忍者ブログ
えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
[1] [2] [3]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日は、がんばって2本の映画をはしごした。

1本目は、シリアからの"HASIBA"。タイトルの意味がわからぬまま見始めてすぐに、主人公の女性の名前だとわかる。第一次大戦から第二次大戦期にかけてのダマスカスが舞台で、男たちは抗フランス闘争、続いてパレスチナ防衛闘争へと次々と駆り出される時代。家事のみならず家計の切り盛りまで女ががんばらなければならない時代に生きる一人の女を追うという展開。

父から夫から義理の弟まで、とにかく次々と身内が死んでいくあまりの展開の速さに、観客もついていけない感じでいたのだが、かくして女だけになったハシーバの家にある日、フランスを支持する内容の記事を書いた記者をかくまってほしいという知人の依頼を受け、若いハンサムな男性を家に入れたときから、さらに歯車が狂っていく。未亡人ハシーバは、初対面からこの男に惚れてしまうのだが、なんと娘のザイナブも彼を愛してしまい、それを認めまいと制止しようとすると、失神してしまうありさま。結局、ハシーバは、強い嫉妬を押さえ込みながら、家長として家を守ることを優先し、ザイナブと彼の結婚を承認してしまう。この嫉妬がわざわいしてか、この後、さらに事態は悪化していき、ザイナブの夫はパレスチナを救うために家を出ていき、父親を失った息子は、軽食屋を営む裏で武器の密売をやっている男のパシリとなり、幼くして悪に手を染め始める。ザイナブは夫を失い息子の監督をザイナブに奪われ、やがて、発狂して、ハシーバが家にもちこんだ靴下工場の糸車を猛烈な勢いで日々、回し続ける。ザイナブの息子が二日間家にも戻らず学校にも行っていないことがわかると、ハシーバの精神の最後の糸が切れ、それと呼応するかのように、家の中庭に滔々と沸く噴水の水が枯れてしまう。意識を失って、石の噴出口に倒れこんで、出血死してしまう。中庭には、気が狂ったように糸車を回し続けるザイナブだけが残されている・・・・FIN。

作品のメッセージ云々の前に、ラストのシーンー突然吹き出し、その後急激に枯れていく泉、ハシーバの意識とともに回転しはじめる中庭の景色、糸車をまわすザイナブの狂気の目ーが次々とパンされていく映像は、ヒッチコックかはたまたインドのリティック・ゴトクの狂気の世界を思わせ、背筋が冷たくなる。理屈抜きのこうした不条理劇も、ときどき見ると新鮮な感じがした。

"HASIBA"が終了したのが8時50分。そこから急いで移動して、グランドハイヤットホテル内の映画館GOOD NEWSに着いたのが9時5分。9時開始の日本映画、『へばの』は既に始まっていた。前日にインド映画を見た一番大きなホールは、この日もエジプト映画に群がる数百人の群集であふれて、かたや『へばの』はさらに2フロア上の100人程度終了の小ホールに、20人程度が入っているのみ。やっぱり、国際映画祭としては、がっかりな光景と言わざるをえない。

作品は、デジタル映画部門のコンペに出品されたもので、日本では冬にポレポレ東中野でレイトショーとして封切られるようだ。六ヶ所村を舞台にして、結婚を誓った男女を描く。男は原発事故で被曝して、子どもをもちたいという女の夢をかなえられないと思い、ひっそりと村を逃げ出す。三年後、隣町に男が帰ってきたと知って出かけた女は、男が結婚して息子を一人もうけていることを知る。さらに後、やはり原発で働いてきた女の父の訃報を新聞で知った男は、久しぶりに女のもとを訪ねる。そこで語られる事実。男はある子連れの女と出会い、彼らと家族をもつことにした、ということ。女は一旦受け入れようとするが、帰り際に男を殴る、殴る、殴る・・・

その日、二人は車に乗って、あてどなくドライブするが、海の見える場所に車を止めて、交わった。男は原発に反対して東京にプルトニウムを撒くテロを計画するグループに加わっており、女も東京に連れていこうとするが、女は、「私は、ここにいる。」と拒絶。最終的に東京行きをやめた男を、仲間が射殺。女は、男との間で身ごもった子を産み、父が残した家で育てる。

古くて新しい問題。世界の問題に対して、男はその構造を変革しようとして冒険したがる。女は自分のいる場を受入れ、その制約のなかで強く生きようとする。答えは用意されていないが、「そうだよな、そういうものだよな、男と女の世の中って。」と納得させられる映画だった。

上映後、監督の木村文洋さんと主催者によるティーチ・イン。10人程度しか客は残っていなかったが、映画を学ぶ学生が中心で、対話からは映画に対する愛が感じられた。上映中は、やはり携帯がピコピコなったり、会場を出たり入ったりしたり、とにかくせわしないのだが、上映後のこの30分を共有できただけで、それ以前に抱えていたイライラがずいぶんと和らいだ。ある質問は、観客が飽きる前にカットを変えろというユーセフ・シャヒーンの有名な教えを引き合いに出して、木村さんの長回しは長すぎではないかというものだったが、木村さん曰く、自分のなかではこのくらいまでだったら観客は飽きないだろうというギリギリのラインがこのあたりだったので、おそらく文化の違いだろう、とのこと。上映中の携帯電話についても、最前列のおじさんの携帯があまりにも大きな着信音を鳴らし続けていたときには、みんなが声を上げて注意していたので、なるほど、長回し同様、許容度の違いか、と納得させられた。

いい映画なので、関東圏にいる人たちは、ぜひ見てください。28日、閉会式ではたして受賞できるかな?
PR
だらだらと駄文を書き連ねていたら、ウェブがフリーズ!全文を復活させる気力はないので、手短に。

11月18日から28日まで開催中のカイロ国際映画祭。日本映画も出品されていることだし、アラブを中心に世界の作品をまとめて見れる機会なので、できるだけ足しげく通おうと思っていたのだけれど、突然寒くなりだして不覚にも風邪をひき、さらには後半からは日本から大学教授を迎えてのセミナーがあったりで、ほとんど見れそうもない。

それでもせっかくの機会だから、からだを気遣いながら、2本のインド映画を見に行った。インド映画に集中してしまうあたりは、インドに憑かれた僕の性なので、いたしかたないとしか、いいようがない。

1本目は、"Jodha Akbar"。ムガール帝国第三代皇帝アクバルが、侵略者+異教徒、すなわちヨソモノの支配者から、真のヒンドゥスタン(インド人の国)の王として善政を行い、人々の信望を集めるにいたるまでの歴史物語。ヒーローは、kaho Naa Pyar Hai、Misshon Kashmirのリティック・ローシャン。ヒロインのラージプート、ヒンドゥー教徒の王女、ジョーダ姫を演じるのは、ミス・ワールド、アイシュワリヤ・ライ。豪華絢爛、歴史絵巻といった様相。監督のアシュトシュ・ゴーワリカルは、大英帝国とインドの農民にクリケットをさせる奇想天外歴史フィクション"LAGAAN"で一斉を風靡、それ以降もシャー・ルク・カーンを起用して現代における愛国心とは何かを訴える"SWADESH"など、優れた作品を発表している。本作も、異教徒間の愛と共存というメッセージを、アクバルとジョーダ姫という歴史上の人物のストーリーに仮託して描き、かつ映画がエンターテインメントであることを忘れずに十二分に楽しませてくれる。インド娯楽映画の王道を行く快作である。

2本目は、"The Last Lear"。その名も、シェークスピア。
インド映画界の重鎮、名優アミターブ・バッチャンが、隠居して久しい老舞台役者を演じる。僕がインドを去ってから5年半がたつが、その間に役者の世代交代も起こっていて、この老俳優を説得して彼の映画に出させる若い映画監督は、僕の知らない新しい俳優が演じていた。老俳優の共演女優役は、プリーティー・ジンタ。この映画は、ボリウッドのトップスターを起用していながら、全編を通してセリフが英語で語られる。わずか5%程度、もっぱらスラングとして、ヒンディー語とベンガル語が使われている。内容もシリアスで哲学的なテーマを扱っているし、オーディエンスとしては市井のインド人ではなく英米などで活躍する印僑だけでなく世界の映画愛好者を狙っているように思われる。

残念なのは、せっかくのいい映画にお客さんがついていないこと。映画祭は一見立派なウェブサイトを立ち上げているが、一本一本の作品となると、シノプシスをまったく載せていないから、監督や役者のことを知らない限り、一般聴衆はどの外国映画を見に出かけるか、判断ができない。後日、うちの事務所スタッフが分厚いきれいに製本された映画祭の公式カタログを取り寄せてくれたのだが、当然、これは一般に販売、配布されていない。

昨夜の"Last Lear"は一回かぎりの上映で、集まった観客はわずか30人!上英後会場を出ると、次のエジプト映画見たさに数百人のエジプト人が行列をなしていた。作品をもってはるばるインドから飛んできたプロデューサーと二言三言言葉を交わしたが、いかにも寂しそうだった。外国映画に対するリスペクトのない国際映画祭、これいかに??エジプトだけに限ったことではないが、Internationalと名のつく催しを通して、いったい何を実現したいかを、文化事業を実施する人たちはマジメに考えないといけませんね。

もうひとつ。僕の前の列に座っていたエジプト人の若い男性は、上映がはじまってしばらくしてから、何度も携帯電話で声を抑えることもせず話し込んでいた。何度目かでブチきれた僕は、彼の方を叩いて、"Please stop talking on mobile, right?" そうしたら、彼のレスポンスは・・・・・
"Please do not striking my shoulder, right!!"
しばらく体内の血が暴れん坊になっていましたが、僕に叱られたのが気に入らなかったのか、それとも映画がつまらないと思ったのか、上映後30分で、席を立って、立ち去ってしまいました。オペラハウスでさえ携帯電話を切らない人たちだから、芸術鑑賞の仕方における文化の違いといってしまえばそれまでだけど、お国や世代を超えた最低限のマナーはありますよね、きっと。

11月18日から28日までの日程で、カイロ国際映画祭が始まった。
昨晩、オフィスでカタカタとコンピュータと格闘していると、ドドーンとボトムに響く音が連発し、外を見るとオペラハウスの方角に花火が舞っていた。

アラブ、中東諸国の作品を中心に、世界中の映画が集結。カンヌやヴェネチアのように映画人なら誰もが羨望する映画祭と比べるとさすがに格が落ちるようで、公開前の新作を出品してそこでの評判をバネにして公開に踏み切るといった戦略で臨んでいる映画人はほとんどいないように見受けられる。日本からの出品は、この夏に公開された日本・台湾・香港合作の『闘茶』(ワン・イェミン監督)が国際コンペ部門に参加、、Digital Feature Films部門のコンペに出品している"Good Bye"(Bunyo Kimura監督)、それから、
ドイツ・日本合作の『赤い点』(宮山真理恵監督)という作品の計3作。

アラブの作品はたくさんあるので、事務所のスタッフに推薦作を選んでもらいながら、時間をみつけて会場めぐり予定。

個人的に楽しみにしているインド映画もけっこうたくさん出ていて、特にオススメは、
LagaanやSwadesのヒットで代表的監督となったアシュトシュ・ゴーワリカル監督の新作"Jodha Akbar"(アイシュワリア・ライとリティック・ローシャンが16世紀ムガール時代にあったとされる異教徒間の真の愛を演じるのだそうだ)と、アミターブ・バッチャンがシェークスピア劇の老俳優を演じる"The Last Lear"。

カイロ在住のみなさん、映画を見に行きましょう!

日本ではヒマを見つけては電気屋さん廻りをした。お目当ては、プロジェクター。
東京のウサギ小屋と比較するとそれなりに大きく、且つ真っ白にペンキが塗られた壁があるから、ホームシアターを作るにはもってこいの環境だ。

電気屋で発見したのは、本格的ホームシアター用プロジェクターというのがあって、これは大きく且つ高い。一番安いものでも20万円強はするし、飛行機で軽々と運べる代物ではない。

そこで、一般用途としてはコンピュータを使ったプレゼンテーションを想定した小型プロジェクターに狙いをつけ、約8万円のACERというメーカーの機種を買い、カイロまで運んできた。

昨夜、自宅に買い置きしていたエジプト映画"YACOBIAN BUILDING"のDVDを再生してみた。100インチくらいに拡大しても、実にきれいな画面で、結果は期待以上。

映画のほうも、なかなかの力作。Alaa Aswanyという売れっ子作家の小説を原作にしたもので、国内外で高い評価を受けたらしい。この原作については、登場人物の描き方が少しステレオタイプ化したイメージに引き寄せられすぎで、特に下層クラスに属するためにさまざまな屈辱を受けた結果、イスラム過激主義に傾倒し、最後にはテロ行為に手を染める青年の描き方には、人間らしい葛藤の跡がないことが不満だったのだが、その問題は映画にもそのまま反映されている。

でも、役者がいい。恩給を食いつぶすパシャ(太守)の末裔を演ずるのは、『テロリズムとケバブ』のコミカルな演技で日本でも知られるアーデル・イマーム。今回の映画はコメディではないので割とシリアスな演技に徹しているようではあるが、祖先様の栄光にすがりながらも自らは活躍の場を与えられず、女の尻を追いかけるしかない可哀想な男の情けなさぶりが、よく伝わってくる名演。

アーデル・イマームは、現在公開中の映画『ハサンとマルコス』にも主演しているので、この映画も見逃せない。イスラーム教徒とコプト教徒(エジプトのキリスト教)との共存をめぐる問題を描いているそうだ。



エジプトの映画館で初めての映画体験『大統領の料理人』の興奮冷めやらぬうちに、今度はカイロ大学の日本語エキスパートZさんと同僚とで"AL GAZEERA(シマ)"を見に行った。一転してシリアスな内容と聞いており、言葉がわからなくてチンプンカンプンになる恐れがあったので、Zさんをお誘いしてみたら、快諾してくれたのだった。こうして、エジプト映画同好会が発足したのだった・・・

助っ人の登場に安心して前勉強も一切なしで、「シマ」って、どこの島のことだろう?
などとバカなことを思っていたら、日本語でいうあの「シマ」と同じ意味ということが、すぐにわかった。

ところはルクソール近郊の村。3つの部族が抗争を続けるなかで、己の死期を察した村長が一人の若者マンスールを後継ぎに任命する。マンスールが村を治めることを良しとしない部族が様々な妨害をしかけ、果ては前村長の葬式のテントに銃弾を浴びせかける。この攻撃で母をも失ったマンスールは、警察の介入を嫌い、自らの手によって敵の一族を皆殺しにし、復讐を成し遂げる。こうして村の権力を掌握したマンスールは警察のトップと手うちをし、トカゲの尻尾きりとして時々部下を刑務所に送り込む見返りに、麻薬と武器の密輸をほしいがままにし、強大なシマを形成していくのだった。

1997年の列車強盗事件の捜査のため、若き捜査官がシマに送り込まれるが、こうして警察のトップに守られたシマは、一向にボロを出してくれない。そうこうするうちにますますマンスールは力を蓄えていくのだが、彼の力が警察を脅かすところに達しかけたとき、警察のトップは手のひらを反して、彼を消しにかかる。麻薬の取引の現場をおさえ現行犯でマンスールを逮捕する算段だった。ところが、すんでのところで麻薬を積んだトラックだけは避難することができ、マンスールは逮捕を逃れ、そして警察との徹底抗戦に突入していく。

警察側は装甲車まで動員しての徹底的銃撃戦の末、最後にはマンスールは投降し平和が訪れるが、数年の服役ののち出所したところを何者かに銃撃されるところで、映画はTHE ENDとなる。

というわけで、最初から最後まで、全編ハードボイルド。見終わってすぐに、Zさんが
「むちゃくちゃ、エジプト映画っぽいでしょ?」
と聴くのだが、とりあえずこういうのが典型的エジプト映画の一類型としてあることを覚えておこうと思う。

ちなみに、この映画は実話に基づくらしく、つまり20世紀の終わり頃までこうした部族抗争と無法状態での復讐の連鎖がエジプト南部では生きていたということらしい。また、警察のトップがマンスールとの手打ちの自己弁護を語るくだりでは、「原理主義台頭によるテロを防ぐには、マンスールに村を実効支配する力を与える必要があった」と話していた(らしい)。1997年といえば、ルクソール王家の谷で凄惨なテロが起こった年であり、そうすると、マンスールによるシマ支配によるタガがはずれた状態が事件を誘発したということだろうか?

Zさんによると、現在では国家権力が地方部族に村支配を依存し、時には制御不能の「シマ」形成に至るというような状況は起こっておらず、国家によって部族間の緊張やイスラム過激主義といった動きは厳しく押さえ込まれているというが、どうやら大都市カイロとはまったく違った慣習やルールに基づいて生きている人々がいるらしいということは確かである。

ちなみに、この映画"AL GAZEERA"は、先月のエジプト国内映画祭(Egypt National Film Festival"にて第3位受賞。同時に、主演男優賞、主演女優賞、最優秀音楽賞、最優秀写真賞も獲得した話題作だ。最優秀音楽賞のOmar Khairatは、よくSAKIAで公演するようで、今度は5月31日の予定です。

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[05/13 Backlinks]
[12/27 すっかる]
[12/26 やもり]
[11/25 すっかる]
[11/25 跡部雄一]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
すっかる・ちーにー・しゅがー
性別:
男性
職業:
国際文化交流
趣味:
カレー
自己紹介:
インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]

Template by MY HEALING ☆彡