えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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7月3日夜、ギザの三大ピラミッドそばのメナハウス・オベロイ・ホテルで開催されていたベリーダンスの祭典、アハラン・ワ・サハラン(アラビア語で「ようこそ」の意)のクロージング・フェスティバルへ出かけた。タブラ・レッスンをアレンジしてくれている日本人ベリーダンサー、かすみ先生からの情報を友人から聞きつけて、はじめて年に一回のこの大祭典の存在を知ったのだった。
前売り券を買った友人情報ではチケットは500ポンド(約10,000円)だったが、ホテルロビーにしつらえられた受付では660ポンドで売られていた。それも、120USDを5.5倍で計算しての数字だが、世の中一般の交換レートは5.35程度だから、結構ズルイ。ごねても無駄なことがわかっていたので、いさぎよく言い値を払って会場へ向かった。
会場はホテル2階の巨大バンケット・ホールで、10メートルはある天井からは落ちたら相当痛そうなシャンデリアが5つほどぶらさがっている。到着した8時半頃には、すでにほとんどの円卓が観客でいっぱいだった。どのテーブルにもイスラームの国エジプトにいることを忘れそうな、薄くて短い衣装をまとった女性たちが9割以上を占め、男性はごくわずか。その男性もいかにもお金をもっていそうで、案の定、このフェスティバルのスポンサーだったり、出演したダンサーのパトロンだったりした。何でもないただの男性客は、もしかしたら僕だけだったかもしれない。
アハラン・ワ・サハランは1年に1回、メナハウスで行われるベリーダンスの国際的祭典で、世界中からダンサーが集まってくる。フェスティバルは約1週間続き、初日と終日がトップダンサーによるショーとなるが、その間は、彼らトップダンサーによるワークショップが行われているのだそうだ。この最終日のプログラムで、各国の若手ダンサーやグループに対する授賞式が行われていたところを見ると、このほかにコンペティションも企画されていたはずである。
8時半からこの日のプログラムが始まった。最初に踊った2人の外国人ダンサーには生バンドがつかず、録音された演奏にあわせての踊りだった。自前のバンドをもたないダンサー、すなわちアマチュアということだ。
この2人が踊り終えると、司会者の力の入りようがガラリと変わり、そして舞台上では楽団があわただしくセッティングを行う。司会者の紹介を受けて登場したのが、吾らがかすみ先生!11年間、プロのダンサーとしてカイロで踊り続けるかすみ先生に対する観客の反応、そしてダンサーそのものから発せられるオーラは、前の2人とはぜんぜん違う。「異国の踊りを上手にマネする外国人」という域をはるかに超えて、エジプトのダンサーと同じ土俵でわたりあう、本物のベリーダンサーなのである。事実、この日は真夜中にエジプト人の結婚式で踊らなければならないと言っていたかすみ先生は、結婚式や観光客船やクラブなどで踊ることによって、自分だけでない楽団メンバーの生活の面倒まで見ているのである。
かすみ先生以降は、余興としての男性の群舞、前座としてのアマチュアのカラオケダンスを間に挟みながら、楽団をもつプロのダンサーの本物の踊りが続く。そのプロも、ロシア人とイタリア人で、エジプト人は最後の最後に、ナンシーというスター・ダンサーが出てくるまでお預けであった。ナンシーが出てきたのは、すでに夜中の1時半のことだった。
ナンシーはまだ20代の若いダンサーだが、他とは別の空気がこの人のまわりを流れている。本場のエジプト人にしか出せないオーラと言ってしまえばみもふたもないが、「上手く踊る」という技術のレベルを超えた、遺伝子がそうさせているとしか言いようのない魅力、色気といったものが場を支配していた。ベリーダンスのイロハがわかっていない僕のような人間でも、こうして8時過ぎから夜中の2時過ぎまで10人近いダンサーの踊りを見続けてくると、アマとプロの違い、他のプロとナンシーの違いといったものがわかってくる。本物を見ることでしか目を肥やすことができないというのは、どの芸術分野でもあてはまる真実である。
ナンシーが舞台から降りたのは2時過ぎ。このときまでに半分強の観客は帰ってしまっていたが、最後に有名男性シンガー、カリーカのライブでフェスティバルは幕を閉じた。竹馬に乗ったのっぽのピエロやキングコングが室内を踊りまくるなかで、カリーカも客の座る円卓に昇って客を煽り、観客も眠気を忘れて踊りまくった。全てが終わったとき、すでに時計は3時を回っていた。
エジプトはかつてベリーダンスの中心だったそうだが、昨今は国民全体としてのイスラームへの傾倒の影響を受けて、この華やかで開放的な踊りを不道徳とみなす人々に煙たがられ、外国人向けの観光用にこれまた外国人のダンサーを起用するといった形に縮小してしまっているという。この日舞台に上ったエジプト人がナンシー一人しかいなかったことも、その事実の反映かもしれない。とすると、国際化したベリーダンスの広がりとともに超一流のエジプト人の踊りを見ることが出来るアハラン・ワ・サハランは、660ポンド払ってでも、一回は見ておいて損はない。
前売り券を買った友人情報ではチケットは500ポンド(約10,000円)だったが、ホテルロビーにしつらえられた受付では660ポンドで売られていた。それも、120USDを5.5倍で計算しての数字だが、世の中一般の交換レートは5.35程度だから、結構ズルイ。ごねても無駄なことがわかっていたので、いさぎよく言い値を払って会場へ向かった。
会場はホテル2階の巨大バンケット・ホールで、10メートルはある天井からは落ちたら相当痛そうなシャンデリアが5つほどぶらさがっている。到着した8時半頃には、すでにほとんどの円卓が観客でいっぱいだった。どのテーブルにもイスラームの国エジプトにいることを忘れそうな、薄くて短い衣装をまとった女性たちが9割以上を占め、男性はごくわずか。その男性もいかにもお金をもっていそうで、案の定、このフェスティバルのスポンサーだったり、出演したダンサーのパトロンだったりした。何でもないただの男性客は、もしかしたら僕だけだったかもしれない。
アハラン・ワ・サハランは1年に1回、メナハウスで行われるベリーダンスの国際的祭典で、世界中からダンサーが集まってくる。フェスティバルは約1週間続き、初日と終日がトップダンサーによるショーとなるが、その間は、彼らトップダンサーによるワークショップが行われているのだそうだ。この最終日のプログラムで、各国の若手ダンサーやグループに対する授賞式が行われていたところを見ると、このほかにコンペティションも企画されていたはずである。
8時半からこの日のプログラムが始まった。最初に踊った2人の外国人ダンサーには生バンドがつかず、録音された演奏にあわせての踊りだった。自前のバンドをもたないダンサー、すなわちアマチュアということだ。
この2人が踊り終えると、司会者の力の入りようがガラリと変わり、そして舞台上では楽団があわただしくセッティングを行う。司会者の紹介を受けて登場したのが、吾らがかすみ先生!11年間、プロのダンサーとしてカイロで踊り続けるかすみ先生に対する観客の反応、そしてダンサーそのものから発せられるオーラは、前の2人とはぜんぜん違う。「異国の踊りを上手にマネする外国人」という域をはるかに超えて、エジプトのダンサーと同じ土俵でわたりあう、本物のベリーダンサーなのである。事実、この日は真夜中にエジプト人の結婚式で踊らなければならないと言っていたかすみ先生は、結婚式や観光客船やクラブなどで踊ることによって、自分だけでない楽団メンバーの生活の面倒まで見ているのである。
かすみ先生以降は、余興としての男性の群舞、前座としてのアマチュアのカラオケダンスを間に挟みながら、楽団をもつプロのダンサーの本物の踊りが続く。そのプロも、ロシア人とイタリア人で、エジプト人は最後の最後に、ナンシーというスター・ダンサーが出てくるまでお預けであった。ナンシーが出てきたのは、すでに夜中の1時半のことだった。
ナンシーはまだ20代の若いダンサーだが、他とは別の空気がこの人のまわりを流れている。本場のエジプト人にしか出せないオーラと言ってしまえばみもふたもないが、「上手く踊る」という技術のレベルを超えた、遺伝子がそうさせているとしか言いようのない魅力、色気といったものが場を支配していた。ベリーダンスのイロハがわかっていない僕のような人間でも、こうして8時過ぎから夜中の2時過ぎまで10人近いダンサーの踊りを見続けてくると、アマとプロの違い、他のプロとナンシーの違いといったものがわかってくる。本物を見ることでしか目を肥やすことができないというのは、どの芸術分野でもあてはまる真実である。
ナンシーが舞台から降りたのは2時過ぎ。このときまでに半分強の観客は帰ってしまっていたが、最後に有名男性シンガー、カリーカのライブでフェスティバルは幕を閉じた。竹馬に乗ったのっぽのピエロやキングコングが室内を踊りまくるなかで、カリーカも客の座る円卓に昇って客を煽り、観客も眠気を忘れて踊りまくった。全てが終わったとき、すでに時計は3時を回っていた。
エジプトはかつてベリーダンスの中心だったそうだが、昨今は国民全体としてのイスラームへの傾倒の影響を受けて、この華やかで開放的な踊りを不道徳とみなす人々に煙たがられ、外国人向けの観光用にこれまた外国人のダンサーを起用するといった形に縮小してしまっているという。この日舞台に上ったエジプト人がナンシー一人しかいなかったことも、その事実の反映かもしれない。とすると、国際化したベリーダンスの広がりとともに超一流のエジプト人の踊りを見ることが出来るアハラン・ワ・サハランは、660ポンド払ってでも、一回は見ておいて損はない。
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