぶんお気楽な豪華客船の旅なもんで、焦点が定まった感想もないわけだが、ヌビアという存在に対する関心がちょっとだけ膨らんだようには思っている。旅の締めくくりはアブシンベル。満月の夜、音と光のショーを見に出かけたが、ショーそのものよりも、開始前に暗転したときに、月明かりを反射してその輪郭をくっきりと浮かび上がらせた大神殿、小神殿の姿が、いちばん美しく見えた。
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