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この問題が保険衛生と経済だけでなく文化の領域にまでふみこんでしまっているのは、豚の飼育に従事する人たちがマイノリティのキリスト教徒であるためである。WHOなど国際社会は、豚からヒトへの感染の明確な証拠がない状況で検査をしないで豚を処分することはナンセンスであるとしているにもかかわらず、エジプト政府がこうした思い切った政策を断行する背景に、豚を不浄とするマジョリティのイスラム教徒からの文化的圧力を感じているのだ。新聞報道などでは、キリスト教徒の国会議員も政府決定に賛同しているとし、必ずしもキリスト教徒コミュニティが全体としてこの決定に反対しているわけではなさそうであるし、また、このインフルエンザが当初「豚インフルエンザ」と呼ばれ、イスラム教徒の中に豚とキリスト教徒コミュニティを結びつけて嫌悪感を抱く人々が少なくないことから、むしろそういう緊張感をあらかじめ除去するために処分を断行しているのだ、とする意見も聞かれる。
ここ数日の報道を通してはじめて知ったのは、豚飼育を行っている人々は、Zabaleenと呼ばれるゴミ収集を生業とするコミュニティに属し、集めたゴミのなかから生ゴミをより分けて豚の飼料にしているという。新聞記事では、政府がインフルエンザ騒ぎに乗じてこの地域の不衛生状態を解消させようとしているのでは、と推測していた。この間、日帰りのイチゴ狩りツアーに参加し、大型バスでカイロ市内に戻ってきたとき、背の高いバスの車窓から、塀の向こうに広がるゴミの山をはじめて目撃した。ここがすさまじいのは、市街地にゴミ溜めがあって、しかもその処理をする人たちがゴミと一緒に住んでいるということだ。インフルエンザでなくともほかの病気が発生してもおかしくない環境であることには違いない。
ただ、政府も市民も、日常生活の物資ローテーションをこのZabaleenに負っているわけで、彼らも好き好んで職住接近の不衛生環境を甘受しているわけではないだろうから、インフルエンザに便乗して一気に豚を処分してしまうというのは、あまりに乱暴なことではないだろうか。
この問題が、異宗教、異コミュニティの間の緊張や対立をこれ以上激化させないことを願うばかりだ。
ドイツ在住のエジプト人クラリネット奏者、シェリフ・ラッザーズさんがノーアポで事務所をたずねてきたのは、去年の7月くらいのことだったと思う。エジプトでは音楽家たちの間でもほとんど知られていない現代音楽を普及するためのフェスティバルを二年に一度開くつもりで、すでにアレキサンドリア図書館から予算をもらっている。東京シンフォニエッタにも声をかけていて、来てくれそうな見込みだ。国際交流基金には、日本の著名な作曲家を派遣してほしい。ほかに、ドイツや韓国からもアンサンブルを招待する予定。そういう話だった。
それから半年以上の間、東京シンフォニエッタ、基金本部、シェリフ氏、アレキサンドリア図書館、カイロオペラハウス、コンセルバトワールなどなど、さまざまな当事者と交渉を重ねて、なんとかかんとか東京シンフォニエッタ23名と作曲家湯浅譲二さんをお招きできる目処がたったときには、開催日からすでに1ヶ月を切っていた。
そこからの広報やら受け入れロジやらの作業も大変だったが、実際に一行がいらしてからも、毎日1つや2つは問題が発生して、その応急処置をしながらプログラムを動かしていく、クレイジーな状態が続いた。エジプトに限らず、おそらく世界中どこでやっても仕事観の不一致が問題となるわけだが、ここでも日本側が合意したと思っている段取りが相手側では形になっておらず、フタをあけてみるとあれもない、これもない、あれはあるけど使い物にならない、リハの開始時間になっても舞台監督がいない、などといった問題があれよあれよとふって出てきた。
そうした問題群と向き合いながら、それでもこれを文化の違いとして受けとめて、噴出しようとする憤りをおさえながら、なんとかかんとか、一緒にひとつのものを作っていく。営利事業ではない文化交流は、その成果としての公演などの本番だけでなく、そうした裏方のぶつかりあいのプロセスまでもが大事な要素を占めている。これだけの大きなグループがやってくれば当然に起こるいろんなトラブルをひとつひとつ処理していく過程を通して、あらためてそのことを再確認した。
現代音楽といっても、僕自身、日常的に聴いているわけではなく、どちらかというと縁遠い世界だというのが正直なところだ。それでも、最初にシェリフ氏が情熱的にこのビエンナーレの必要性を説いた時に、彼の本気度に気持ちを動かされ、直感的にこれは汗をかくに値する仕事だと思えたのだった。
フタをあけてみれば、観客の数もそれなりだったが、なによりもオーディエンスの多くが新しい音楽体験に興奮し、前のめりになりながら楽しんで聴いている姿を見て、その直感が間違っていなかったと実感。指揮者の板倉さんの「私たちは西洋音楽の楽器や形態を使いながら、21世紀の日本の伝統音楽を創造しようとしているのです。」とのMCが、観客のなかにスーっと了解されていく空気を感じ取ることができた。それは、エジプトの音楽を心ざす人たちのなかにも、同じ精神の火種を残していったように思う。カイロ公演の前日、コンセルバトワールを団員に訪問していただき、学生さんたちにレッスンをつけていただいた。演奏レベルこそ大きな差があるが、東京シンフォニエッタの一流の音楽家たちが、エジプトの音楽家の卵たち、教師たちの真剣さに感動して、「教えることができてよかった」と思ってくれたこともまた、大きな収穫だった。公演終了後のオペラハウスの楽屋裏で、彼らはみな、名残を惜しみながら音楽の喜びを全身で表現していた。
帰国の途につく空港で、板倉さんが話してくれた。カイロ公演の西村朗さんの'RIver of Karna II'という楽曲で、クラリネットのソロをとったシェリフ氏の演奏に感動したのだという。演奏の技術的レベルのことではなく、楽曲に対して真剣に向かい合う姿勢が、しばらく自分たちが忘れかけていた音楽の原点を思い起こさせたのだという。
設備も、楽器も、教育環境も、日本や西欧と比べれば見劣りのするエジプトだけれども、音楽を心から愛して、一生懸命にとりくんでいる人たちがいるという点では、おんなじだ。そして、彼らと日本の音楽家たちの出会いが双方に新しいひらめきや感動を残したとすれば、自分がかいた汗などとるに足りないものだと思える。
よし、これからは家でも現代音楽だな、などと熱しやすい自分は、さっそく西村朗さんのCDをかけてみたら、最初は興味深々で近づいてきた長女が、「おとうさん、怖いよ~。」と言って、逃げていった。子どもにとっては、まだちょっと難しいタイプの音楽ではあるらしい。
紅海のリゾート地の代表格はシャルムッシェイフだが、ここはホテルなどすべて最高級。他方、ハルガダはやっぱり高級リゾートだけど、ちょっとだけ庶民的。シャルムは第四次中東戦争でエジプトがシナイ半島を取り戻すまでイスラエル領としてイスラエルがじゃんじゃん開発してきた土地であるのに対し、紅海の対岸でアフリカ大陸側に位置するハルガダはローカルの力が強いというのが、この違いの主な原因と、誰かから聞いた。
シャルムより手頃感があるからなのか、一番目に付いたのはロシア語の看板だ。どうやら、ロシア人が大挙して遊びに来ているらしい。ホテル街だけじゃなくて、普通の商店街にもロシア語が乱立しているから、ちょっとエジプトの街ではないような気分にもなってくる。
ちなみに、ハルガダのアラビア語名は、定冠詞の「アル」をつけて「アル=ガルダア」。誰がハルガダということにしてしまったのか、自分が発音できないからといって逆さ読みのような芸当をやるたあ、乱暴なものである。
インドもしかりで、土地の人たちの呼び方で発音できない外国人支配者が、
コルカタをカルカッタ
ムンバイをボンベイ
ベンガルルをバンガロール
などと読み替えてしまった訳だが、この10年強のナショナリズム高揚を受けて、昔の名前に戻ってしまっている。
ハルガダは、いつかアル=ガルダアに戻ったりするだろうか。
充電たっぷり、しかも今日から夏時間、4月26日からはエジプト発の現代音楽の祭典が始まり、日本から来てくれる東京シンフォニエッタとともに、アレキサンドリア、もとい、イスカンダレイヤに行ってきます!
彼女の歌のなかでももっとも有名なうちの一つ、エンタ・オムリー(あなたは私の人生)を、CDにあわせて叩くのだが、もう、気持ちのいいこと、いいこと!エジプトに来て、タブラをかじってみてよかった、という恍惚感に酔いながら、仲間の音に自分の音がまぎれてちゃんと叩けているかどうかもよくわからないままに、気分だけは彼女の楽団で叩いているような夢心地にひたっていた。
この楽曲は、先月、津軽三味線の山中さんと尺八の小濱さんがコンサートで演奏して、カイロっ子のハートをがしっとつかんじゃったばかりなので、自分にとって縁のある曲のように思われてくる。
こういう音楽と出会うと、(ロックだけじゃないな、音楽は)と心の深いところで思えてきて、はじめてロックと出会った10代のころのようにときめいている。
昼食後、天気が良いので、新所長を散歩に誘い、近所のカイロ・アメリカン大学へと出かけた。最近、キャンパスが郊外に移動してしまい、ダウンタウンの一等地にある旧施設には猫ばかりめだって、賑やかな学生たちの姿はほとんど見られなくなっている。一方で、幸いに、カイロで一番の英語蔵書をもつ書店は営業しているので、所長を案内しつつ、自分も久々の書店そぞろ歩きを楽しんだ。たまたま、この一週間、ブックフェアなるイベントをやっていて、すべての本が2割引きだったから、定価200ポンド(約3500円)もするエジプト現代美術の本やら、サダト元大統領夫人の自伝など、思い切ったまとめ買いをしてしまった。
カウンターに、このブックフェアのちらしが置いてあり、見ると、今日午後6時から、施設内で小説家Alaa Al Aswanyと英語翻訳家Hunphrey Daviesによる読書会があると書かれていたので、事務所の同僚と一緒に出かけてみた。Alaa Al Aswanyは、エジプトでいま一番人気のある作家で、話題作"Yacoubien Building"は、20数カ国で翻訳され、全世界で100万部以上の売り上げを記録している、文字通りベストセラー作家だ。この"Yacoubien Building"は、喜劇王アーデル・イマームを主役に立て2006年に映画化され、フランスのアラブ映画祭でグランプリを受賞するなど、小説の人気に色を添えている。今日は、新たに彼の短編集"Friendly Fire"の英訳がアメリカン大学出版から刊行された記念に、作家と訳者とファンが作品世界を楽しもうという趣向の、ぜいたくでリラックスした雰囲気の会がアレンジされていた。英語での会だったこともあって、参加者は外国人が多かった。アラビア語でもっぱらエジプト人のために企画されるこうしたイベントは、きっともっともっと熱の籠もったものに違いない。
作品の朗読は、この短編集から、Alaa氏が短めの2編を選び、Alaa氏のアラビア語オリジナルの朗読に続いて、Hunphrey氏が英訳の朗読をする形だった。アラビア語の散文の音とリズムを楽しみ、そのあとで英訳で内容をちゃんと確認することができるから、アラビア語が未熟な僕のような人には、至れり尽くせりだった。この日読んでくれた作品は、'Izzat Amin Islandar'と'Mme Zetta Mendes, A Last Image'。現代エジプト社会の暗部をこれでもかと容赦なく抉り出した"Yacoubien Building"を読んだ後では、短編にも暗く重苦しいテーマが想像されたが、意外にも、どちらも社会告発的な要素のない、友人や家族など身近で限定された人間関係のなかでのほほえましいドラマが描かれていて、局所に散りばめられたユーモアも軽妙で、とても気持ちの良い読後感だった。前者は、義足の少年が「僕」の自転車にどうしても乗りたがり、「僕」が手を貸して最後に彼が自転車を制覇するカタルシスを書き、後者は、幼少期にあこがれた自分の父の愛人との30年後の出会いを書いている。他の作品にはまた別の傾向があるかもしれないが、僕が思っていたよりも幅広い作風をもった作家なのだな、と再評価。彼の作品をもう少しちゃんと読んでみようという気になった。
朗読のあとの質疑応答では、大きく分類すると、言論の自由への圧力下で大胆な告発を行うAlaa氏の社会とのかかわりをめぐる問題、エジプトにおける文学の読まれ方の問題、翻訳をめぐる問題が語られた。
1点目については、Alaa氏は、タブーとされている問題を率直に表現し、圧力に対して屈しないことは、自分自身の自由の問題であるとともに、エジプト人全体に対しても、彼の作品を通して社会の問題を語る武器としての言葉をもち、圧力に屈せず表現していくことを学んで欲しいという期待を持っている、というようなことを語った。
2点目については、彼が小説を書き始めた80年代から90年代にかけての時代は、文学にとって最悪の時代で、民間の出版社は全く力をもたず、作品を発表しようと思ったら政府直営出版社を通すしかなく、結果、あれやこれやといちゃもんをつけられて、出版を断念せざるを得なかったという。それは、ひいては読者である国民にとっての不幸であったわけだが、90年代末あたりから民間出版社が台頭しはじめ、勇気をもってAlaa氏のような告発型の作品をも発表するようになり、それが"Yacoubien Building"のベストセラーを導いたという。エジプトの文学、出版状況を長く見てきた人たちが、「エジプト、アラブ世界では久しく忘れ去られていた「ベストセラー」という現象が復活した」と言っていたのが印象的だった。
3点目はテクニカルな話になるが、アラビア語から英語への翻訳上の問題。文化コードの違いをどう処理するかという観点から、脚注をつけるかどうか、アラビア語では一般的な現在形の長い複文を英語でどう表現するか、正則アラビア語に混じって使用されるエジプト口語を英語でどう処理するか、など、それこそ別に時間をとって具体的に例文をあげて語れば、アラビア語がわかる人にとっては何時間でも飽きないようなお話だった。
最後にサイン会となったので、昼間に買って持ってきていた"Friendly FIre"をもって列に並んだ。ちゃっかりと、日本ではまだ翻訳が出ていないことを話題にし、自分の名刺を渡して関心をひき、メルアドと携帯番号をゲット!これから先、日本との文学交流で、もっと深く彼と接することがあれば、なかなかに楽しいことが待っていそうな気がしている。
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