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木曜から金曜にかけて、アレキサンドリアへ出張。街の治安状況を調べて、日本語講座などの文化事業再開の目処をつけてきた。そこで出会った関係者や日本語学習者も、カイロの仲間のように、日本の震災被害に対して真剣な眼差しでお見舞いの言葉をかけてくれた。日本が世界に向けて示してきた誠意、勤勉さ、共感の積み重ねが、こういうときにちゃんと温かい気持ちとして返ってきている。
カイロに戻って、金曜の夜、EL SAWY CULTURE WHEELで木曜から始まった第三回カイロ・ジャズ・フェスティバルに顔を出してきた。1月25日革命による混乱の影響で開催があやぶまれていたが、主催者のゆるぎない信念が、このお祭りを単なる音楽の祭典以上に意味あるものにしていた。
フェスティバルは、公式ウェブサイトで、「1月25日革命の殉死者に捧げる」と銘打った。いくらなんでもそれは大げさじゃないと思うかもしれないが、人々が立ち上がり、強権的な政権に立ち向むかったそのうちのひとつは間違いなく、自由に音楽が出来ること、自由に言いたいことがいえる社会の実現であったはず。音楽を愛する若者が大勢集まっていた。みんな、勝ち取った自由がもたらしてくれたユーフォリアに酔いしれていた。音楽は人をつなぐ。言い古された言葉が生き生きとした実態をともなって、空間をひとつに結んでいた。
会場には、タハリール広場の革命の日々が切り取られた写真たちが飾られた。
エジプトに続いて今度は日本が大変なことになり、結果的に難しかったとはいえ、この空間に日本の音楽家を招くことができなかったことが残念だ。
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