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3月23日土曜日、朝から妻に兆しがあり、昼過ぎから弱い陣痛が始まった。
第1子のときと比べてあまりにも微弱であったため、妻は日本人会に注文していた豆腐をとりに行き、のんびりと僕と長女の昼食を作り、午後3時頃には客人を迎えお茶したりしていたが、念のためと思って4時過ぎにドクターに電話。とりあえず来いと言われ、休暇中の運転手さんを呼びつけ、病院に到着したのが午後5時。主治医のDr.ネヴィーン(女医)の到着を待つ間、アシスタントのDr.アイマン(男医)の診察を受け、まだまだ時間がかかりそうということで、とりあえず入院する個室を確保してアドミッションの様式に必要事項を書いて提出。この時点では出産が何時間、いや何日後になるのか、はたまたまだまだ先のことと判断されて一旦家に帰されやしないかといったもろもろについては、まったく知りえなかった。
エジプトで出産するという話を日本で身内や知人にしたときの反応はさまざまだったが、積極的応援派は少なかった。これは出産に限らずだが、いわゆる途上国の医療サービスに関する漠とした不信感というものは、少なからず我々のなかに染み付いているもののようである。かくいう僕ら夫婦だって、揺るぎない自信をもって決断したかというと、決してそうではなく、立て続けに3人くらいから再考を促されたりすると、「たかが出産、されど・・・」なのかなと思い直して夫婦会議をしたりはしたものだった。
そんななか、上司の知り合いでカイロで出産予定の人がいるという紹介を受け、その人と妻がメールのやりとりをはじめたり、10年ほど前にカイロで出産した職場の先輩の奥様からも激励のメールをもらったりして、カイロにはしっかりしたお医者さんと施設があるから心配には及ばない、と最終的には得心し、妊娠8ヶ月に届かんとするクリスマス・イヴに、お腹の突き出た妻と、まだ乳離れしきっていない長女とともに、カイロの地を踏んだのだった。
カイロに着いてみると、事前にメールでやりとりしたUさんの他に、1月予定日のYさんという日本人もいらっしゃることがわかり、それぞれ別のクリニックに通っているというので、我々も両方のお尻に金魚のフンをして、いい方を選ぼうということにした。
その結果選んだのが、モハンデシーン地区にクリニックを構えるDr.ネヴィーンと、Dr.ネヴィーンがいつも出産に際して使用するEl Nada病院だった。ローダ島(ナイル側に浮かぶもう一つの島)に位置するモダンで新しい病院で、受付を中心に英語を話すスタッフを多く抱えている。入院用の個室はシンプルなシングル・ルームにはじまって、立会人用に別部屋があり、フラットTVなど贅沢品で埋め尽くされたRoyal Suiteまで、利用者の経済状況に応じてクラスを選べるようになっており、料金的には1泊4000円程度から3万円までのヴァリエーションがある。我々は、1st Class Luxという一泊7000円くらいの部屋を選んだ。リモコンで高さ調整のできるベッド、立会い者用ソファベッド、14インチくらいの普通のテレビ、お湯の出るシャワーがついていて、不自由感はまったくない。
妻のほうは、家では20分間隔で始まっていた弱い陣痛が、移動の車中あたりからパタっと止まり、病院でも7時頃まで陣痛を促そうとして部屋のなかを歩き回っていた。それが7時半の検診で子宮口7cmまで開き、経産婦はここからが早いことが多いということで、8時頃、妻は移動式分娩台に載せられて、階下の分娩室へ運ばれていった。長女のおむつ交換に追われていた僕は、遅れて追いかけたが、妻がどこに運ばれたのやらわからず、5分ほどいろいろな人に聞きまわって、ようやくDr.アイマンを見つけ中に入れろと苦情を言い、防菌服に着替えて分娩室に合流。娘の沙羅は入室を断られ、運転手のサーメハさんに面倒をまかせることに急遽なってしまった。このへんの急展開は、前もってドクターや病院側とよく話をつめていなかったせいでちょっとスリリングだったので、今後El Nadaで出産を考える人は気をつけてほしい。
分娩室に入ってから出産まではものの1時間。驚異的安産に一番驚いていたのは、妊婦本人だった。カイロ在住で日本で助産士をされていたXさんが様子見に来てくれた時には、いよいよいきみ始めるぞ、とういタイミングで、我々も無茶をお願いして立ち会ってもらうことになり、こうして8時59分、スルリと我が次女は生まれ落ちたのだった。分娩室への移動だけはドキドキさせられたが、ドクターの腕も保障済み、終始安心感をもって臨むことができた。
安産だったということを差し引いても、カイロでの出産については、英語でのコミュニケーションに大きな不安がない限り、それほど不安がることもない。というのが、実体験をくぐりぬけた者の感想である。
本日、病院近くの保険所より、アラビア語で書かれた出産証明書をもらい、エジプトでの出産という一事業をなしとげた充実感がやってきた。残念ながら当地は血統主義のため、次女摩耶はエジプト人になる可能性をもってはいないが、カイロ生まれというめったにない称号が彼女に生涯ついてまわることになる。
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