えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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遅読の極みで、先月購入して著者にサインしてもらった"In An Antique Land"が、ようやく最終局面。読みやすい文章で基本的にスラスラと進むが、さすがインド人、使う単語がなかなかに珍しかったりするので、辞書引き引きになるページもある。
いまや世界中に読者をもつ人気作家、アミターブ・ゴーシュの現在を形作るのに、こんなにもエジプトでの生活と研究体験が大きな影響を与えていることに、読み進めるにつれ驚きは増すばかり。農村の方言しかできないと本人は謙遜するが、アラビア語も相当にできる模様である。作家として文筆の世界に入る前、今から25年以上も前のこと、世界を知る体験が必要と考えたゴーシュは、奨学金をもらってエジプト農村の社会人類学研究に取り組む。このトラベローグでは、研究そのものよりは農村生活のエピソードが中心を占める。興味深いのは、村人(ほとんどがムスリム)がインド人のゴーシュに対して、ヒンドゥー教の雌牛信仰について、あるいは死者を荼毘にふす慣習について、興味と畏れを抱きながら質問攻めにするのだ。
世界には色々な宗教や民族があるということを事実として受け入れる傾向にある都会人とは違って、村の人たちにとっては、あまりにも自分達とは異なるインド人の信仰に対する違和感が大きく、彼らの多くが、多分に親切心から、イスラムへの改宗を勧めたりする。そうしたことの繰り返しに気が滅入り、戸惑うゴーシュに対して、仲の良い友人らは、「ほんの冗談なんだから、適当に聞き流せばよい」と助言するのだが、ゴーシュはここで自分の少年時代の体験を紹介しながら、インド亜大陸の状況とエジプトのそれとを比較してみせる。
すなわち、ゴーシュの父親はインド外交官で、60年代に東パキスタン(現バングラデシュ)のインド大使館に勤務していたという。当地では独立後も、残ったヒンドゥー教徒と大多数を占めるムスリムとの間で、ちょっとしたイザコザがもとで、深刻な宗派間対立が再燃しており、あるとき、ゴーシュの住む公邸に緊張を恐れてヒンドゥー教徒が逃げ込み、外をムスリムの群集が取り囲むという事件が起こったのだそうだ。一見平和に発展を続けるかに見える南アジア、インド亜大陸には、未だ静まらずくすぶり続ける暴力の気配が漂う。それと比べたときに、異教徒同士が世代を超えて対立・暴力の記憶を継承するといった事態を経験しないエジプトの人々は、なんと平和なことだろう!村の人々から興味本位の質問攻めにあうたびに、ゴーシュはこのようなことに思いをいたしていたという。
エジプトにも、マジョリティのムスリムと1割から2割とされるコプト教徒(キリスト教徒)との間に、ときに緊張がはしることがあると聞くが、ゴーシュの言うように、南アジアの混沌とした状況と比べれば、確かに平和というべきか。
それにしても、ヒンドゥー教徒と同様、死者を荼毘にふす我々仏教徒も、当地の農村で人々と言葉を交わすことがあるとすれば、まずはこの宗教がらみの面倒くさい問答とつきあわねばならないのだろう。実際、ゴーシュがこれらの問答と直面するくだりに出くわすたびに、読んでいる自分の心もドキドキと波打ってくるのを感じる。
もう一つ、興味深いくだりは、ゴーシュが村のイマームとの間で、エジプトとインドの国としての「発展」をめぐって口論になる場面。またもや雌牛信仰のことを言及され、翻ってエジプトは世界でアメリカに次いで優れた兵器を作るのだとうそぶかれたゴーシュは、このときは堪忍袋の緒が切れて、そうではなくインドこそエジプトなんかよりも優れた兵器開発国である、と言い返す。言ってしまった後で後悔するゴーシュは、ここにきて、農村のエピソードと同時平行に語ってきたもう一つのテーマとの接合を試みる。それは、ゴーシュが後年関心をもって研究することになる、中世のアラブとインドの交易史のことで、エジプトのシナゴーグから発見された当事者間の書簡(ゲニザ文書)を通してよみがえる、異教徒間ののびのびと展開される交渉のありように、ゴーシュは現在では失われつつある開かれたコミュニケーションを発見する。人間どうしが自分の所属する国の軍事科学技術でもって互いを競いあうのが近代の話法とすれば、交換する文物の価値を通してフラットな関係を切り結ぶ中世の商人たちは、どんなにか自由であったことだろう。当時においては、エジプト在住ユダヤ商人がインド南部マラバールに拠点をおいて、同地で知り合った下級カーストの漁民を「奴隷」としてアデン(現イエメン)に駐在させ、エジプトとインド間の取り引きを活発に行うというような、国籍、民族、宗教などのアイデンティティが多様に入り組んだ人間模様が、ごくごく一般的であったことが伺い知れる。そして、近代とは、その豊かな境界線を融解させながら展開されるコミュニケーションを、国民国家の論理でもって整理していくプロセスであり、近代化のプロセスを通じて、承知のとおり多くの血が流れた(今も流れ続けている)。
こうして、中世の交易・交流史に飽くなき関心をもって自ら調査・研究するという立ち位置から、ゴーシュの文学世界が立ち現れる。日本でも多くの読者を獲得した大河ドラマ『ガラスの宮殿』もまた、近代が必然的にもたらす暴力に翻弄される人々を一人一人丹念に描写することで、歴史を権力装置から人間のもとへ返還しようとする試みとして読むことができるように思う。"In An Antique Land"を読んで初めて、どうしてゴーシュの手からこのような深い文学作品が生み出されるのかが、少しだけ理解できたように感じている。
僕が逃してしまったカイロ・アメリカン大学での講演が、MP3で聴けることを発見!ジミー・カーターなど錚々たる面々がやってきているようで、これからは注意して前宣伝を見なければ!
http://www1.aucegypt.edu/resources/smc/webcasts/
いまや世界中に読者をもつ人気作家、アミターブ・ゴーシュの現在を形作るのに、こんなにもエジプトでの生活と研究体験が大きな影響を与えていることに、読み進めるにつれ驚きは増すばかり。農村の方言しかできないと本人は謙遜するが、アラビア語も相当にできる模様である。作家として文筆の世界に入る前、今から25年以上も前のこと、世界を知る体験が必要と考えたゴーシュは、奨学金をもらってエジプト農村の社会人類学研究に取り組む。このトラベローグでは、研究そのものよりは農村生活のエピソードが中心を占める。興味深いのは、村人(ほとんどがムスリム)がインド人のゴーシュに対して、ヒンドゥー教の雌牛信仰について、あるいは死者を荼毘にふす慣習について、興味と畏れを抱きながら質問攻めにするのだ。
世界には色々な宗教や民族があるということを事実として受け入れる傾向にある都会人とは違って、村の人たちにとっては、あまりにも自分達とは異なるインド人の信仰に対する違和感が大きく、彼らの多くが、多分に親切心から、イスラムへの改宗を勧めたりする。そうしたことの繰り返しに気が滅入り、戸惑うゴーシュに対して、仲の良い友人らは、「ほんの冗談なんだから、適当に聞き流せばよい」と助言するのだが、ゴーシュはここで自分の少年時代の体験を紹介しながら、インド亜大陸の状況とエジプトのそれとを比較してみせる。
すなわち、ゴーシュの父親はインド外交官で、60年代に東パキスタン(現バングラデシュ)のインド大使館に勤務していたという。当地では独立後も、残ったヒンドゥー教徒と大多数を占めるムスリムとの間で、ちょっとしたイザコザがもとで、深刻な宗派間対立が再燃しており、あるとき、ゴーシュの住む公邸に緊張を恐れてヒンドゥー教徒が逃げ込み、外をムスリムの群集が取り囲むという事件が起こったのだそうだ。一見平和に発展を続けるかに見える南アジア、インド亜大陸には、未だ静まらずくすぶり続ける暴力の気配が漂う。それと比べたときに、異教徒同士が世代を超えて対立・暴力の記憶を継承するといった事態を経験しないエジプトの人々は、なんと平和なことだろう!村の人々から興味本位の質問攻めにあうたびに、ゴーシュはこのようなことに思いをいたしていたという。
エジプトにも、マジョリティのムスリムと1割から2割とされるコプト教徒(キリスト教徒)との間に、ときに緊張がはしることがあると聞くが、ゴーシュの言うように、南アジアの混沌とした状況と比べれば、確かに平和というべきか。
それにしても、ヒンドゥー教徒と同様、死者を荼毘にふす我々仏教徒も、当地の農村で人々と言葉を交わすことがあるとすれば、まずはこの宗教がらみの面倒くさい問答とつきあわねばならないのだろう。実際、ゴーシュがこれらの問答と直面するくだりに出くわすたびに、読んでいる自分の心もドキドキと波打ってくるのを感じる。
もう一つ、興味深いくだりは、ゴーシュが村のイマームとの間で、エジプトとインドの国としての「発展」をめぐって口論になる場面。またもや雌牛信仰のことを言及され、翻ってエジプトは世界でアメリカに次いで優れた兵器を作るのだとうそぶかれたゴーシュは、このときは堪忍袋の緒が切れて、そうではなくインドこそエジプトなんかよりも優れた兵器開発国である、と言い返す。言ってしまった後で後悔するゴーシュは、ここにきて、農村のエピソードと同時平行に語ってきたもう一つのテーマとの接合を試みる。それは、ゴーシュが後年関心をもって研究することになる、中世のアラブとインドの交易史のことで、エジプトのシナゴーグから発見された当事者間の書簡(ゲニザ文書)を通してよみがえる、異教徒間ののびのびと展開される交渉のありように、ゴーシュは現在では失われつつある開かれたコミュニケーションを発見する。人間どうしが自分の所属する国の軍事科学技術でもって互いを競いあうのが近代の話法とすれば、交換する文物の価値を通してフラットな関係を切り結ぶ中世の商人たちは、どんなにか自由であったことだろう。当時においては、エジプト在住ユダヤ商人がインド南部マラバールに拠点をおいて、同地で知り合った下級カーストの漁民を「奴隷」としてアデン(現イエメン)に駐在させ、エジプトとインド間の取り引きを活発に行うというような、国籍、民族、宗教などのアイデンティティが多様に入り組んだ人間模様が、ごくごく一般的であったことが伺い知れる。そして、近代とは、その豊かな境界線を融解させながら展開されるコミュニケーションを、国民国家の論理でもって整理していくプロセスであり、近代化のプロセスを通じて、承知のとおり多くの血が流れた(今も流れ続けている)。
こうして、中世の交易・交流史に飽くなき関心をもって自ら調査・研究するという立ち位置から、ゴーシュの文学世界が立ち現れる。日本でも多くの読者を獲得した大河ドラマ『ガラスの宮殿』もまた、近代が必然的にもたらす暴力に翻弄される人々を一人一人丹念に描写することで、歴史を権力装置から人間のもとへ返還しようとする試みとして読むことができるように思う。"In An Antique Land"を読んで初めて、どうしてゴーシュの手からこのような深い文学作品が生み出されるのかが、少しだけ理解できたように感じている。
僕が逃してしまったカイロ・アメリカン大学での講演が、MP3で聴けることを発見!ジミー・カーターなど錚々たる面々がやってきているようで、これからは注意して前宣伝を見なければ!
http://www1.aucegypt.edu/resources/smc/webcasts/
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趣味の問題として、音楽ネタに偏りがちな今日この頃。
東京の友人から、西田ひろみさんというヴァイオリニストのことを紹介してもらった。エジプトで音楽の勉強をされた方だというので興味をもってネット検索してみたら、なんと、西田さんは、以前このブログで紹介したグラミー賞受賞者FATHY SALAMAのバンド、SHARKIATでヴァイオリンを弾いていたとある。西洋音楽を修得された上にアラブ音楽の知識と技術を身につけ、当地のミュージシャンたちと一緒に音楽を作ってきた人らしいのだ。
http://www.arab-music.com/hiromi.html
さらに検索していくと、西田さんは現在、「43微分音オルガン」を自作・自演する冷水ひとみさんとSYZYGYS(シジジーズ)というユニットを組んで、公演、作曲、CD作成など活発に音楽活動を行っていることも判明。
http://www.syzygys.jp/index.html
43微分音オルガンなんて、はじめて聞いたが、微分音は非西洋音楽では当たり前のものとして存在しているわけで、現代のポピュラー・ミュージックが12音階だけを相手にしているということそのものが、西洋偏重とまでは言わないまでも、もったいないことと言えなくもないのだ。そういうわけで、43微分音を聞き分け、弾きわける日本人の音楽家は、そのキャパシティの分だけ、世界のより多くのエリア、人々にその音楽を届け、理解してもらえるかもしれない。
アマゾン.comのサイトでSYZYGYSの過去2枚のアルバムの楽曲を視聴できるので、聴いてみた。
http://www.amazon.co.jp/Complete-Studio
-Recordings-Syzygys/dp/B00007J4S0/
ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=
1209537769&sr=8-1
http://www.amazon.co.jp/Eyes-Green-
Syzygys-Roppongi-Inkstick/dp/
B00005Q6NB/ref=sr_1_1?ie=UTF8
&s=music&qid=1209538606&sr=1-1
12音階に慣れきった耳と脳みそには、最初、妙なねじれ感をもって飛び込んでくるサウンドにびっくり。じっくりと何度か聴き続けると、きっとこの世界に慣れてきて、独特の妙を理解できるようになるのだろう。
なお、二人の経歴を見ると、『頭山』で一躍世界を魅了した山村アニメの音楽、矢口監督の傑作コメディー『ウォーターボーイズ』の音楽などを手がけているそうで、これまたびっくり。
まずはCDを入手せねば!
東京の友人から、西田ひろみさんというヴァイオリニストのことを紹介してもらった。エジプトで音楽の勉強をされた方だというので興味をもってネット検索してみたら、なんと、西田さんは、以前このブログで紹介したグラミー賞受賞者FATHY SALAMAのバンド、SHARKIATでヴァイオリンを弾いていたとある。西洋音楽を修得された上にアラブ音楽の知識と技術を身につけ、当地のミュージシャンたちと一緒に音楽を作ってきた人らしいのだ。
http://www.arab-music.com/hiromi.html
さらに検索していくと、西田さんは現在、「43微分音オルガン」を自作・自演する冷水ひとみさんとSYZYGYS(シジジーズ)というユニットを組んで、公演、作曲、CD作成など活発に音楽活動を行っていることも判明。
http://www.syzygys.jp/index.html
43微分音オルガンなんて、はじめて聞いたが、微分音は非西洋音楽では当たり前のものとして存在しているわけで、現代のポピュラー・ミュージックが12音階だけを相手にしているということそのものが、西洋偏重とまでは言わないまでも、もったいないことと言えなくもないのだ。そういうわけで、43微分音を聞き分け、弾きわける日本人の音楽家は、そのキャパシティの分だけ、世界のより多くのエリア、人々にその音楽を届け、理解してもらえるかもしれない。
アマゾン.comのサイトでSYZYGYSの過去2枚のアルバムの楽曲を視聴できるので、聴いてみた。
http://www.amazon.co.jp/Complete-Studio
-Recordings-Syzygys/dp/B00007J4S0/
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1209537769&sr=8-1
http://www.amazon.co.jp/Eyes-Green-
Syzygys-Roppongi-Inkstick/dp/
B00005Q6NB/ref=sr_1_1?ie=UTF8
&s=music&qid=1209538606&sr=1-1
12音階に慣れきった耳と脳みそには、最初、妙なねじれ感をもって飛び込んでくるサウンドにびっくり。じっくりと何度か聴き続けると、きっとこの世界に慣れてきて、独特の妙を理解できるようになるのだろう。
なお、二人の経歴を見ると、『頭山』で一躍世界を魅了した山村アニメの音楽、矢口監督の傑作コメディー『ウォーターボーイズ』の音楽などを手がけているそうで、これまたびっくり。
まずはCDを入手せねば!
4月23日夜、前日のNaseer Shamma公演に続いてSAKIAに出かけた。同じZAMALEKに住む友人が薦めてくれたバンド、Eftekasatのライブを見るためだ。友人から借りたCDは、アラブ音楽の要素は控えのジャズ寄りのフュージョンで、ナーイ(葦の縦笛)が軽快に奏でるメロディーと、ジェフ・ベックっぽい音色で流麗なフィンガリングを披露するギターが印象的だった。
先日、折り紙の打ち合わせでSAKIAを訪ねた際に、ブルガリア人スタッフのドニカさんにEftekasatのことを話したら、なんと旦那さんがバンドの創設者だという。アラブ音楽と西洋音楽の絶妙なバランスがいいねと褒めたら、「ブルガリア音楽の要素も入っているのよ」とドニカさんが付け加えた。残念ながら僕にはどこにブルガリア的な要素があるのか、まだ発見できていない。
この日は、前のFATHY SALAMAのライブみたいに、ゲストにDJが参加していて、5分くらい遅れて会場に着いたら、クラブ・ミュージック特有の重い電子低音がズンズンと響いていた。近隣の迷惑を考慮して、半オープンのRiver Hallの外に開いた部分が、ビニールのシートで前面覆われていた。
CDで聴いたサウンドは、カシオペアやスクエアのような日本のフュージョン・バンドにも通じる聴きやすい、隙間の多い音だったはずが、DJの参加で俄然、音の隙間がなくなって、やかましい。これは好みの問題だが、僕は好きになれない。客層は前日のNaseerとはうってかわって、10代から20代の若者中心で、オール・スタンディングでリズムにあわせて身体を揺らせていた。女性のヒガーブ(スカーフ)着用率が1割を切っていたのも印象的だった。どこの国の首都にもいるような、今風の音とファッションを好む若者が少なからずいるということだ。
驚いたのは、前日のNasserの公演で控えめな演奏に徹していたナーイ(縦笛)奏者が、この日はバンド・サウンドに身を預け、その巨大な身体を揺らせながら、実に楽しそうに演奏に興じていたことだ。古典も現代モノも自在にこなすキャパシティの広さに脱帽。
ちなみに、Eftekasatとは、若者語で「創造力(CREATIVITY)」の意味とのこと。
以下のサイトで、バンドの楽曲を視聴できます。
http://www.myspace.com/eftekasat
先日、折り紙の打ち合わせでSAKIAを訪ねた際に、ブルガリア人スタッフのドニカさんにEftekasatのことを話したら、なんと旦那さんがバンドの創設者だという。アラブ音楽と西洋音楽の絶妙なバランスがいいねと褒めたら、「ブルガリア音楽の要素も入っているのよ」とドニカさんが付け加えた。残念ながら僕にはどこにブルガリア的な要素があるのか、まだ発見できていない。
この日は、前のFATHY SALAMAのライブみたいに、ゲストにDJが参加していて、5分くらい遅れて会場に着いたら、クラブ・ミュージック特有の重い電子低音がズンズンと響いていた。近隣の迷惑を考慮して、半オープンのRiver Hallの外に開いた部分が、ビニールのシートで前面覆われていた。
CDで聴いたサウンドは、カシオペアやスクエアのような日本のフュージョン・バンドにも通じる聴きやすい、隙間の多い音だったはずが、DJの参加で俄然、音の隙間がなくなって、やかましい。これは好みの問題だが、僕は好きになれない。客層は前日のNaseerとはうってかわって、10代から20代の若者中心で、オール・スタンディングでリズムにあわせて身体を揺らせていた。女性のヒガーブ(スカーフ)着用率が1割を切っていたのも印象的だった。どこの国の首都にもいるような、今風の音とファッションを好む若者が少なからずいるということだ。
驚いたのは、前日のNasserの公演で控えめな演奏に徹していたナーイ(縦笛)奏者が、この日はバンド・サウンドに身を預け、その巨大な身体を揺らせながら、実に楽しそうに演奏に興じていたことだ。古典も現代モノも自在にこなすキャパシティの広さに脱帽。
ちなみに、Eftekasatとは、若者語で「創造力(CREATIVITY)」の意味とのこと。
以下のサイトで、バンドの楽曲を視聴できます。
http://www.myspace.com/eftekasat
静かな革命進行中のSAKIAでは、ほぼ毎月1回、世界最高峰のウード奏者、Naseer Shamma(ナスィール・シャンマ)のコンサートが催され、30エジプト・ポンド(約600円)で素晴らしい演奏を堪能できる。
僕はといえば、SAKIAでナスィールを見るのは初めてだったのだが、2時間半休憩なしのパフォーマンスに、お腹一杯になった。一緒に見た義理の妹も、あまりの素晴らしい演奏ぶりに驚いてしまい、先に見たFATHY SALAMAのバンド演奏とは「ぜんぜん違う」を繰り返していた。幼い頃からアラブ伝統音楽の理論と実践両面での訓練を受けてきたプレイヤーと、いわゆる現代音楽のバンドマンとの間に横たわる演奏技術上のレベルの差は、想像以上に大きいということを痛感しないわけにはいかなかった。FATHYのバンドには、伝統モノにはない良さが一杯あることは間違いないのだが。
常連の知人によれば、7人編成の自身のバンドでの公演は久しぶりだったようで、客席の興奮した感じはそのせいでもあったかもしれない。ナスィール(ウード)の他は、ヴァイオリンが二人、カーヌーン(琴に似た楽器)、ナーイ(葦の縦笛)、コントラバス、レク(タンバリンに似た打楽器)という編成。ヴァイオリンやコントラバスのようなフレットレスの西洋楽器がアラブ音楽と相性が良かったのは、言うまでもなく、西洋12音階にはない1/4音までの微分音を表現できるという利点があったからだろう。もともと大昔から仲間であったかのように、しっくりとアンサンブルをなしている。
公演は、前半3曲ほどがナスィールのウード・ソロで、そこからバンドでのアンサンブルとなる。ソロは、相変わらず超絶技巧なのだが、前日の常味さんによるナスィール評をふまえて聴くと、ちょっと自分にとってはtoo muchと感じられなくもなかった。つまり、ナスィールのウードは、歌の伴奏を中心とする伝統的スタイルからは180度異なる革新的なものであると。とにかく、音の洪水、ロック・ギターに敢えてたとえれば、イングウェイ・マルムスティーンかポール・ギルバートかというくらいの音数に溺れる。
それと比べると、バンド・アンサンブルのほうが個人的には楽しめる。僕は、ウードも好きだが、それ以上にカーヌーンの繊細な響きの虜になってしまった。そして、ウード、カーヌーン、ナーイ、ヴァイオリンの高速ユニソンは、神業のごとくばっちりときまっていて、その寸分の狂いのなさに鳥肌がたつ。
楽曲もヴァラエティに富んでいて、楽しい。古典から、ウンム・クルスームのような伝統に根ざした歌謡曲、そしてナスィール自身のコンポジションまで、幅が広い。それに、古典のなかにもウンム・クルスームやムハンマド・アブデル・ワッハーブの名曲のフレーズを組み込んでくる遊びも楽しい。とっていも、僕にはまだそれらを聞き分ける能力がないから、観客がそれを楽しんで拍手喝さいだったというのが、正確なところ。
いくつかの楽曲には、心底陶酔してしまい、思わず「生きててよかった」とつぶやいてしまう有様。SAKIAのプログラムは、彼らのウェブサイトで公開されているから、日本からエジプトに旅行に来る人は、ぜひナスィール・シャンマの公演日にあわせてスケジュールをたてることをオススメしたい。生きている間に一度は聴いたほうがいいと、聴いた人なら必ず薦めるだろう、そんな素晴らしい音楽です。
SAKIAのウェブサイト http://www.culturewheel.net/English/Default_e.htm
アラブ音楽の弦楽器ウード奏者の常味裕司(つねみ・ゆうじ)さんとパーカッションの和田啓(わだ・けい)さん、ヴォーカルの松本泰子(まつもと・たいこ)さんが事務所に来てくれた。日本人ウード奏者の第一人者としてお名前は知っていたが、僕は今日が初対面。
常味さんはチュニジアでもっぱら修行をしていたこともあり、エジプトは数年前にカイロでの国際交流基金の主催公演で来たとき以来、今回が2度目だという。でも、チュニジア人の師匠、アリ・スルティ氏がエジプト楽派で、エジプト現代音楽の父、ムハンマド・アブデル・ワッハーブらと交友があったような人だったため、修得したスタイルとしてはエジプトのものだったという。基金の主催公演は、アラブ音楽院というアラブ音楽の中心で行われたが、音楽をよくわかった聴衆を前に逃げ出したい気持ちになったと、笑いながら語ってくれた。純粋に音楽そのものに魅せられ、真摯に向かい合ってきた人の静かな自信と落ち着きが、終始部屋を支配していた。大人だな、と思った。
常味さんらによると、今もエジプトはアラブ音楽のメッカとして圧倒的な輝きを放っていて、素晴らしい演奏を聴き、そして最高度の音楽を学ぶことができる場だという。話を聞いていて、まだその本物の世界に僕は足を踏み入れていないのだなと実感する。幸い、今年日本研究フェローシップで日本に行くことになった芸術アカデミーのナグラさんが、兄弟組織のアラブ音楽院を近々案内してくれると言ってくれているので、もう一歩ディープな本場の世界に触れられるかもしれない。
3人のユニット、Rabisariのアルバム、『Rabisari Ⅱ』をi-tunesでかけてみた。松本さんが日本語で歌う優しい歌声をウードが上品で控えめに支える、素敵な音楽だった。
こちらのサイトで、3曲、ダウンロードすることができるので、聴いてみて、気に入ったら買ってみてください。
http://www.beravo.com/RabiSari/
常味さんはチュニジアでもっぱら修行をしていたこともあり、エジプトは数年前にカイロでの国際交流基金の主催公演で来たとき以来、今回が2度目だという。でも、チュニジア人の師匠、アリ・スルティ氏がエジプト楽派で、エジプト現代音楽の父、ムハンマド・アブデル・ワッハーブらと交友があったような人だったため、修得したスタイルとしてはエジプトのものだったという。基金の主催公演は、アラブ音楽院というアラブ音楽の中心で行われたが、音楽をよくわかった聴衆を前に逃げ出したい気持ちになったと、笑いながら語ってくれた。純粋に音楽そのものに魅せられ、真摯に向かい合ってきた人の静かな自信と落ち着きが、終始部屋を支配していた。大人だな、と思った。
常味さんらによると、今もエジプトはアラブ音楽のメッカとして圧倒的な輝きを放っていて、素晴らしい演奏を聴き、そして最高度の音楽を学ぶことができる場だという。話を聞いていて、まだその本物の世界に僕は足を踏み入れていないのだなと実感する。幸い、今年日本研究フェローシップで日本に行くことになった芸術アカデミーのナグラさんが、兄弟組織のアラブ音楽院を近々案内してくれると言ってくれているので、もう一歩ディープな本場の世界に触れられるかもしれない。
3人のユニット、Rabisariのアルバム、『Rabisari Ⅱ』をi-tunesでかけてみた。松本さんが日本語で歌う優しい歌声をウードが上品で控えめに支える、素敵な音楽だった。
こちらのサイトで、3曲、ダウンロードすることができるので、聴いてみて、気に入ったら買ってみてください。
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趣味:
カレー
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