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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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4月21日午前、エジプトではここ以外ほぼ皆無の100%民間の文化施設、El Sawy Culture Wheel(通称=SAKIA(車輪))を訪問した。2月末、SAKIAの5周年フェスにブース出展し、凧づくりと折り紙のワークショップをやったのがまだ記憶に新しい。我々のブースがとりわけ好評だったため、双方気をよくして、これを発展させ常設化しようという話になった次第。

SAKIAの代表、Mohammad EL SAWY氏は、元文化大臣のご子息というサラブレッドにして、父とは違うやり方でこの国の文化振興に取り組んでいる。毎日必ず何かプログラムが進行していて、平均すると日に3本の催しがあるというから、その精力的な取り組みは政府系文化機関の比ではない。月刊のカレンダーを一瞥すると夜の音楽公演が圧倒的に目立つが、日中も子供や若者が集まるワークショップや、文化と社会のあり方について討論するセミナーなどが頻繁に行われていて、さながら市民のための市民によるサロンの体をなしている。コンサートについていえば、アマチュア・バンドに毛のはえたような若者から世界屈指のウード奏者ナスィール・シャンマまで玉石混交という感じだが、それもライブハウスのようなスペースの少ないこの地において、若い才能に場を提供するというミッションに基づいてのことという。今日聞いた話では、来月あたりから、こうした将来性のあるミュージシャンの楽曲をインターネットで配信するサービスを開始するという。

この日も午後から、文学・芸術と民主主義をテーマとするセミナーがあるというのでSAWY氏は忙しそうだったが、そんななか僕たちとの協議のために
1時間あまりも時間をとってくれたのが嬉しかった。このセミナーについて新聞の告知記事を見ていたので水を向けたら、4月6日の「世界一静かなゼネスト」をとりあげ、今は政府に封じ込められてなす術なくしている市民を、少しずつ文化の力で啓蒙していくことが必要で、今日のセミナーを含むSAKIAの事業がゆっくりと人々の意識を変え、社会を下から変革していくというヴィジョンを語ってくれた。

SAWY氏がセミナーの準備のため席を離れたあと、スタッフの一人、ブルガリア人のドニカさんが僕達に語ってくれた。SAWY氏は頻繁に政界からラブコールを受けるひとかどの人物だが、同時にその市民への影響力を政府は警戒もしていて、なかなかに難しいかけひきをしながら、この静かな革命にとりくんでいるという。

ゴミ溜めを掘り起こしてナイル河岸に作り上げた革命拠点SAKIAは、5年の活動を通して確実にカイロ市民の認知と支持を得ている。折り紙とはいかにもささやかだが、単発のイベントだけではなく、何か恒常的な取り組みを通してこの静かな革命に参画したいと思っていたので、SAWY氏が今日のプロポーザルを二つ返事で受けとめてくれたことが嬉かった。

「車輪」っていうのは、やっぱりボブ・ディランだろうか。Like a Rolling Stone。回転(revolve)し続ける石が、ゆっくりと、確実に、カイロっ子のスピリットを変革しつづけている。


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エジプトは多様な姿をしており、そして実に多くの観光資源に恵まれた国だ。4月19日土曜日、カイロ大学文学部日本語学科の学生さんたちが企画した日帰りツアーにもぐり参加させてもらい、そのことを痛感した。

行き先は、シナイ半島。紅海のリゾート地、RAS SUDR(ラス・スィドル)。大学生が行くところだからそれなりにシャビイなのだろうと高をくくっていたら、なかなか立派なリゾート施設があってびっくり。清潔なゲストハウスやおいしいピザが食べられるイタリアン・レストランなどもあって、駐在員の家族でも満足できる環境が整っていた。

生後2ヶ月の二女を連れていけるかどうかも悩ましいところで、朝カイロ大学で実際にバスを見るまで判断を保留していたが、エアコンもばっちり、かつ見栄えもまずますのバスを見て、家族全員で参加することに決めた。バス代、施設(ゲストハウス2部屋とビーチ)利用代込みで大人一人あたり55ポンド(約1,100円)は、結構お得感がある。

海の透明度は、湾岸特有のもの。ドバイでも驚いたが、ここのキラキラ度はたぶん世界有数。逆に綺麗すぎて、珊瑚もフジツボも海草もなんにもなくて、よって魚もほとんどいないのが、潜り好きには物足りないところか。潜り専門の人はさらに300キロ南下して、シナイの先っぽ、シャルム・エル・シェイクを目指すのだ。

さて、カイロ大学の学生たちである。30名強の学生たちの8割以上が女性。そして女性の8割以上がヘガーブ(スカーフ)を被っている。この女性たちの海水浴というのが、どうにもイメージしにくいのだが、彼女らはやはり水着になるということはなく、服を着たまま、水際でパシャパシャやっている程度。男がいるところでは絶対にフィジカルな女性らしさを顕示してはならぬのだ。

ところが、だ。日が紅海にポツンと沈みかけたころ、巨大スピーカーからボンボンとアラブポップを流し、学生たちのダンス大会開始。ヘガーブをつけたおしとやかだったはずの女学生たちが、腰をクネクネ、手をシナシナさせながら、妙にセクシーにベリーダンスを披露してみせるのは、どういうことだ!歌や踊りが大好きで、若さをほとばしらせる彼らは、他国の大学生となんら変わることがなく、ほほえましかった。でも、バスのなかでバリバリに音がひび割れるほどに音量を上げて歌い踊り狂うのだけは、ご勘弁を!

エジプトは、ピラミッドとミイラだけではないということを印象づけてくれた、ささやかな日帰り旅行だった。子連れだとなかなか遠出が難しいけれど、ぼちぼちと旅をして、ぼちぼちとこの国のさまざまな表情を紹介できればと思う。

リゾートの案内は、以下URLを参照ください。
http://www.lahacienda-resort.com/
通勤途中、ゲジーラ島の中洲をナイル川をはさんで中心街へと結ぶKASL EL NILブリッジ(通称=虎橋)の入口で、背の高い台座に乗っかった銅像と対面する。19世紀から20世紀初頭にかけてのエジプト独立運動をリードしたサアド・ザグルールの像だ。

最近読んだ新聞で、この銅像がエジプト近代芸術の父、マハムード・モフタール(Mahamoud Mokhtar、1891-1934)の作であることがわかった。同氏の最も有名な作品は、カイロ大学の正門に構える”Reawakening of Egypt"(「エジプトよ、再び目覚めよ」)。スフィンクスを従える農村の女性が、頭にかけたスカーフを外そうとする瞬間を切り出した。タイトルが示すように、自立する女性の姿を通して、偉大な伝統を尊重しつつ自らを覚醒させたエジプト人による新しい国づくりを鼓舞している。

サアド・ザグルールと同時代を生きたマハムード・モフタールも負けず劣らずのナショナリストで、芸術表現を通して国民の団結と植民地支配からの解放を訴え続けたらしい。新聞記事に興味深い記述があった。サアド・ザグルールのような独立運動のリーダーを称える像の作成は、王室からの要請に基づくものではあったものの、英国支配にたてついたという意味で、王室にとっては微妙な要素をはらんでいた。それを承知のうえでマハムード・モフタールは、敢えて王族や英国支配者の銅像よりも大きい像を作り、ナショナリストの面目を保ったという。

マハムード・モフタールの2つの作品は、以下のサイトで詳しい解説とともに紹介されています。

http://www.egy.com/landmarks/01-06-21.shtml
4月14日から1泊で、4度目となるアレキ出張。現代日本工芸展が13日に終了したので、その撤収作業のために、現地事務スタッフ1、セキュリティスタッフ2、運転手1と自分の5人で出かけた。


会場となった美術館、共催者のエジプト文化省との間で、業務の進め方をめぐってゴタゴタが続き、毎回のことながら苦労の多いイベントとなった。インドでもしかり、日本のスタンダードでは何でもない当たり前の作業が、こんなにもドラマチックに展開することに慣れてしまうと、帰国後のリハビリがいよいよ大変なことになるかもしれない。

一番驚いたのは、先方の主張を受けて月曜日を休館としたのに、月曜日に作品を見たという”アーティスト”から事務所に電話がかかったきたこと。月曜日に閉じるか閉じないかというシンプルきわまりない論点も、カイロからの電話ではまったく埒があかないため、高価な工芸作品の安否を第一に考え、最後の月曜日にも「うちが雇った」警備員をはりつけることにした。

美術館に着すぐに、ダッシュして作品の状況をチェック。盗難、破壊は、幸いにも、一件もない。約2時間かけて64点の作品を梱包、さらに1時間ほどかけて木箱をボルトでロックし、最後の2時間で木箱16箱および「うちがカイロからかき集めた」展示台45点を、
「うちが雇った」ポーターに2階から1階へ下ろさせ、「うちが雇った」運送業者のトラックに積み込んだ。

午後3時、晴れ晴れした気分で会場を後にし、せっかくだからと夏に予定している現代日本写真展の会場候補、Alexandria Center of Artsへご挨拶に出かけた。同じ政府系の建物と組織でこんなにも違うのかと、驚きあきれた。こちらは、1888年築のクラシックな建物に6年前に総入れ替えした新しい設備・機材が納められ、良質な環境で展示、舞台公演、映画上映、講演会、シンポジウム、ワークショップなど、マルチなイベントをカバーしている。なんといっても、何十人ものスタッフがそれぞれに自分の持ち分で忙しそうに、且つ快活に動き回っている姿に感動。撤収作業のジーンズ姿のままだったので、代表者とは今回は挨拶だけと思って訪ねたが、「いつがいい?」とさっそく秘書を呼び、あれよあれよと8月初旬のスケジュールがブロックされた。

帰りの車中では、カイロっ子のスタッフ4人が、アレキサンドリアの悪口に花を咲かせる。というのも、先の展示会場から次のCenter of Artsまで行くのに、10人以上の歩行者に道を聞き、右往左往したあげく、1時間半も費やしたのだ。「10人が10人、みんな違うことを言う」というのだが、特に際立った論点は、ここアレキでは、地下道・トンネルのことを「橋」(コブリ)と呼ぶということ。「コブリまで言ったら左に曲がれ」「コブリを越えてまっすぐ行け」というようなガイドを頼りにしたもので、われらがカイロっ子はどこまで行っても橋に遭遇せず、また次の人に道を聞くことになる。
そんな言葉一つに、230キロ離れた街の文化の違いが見てとれるのが面白い。

悪口の話はこの辺にして、カイロでもアレキでも関心するのは、ここでは車中の人が気楽に車を止めて道行く人に道を聞き、聞かれた人はどんなに忙しくても立ち止まって、自分のもっている知識を総動員して一生懸命説明してくれる。この日も、オーバーヒートした車のボンネットを開けて途方にくれた人にまで、うちのスタッフは道を聞いていた。「さすがにこの人は・・・」と僕は怪しんだが、やはり、当の被害者も、ツバを飛ばしながら一生懸命教えてくれた。

この国のこの人間臭いコミュニケーションが、僕は好きになった。
4月11日、友人が「エジプトの坂本龍一」と絶賛するFATHY SALAMAの先週に続く公演を見に行く。

前回は、オペラハウスの小ホールで比較的アコースティックな抑えたパフォーマンスだったが、今度はオペラハウスの野外ステージで大きなスピーカーを積んでの、ノイジーな演奏を聞かせてくれた。

なんとか写真でイメージを伝えたいのだけれど、撮影禁止なのでいたしかたない。隣の席でデジカメでカシャッとやっていたご婦人が、警備の注意を受けていた。

今回はナーイ(縦笛)のゲストがいなくて、ファトヒのキーボードとアコーディオン奏者とのユニソンは、前回よりはまとまって聞こえて安心できた。オリジナルメンバーでの演奏は、やはりバンドらしいまとまりがあって、悪くない。

途中から、エジプト人のコンピューター・プログラマー1名とフランス人のDJ1名が参加、まさにELECTRONCAなセッションが始まる。雰囲気としては、いわゆる昔のDX-7的ストリングス空間系サウンドで、DJも控えめ、坂本龍一というよりは喜多郎的なアンビエンス。

寝た子を妻の妹に預けて夫婦で見に行っていたが、このへんで家のことが心配になり中座。途中までだったが、先週よりも楽しめたのは、野外の開放感がこのグループには会っているということが大きいかもしれない。日本公演・・・という気持ちまでには、いまひとつ、まだ足りない、かな。

でも、楽曲も美しいので、興味がある方はウェブサイトで聞けるMP3ファイルでお試しください。

http://fathysalama.free.fr/gb/gb-discographie.htm
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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