えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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3月15日、休日の昼時は、一点の雲もない晴天に恵まれ、晴れやかなセレモニー日和だった。この日、国際交流基金カイロ事務所は毎年恒例の日本語能力試験表彰式を、オペラハウスの野外シアターで実施した。
総受験者249名のほとんどが、両親や友人を連れてやってきたので、会場は300人近い出席者で賑わった。受験者は、この日会場ではじめて合否通知表を受け取ることになるため、みな緊張した面持ちで受付に現れ、封書に入った通知表をおそるおそる確認している。合格した者は歓喜の声をあげ、身内や教師と喜びを共有し、不合格だった者は彼らになぐさめられている。不合格だった人には気の毒なイベントではないかと当初は感じたが、日本語を勉強する人たちがこうして一堂に会して祝福と更なる向上への誓いを立てるのはとても有意義と思い直した。

合格者のなかでも、各級(難易度の高い順から1級→4級まで)の成績上位者2名に対しては主催者として表彰をし、それぞれに日本語で短いスピーチをしてもらう。各人が日本語をはじめた動機、これからの夢や決意を率直に語ってくれたので、出席していた多くの学習者にも良い刺激を与えることになったと思う。
来賓としてご挨拶くださった大使のお話も含蓄のある内容だった。ことばの美しさとことばの力を信じて研鑽を積んでいってほしいとのメッセージだったのだが、そこでひきあいに出したのが和歌。前九年の役にて、源義家が安倍貞任を平定せんとするとき、「衣の館も綻びにけり」という下の句に対していい上の句を継ぐことができれば助命してやるという条件を出し、それに対し貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」と即妙に返歌をした、という逸話がそれだ。外国人の日本語学習者にとってはちょっと難しかったかもしれないが、うちのスタッフのNさんが上手にアラビア語に通訳してくれたようだ。
式典終了後のレセプションも多いに楽しく盛り上がり、われらスタッフも心地よい疲れを笑顔で癒しあった。"ハフラ・クワイエス"(パーティーは上手くいったね)と言葉をかけたら、"ミーア・ミーア"という言葉が返ってきた。100+100で、完璧以上に上々といった意味のようだ。
実際に学生を指導し成長を助けるのは教師の役目だが、われわれ事務屋は、この日の晴れ舞台のような機会を色々と設けて、エジプトの日本語教育・日本語学習を盛り上げていきたいと思う。
合格者のなかでも、各級(難易度の高い順から1級→4級まで)の成績上位者2名に対しては主催者として表彰をし、それぞれに日本語で短いスピーチをしてもらう。各人が日本語をはじめた動機、これからの夢や決意を率直に語ってくれたので、出席していた多くの学習者にも良い刺激を与えることになったと思う。
式典終了後のレセプションも多いに楽しく盛り上がり、われらスタッフも心地よい疲れを笑顔で癒しあった。"ハフラ・クワイエス"(パーティーは上手くいったね)と言葉をかけたら、"ミーア・ミーア"という言葉が返ってきた。100+100で、完璧以上に上々といった意味のようだ。
実際に学生を指導し成長を助けるのは教師の役目だが、われわれ事務屋は、この日の晴れ舞台のような機会を色々と設けて、エジプトの日本語教育・日本語学習を盛り上げていきたいと思う。
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3月13日夕刻、わけのわからぬまま所長に連れられて、ダウンタウンのマンションの一室へと向かった。当地の劇団、Warshaがフランス在住の舞踏家、カルロッタ池田さんを招いて約1週間のワークショップを行っていて、その視察ということだった。
Warshaの芸術監督ハッサン氏によれば、2008年12月公演を目標に新作を準備しはじめていて、特に役者の身体表現に新しい要素を入れたいというので、日本人舞踏家にトレーニングを依頼したという。ここエジプトで舞踏が紹介されたことはおそらくほとんどなく、いきなり一般向け公演を考えるよりはこうした形で専門家同士の交流を支援してみるものよかろうとの考えで、基金のカイロ事務所が今回のワークショップの一部経費を負担していたのだ。
聞けば、この晩が最終日ということだったが、舞踏のテクニックの修得はなかなか難しいようだった。基本の「摺り足」からして、講師の池田さんと比べて見ると違いは歴然としていて、受講者たちはといえば重心が安定せずバタバタとした動きになってしまっている。池田さんの重力をまったく感じさせない軽さとは対照的だった。また、摺り足しながら泣いたり、笑ったり、顔を引きつらせたりする表現についても、多くの受講者が自分の感情の記憶のなかから悲しい感情や嬉しい感情を無理をしてひっぱってきているようで、時に制御を失って泣き崩れる人がいたのが印象に残った。

池田さんの表現を見ていると、いかにも上手に身体を使って感情表現をしているように感じられ、その安定的な制御能力にただただ見とれてしまう。丹田に軸をおいた呼吸法など、東洋的な身体操縦術の上に舞踏という新しい芸術様式が生まれたのだな、と気づかされる時間だった。
1週間程度の訓練では実践で使えるところまでは持っていけないのだなというのが正直な感想だが、8月からリハーサルに入るという作品にどういう形で舞踏の要素が反映されるのか、ちょっと楽しみでもある。
作品のテキストは、エウリピデスの『トロイアの女』をベースにして、パレスチナの詩人ダルウィーシュの詩を載せていくそうで、中東戦争で肉親を失うなどして悲しみを背負う女性たちを表現するのだという。
Warshaの芸術監督ハッサン氏によれば、2008年12月公演を目標に新作を準備しはじめていて、特に役者の身体表現に新しい要素を入れたいというので、日本人舞踏家にトレーニングを依頼したという。ここエジプトで舞踏が紹介されたことはおそらくほとんどなく、いきなり一般向け公演を考えるよりはこうした形で専門家同士の交流を支援してみるものよかろうとの考えで、基金のカイロ事務所が今回のワークショップの一部経費を負担していたのだ。
1週間程度の訓練では実践で使えるところまでは持っていけないのだなというのが正直な感想だが、8月からリハーサルに入るという作品にどういう形で舞踏の要素が反映されるのか、ちょっと楽しみでもある。
作品のテキストは、エウリピデスの『トロイアの女』をベースにして、パレスチナの詩人ダルウィーシュの詩を載せていくそうで、中東戦争で肉親を失うなどして悲しみを背負う女性たちを表現するのだという。
国際交流基金の海外事務所の楽しい仕事のなかでも一番好きなのは、その国の文化人の日本への送り出しだ。その国で尊敬される芸術家や学者を日本に招待して、日本の名勝・文化遺産・生活文化を見てもらい、帰国後にその見聞をメディア等で発表してもらったり、あるいは、日本の同じジャンルの専門家と会い、相互理解が深まった暁には共同制作などより高いレベルの交流をしてもらったりする。
今日は、3月17日から25日まで東京で開催される「アラブ映画祭2008」のために国際交流基金が招待する映画監督、Muhammad Khan氏に事務所に来ていただいて、日本でのスケジュールなどを説明し、15分か20分そこらだったが日本について、そして映画について、お話しすることができた。
今回の映画祭では、『ヒンドとカミリアの夢』(1989年)と『ヘリオポリスのアパートで』(2007年)の2本のカーン作品が上映される。エジプト国立フィルムセンターから英語字幕つきのDVDを提供してもらって、『ヘリオポリスのアパートで』を鑑賞した。純粋な本当の愛を信じるエジプト南部の田舎町の女性と、大都会カイロで深くコミットしあわない表層的な愛に心のなかでは満足していな男性が、ヒロインの女学院時代の先生の存在をきっかけとして出会い、徐々に惹かれあっていく過程を優しく描くロマンティックな映画だった。
オフィスで鑑賞会を開いたわれらが現地スタッフには物足りなさが残ったらしく、Aさんは「時代遅れ、現代の都会生活のリアリティとマッチしない」と特に厳しい評価だった。しかも、本日、カーン監督に対しても「古きよき時代を現代に取り戻したい、という監督の気持ちを感じました」などと、なかなか率直なコメントをしたのだが、カーン監督はそれを面白がって聞いていたようだった。
ロマンティシズムは、男の心のなかにかろうじて灯る明りとなりにけり?日本、エジプト、お国を問わず、世の女性のほうが現実とまっすぐ向き合っているのかしらん。
まだ寒さ残る東京で温かい気持ちになりたい人にはオススメしたい佳作です。
(3月19日(水)18:30~ 草月ホール、3月23日(日)16:30~ OAGホール)
今日は、3月17日から25日まで東京で開催される「アラブ映画祭2008」のために国際交流基金が招待する映画監督、Muhammad Khan氏に事務所に来ていただいて、日本でのスケジュールなどを説明し、15分か20分そこらだったが日本について、そして映画について、お話しすることができた。
今回の映画祭では、『ヒンドとカミリアの夢』(1989年)と『ヘリオポリスのアパートで』(2007年)の2本のカーン作品が上映される。エジプト国立フィルムセンターから英語字幕つきのDVDを提供してもらって、『ヘリオポリスのアパートで』を鑑賞した。純粋な本当の愛を信じるエジプト南部の田舎町の女性と、大都会カイロで深くコミットしあわない表層的な愛に心のなかでは満足していな男性が、ヒロインの女学院時代の先生の存在をきっかけとして出会い、徐々に惹かれあっていく過程を優しく描くロマンティックな映画だった。
オフィスで鑑賞会を開いたわれらが現地スタッフには物足りなさが残ったらしく、Aさんは「時代遅れ、現代の都会生活のリアリティとマッチしない」と特に厳しい評価だった。しかも、本日、カーン監督に対しても「古きよき時代を現代に取り戻したい、という監督の気持ちを感じました」などと、なかなか率直なコメントをしたのだが、カーン監督はそれを面白がって聞いていたようだった。
ロマンティシズムは、男の心のなかにかろうじて灯る明りとなりにけり?日本、エジプト、お国を問わず、世の女性のほうが現実とまっすぐ向き合っているのかしらん。
まだ寒さ残る東京で温かい気持ちになりたい人にはオススメしたい佳作です。
(3月19日(水)18:30~ 草月ホール、3月23日(日)16:30~ OAGホール)
インドと同じで、この国でも日本人が3人以上集まるとエジプトおよびエジプト人の悪口に花が咲く。そこから何かを得られる訳でもないので積極的に参加することはないのだが、エジプト側にたってエジプトを擁護するほどにはこの国と国民性に対する理解も愛着もまだ持ち合わせていないため、静観を極め込む。
頭に来るエジプト人の台詞を総称して、IBMと言うらしい。
Iは、インシャーアッラー。神がお許しになれば。
Bは、ボクラ。明日。
Mは、マアーレーシュ。気にするな。
Iは、エジプトに来る前からしょっちゅう使われていると聞いていたが、本当にそのとおりだった。将来にむけて何かを約束しようという段になると、このフレーズが末尾に付加され、アクセントとなる。最初のうちは、運転手さんに家まで送り届けてもらって、「では、また明日。」と声をかけると「では、また明日、インシャーアッラー。」という声が返ってきて、一抹の不安を覚えたものだが、必ず翌日定時に来てくれていることに安心して、いまのところこの言葉に対する特段の不信感はない。
Bは、どうかな。
こちらもいまのところ、多くの日本人が参っているほどには、悩まされていないのだろうか。「明日にはできる。」という言葉で1週間も1ヶ月も引っ張られる経験が積み重なっていくと、B はその場しのぎの先送りに違いないとの信念がその人の中で強化されていくのかもしれない。もちろん、僕自身に何も災厄がふりかかっていないと言うわけではなく、航空便の別送荷物の引き取りに1ヶ月半かかったとか、外国人居住者へのIDカード発給に2ヶ月かかったとか、いろいろ不利益を被っているのだが、元来ルースな性格のためか、怒りが沸いてくるというほどではない。
そして、Mである。
エジプト滞在が3ヶ月になろうとしているが、今ひとつ、この言葉のニュアンスをつかみきれていない。
正則アラビア語の「Maa Alayhi Shay (何事もない)」が方言化したもので、アラビア語やエジプト社会の入門書などでは、「気にするな」などと訳されていることが多いようである。でも、この言葉は、人と人がぶつかったりしたとき、ぶつかってきた加害者の口から発せられる言葉であるというのが、僕を混乱させる。普通なら、
ぶつかった人 「ごめんなさい。」
ぶつけられた人 「すみません。」
のところを、
ぶつかった人 「気にするな。」
ぶつけられた人 「・・・・・?」
となるのか?一体、どういうことだ?
エジプト関係の出版物やブログを見ていると、この言葉Mに対する怒りが燃えさかっていて、長く生活していると相当腹立たしい経験を積んでいくのであろうかと推察するが、本当に、「気にするな」という意味なのかどうか。
僕と机を並べているエジプト歴の長いアラビア語の達人、Sさんに聞くと、
「Mが「すみません」とか「堪忍してください」という意味を含んでいることは常識だし、そんなこと、ぶつかってきた人の表情見ればわかるじゃないですか!」
これにはどうも直訳の問題がからんでいるようである。異なる言語間の単語同士が一対一対応とはならないのは当然のこと。誤解を与えやすい言葉には違いないが、ぴったりと合致する訳を考える前に、その言葉を発する相手の感情の動きにきちんと五感を働かせたい。
というわけで、外国の土地や人々の悪口は、身内で軽いレフレッシュメントとしてやる分にはいいかもしれないが、自分の卑小な経験を敷衍して国民性の議論にまで昇華させてしまうことにはいつも慎重でありたいし、いわんや、俄かにかじった外国語を乱暴に直訳して、それを国民性論に接合させることからも距離をおいていたいと思う次第だ。
翻って、日本人はでは、自分からぶつかってしまったら、なんと言う?
ぶつかった人 「すみません。」
ぶつけられた人 「気にしないでください。」
この「すみません。」がたとえば英語の”I am sorry."と同義かどうかを考えてみると、先のMの直訳の誤謬の問題との同根性が見えてくる。友人から聞いた話だが、ある日本語のわかるエジプト人が日本人に迷惑を被ったとき、「すみません。」と言われて更に激昂したという。なぜなら、彼女は「すみません。」を"Excuse me"と同義と解釈していたのだそうだ。言葉を使う状況と使う人の言語外表現によって「ごめんなさい」にも「ごめんください」にも「ありがとう」にもなり得る「すみません」だって、相当にやっかいな言葉じゃあないか。
ことが人間の接触による摩擦をめぐっての謝罪と赦しを扱う言語であるだけに、Mにしても「すみません」にしても、謝られる側が相手が「誠意をもって謝ったのかどうか」を主体的にどう判断するのかが、赦しのカギを握る。日本が戦後60年以上を経た今も、隣国から「もっとちゃんとした」謝罪を要求されることにも、言葉の翻訳の問題が横たわっている。
かくいうわけで、当面はIBM問題からは身を引いておくことにしようと思っている。
頭に来るエジプト人の台詞を総称して、IBMと言うらしい。
Iは、インシャーアッラー。神がお許しになれば。
Bは、ボクラ。明日。
Mは、マアーレーシュ。気にするな。
Iは、エジプトに来る前からしょっちゅう使われていると聞いていたが、本当にそのとおりだった。将来にむけて何かを約束しようという段になると、このフレーズが末尾に付加され、アクセントとなる。最初のうちは、運転手さんに家まで送り届けてもらって、「では、また明日。」と声をかけると「では、また明日、インシャーアッラー。」という声が返ってきて、一抹の不安を覚えたものだが、必ず翌日定時に来てくれていることに安心して、いまのところこの言葉に対する特段の不信感はない。
Bは、どうかな。
こちらもいまのところ、多くの日本人が参っているほどには、悩まされていないのだろうか。「明日にはできる。」という言葉で1週間も1ヶ月も引っ張られる経験が積み重なっていくと、B はその場しのぎの先送りに違いないとの信念がその人の中で強化されていくのかもしれない。もちろん、僕自身に何も災厄がふりかかっていないと言うわけではなく、航空便の別送荷物の引き取りに1ヶ月半かかったとか、外国人居住者へのIDカード発給に2ヶ月かかったとか、いろいろ不利益を被っているのだが、元来ルースな性格のためか、怒りが沸いてくるというほどではない。
そして、Mである。
エジプト滞在が3ヶ月になろうとしているが、今ひとつ、この言葉のニュアンスをつかみきれていない。
正則アラビア語の「Maa Alayhi Shay (何事もない)」が方言化したもので、アラビア語やエジプト社会の入門書などでは、「気にするな」などと訳されていることが多いようである。でも、この言葉は、人と人がぶつかったりしたとき、ぶつかってきた加害者の口から発せられる言葉であるというのが、僕を混乱させる。普通なら、
ぶつかった人 「ごめんなさい。」
ぶつけられた人 「すみません。」
のところを、
ぶつかった人 「気にするな。」
ぶつけられた人 「・・・・・?」
となるのか?一体、どういうことだ?
エジプト関係の出版物やブログを見ていると、この言葉Mに対する怒りが燃えさかっていて、長く生活していると相当腹立たしい経験を積んでいくのであろうかと推察するが、本当に、「気にするな」という意味なのかどうか。
僕と机を並べているエジプト歴の長いアラビア語の達人、Sさんに聞くと、
「Mが「すみません」とか「堪忍してください」という意味を含んでいることは常識だし、そんなこと、ぶつかってきた人の表情見ればわかるじゃないですか!」
これにはどうも直訳の問題がからんでいるようである。異なる言語間の単語同士が一対一対応とはならないのは当然のこと。誤解を与えやすい言葉には違いないが、ぴったりと合致する訳を考える前に、その言葉を発する相手の感情の動きにきちんと五感を働かせたい。
というわけで、外国の土地や人々の悪口は、身内で軽いレフレッシュメントとしてやる分にはいいかもしれないが、自分の卑小な経験を敷衍して国民性の議論にまで昇華させてしまうことにはいつも慎重でありたいし、いわんや、俄かにかじった外国語を乱暴に直訳して、それを国民性論に接合させることからも距離をおいていたいと思う次第だ。
翻って、日本人はでは、自分からぶつかってしまったら、なんと言う?
ぶつかった人 「すみません。」
ぶつけられた人 「気にしないでください。」
この「すみません。」がたとえば英語の”I am sorry."と同義かどうかを考えてみると、先のMの直訳の誤謬の問題との同根性が見えてくる。友人から聞いた話だが、ある日本語のわかるエジプト人が日本人に迷惑を被ったとき、「すみません。」と言われて更に激昂したという。なぜなら、彼女は「すみません。」を"Excuse me"と同義と解釈していたのだそうだ。言葉を使う状況と使う人の言語外表現によって「ごめんなさい」にも「ごめんください」にも「ありがとう」にもなり得る「すみません」だって、相当にやっかいな言葉じゃあないか。
ことが人間の接触による摩擦をめぐっての謝罪と赦しを扱う言語であるだけに、Mにしても「すみません」にしても、謝られる側が相手が「誠意をもって謝ったのかどうか」を主体的にどう判断するのかが、赦しのカギを握る。日本が戦後60年以上を経た今も、隣国から「もっとちゃんとした」謝罪を要求されることにも、言葉の翻訳の問題が横たわっている。
かくいうわけで、当面はIBM問題からは身を引いておくことにしようと思っている。
サアド・ザグルール美術館のディレクターに昨年10月に就任したターレスさんがギャラリーを見に来てくれと言っているがどうするかと、スタッフのGさんが聞きに来た。
サアド・ザグルール(Sa’ad Zaghloul, 1859~1927)は、ノーベル文学賞受賞者ナギーブ・マフフーズの小説『バイナル・カスライン』にも登場する、エジプト近代史上最も重要な指導者の一人だ。Gさんから聞かれたときには、ギャラリー見たさよりもサアド・ザグルールにちなんだ何かに出会えるのではという期待から、二つ返事で出かけることにした。
日中のカイロは20度を超え、ポカポカ陽気が続いている。こんな素敵な日中に散歩して、清潔に整頓されたディレクター・ルームでトルキッシュ・コーヒーをご馳走になりながら文化を語り合えるとは、なんて贅沢なことだろう。それだけで大満足だったのだが、ターレス氏はお土産に博物館へと僕等を導いていった。中に入るとスカーフを被った上背のある若い女性スタッフがにこやかに迎えてくれ、ターレス氏の指示で、懇切丁寧な解説を始めた。解説はアラビア語だったので、Gさんが英訳してくれた。
この日覗いた限りでは、ギャラリーには来客が少なく、まだまだカイロっ子の認知を広く受けるには至っていないように見えた。ターレス氏がこの「国民の館」をアートの力で活性化するための取り組みは、まだ緒についたばかりだ。
(参考 山口直彦『エジプト近現代史』 明石書店 2006年 pp. 248-264)
(参考 山口直彦『エジプト近現代史』 明石書店 2006年 pp. 248-264)
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