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1軒目:イブン・トゥールーン・モスク~アンダーソン博物館
エジプトの歴史書を読んでもあんまりお目にかからないトゥールーン朝という独立王朝が建てたモスクで、エジプトで現存する最古のモスクだとか。9世紀、当時のアラブ世界はバグダードを都に置くアッバース朝の天下だったが、トルコ人のイブン・トゥールーンが、叛旗をひるがえし、独立王朝を建て、そのシンボルとしてこのモスクを建てたらしい。でも、30数年でまたアッバース朝に巻き返されてしまい、短命で終わってしまった。
モスクは、老朽化で柱の模様が剥げ落ちたりしている面もあるにせよ、全体としてシンプルでごちゃごちゃしていない空間的ひろがりが、場所の聖性を高めているように感じられる。日常的な礼拝の場として使われている感に乏しく、あまり多くはない観光客と、美術学校生と思しき写生集団がいるのみで、靴を脱いで靴下で歩き回っていたら、靴下が気持ち悪くなるくらいに真っ黒になっていた。日々たくさんの礼拝者を受け入れているモスクは、いつも床がきれいに清掃されているから、こんなことにはならない。
バグダードの影響深いこのモスクは、イラクにあるモスクを倣って、ミナレットのらせん階段がタワーの外側をとりまいている珍しい造りで、それがことに印象的だ。
隣接した二軒の住居は、アンダーソン博物館という名前で、パシャの称号を得た西洋人、アンダーソン卿の蒐集物が整然と展示されている。部屋ごとにテーマがあって、イラン、トルコ、シリアなどの国の近代の家具や調度品を楽しめるほか、ヒエログリフ、彫刻、ミイラの内臓容器、棺おけなどの古代エジプト遺跡のコレクションも若干置かれていた。アンダーソン氏が宴会場に使っていた広間を二階から見下ろす位置に、隠し扉から入る畳一畳ほどの部屋があり、部屋から広間は見えても反対からは見えないマシュラビーヤという造りの木窓で覆われていた。男性だけに許された宴会を、女性たちがこっそり覗いていたのだという。
2軒目;スルタン・ハサン・モスク
14世紀、マムルーク朝期の建築。とにかく、でかくて、そのスケールに圧倒される。壁に彫られたクルアーンの文字も、ごっつい書体で力強くて、それを見た妻が「日本の密教を想像させるよね。」と言った。蓋し、同感。異国出身の奴隷から権力を握ったマムルーク(奴隷)は、自らを宗教の力強い擁護者として印象づけることで、この地の人々の信望を得ようとしたのではないだろうか。
3件目:リファーイ・モスク
スルタン・ハサンのお隣にあるこれもまた同じくらいに壮大なモスク。19世紀にリファーイ教団のモスクとして、エジプト最後の王、ファルークによって建設されたそうだ。どういう因果かわからないが、イランから亡命したシャー・パーレビの遺体がここに安置されている。
カイロには、まだまだ見ごたえのあるモスクがたくさんあるらしく、アメリカン大学などがイスラム建築に絞った探訪マップを発行したりもしている。イスラームの都ならではのそぞろ歩きを、猛暑が襲ってくるまえに楽しまれてはどうだろう?
事務所のスタッフが知り合いのシネマトグラファーから誘ってもらったから、義理立て上行ってもらわないと困ると言いだし、「今日の今日だぞ、おい!」と思いつつも、永らく映画館に行ってなかったなーと思い、喜んで出かけた。
映画館といっても、オペラハウス敷地内にあるアーティスティック・クリエイティヴィティ・センターなる施設で、1階に芝居の舞台、2階と3階に映画上映施設をもつアート専用スペースだ。比較的新しい施設のようで、イスとか内装がキレイなのも気持ちよい。ただし、1年前にうちが日本映画週間をやったときには、映写技師のテクニックの問題なのか、プリントが切れたり、いろいろトラブルがあった(この日もピンボケ状態の時間がけっこうあって、目薬が欲しかった)。
1週間のエジプト映画の祭典は、エジプト映画クラブという非営利団体が主催するもので、もっぱら会員限定の上映を行い、会員が審査をして賞を授与するというもので、300人は入る会場に30人程度しか入ってなかったのは残念だった。
上映映画は、”Sorry for Disturbance"。和訳すれば、ご迷惑をおかけしてすみません、といったところか。主人公の青年は妄想や幻覚に襲われてもその事実にすら気づかない、重度の統合失調症。喫茶店で見かけた女の子に一目ぼれするが、その後、自分の妄想のなかで彼女とさまざまな交渉をもつが、最後に家族にそれが妄想であったと諭され、失意のまま入院。本人は、もともとそんな女の子はいなかったものと思っていたのだが、完治して退院してみると、同じ喫茶店で同じ顔をした女の子に出会い、今度は精神が分裂しないまま、思いを遂げることができて、最後はハッピーエンドで終わった。
全編、字幕なし、一緒に見た同僚は最初は大声で英語の通訳を入れてくれたけれど、日本人で小心者の僕は周囲のことがいたたまれなくなって、「だいたい、わかると思うから、いいよ。」といって、せっかくの厚意を断ってしまった。結果、やはり7割の会話は理解不能、映像の展開だけでなんとかストーリーラインを追っかけることは出来たけれど、映画そのものを満喫するには、まだまだ言語能力が足りなすぎることが痛いくらいはっきりしたのだった。
それでも面白かったのは、上映後に行われたディスカッション(コロキアム)。映画評論家らしきおじさんが司会をして、会の会員がさまざまな感想を自由に述べていた。ここでは同僚が英語に通訳してくれたので、どんなことが話されているのか、大筋ちゃんとわかった。何人かの人は、この映画を「ビューティフル・マインド」に例えていたが、司会の評論家は、ちょっと前までのエジプト映画はハリウッドのパクリばっかりやっていたけれど、この作品は十分にオリジナリティあふれるもので、くだんの映画に例えるのはあたらないのではないか、と擁護していた。実際、脚本家のアイマン氏は、この作品以前はプロデューサーからハリウッドのパクリのシナリオづくりばかり任されていたのが、今回は、自分でゼロから脚本を書いて、プロデューサーに売り込んだ、ということらしい。
お医者さんを名乗る会員さんのコメントでは、統合失調症のことがよく研究されていて、映画にもよく反映されていると評価しつつ、社会的文脈にも触れて、主人公が書き続けた、届かなかった数百通の大統領への手紙は、支配者と被支配者の間の統合失調症を暗喩していると言っていた。直接的な主張ではないけれど、体制に対する批判が織り込まれていることも評価するべき、ということだった。
どの社会にも映画好きはいっぱいいるが、この国にもそういう種類の人種がいて、延々とまじめに映画談義を楽しんでいる姿が、とても素敵だった。
日本からはるばる来てくださったミュージシャンは、尺八の小濱明人さんと津軽三味線の山中信人さん。お二人ともアウェーの海外公演をふくめ、経験豊富な安定感あるミュージシャンで、演奏と楽曲の充実感もすこぶる高かったが、お客さんのハートをつかんでいく語りもたいへん上手で、会は終始舞台と客席の垣根の低い、一体感を感じさせるものだった。
お客さん第一の考えは、カイロに着いてすぐにエジプト人なら誰でも知っている楽曲は何かを調べ、CDを買い求め、独自のアレンジで演奏してくれたことに端的にあらわれている。エジプトの美空ひばり、いや「国民的」を超えてアラブの歌姫であったオンム・クルスームの旋律が流れたとたん、会場に電流が走り、総勢での手拍子がはじまった。これを演奏した後は、演奏者と客席の一体感はさらに高揚して、終了後はスタンディング・オベーションが止まず、そして、みんな気持ちいい表情で帰っていった。
インドでの4年間にも何度も味わってきたこのしびれるような気持ちよさを久々に感じて、やっぱり舞台は最高だなーと、心から思った。その日の夜中には日本への帰路につくお二人と、1時間ばかりしかない時間をいとおしみながら、打ち上げをした。アーティストとスタッフと、立場は違えど、この日のこの感動のために汗流した仲間として、出会いを喜び、まもなく来る別れを惜しんだ。
この日、ドリームとOTVという、人気のサテライト局が2つも取材にきてくれた。ドリームは僕のインタビューを撮るといい、前にも取材された女性リポーターとスタッフ陣が待ち構えていた。この日も、「英語ならOK」といって、楽をしてみたが、立ち去り際に、スタッフの一人が、「いい加減、アラビア語勉強しろよ。ここはエジプトなんだから!」と、ちょっと喧嘩ごしで捨て台詞を吐いた。激励のつもりだったのだろう。勉強は、してるんだよ、一応。そんな簡単に、テレビのインタビュー受けれるレベルに上がれるかよ・・・・
とりあえず、「ネクスト・タイム」と言って、笑ってごまかした。
新聞報道によると、今年の受賞者は、エジプト人作家のYoussef Zeidan著、”Azazeel。"どこかで見たタイトルだと思ったら、ロシアの売れっ子作家、ボリス・アクーニンの小説の題名が同じ、『アザゼル』だった。堕天使という説もあるが、一般には悪魔のことを言うらしい。
この小説、エジプト大手出版社シュルークから出てたいへんよく売れているようだが、自分には原文で読む能力はないので、作品の解説や評価は少なくとも英訳が出るまでは出来ようもない。新聞やネット記事のごくごく簡単な概略しか紹介できないわけだが、5世紀のエジプトやシリアを舞台にしたキリスト教の布教と定着を背景にし、聖者セロと神学者ネストリウスの対立が描かれるなかで、セロを特に暴力的に描いたことが、現在、エジプトのコプト教司祭たちを激怒させているのだと言う。
コプト側は、教会の教義に関わるインターナルな問題を、イスラム教徒の一個人が勝手な解釈をしてそれを流布させるのがけしからん、と言っているようだが、作家のユーセフ氏は意に介さず、むしろ、現在はイスラム教が社会と文化に圧倒的影響力をもつエジプトの、そのイスラム前の歴史を知り、伝えることは、いまの自分たちを理解することに役立つ、と主張している。
たまたま見つけたキリスト教系と思われる下記ブログでは、一見合理的説明に思われるユーセフ氏のものいいに対し、それだったら預言者ムハンマドを暴力的に描く小説を書いてみろ、と憤りを隠さない。その宗教の信者であれば、その教団のなかで聖者とあがめられる偉人を悪魔呼ばわりされて怒らないほうがおかしい。
http://stfrancismagazine.blogspot.com/2008/12/youssef-zeidan-cheap-no-guts.html
表現の自由と宗教間の融和の問題は、エジプトでもなかなかに深刻なようである。
明日は預言者ムハンマド生誕祭で祝日なので、今日も休暇をもらい、家族で郊外の巨大ショッピングモール、CITY STARSへ。外国のブティックを中心に、高級グッズが目白押しのこのモールは市内の喧騒とは別世界。
だからといって、何を買うでもなく、だらだらとウインドウショッピングをして、昼になったら高め料金設定のレストランフロアではなく、庶民的フードコートで、ファーストフード三昧。
僕個人は去年5月以来初めてのCITY STARSだったが、お目当てはエジプト唯一のヴァージンメガストア。市内にはたいていの洋楽と土地モノ音楽が揃うといった風情の独立したCD屋さんはなく、唯一、瀟洒なたたずまいのブックストアDIWANにアラブ系音楽コーナーがちょっと充実している程度なので、ヴァージンにいやでも期待をかけるのだが、ここも特に品揃えがとびぬけていいわけではない。洋楽でいえば、長い沈黙を破ってリリースされた話題のガンズ・アンド・ローゼーズの新譜が、置いていない!
今日楽しかった店は、お香屋さん。サウジ資本の店には、アラブ各地の香水や、東南アジアの沈香などが並んでいる。アラブのお香は歴史も地理的多様性も相当のもので、探訪する価値大いにあり。購入はしなかったが、赤い花弁を象徴するケースに入った香水は、約8000円。身体につけさせてはくれないが、匂いをちょろっと嗅がせてくれる。一嗅ぎ目は普通の花の香りかと思わせるのだが、そのあとに透明感のある清涼な風味が追いかけてくる。体臭の薄い日本人にはあまり親しめない香水だが、ここにいる間だけでも楽しんでみてもいいかも。
もう一つ、CITY STARSに何度も来ている妻も含めて、僕等がはじめて覗いてみたのが、ハーン・ハリーリ。その名も、2月22日に久方ぶりに爆弾テロがあったエジプトでもっとも有名なスークの名前なのだが、どうやらこのスークのなかの何軒かのお店がこの高級モールに出展して擬似スークを構成しているということのよう。一番奥には「シャルク」(「東」=オリエンタルの意)という看板のレストランがあり、調度品や照明がアラブの伝統にのっとっていて、漂ってくる水タバコの香りとともに、路上のスークの雰囲気を演出している。本体のハーン・ハリーリにこんな店あったか、と思わせる、広々とした店舗内にアラブ風のソファセットやらランプシェードやらを陳列した一角があり、ここの品はどれもすばらしい。なかなかお目にかかれないコプト織りも複数取り揃えており、一見の価値ありと思われる。本体がテロ以降ちょっと物騒なここしばらくは、こっちで擬似ハーン・ハリーリ体験も悪くないかも。
帰りに、妻がアタバ市場の魚売りに行ってみないかと誘うので、つきあってみる。
なんでも、小さい子をもつ母親の集いでご一緒の奥様の案内で、つい最近、子連れ日本人妻10人ばかりで、ここへ参上したのだという。その壮観に、スークの親父たちは「オー」と歓声を挙げたのだそうな。
広いスークの敷地のなかでも、一番ごちゃごちゃした薄暗い小さい路地のなかを入ると、三軒ほど、別の看板を一応かけてはいるが、傍目には同じ店の人たちが分業で作業しているように見える、小さな魚売りの一角がすぐに現れる。その薄暗さ、かならずしもとびっきり清潔とは感じられないたたずまい、そんななかでも陽気で気さくなおじさんたち。その雰囲気は、デリーで親しんだINAマーケットの混沌ととてもよく似ている。INAと同じく、ここでも一丁先では鶏をカゴ飼いして、注文と同時にさばいていた。いまエジプトは鳥インフルエンザが流行しているので、こちらの一角には近寄らないことにしつつ、魚を吟味。アレキサンドリアの港から即日で運んできたものだから、鮮度は保証済みと店員さんたち。スズキやタイは、刺身で食べれるよ、と言うのだが、うちはことさら刺身が好きというわけでもないから火を通すけれど、日本人マダムたちのなかでも結構刺身にトライしていらっしゃるようで、特段問題ないそうだ。
今日は、タイ、エビ、タコ、それにスズキの卵という見慣れない代物を買って、家で鍋をつついた。タイとエビはなかなかの絶品だったが、スズキの卵はちょっと苦味があって、慣れないと好きになれない味だった。これがキロ1800円もするので、珍味好き向きの嗜好品といったところだ。
明日のムハンマド生誕祭。一般の人たちの間では、特に大きなイベント性のある行事はないようだが、ただ、町中のお菓子屋さんで、この日のための特別なお菓子が売られていて、みんなそれを買い求める。イスラームを奉じる国のなかでも、こうして預言者を含めた聖者崇拝があるのは、限られた国とも聞く。おそらくは土着のヒンドゥー教に影響を受けつつインドでスーフィーズムが発展したように、エジプトの土地では古代ファラオ時代からの偶像崇拝のエートスが残っていて、こうした土着風俗と一神教の興味深い融合が見られるのだろう。
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