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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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忙しさにかまけて、まだ本屋にじっくり居座る時間がもてない。

CIMG1757.JPG近所に洒落た内装のDiwanという本屋があって、週末家族で散歩した折に何度か立ち寄ったが、本の数やジャンルは限定されている。アラビア語の書物は到底読めるレベルではないので、専ら英語の書棚を見てまわるのだが、日本の書店のように平積みされた旬の本はほとんどないなか、唯一数十冊が平積みされているのを発見した。Alaa Al Aswanyという作家がアラビア語で書いた、Yacoubian Buildingの英訳がそれだった。世界の20言語に翻訳され、現代アラビア語小説で最も成功した小説という宣伝文句がついていて、背表紙の書評抜粋にはこのように書かれていた。

 「魅惑的かつ論争的・・・現代のエジプト社会と文化を驚嘆すべき筆致で描き出している。」(New York Review of Books

 

「アラー・アル・アスワーニーは勇敢で率直な社会批評家だ。・・・Yacoubian Buildingはカイロの縮図­­­­­­-闘技場、監獄、迷宮、人間性がかろうじて救済される難破船-である。」(マリア・コリア、Times Literary Supplement


カイロの喧騒に呑まれて日々が過ぎていくなかで、もしここで評されているような小説に出会えたとしたら、読後にはカイロという大都会を理解するとっかかりをたくさんもらえるのではないかと期待して、ページを読み進めた。

 
小説は湾岸戦争期(90年代初頭)のカイロ繁華街のフラットが主舞台で、ここに住む個性的な住人たちが重層的に織り成す人間ドラマとなっている。中心階には富裕な貴族やブルジョアが生活している一方で、屋上は貧困層がバラックを建てて占有するというようなカオティックな設定のなか、様々な個性的なキャラクターが登場する。主人公の一人、落ちぶれた旧貴族は、生涯結婚せず色恋を楽しんでいたが、ある日恋人に裏切られ妹の大切にしていた指輪を盗まれたことをきっかけに、妹からこっぴどい仕打ちを受け、財産を失いかける。そんなとき、ひょんなことから飛び込んできた若い女性と純粋な恋に落ち、老齢にして本当の愛を獲得する。また別の設定では、幼少期に多忙な親の愛を受けられず、家庭教師との間でホモセクシュアリティに目覚め、成人後「経済的支援」で家庭持ちの貧しい南部男の愛をつなぎとめるエリート・ジャーナリスト、という屈折したパーソナリティも登場する。



そして、たくさんの登場人物のなかでも作家が最も紙面とエネルギーを注入して描くキャラクター、タハ・シャズリは、フラットのドアマンの息子で、日々住人の遣いっぱしりで小銭をもらう低い身分でありながら、持って生まれた才能と努力で高校を最優秀の成績で修了する。しかしながら、露骨な社会差別に警官になりたいという進路を阻まれ、挫折感を抱えて宗教的原理主義に魅了されていく。貧しくとも清貧さと勤勉さを大切にし、同じ価値観を共有する恋人に恵まれ、そして努力を積んで社会に貢献する人物になろうとする少年期から、社会に裏切られ恋人の裏切りに会う過酷な体験を経て、カイロ大学に入学する青年期までのタハの成長の足跡が丁寧に、魅力的に描かれている。大学は自家用車を乗り回す裕福なボンボンと、地方出身者を中心とした貧乏学生とに二分されていて、二者は決して交わることがない。後者はイスラームの教えに反するとして物欲に溺れる前者を憎み、まとまったグループとしてイスラーム原理主義者の拠点となっているモスクに吸い込まれていく。タハもまた、自分を裏切った「カイロを支配する者たち」の腐敗を憎み、そんな間違った社会を正したいと願うようになっていく。時は湾岸戦争。エジプト政府は、多国籍軍のイラク攻撃を支持し、それに抗議するイスラーム主義者の組織的活動を弾圧していく。タハもまた官憲に拘留され、暴力と辱めを受け、権力に対する復讐心を燃え上がらせるのだが、その契機をとらえた組織上層部はタハを組織内の戦闘集団に組み込み、いよいよタハはジハードを敢行するに至る。



この作品には、カイロという街、エジプトという国が、一握りの金を握る権力者たちと金のない大多数の人民とに二分され、前者が全てを支配するという構図が明確に設定されていて、その理不尽に対する作家の怒りが全体を貫いている。清貧な暮らしを望みはすれど、それでは生活が立たず、結局、上から権力を行使する者たちに屈せざるを得ない、そういう大部分の市民の気持ちを代弁したということが、この本の圧倒的なセールスとなって現れているのだろうか。運転手さんなど、自分の身近にいる「カイロ市民」と話していても、道路の大渋滞から、病院など公共サービスの敷居の高さと怠慢、そしてインフレで苦しくなる一方の生活状況に対する怒りが口をついたら止まらないことがある。それらをおおらかに笑ってやり過ごすエジプト人の国民性をもってしても耐え難い負の圧力が、日に日に強まっているかのようである。こうした感覚、感情の本当のところは、強い円をもって束の間軒下を借りる僕たち日本人には分かりえないものだ。作品が真実を描いているかどうかという問題とは別に、異例の数の読者を獲得したという事実が、作者の設定する構図で社会を眺め、権力の理不尽さに憤りたい多くの市民がいること、そしてその市民感情を引き起こすに至る政治社会状況が現に存在することを示しているように思われる。



他方で、この小説が文学としてどのように評価されるべきか、個人的には留保をつけたい。第一に、「富裕層による寡頭支配」という構図設定そのものに作者のイデオロギーの臭いがする。よしんばそれが、社会を俯瞰した場合に真であるとしても、作品のある登場人物が完全なる支配者性を仮託され、別の登場人物は純粋な被支配者であるような描き方は、文学がもつ隠喩の喚起力とは対極をなすものである。タハ・シャズリ青年が権力に踏みにじられ、イスラームの力を背に復讐を果たすまでの物語は、読み物として惹きつけられるとことはあるが、現代政治におけるイスラーム過激主義の問題をあまりに単純化して文学のなかに持ち込んだ感がある。タハ青年の辿った道は、一人の人間が宗教に救いを求める数多ある道筋の一つのパターンとして実際にありうるとは思うけれども、文学である以上、タハ青年の生き方の提示によってむしろ、その他の「数多ある道筋」の方にこそ読者の想像力を向けさせることが必要だったのではなかろうか。ホモセクシュアリティの問題にしても、イスラーム過激主義同様、なぜこの作品で社会的マイノリティのエッセンスだけを抽出したようなキャラクターを次から次へと出す必要があるのか、その理由づけが不明である。権力に蹂躙・翻弄される一般市民のことを描きたいならば、わかりやすく極端な個性に走るよりも、凡庸な個人の微妙な心の振幅をこそ描くのが文学ではないか。そう思うと、この作品が先の書評が言う「現代のエジプト社会と文化を驚嘆すべき筆致で描き出している」ものであるかどうか、疑問なしとしないのである。



さはさりながら、これがカイロっ子に広く読まれる理由はなんとなく想像できるし、一外国人がカイロ社会の入門書として、できるならば良質な社会評論と一緒に読んでみても、得られるところが少なくはない。



なお、
Yacoubian Building2006年にマルワーン・ハーミド監督によって映画化され、同年のパリ・アラブ映画ビエンナーレでグランプリを受賞している。日本でも国際交流基金が上映し、この324日にも再上映する予定。
僕自身は観る機会を逃しているので、映画に対するコメントはできないが、原作の弱さがどのように現れているか、後日
DVDで観てみたいと思っている。タハ青年が原作同様に描かれ、そしてヨーロッパで評価されているとすると、Alaa Al Aswan氏がもしかすると肯定したかったかもしれないタハの過激主義への傾倒を、欧米世界はネガとして受け取り、「イスラーム世界」の飼い慣らしの肥やしにしたかもしれない。果たしてそれが作者の意図したことだったかどうか。

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