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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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先日、夏休みでカイロに来てくれた奇特な友人に頼んで、文庫になったばかりの若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』を持ってきてもらった。当時の一時資料や後世の研究者の分析のみならず、登場人物の人となりや来し方からの推測までをも総動員して、若桑さんは天正少年使節の真実に迫る。

文庫にして上巻600ページ弱、下巻500ページ弱の大著だが、上巻も最後になってようやく使節のヨーロッパへの旅が始まるのは、使節派遣に至るまでの日本の情勢や主要登場人物の言動の絡み合いを整理して読者に提示する意図からだろう。上巻を読み通して印象に残った点は、

1.当時の地方の殿様たちは、権力闘争のなかで自分の所領への経済的・軍事的メリットを多いに期待してキリスト教の布教を受け入れたが、うち大村・有馬・大友らは個人としてこの教えに共感して入信した。

2.ポルトガルのイエズス会、スペインのフランチェスコ会の間、またイエズス会の中でもポルトガル宣教師とイタリア宣教師との間には思想上、政策上の差異が際立っており、イタリア人の文明的洗練に比して、ようやくイスラーム勢力との戦いを退けたばかりのイベリア半島勢は、認識の上でも方針の上でも、西欧優位アジア蔑視の立場が明瞭であった。

3.前者を代表するのが巡察使のヴァリリャーノ。後者が前任のポルトガル人カブラル。ヴァリリャーノは実に賢人であり、異国での布教にあたりその土地の人々の思想、信条、文化、規範に自らを可能な限り適応させることを旨とした。当時の世における認識としては最高度のものであったと言える。

この第三の点について、以下にヴァリリャーノの考えをよく示すくだりを抜粋した。

ここで不足しているのは神父です。だからこそ、日本での布教には日本人の助けを得ること(日本人神父をつくること)がほかのどこよりも必要なのです。(上巻p. 205)

ヴァリリャーノは日本だけではなくインド、フィリピンなどすべての視察官なので、とくに日本語ができたのだはなかったが、彼の弟子マッテーオ・リッチに指示したように、宣教師はまずなによりもその布教する国のことばを知らなければいけないと固く信じていた。(上巻p. 207)

「国は異なり、風習は異なる。つまるところ、われわれの風習もまたヨーロッパという小さな地域にあわせてできたものにすぎないではないか。」これはこの時代の西洋人としてはまことに驚くべきことばである。彼がたとえ何者であったにせよ、このことばは賢人のものである。(上巻p.247)

ヴァリリャーノは日本の少年を「西洋人」にする気はなかった。「東西を知る人間」にすることが基本的な理念である。キリスト教思想を知るには、それが出てきた西洋の思想を知るべきである。しかし、それを日本のなかで日本人に語るには、禅僧などと同等の日本文化や思想の知識やことばを知らなければならない。(上巻p.296)

だいじなことは、すでに成長した木に接ぎ木をしたのが、成人改宗者であるとすれば、少年は、キリスト教がこの日本という大地に蒔かれて、はじめてそこで「採れた初穂」なのだ。布教以来30年、いまやっと初穂が採れた。だから少年をローマに送るのである。(上巻p.305)

日本に学校をつくるばかりでなく、知的な教育普及のために書物の出版が欠かせないと考えて、書物の印刷所をつくることを計画し実行した。(上巻p.309)

現地に教師を養成すること、指導するものはその地の言葉を解さねばならない、国や風習が異なるという相対感をもつ必要性、自国と外国文化の両方を知った人間こそがよい教育ができる、理屈ではなく感性で外国文化に共感できる少年期を大事にすべし、教育とあわせて出版がなされねばならない。

これらは、宗教の布教から離れて、いま、われわれがやっている国際文化交流やその一環としての日本語教育、日本研究の指針としてもそのまま当てはまる知見で、この商売をやっている者としてはとても面白く読んだ。

日本文化を他国に紹介するにあたり、自国文化優位の立場にたつのではなく、相手の文化をよく理解したうえで土地ごとの独自の受け入れ方を許容する姿勢が必要であり、自らが正しい日本を伝えられると過信することなく、その土地の人々のなかから、その土地の言葉で、その土地の文脈をふまえてやわらかく伝達できる教師を養成することが肝要である。

これらは、自分が国際交流を志した当初から先輩たちに教えられた考えと寸分も違わない。

絶対主義拡張期特有の圧力型の布教トレンドに対し、あくまで日本人を尊敬し日本に適合的な布教のあり方を常に考え実行してきたヴァリリャーノは、その信望の厚さの分だけ嫉妬の対象ともなり、それが彼が送り出した天正少年使節に対する後世の語られ方にも影響を与えてしまったという。

この先は、下巻を読んでのお楽しみ。また改めて、心にとまった文を書きおいてみたいと思う。

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