えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
twitter: @sukkarcheenee
facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
著者は、最初の章で人気作家のアラ・アスワーニーと彼の出世作『ヤコービアン・ビルディング』をとりあげ、ひとつには、彼を囲むダウンタウンのカフェで行われたある日の知識人サロンを取材する。その日は、文化大臣ファルーク・ホスニが、女性のスカーフを文化的に遅れた行為であると発言して各方面から非難・攻撃を受けていることについて、みなが意見を交換していた。大臣の発言に賛同するかどうかの問題ではなく、世の中にこれだけ多くの社会問題があふれているなか、こうしたアイデンティティや文化をめぐるコントラヴァシーに限って、どうしてこうも世論やメディアが沸騰してしまうのか、という点に著者は疑問を投げかける。
章を追っていくごとに著者のエジプト社会に対する視座がはっきりしてくるが、それは、独裁といってよい強権政治が、政治の失敗についての報道や発言をほとんど抹殺している状況下で、一種のスケープゴートとして、こうした日常生活に直結しない問題への飛びつきを放任しているという分析によっている。アラ・アスワーニーのような著名な知識人や左翼系独立メディアを中心とするキファーヤ(もうたくさん)運動なども、問題への言及が政権が許容できる範囲であれば泳がせておき、もって、中東地域の民主化を監視する米国などのご機嫌をとるが、その範囲を逸脱した瞬間、逮捕状なしの拘留、軍事法廷での裁定、投獄、拷問など、人権を無視した言論の抹殺が行われる。
しかし、そうやって社会問題に対する世俗的アプローチでの穏健な政治批判をたたきつぶすことによって、人々の不満のよりどころは宗教に集中していき、ムスリム同胞団という原理主義組織の台頭を許したばかりか、元来、他の宗教や信条に対して寛容なコスモポリタンであったエジプト(特にカイロ)の人々の文化そのものの非寛容性、非協調性を強化する方向へと進んでしまっているという。
ナセルの革命の評価、ムスリム同胞団、イスラム神秘主義とキリスト教、ベドウィン、拷問、腐敗、失われた尊厳といった形で、章ごとに明確に扱う対象を区分していて、独立した章だけを切り取って読んでも、十分に面白い。その点は、全体の論文のストラクチャーのなかでの論理構成から章立てを作っていくアカデミックなアプローチとは違っていて、読みやすい反面、読後感は散漫な印象を残してしまうというのが、この本の弱点でもあるだろう。
最終章は、「ムバラク以降のエジプト」という大胆なタイトルで、著者は、イランのイスラム革命をひきあいに出しながら、エジプトにおいてもそのような宗教革命によってレジームがひっくりかえる可能性があると予言している。そして、エジプト近現代史においてほぼ30年おきにクーデター、革命などの社会騒擾がおきていて、前回が1977年の食糧補助金廃止による暴動だったから、「そろそろ何かおきるぞ」と警告して、231ページの本書は終了。
学術論文ではないので、非常に読みやすく、短時間で現代エジプトの政治社会状況がつかめるので、十分にオススメできる本である。
片や、もう一冊、同時期にカイロ・アメリカン大学出版から出たその名も"Egypt After Mubarak"という本があって、こちらはアメリカの大学の准教授が書いた学術書だ。字数も多いので、Bradley氏の本よりも手をつけるのが躊躇われる。いつか、力尽きなければ、レポートしたいと思う。
PR
土曜日、家族で近所の公園に弁当をもってピクニックに出かけた。
歴史的偉人の胸から上の彫刻が設置され、そのまわりをきれいな花壇でおおったこの公園には、どういうわけだか、ほとんどお客さんがいない。そのくせ、落ち葉拾いや花壇の整備のために10人近いスタッフがのんびりと作業しているから、いったい誰のための公園なのだろうと、いぶかしく思ってしまう。実際、1月に僕らが入居するまで住人だった大家さんたちも、この公園に一般の人たちが入れるかどうか知らなかった。ちなみに、僕らが勝手に「銅像公園」と呼ぶこの公園のど真ん中には、ムバラク大統領の銅像がおわします。ほかはみんな、故人なんですけど・・・・
娘がご飯を待ちきれなくなったので、10時半過ぎにランチをはじめると、めずらしくお客さんが入ってきた。恰幅のよいおばちゃんがムスっとした顔をして僕らのそばのベンチに腰かけたかと思うと、その娘と思しき学校の制服を着た華奢な娘さんもまた、ふてくされた顔をして追いかけてきた。こちらがつくり笑いを投げかけても、まったく反応なし。なんだか居心地悪いなーと思っていると、公園の管理人のサミールさんがやってきて、お母さんのほうとなにやら話し込んでいた。「遅刻・・・」「試験・・・」とかなんとかいう単語が聞こえてきていた。別に話の内容を知りたいなどと思いはしなかったのだけれど、サミールさんはわざわざ僕に、たどたどしい英語とアラビア語をまぜこぜにして、事情を説明してくれた。この娘さん、大事な試験に遅刻して、それで試験終了後の手続きのために待ちぼうけをくわされているのだった。それにしても、女子校生の試験に親が付き添うのか、と多少驚いていたら、帰り道、ちょうど試験が終わって、大量の女子高生が校門から吐き出されてきたその先には、わが子がどうだったのか心配でしょうがないといった風情の親たちが待っていた。
公園の出口では、白い車のボンネットを開けて、おじさんが5~6人の人たちになにやらエンジンの構造について説明をしていた。そういえばここに来るとよく、へたくそなよろよろ運転に出くわし、えらい危ないことだと思っていたが、これは路上自動車教習だった。このおじさんはいったい幾らとっているのだろう?そもそも教習のライセンスとか、もってるのか・・・・そして、この教習を経て免許をとる人たちの運転は大丈夫か・・・・
自動車教習と試験を終えた開放感にはしゃぐ女子高生をやり過ごすと、家の手前50メートルの交差点には、野菜売りのリヤカーをひくロバがいた。売り子さんはどこかに油を売りに出かけたのか、スイカやだいこんなどの野菜をロバに預けて、姿が見えない。一本表に出ると、ナイキだリーバイスだと外資系のショップが軒を連ねる目抜き通りの、その裏では、ロバが野菜をひき、馬がゴミを回収する家畜との共同生活がまだ生きている。そのへんの事情が都市の公衆衛生と伝染病防止という観点からにわかに問題になり、豚の大量屠殺を招いている。都市での人間と動物の共生はインドでも問題になっていて、昨今、デリーでは牛の「放牧」が禁止された。疫学上の問題はよくはわからないが、動物たちにとってもすみにくい世の中になってきたものである。
歴史的偉人の胸から上の彫刻が設置され、そのまわりをきれいな花壇でおおったこの公園には、どういうわけだか、ほとんどお客さんがいない。そのくせ、落ち葉拾いや花壇の整備のために10人近いスタッフがのんびりと作業しているから、いったい誰のための公園なのだろうと、いぶかしく思ってしまう。実際、1月に僕らが入居するまで住人だった大家さんたちも、この公園に一般の人たちが入れるかどうか知らなかった。ちなみに、僕らが勝手に「銅像公園」と呼ぶこの公園のど真ん中には、ムバラク大統領の銅像がおわします。ほかはみんな、故人なんですけど・・・・
娘がご飯を待ちきれなくなったので、10時半過ぎにランチをはじめると、めずらしくお客さんが入ってきた。恰幅のよいおばちゃんがムスっとした顔をして僕らのそばのベンチに腰かけたかと思うと、その娘と思しき学校の制服を着た華奢な娘さんもまた、ふてくされた顔をして追いかけてきた。こちらがつくり笑いを投げかけても、まったく反応なし。なんだか居心地悪いなーと思っていると、公園の管理人のサミールさんがやってきて、お母さんのほうとなにやら話し込んでいた。「遅刻・・・」「試験・・・」とかなんとかいう単語が聞こえてきていた。別に話の内容を知りたいなどと思いはしなかったのだけれど、サミールさんはわざわざ僕に、たどたどしい英語とアラビア語をまぜこぜにして、事情を説明してくれた。この娘さん、大事な試験に遅刻して、それで試験終了後の手続きのために待ちぼうけをくわされているのだった。それにしても、女子校生の試験に親が付き添うのか、と多少驚いていたら、帰り道、ちょうど試験が終わって、大量の女子高生が校門から吐き出されてきたその先には、わが子がどうだったのか心配でしょうがないといった風情の親たちが待っていた。
公園の出口では、白い車のボンネットを開けて、おじさんが5~6人の人たちになにやらエンジンの構造について説明をしていた。そういえばここに来るとよく、へたくそなよろよろ運転に出くわし、えらい危ないことだと思っていたが、これは路上自動車教習だった。このおじさんはいったい幾らとっているのだろう?そもそも教習のライセンスとか、もってるのか・・・・そして、この教習を経て免許をとる人たちの運転は大丈夫か・・・・
自動車教習と試験を終えた開放感にはしゃぐ女子高生をやり過ごすと、家の手前50メートルの交差点には、野菜売りのリヤカーをひくロバがいた。売り子さんはどこかに油を売りに出かけたのか、スイカやだいこんなどの野菜をロバに預けて、姿が見えない。一本表に出ると、ナイキだリーバイスだと外資系のショップが軒を連ねる目抜き通りの、その裏では、ロバが野菜をひき、馬がゴミを回収する家畜との共同生活がまだ生きている。そのへんの事情が都市の公衆衛生と伝染病防止という観点からにわかに問題になり、豚の大量屠殺を招いている。都市での人間と動物の共生はインドでも問題になっていて、昨今、デリーでは牛の「放牧」が禁止された。疫学上の問題はよくはわからないが、動物たちにとってもすみにくい世の中になってきたものである。
昨日、オフィスで警備スタッフが、テレビを見に来いというから行ってみたら、葬式の実況中継だった。
聞くと、ムバラク大統領の孫が急病で亡くなったという。12歳というからなんとも可哀想だ。
なにげなくテレビを見つめていたが、ふと、元首の孫の葬式が生中継されるなんて、ほかの国ではあまりないことなのでは、と思ってしまった。こちらが長い日本人スタッフによると、前に大統領の近しい身内が亡くなったときにはやらなかったことらしい。
83歳になる大統領の健康不安説が日々ささやかれ、後継が息子のガマルになるといううわさがもっともらしく語られる状況で、世襲が既成事実化した場合には次期皇太子のような存在となる孫の死がこうして電波にのって国民に周知されるというのは、なんとも不気味な感じがするものである。
なお、この葬儀にムバラク大統領は出席しなかった。ショックで健康不安がいよいよ深刻になったのか、はたまた、自身の安全が保障されないために見合わせたのか。
聞くと、ムバラク大統領の孫が急病で亡くなったという。12歳というからなんとも可哀想だ。
なにげなくテレビを見つめていたが、ふと、元首の孫の葬式が生中継されるなんて、ほかの国ではあまりないことなのでは、と思ってしまった。こちらが長い日本人スタッフによると、前に大統領の近しい身内が亡くなったときにはやらなかったことらしい。
83歳になる大統領の健康不安説が日々ささやかれ、後継が息子のガマルになるといううわさがもっともらしく語られる状況で、世襲が既成事実化した場合には次期皇太子のような存在となる孫の死がこうして電波にのって国民に周知されるというのは、なんとも不気味な感じがするものである。
なお、この葬儀にムバラク大統領は出席しなかった。ショックで健康不安がいよいよ深刻になったのか、はたまた、自身の安全が保障されないために見合わせたのか。
昨年5月の暑い暑い日に、ムバラク大統領夫人が代表を務めるNGOが主催したホコ天イベントに出店を出して、ひたすらに折り紙を折り続けた。総計で何万人ものエジプト人~若者や家族連れなど~が交通を遮断した繁華街に群がり、各国大使館や文化機関が出店する出店を冷やかし、ステージ上のパフォーマンスに熱狂した。
そして今年もお呼びがかかった。「あー、去年は気が遠くなるほど暑かったなー。」と、ただただ暑さの記憶だけがよみがえってきたが、こういう瞬発力系のイベントは好きなので、今年も乗り込むことに決めた。くわえて、折り紙だけじゃさびしいので、ブースを2つ分もらって、オセロ対戦、日本関連本のアラビア語訳展示、J-popのPVローテーションなど、新しい企画ももりこんでみた。
またまた日本のブースはとぎれることなく行列が出来る人気を集めて、うちのスタッフも、手伝ってくれた日本人会のみなさんも、ご飯を食べるヒマも与えられず、一生懸命に折り紙を折り、子どもたちとオセロで遊んだ。
夕方5時半。人気のエジ・ポップ・バンド、Wust El Baradがステージに現れた。ロック好きの所長と二人でステージまで近寄ろうと思って歩いていくが、ステージから30mくらいのところで人の波にさえぎられて、思うように前にすすめなくなる。このライブだけで2~3千人の人たちが集まっている感じだ。彼らの演奏もタイトでカッコいい。
ステージはまだしも、とりたてて面白いブースが並んでいるわけでもないこのホコ天に、毎年数万人の人間が集まってくるというのは、やっぱり、いかに人々がのびのびできる開放的空間に飢えているかを雄弁に物語っているように思えてならない。このイベントそのものにケチをつける気はないけど、それを大統領夫人が演出しているというのが、権力にとっての「ガス抜き」なのかな、とうがった見方を僕にさせてしまうのだ。
閑話休題。スリランカでLTTEの指導者、プラバーカルが死んで、LTTEが降伏したんだそうな。
インド亜大陸の大きな大きな問題の一つが、かなり乱暴な方法とはいえ、終息したことになる。
デリーで働いていたとき、南アジアの演出家が演劇の共同制作をしようというプロジェクトの初期段階にかかわった。インドの演出家、アビレーシュ・ピライは、作品の候補として、Anita Pratapというジャーナリストが書いたドキュメンタリー、Island of Bloodを選んだ。それが、スリランカのいつ果てるともしれない内戦、特にプラバーカルという人間の恐ろしいまでのカリスマ性を描いていて、この人が健在である限り争いが終わることはないだろうと思ったことを、よく覚えている。南アジアはこのほかにも、印パ対立やネパール内戦、ナクサライト運動など、きりがないほど問題にあふれているが、その一つが落ち着いたことで、この地域は安定のほうへ舵をきるのだろうか?
そして今年もお呼びがかかった。「あー、去年は気が遠くなるほど暑かったなー。」と、ただただ暑さの記憶だけがよみがえってきたが、こういう瞬発力系のイベントは好きなので、今年も乗り込むことに決めた。くわえて、折り紙だけじゃさびしいので、ブースを2つ分もらって、オセロ対戦、日本関連本のアラビア語訳展示、J-popのPVローテーションなど、新しい企画ももりこんでみた。
またまた日本のブースはとぎれることなく行列が出来る人気を集めて、うちのスタッフも、手伝ってくれた日本人会のみなさんも、ご飯を食べるヒマも与えられず、一生懸命に折り紙を折り、子どもたちとオセロで遊んだ。
夕方5時半。人気のエジ・ポップ・バンド、Wust El Baradがステージに現れた。ロック好きの所長と二人でステージまで近寄ろうと思って歩いていくが、ステージから30mくらいのところで人の波にさえぎられて、思うように前にすすめなくなる。このライブだけで2~3千人の人たちが集まっている感じだ。彼らの演奏もタイトでカッコいい。
ステージはまだしも、とりたてて面白いブースが並んでいるわけでもないこのホコ天に、毎年数万人の人間が集まってくるというのは、やっぱり、いかに人々がのびのびできる開放的空間に飢えているかを雄弁に物語っているように思えてならない。このイベントそのものにケチをつける気はないけど、それを大統領夫人が演出しているというのが、権力にとっての「ガス抜き」なのかな、とうがった見方を僕にさせてしまうのだ。
閑話休題。スリランカでLTTEの指導者、プラバーカルが死んで、LTTEが降伏したんだそうな。
インド亜大陸の大きな大きな問題の一つが、かなり乱暴な方法とはいえ、終息したことになる。
デリーで働いていたとき、南アジアの演出家が演劇の共同制作をしようというプロジェクトの初期段階にかかわった。インドの演出家、アビレーシュ・ピライは、作品の候補として、Anita Pratapというジャーナリストが書いたドキュメンタリー、Island of Bloodを選んだ。それが、スリランカのいつ果てるともしれない内戦、特にプラバーカルという人間の恐ろしいまでのカリスマ性を描いていて、この人が健在である限り争いが終わることはないだろうと思ったことを、よく覚えている。南アジアはこのほかにも、印パ対立やネパール内戦、ナクサライト運動など、きりがないほど問題にあふれているが、その一つが落ち着いたことで、この地域は安定のほうへ舵をきるのだろうか?
海外生活では、人ににもよるだろうが、日本にいるときよりテレビ依存度が低くなり、そのぶん本を読めると言えるかもしれない。たとえば、インド暮らしをしていたとき、小熊英二さんの1000ページに及ぶ大著『民主と愛国』を、エアコンの効かない自室で2週間くらいかけてもくもくと読むことができたのも、環境がなせる業だったと思う。日本にいたら、薄弱な意志はすぐにより安易な欲望のほうへと流れて、いつまでたっても読了できなかったと思う。
今回は小さい子どもがいる点が違うとはいえ、彼らが寝静まった時間はテレビに向かうでもなく、結局活字に向かうことになる。そして、昨日、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、文庫本全8巻を読みきった。これも、大学生のころくらいから読みたい、読まねば、と思い続けて、結局くじけてきた本だから、自己満足度は高い。海外にいると相手国の人から問われることが多いからという理由もあって、日本のことをよりよく知りたいという欲求が高まるもので、最近は特に日本の近現代史を自分のなかで立体的に理解したいという思いが強くある。その意味で、『坂の上の雲』は、心底読んでよかったと思える作品だった。明治の急速な近代化というものを、一握りの政治リーダーよりはむしろ、軍人や文学者など社会の中堅リーダー的な人たちの具体的な行動や思考を追いかけながら描いてみせてくれる本作を通して、現代を生きる自分たちは、近代化という茫漠とした概念が、そうした人間群像の集合意思が有機的に形作られた結果であることを実感できる。この物語の主人公は日清・日露戦争に参戦した軍人たちだが、彼らの能力と意欲の高さは驚くばかりで、戦略・戦術における研究も徹底してやるし、1~2年の留学経験などで通訳を軽々とやってのけてしまうのだから、まったくかなわない。自分たち一人一人が国運を握っているという実感、太く短く生きる武士道のなせる業だろうか。とにかく、自分とは違う種類の人たちが近代日本を創り、守ってくれたのだなと、簡単に納得してしまい、爪の垢を飲もうという意欲はつと出てこないのは、読書体験として良いのだろうか???
これと平行して、4月末にふと、村上春樹の『ノルウェイの森』の冒頭を繰ってみたところ、主人公のワタナベくんが飛行機中のBGMによって過去に引き戻されたのが、37歳だったものだから、自分の37歳があと数日しか残されていないなか、38歳になる前に読みきってしまわなければならないような脅迫観念にとらわれ、26人のグループ受け入れ直前という時期にもかかわらず、春樹ワールドにのめりこんでしまい、公演団とともに向かったアレキサンドリアのホテルで、誕生日の3日前に読了。最初にこの作品を読んだ17歳からちょうど20年。当時は、惚れた腫れただの、愛する者の死だの、ウブな自分にはイマイチ現実感のわかない作品だったけれど、まあ、20年たって、ちょっとは理解できるようになったような気がする。たまたまこの時期、オンム・クルスームのエンタ・オムリーという曲をヘヴィー・ローテーションしていたら、『ノルウェイの森』のBGMが自分のなかで勝手にオンム・クルスームになってしまって、この二つがもはや不可分のものとなってしまった。
そんなわけで、ここ1月ほどの読書体験は、少しもエジプトやアラブ地域理解に結びつくものになっておらず、すこし現実逃避気味。焦燥感から本屋にだけは足を運んで、現代エジプトの政治経済を論じた本を2冊ほど、Gamal El Ghitaniの小悦の新しい英訳などを買い込んで、枕元においてある。次はエジプト本に行こう、と思いつつ、手にとったのは水村美苗の『私小説 from left to right』。まるで試験前の学生のようですね、これでは。
今回は小さい子どもがいる点が違うとはいえ、彼らが寝静まった時間はテレビに向かうでもなく、結局活字に向かうことになる。そして、昨日、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、文庫本全8巻を読みきった。これも、大学生のころくらいから読みたい、読まねば、と思い続けて、結局くじけてきた本だから、自己満足度は高い。海外にいると相手国の人から問われることが多いからという理由もあって、日本のことをよりよく知りたいという欲求が高まるもので、最近は特に日本の近現代史を自分のなかで立体的に理解したいという思いが強くある。その意味で、『坂の上の雲』は、心底読んでよかったと思える作品だった。明治の急速な近代化というものを、一握りの政治リーダーよりはむしろ、軍人や文学者など社会の中堅リーダー的な人たちの具体的な行動や思考を追いかけながら描いてみせてくれる本作を通して、現代を生きる自分たちは、近代化という茫漠とした概念が、そうした人間群像の集合意思が有機的に形作られた結果であることを実感できる。この物語の主人公は日清・日露戦争に参戦した軍人たちだが、彼らの能力と意欲の高さは驚くばかりで、戦略・戦術における研究も徹底してやるし、1~2年の留学経験などで通訳を軽々とやってのけてしまうのだから、まったくかなわない。自分たち一人一人が国運を握っているという実感、太く短く生きる武士道のなせる業だろうか。とにかく、自分とは違う種類の人たちが近代日本を創り、守ってくれたのだなと、簡単に納得してしまい、爪の垢を飲もうという意欲はつと出てこないのは、読書体験として良いのだろうか???
これと平行して、4月末にふと、村上春樹の『ノルウェイの森』の冒頭を繰ってみたところ、主人公のワタナベくんが飛行機中のBGMによって過去に引き戻されたのが、37歳だったものだから、自分の37歳があと数日しか残されていないなか、38歳になる前に読みきってしまわなければならないような脅迫観念にとらわれ、26人のグループ受け入れ直前という時期にもかかわらず、春樹ワールドにのめりこんでしまい、公演団とともに向かったアレキサンドリアのホテルで、誕生日の3日前に読了。最初にこの作品を読んだ17歳からちょうど20年。当時は、惚れた腫れただの、愛する者の死だの、ウブな自分にはイマイチ現実感のわかない作品だったけれど、まあ、20年たって、ちょっとは理解できるようになったような気がする。たまたまこの時期、オンム・クルスームのエンタ・オムリーという曲をヘヴィー・ローテーションしていたら、『ノルウェイの森』のBGMが自分のなかで勝手にオンム・クルスームになってしまって、この二つがもはや不可分のものとなってしまった。
そんなわけで、ここ1月ほどの読書体験は、少しもエジプトやアラブ地域理解に結びつくものになっておらず、すこし現実逃避気味。焦燥感から本屋にだけは足を運んで、現代エジプトの政治経済を論じた本を2冊ほど、Gamal El Ghitaniの小悦の新しい英訳などを買い込んで、枕元においてある。次はエジプト本に行こう、と思いつつ、手にとったのは水村美苗の『私小説 from left to right』。まるで試験前の学生のようですね、これでは。
カレンダー
05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(12/26)
(11/23)
(08/04)
(08/01)
(07/29)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
すっかる・ちーにー・しゅがー
性別:
男性
職業:
国際文化交流
趣味:
カレー
自己紹介:
インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
ブログ内検索
最古記事
(01/24)
(01/26)
(01/28)
(01/30)
(02/04)
カウンター
アクセス解析