えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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20日、11日間にわたってカイロ市内13箇所の劇場で繰り広げられた、第20回カイロ実験演劇祭が終わった。
僕ら国際交流基金スタッフは、最終日の正午から7箇所で同時に開演した芝居のうち、エジプトとイタリアの共同制作、”Where doed the Phenix Fly?(フェニックスはどこを飛ぶ?)"を見に行った。前日会場前が中に入れてもらえず憤る人々で溢れ返っていたという報告を聞いていたので、開演予定時間30分前に到着して、いそぎチケットを購入しておいた。ここのチケットは3ポンド(=60円)。アラブ音楽学院で見た芝居は15ポンドだったから、劇団ではなく会場によってチケット代が5倍も違ってしまうという問題があることがわかった。
日中はみな仕事をしているからだろう、前日のような混乱は全くなく、会場付近はまったく静かなものだった。拍子抜けしたわれわれはカフェでお茶を飲んで、開演を待つ。そして開演10分前に改めて会場に行くと、なんと、役者の一人が渋滞に巻き込まれて、時間どおりにはじめられないという。のんびりした人ならいいけど、忙しい人や気の短い人には耐え難い話だろうな。
結局、役者は10分遅れで到着、芝居は12時15分に始まった。
作品の主題は、スーダンの"The Frog's Wings"に似て、自由と解放。言葉はアラビア語とイタリア語で、字幕はない。テキストがわからない上に、身体表現としても目立った様式性や言語的要素が乏しく、作品世界に入っていけない。観客の反応から物語としては悪くなかったということが伺いしれたものの、言語を超えた表現力という点では他の作品より見劣りがしたし、そもそもなんのために言語や文化背景を超えて共同制作に取り組んだのかという、動機が見えてこない作品だった。1作品だけ見て断定することは慎むべきだが、共同制作というジャンルにおけるアジアの先進性を思った。
同日夕刻、オペラハウス・メインホールで閉会式があることになっていたが、時間が公表されていない。招待状を用意してくれると言っていた主催機関の担当者もつかまらなくなり、結局、閉会式はあきらめた。
日が明けて今日、演劇祭のウェブサイトを見ると、審査員団からの結果発表が掲載されていた。
最優秀作品賞:"Grasping the floor with the back of my head"(デンマーク)
最優秀演出賞:Mr. Khaled Galala(エジプト-"The black coffee")
最優秀女優賞:Ms. Rama Al-Isa(シリア)
最優秀男優賞:Abdel Satar El Basri & Yehia Ibrahim (イラク)
最優秀(シノグラフィー)背景画賞;"sub-Zero"(イラク)
最優秀アンサンブル(共演)賞:"Aunt Safia and the monastery"(エジプト)
"The Black Coffee"のハーレド氏が演出賞を授賞したのは妥当。前のブログに感想を書いたとおり、すばらしい作品だった。最後の2つはあまりなじみのないコンセプトだが、とにかく、11カ国11人の審査員団によってこうして評価・授賞が出されるところを見ても、まずまずしっかりしたオーガナイズだと思った。もちろん、開会式までプログラムが公開されない状況を見ても、なかなかにコミットしにくい相手であるという印象はぬぐいきれないが。
個人的には6本の芝居を見たが、言葉がわからないなりに楽しめる作品がほとんどで、カイロっ子の芝居に対する熱い気持ちを含んだ独特の空気を楽しく見て歩いた。
僕ら国際交流基金スタッフは、最終日の正午から7箇所で同時に開演した芝居のうち、エジプトとイタリアの共同制作、”Where doed the Phenix Fly?(フェニックスはどこを飛ぶ?)"を見に行った。前日会場前が中に入れてもらえず憤る人々で溢れ返っていたという報告を聞いていたので、開演予定時間30分前に到着して、いそぎチケットを購入しておいた。ここのチケットは3ポンド(=60円)。アラブ音楽学院で見た芝居は15ポンドだったから、劇団ではなく会場によってチケット代が5倍も違ってしまうという問題があることがわかった。
日中はみな仕事をしているからだろう、前日のような混乱は全くなく、会場付近はまったく静かなものだった。拍子抜けしたわれわれはカフェでお茶を飲んで、開演を待つ。そして開演10分前に改めて会場に行くと、なんと、役者の一人が渋滞に巻き込まれて、時間どおりにはじめられないという。のんびりした人ならいいけど、忙しい人や気の短い人には耐え難い話だろうな。
結局、役者は10分遅れで到着、芝居は12時15分に始まった。
作品の主題は、スーダンの"The Frog's Wings"に似て、自由と解放。言葉はアラビア語とイタリア語で、字幕はない。テキストがわからない上に、身体表現としても目立った様式性や言語的要素が乏しく、作品世界に入っていけない。観客の反応から物語としては悪くなかったということが伺いしれたものの、言語を超えた表現力という点では他の作品より見劣りがしたし、そもそもなんのために言語や文化背景を超えて共同制作に取り組んだのかという、動機が見えてこない作品だった。1作品だけ見て断定することは慎むべきだが、共同制作というジャンルにおけるアジアの先進性を思った。
同日夕刻、オペラハウス・メインホールで閉会式があることになっていたが、時間が公表されていない。招待状を用意してくれると言っていた主催機関の担当者もつかまらなくなり、結局、閉会式はあきらめた。
日が明けて今日、演劇祭のウェブサイトを見ると、審査員団からの結果発表が掲載されていた。
最優秀作品賞:"Grasping the floor with the back of my head"(デンマーク)
最優秀演出賞:Mr. Khaled Galala(エジプト-"The black coffee")
最優秀女優賞:Ms. Rama Al-Isa(シリア)
最優秀男優賞:Abdel Satar El Basri & Yehia Ibrahim (イラク)
最優秀(シノグラフィー)背景画賞;"sub-Zero"(イラク)
最優秀アンサンブル(共演)賞:"Aunt Safia and the monastery"(エジプト)
"The Black Coffee"のハーレド氏が演出賞を授賞したのは妥当。前のブログに感想を書いたとおり、すばらしい作品だった。最後の2つはあまりなじみのないコンセプトだが、とにかく、11カ国11人の審査員団によってこうして評価・授賞が出されるところを見ても、まずまずしっかりしたオーガナイズだと思った。もちろん、開会式までプログラムが公開されない状況を見ても、なかなかにコミットしにくい相手であるという印象はぬぐいきれないが。
個人的には6本の芝居を見たが、言葉がわからないなりに楽しめる作品がほとんどで、カイロっ子の芝居に対する熱い気持ちを含んだ独特の空気を楽しく見て歩いた。
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演劇祭のなかで、2本目に見たエジプト劇は、"BLACK COFFEE"というタイトル。題名を聞くだけで、人生の苦味を喜劇的に表現してくれるような期待感があって、この作品は外してはいけないような直感があった。プログラムに書かれた劇団名は、CULTURAL DEVELOPMENT FUND。文化振興基金とでも訳すべきか。文化省とは別系統の文化支援を行う政府機構で、文化省よりもお金をもっているとも言われている。
この日、オペラハウス敷地内のギャラリーでエジプト人アーティスト個展のオープニングがあるというので、事務所のスタッフに誘われて会場に向かったのが午後7時半。招待状には午後7時となっていたが、うちの優秀なスタッフが「絶対に7時には始まらないから。」と言うので、それを信じてのっそりでかけると、案の定、待ちぼうけを食ったひとたちが所在なげにしていた。オープニングを7時半から20分でかたづけて、そこから徒歩2分で"BLACK COFFEE"の会場へ駆け込もうというのが僕の魂胆だったが、敵は僕ら平民の予想をはるかに上回る行動を示し、なんと展覧会の主賓であるカイロ県知事がいっこうにやってくる気配をみせないままに、時間は7時55分に。。。
冗談で、「芝居を見て戻ってくるころに、ようやく知事が現れたりして。」などと発言したら、同行してくれたスタッフのGさんが、「それももっともですね。」と自身ありげにうなずき、結果、同僚のOさん、Gさんとともに、3人で観劇することになった。おかげで、今回の演劇祭で見た5本ばかりの作品のうち、この"Black Coffee"の内容だけはずいぶんとしっかり理解できている。上演中、耳元でそれなりに大きな声でずっと通訳してもらうなんて、日本の劇場でやったら2分でつまみだされてしまうに違いない!
ところが、この芝居の会場であるArtistic Creativity Centerのゲートに行くと、中に入れてもらえない30人ほどの演劇好きがガードのおじさんに向かって激昂していて、なんだか不穏な空気。もうチケットは完売で、ありつけなかった人たちがなんとかして入れてもらおうとムダな抵抗をしていたのだ。これはムリだな、とあきらめかけていたら、Gさんは携帯電話をとりだして誰かにアクセスしようとしている。一方、そばにいた長身と短身の、バートとアーニーのような若者コンビが、珍しい黄色人種に興味を示して、僕らの氏素性を聞いてくる。カイロに駐在する文化関係者だと言うと、この二人が気をきかせて中の責任者と話をつけようとしてくれているではないか!!結果、会場のディレクターに電話したGさんの機転のきいた対応ぶりと、親切心あふれる若者のおかげで、なんと、チケットなしでわれわれ3人は、会場に入ることができたのだった。ゲートをくぐると、2月に日本映画祭でお世話になった館長がにこやかに迎え入れてくれた。
会場で配られた劇団と作品解説資料を見て、Gさんは感激を隠さずにまくしたてる。演出家のKhaled Galal氏は、エジプトの演劇界では相当に有名な才能ある演劇人だという。僕の直感もたまにはあたるらしい。なんでも、Cultural Development Fundが数十名の若者をオーディションで採用し、著名な演出家の指導のもと4本の作品を制作して卒業するというプログラムを実施していて、この作品がその3本目にあたるという。
暗転の後、舞台から黒い喪服に身を包んだ30名ほどの男女が、遺影を旨に抱き、号泣しながら登場。遺影は、オンム・クルスームやアブデル・ハリーム・ハーフェズといった、銀幕を飾った往年の歌手・映画スターたち、あるいはサアド・ザグルールやタラアト・ハルブなどの近代国家エジプトの礎を築いた偉人たちのもので、導入から観客は、この芝居が単なる個人的なものではない、より大きなものへの追悼を扱ったものだと気づかされる。
泣き疲れた男女は、舞台後方に整然と並び、一糸乱れずコーヒーカップを口へと運ぶ。エジプトでは、お葬式には華美な食事で弔問客をもてなすといったことはせず、ブラックコーヒーをみなで飲み交わしながら、喪失の苦味をかみ締めるのだという。すなわち、この導入だけで、作品はエジプトの栄光を形づくった偉人たちへの追悼、今は亡き輝かしきエジプトの栄光へのオマージュであることを雄弁に説明してくれたというわけだ。
その後は、
Scene 1 Arabic Language(アラビア語)
Scene 2 Gulf Acculturation of Art(アートの湾岸化)
Scene 3 Prayers(祈り)
Scene 4 Spinstership(婚期を過ぎた独身女性)
Scene 5 Bread(パン)
Scene 6 Ugly(醜い)
Scene 7 Audition(オーディション)
Scene 8 Family(家族)
Scene 9 Anecdotes(アネクドート)
Scene 10 Ignorance(無知)
Scene 11 Fatwas(ファトワ=イスラーム法学者による裁断)
Scene 12 Immigration(脱出)
というそれぞれのシーンで、古い良き伝統を喪失し誇りを失った現代エジプト人の滑稽さを過剰とも言える喜劇的演出で示してみせ、決まって様式化された「集団ブラックコーヒー一すすり」でもって幕を閉じる。その「集団ブラックコーヒー一すすり」のバックには、輝かしきエジプトを誇らしげに歌った、40年代から60年代にかけてのナツメロやら、近代エジプト創設の立役者たちの自信あふれたお説教が流れる。
レバノンや湾岸から資本の力とともに流入する方言の力によって、多くの詩や芸術を生み出してきたエジプト口語アラビア語が混乱し破壊されていくさま、結納金と家賃を用意できないがゆえに結婚にふみきれない男性と待ちぼうけを食い続ける女性たち、かつては家や部族の誇りのための復讐が美徳であったこの地でもはや人々は一枚のパンをめぐって争うようになったしまった様子、俳優や歌手が才能ではなく縁故でしか選ばれない腐敗状況、前世代の遺言で語られる歴史的事実(ナセルのスエズ運河国有化や1973年の第四次中東戦争での「勝利」など)を子どもたちが全く知らないまま歴史的記憶が継承されない悲劇的状況。伝統の破壊、前世代のモラルの消滅が、若い威勢の良い役者たちによって、コミカルに表現されていく。どの場面でも、観客は笑って、笑って、笑いつかれた後、一杯のコーヒーとともに、ほろ苦い喪失感に行き着く。そして最後には、職にあぶれ、ボロ舟で地中海を渡ってヨーロッパへと危険な跳躍を試み、海の藻屑と消えていく若者たちを描いて、舞台は幕を下ろした。
客観的事実としては、悲劇としかいいようのない状況だが、この芝居は、ドタバタ喜劇的演出によって、瞬間的には娯楽に似た高揚感さえ、観客に与えているように見えた。これだけ深刻なモラル上の危機は、全世界的にも共通の現象であるとはいえ、エジプトにおいてはより深刻で、日々、政府の無策ぶりを糾弾する論調がメディアからも人々の口からもあふれている。してみると、この芝居でも、状況の責めを時の権力に帰する告発型の悲劇として描くことだってできるわけだが、状況を政府の作為・不作為を超えたレベルでのモラルの侵食・溶解と捉え、「この状況はわれわれみんながもたらしてしまったものだよね。」とでも言わんばかりに提示してみせる素振りには、結果を責任転嫁することなく自ら引き受けようする知的姿勢を感じた。一見、ノスタルジアに耽る軽薄な知的遊戯のように見せて、その実、笑いと追悼の往復運動を経験させることで観客自身に状況の「中」で考えることを強いるという仕掛けが用意されていたのだなーというのが、観劇後しばらくたってからの感想だ。
別に見たヨルダンやスーダンの芝居、あるいはこれまで日本に紹介されてきた中東方面からの演劇が多かれ少なかれもっていた告発的、糾弾的なスタンス、あるいは状況の外にいる第三者を観客に想定しているかに思われるメッセージ性といったものが、この芝居ではどこまでもエジプト人一人一人の内側の声の代弁となっている。国際演劇祭に出品された作品ではあるが、この作品は本質的にドメスティックだ。そして、逆説的ではあるが、そうであるがゆえに、僕たち外国人に対しても、「僕たちにとってのノスタルジアとは何か」を自問することを促す力をもっているように思われてならなかった。
先日見た、エジプト無声映画へのオマージュといい、この"Black Coffee"といい、エジプト作品には、この社会そのものがもつ、「枯れた味わい」が感じられ、それはそれで居心地が悪くない。不正義がまかり通る世界からのとんがった告発調の表現スタイルよりも、日本人のわれわれが受けいれられる点が多い気がするのである。
芝居が終わって、お隣の展覧会開会式に戻ってみた。これまでの演劇は40~50分で終わっていたが、今回は1時間半経っており、どうやら県知事は立ち去った後のようだった。個展は、タハ・エルカルニー氏の「マウリド」という作品一点を紹介するというもので、会場にはイスラームの聖者の生誕を祝うお祭りの熱気が、10mを超えるキャンバスに生き生きと描かれていた。知事も招待客もいなくなった会場は、さながら「宴のあと」といった風情だった。
この日、オペラハウス敷地内のギャラリーでエジプト人アーティスト個展のオープニングがあるというので、事務所のスタッフに誘われて会場に向かったのが午後7時半。招待状には午後7時となっていたが、うちの優秀なスタッフが「絶対に7時には始まらないから。」と言うので、それを信じてのっそりでかけると、案の定、待ちぼうけを食ったひとたちが所在なげにしていた。オープニングを7時半から20分でかたづけて、そこから徒歩2分で"BLACK COFFEE"の会場へ駆け込もうというのが僕の魂胆だったが、敵は僕ら平民の予想をはるかに上回る行動を示し、なんと展覧会の主賓であるカイロ県知事がいっこうにやってくる気配をみせないままに、時間は7時55分に。。。
冗談で、「芝居を見て戻ってくるころに、ようやく知事が現れたりして。」などと発言したら、同行してくれたスタッフのGさんが、「それももっともですね。」と自身ありげにうなずき、結果、同僚のOさん、Gさんとともに、3人で観劇することになった。おかげで、今回の演劇祭で見た5本ばかりの作品のうち、この"Black Coffee"の内容だけはずいぶんとしっかり理解できている。上演中、耳元でそれなりに大きな声でずっと通訳してもらうなんて、日本の劇場でやったら2分でつまみだされてしまうに違いない!
ところが、この芝居の会場であるArtistic Creativity Centerのゲートに行くと、中に入れてもらえない30人ほどの演劇好きがガードのおじさんに向かって激昂していて、なんだか不穏な空気。もうチケットは完売で、ありつけなかった人たちがなんとかして入れてもらおうとムダな抵抗をしていたのだ。これはムリだな、とあきらめかけていたら、Gさんは携帯電話をとりだして誰かにアクセスしようとしている。一方、そばにいた長身と短身の、バートとアーニーのような若者コンビが、珍しい黄色人種に興味を示して、僕らの氏素性を聞いてくる。カイロに駐在する文化関係者だと言うと、この二人が気をきかせて中の責任者と話をつけようとしてくれているではないか!!結果、会場のディレクターに電話したGさんの機転のきいた対応ぶりと、親切心あふれる若者のおかげで、なんと、チケットなしでわれわれ3人は、会場に入ることができたのだった。ゲートをくぐると、2月に日本映画祭でお世話になった館長がにこやかに迎え入れてくれた。
会場で配られた劇団と作品解説資料を見て、Gさんは感激を隠さずにまくしたてる。演出家のKhaled Galal氏は、エジプトの演劇界では相当に有名な才能ある演劇人だという。僕の直感もたまにはあたるらしい。なんでも、Cultural Development Fundが数十名の若者をオーディションで採用し、著名な演出家の指導のもと4本の作品を制作して卒業するというプログラムを実施していて、この作品がその3本目にあたるという。
暗転の後、舞台から黒い喪服に身を包んだ30名ほどの男女が、遺影を旨に抱き、号泣しながら登場。遺影は、オンム・クルスームやアブデル・ハリーム・ハーフェズといった、銀幕を飾った往年の歌手・映画スターたち、あるいはサアド・ザグルールやタラアト・ハルブなどの近代国家エジプトの礎を築いた偉人たちのもので、導入から観客は、この芝居が単なる個人的なものではない、より大きなものへの追悼を扱ったものだと気づかされる。
泣き疲れた男女は、舞台後方に整然と並び、一糸乱れずコーヒーカップを口へと運ぶ。エジプトでは、お葬式には華美な食事で弔問客をもてなすといったことはせず、ブラックコーヒーをみなで飲み交わしながら、喪失の苦味をかみ締めるのだという。すなわち、この導入だけで、作品はエジプトの栄光を形づくった偉人たちへの追悼、今は亡き輝かしきエジプトの栄光へのオマージュであることを雄弁に説明してくれたというわけだ。
その後は、
Scene 1 Arabic Language(アラビア語)
Scene 2 Gulf Acculturation of Art(アートの湾岸化)
Scene 3 Prayers(祈り)
Scene 4 Spinstership(婚期を過ぎた独身女性)
Scene 5 Bread(パン)
Scene 6 Ugly(醜い)
Scene 7 Audition(オーディション)
Scene 8 Family(家族)
Scene 9 Anecdotes(アネクドート)
Scene 10 Ignorance(無知)
Scene 11 Fatwas(ファトワ=イスラーム法学者による裁断)
Scene 12 Immigration(脱出)
というそれぞれのシーンで、古い良き伝統を喪失し誇りを失った現代エジプト人の滑稽さを過剰とも言える喜劇的演出で示してみせ、決まって様式化された「集団ブラックコーヒー一すすり」でもって幕を閉じる。その「集団ブラックコーヒー一すすり」のバックには、輝かしきエジプトを誇らしげに歌った、40年代から60年代にかけてのナツメロやら、近代エジプト創設の立役者たちの自信あふれたお説教が流れる。
レバノンや湾岸から資本の力とともに流入する方言の力によって、多くの詩や芸術を生み出してきたエジプト口語アラビア語が混乱し破壊されていくさま、結納金と家賃を用意できないがゆえに結婚にふみきれない男性と待ちぼうけを食い続ける女性たち、かつては家や部族の誇りのための復讐が美徳であったこの地でもはや人々は一枚のパンをめぐって争うようになったしまった様子、俳優や歌手が才能ではなく縁故でしか選ばれない腐敗状況、前世代の遺言で語られる歴史的事実(ナセルのスエズ運河国有化や1973年の第四次中東戦争での「勝利」など)を子どもたちが全く知らないまま歴史的記憶が継承されない悲劇的状況。伝統の破壊、前世代のモラルの消滅が、若い威勢の良い役者たちによって、コミカルに表現されていく。どの場面でも、観客は笑って、笑って、笑いつかれた後、一杯のコーヒーとともに、ほろ苦い喪失感に行き着く。そして最後には、職にあぶれ、ボロ舟で地中海を渡ってヨーロッパへと危険な跳躍を試み、海の藻屑と消えていく若者たちを描いて、舞台は幕を下ろした。
客観的事実としては、悲劇としかいいようのない状況だが、この芝居は、ドタバタ喜劇的演出によって、瞬間的には娯楽に似た高揚感さえ、観客に与えているように見えた。これだけ深刻なモラル上の危機は、全世界的にも共通の現象であるとはいえ、エジプトにおいてはより深刻で、日々、政府の無策ぶりを糾弾する論調がメディアからも人々の口からもあふれている。してみると、この芝居でも、状況の責めを時の権力に帰する告発型の悲劇として描くことだってできるわけだが、状況を政府の作為・不作為を超えたレベルでのモラルの侵食・溶解と捉え、「この状況はわれわれみんながもたらしてしまったものだよね。」とでも言わんばかりに提示してみせる素振りには、結果を責任転嫁することなく自ら引き受けようする知的姿勢を感じた。一見、ノスタルジアに耽る軽薄な知的遊戯のように見せて、その実、笑いと追悼の往復運動を経験させることで観客自身に状況の「中」で考えることを強いるという仕掛けが用意されていたのだなーというのが、観劇後しばらくたってからの感想だ。
別に見たヨルダンやスーダンの芝居、あるいはこれまで日本に紹介されてきた中東方面からの演劇が多かれ少なかれもっていた告発的、糾弾的なスタンス、あるいは状況の外にいる第三者を観客に想定しているかに思われるメッセージ性といったものが、この芝居ではどこまでもエジプト人一人一人の内側の声の代弁となっている。国際演劇祭に出品された作品ではあるが、この作品は本質的にドメスティックだ。そして、逆説的ではあるが、そうであるがゆえに、僕たち外国人に対しても、「僕たちにとってのノスタルジアとは何か」を自問することを促す力をもっているように思われてならなかった。
先日見た、エジプト無声映画へのオマージュといい、この"Black Coffee"といい、エジプト作品には、この社会そのものがもつ、「枯れた味わい」が感じられ、それはそれで居心地が悪くない。不正義がまかり通る世界からのとんがった告発調の表現スタイルよりも、日本人のわれわれが受けいれられる点が多い気がするのである。
芝居が終わって、お隣の展覧会開会式に戻ってみた。これまでの演劇は40~50分で終わっていたが、今回は1時間半経っており、どうやら県知事は立ち去った後のようだった。個展は、タハ・エルカルニー氏の「マウリド」という作品一点を紹介するというもので、会場にはイスラームの聖者の生誕を祝うお祭りの熱気が、10mを超えるキャンバスに生き生きと描かれていた。知事も招待客もいなくなった会場は、さながら「宴のあと」といった風情だった。
さて、EGYPT TODAY誌に、'Dancing with Controversy'というタイトルで紹介されたEgypt Modern Dance Theater Company(エジプト現代舞踊演劇団)の作品は、コンテンポラリー・ダンスの要素をほとんど封印して、はっきりとした物語をもったお芝居として楽しめる内容だった。一言で表現するとすれば、「古き良きエジプト無声映画へのオマージュ」。舞台のしかけとしては、前面に後ろが透けて見える薄い白幕を張り、そこにプロジェクターで映画の白地と黒いプリント傷の映像を投影する。そして幕の後ろで役者たちが映画の登場人物さながらに演技をする。さらに背後には、絵巻式の背景画が用意され、場面ごとに新しい絵が吐き出される。ここで、登場人物の動きは、チャップリン映画よろしく、コマ数の少ないフィルム特有の自然な滑らかさを欠く、角ばったコミカルな形をとり、そして最後までそれを崩さない。一時もゆるむことなく古い無声映画特有の動きを演じてみせる、その身体性へのこだわりに、ダンス・カンパニーとしてのこだわりが見てとれなくもない。
ストーリーは、村に住むある男女が、女の一族の者たちにその逢瀬を目撃され、それが対立する部族同士の許されざる恋だったため、男はその場で射殺され、そして女は風評を避けて、カイロへと流れダンサーになる。都会のクラブで歌い踊る彼女はスターとなるが、ある日、クラブのマネージャーの部屋に呼ばれ関係をせまられ、抵抗しているうちに、マネージャーの女が入ってきて、男を銃殺してしまう。その女は失神した主人公のダンサーにもっていた拳銃を持たせ逃亡。ダンサーは裁判にかけられる。法廷では、検察と弁護士の攻防が繰り広げられるが、当の被告は上の空。ところが最後には、当の真犯人が自首することで、ダンサーは自由の身となる。愛した男との村での逢瀬を思い出し悲嘆にくれる彼女のもとに、彼女のことをずっと見守っていた将校が現れ、プロポーズする。こうして映画はハッピー・エンドで幕を閉じる。
一緒に見に行ったアラビア語のわかる友人が、ときどき現れる字幕を部分的に解説してくれたおかげでもあるが、なによりもサイレント映画特有の身体表現を中心とする非言語コミュニケーションの文法をこの芝居がしっかりと踏襲しているのが、僕でもこの程度にはストーリーの流れを追うことが出来た所以だろう。重要なシーンで使われる叙情的歌謡曲もまた、個人個人というよりは、場に流れる感情表現を補っていたように思う。
惜しむらくは、参照され模倣・パロディー化された各シーンの原典がわかればもっと深い味わいが可能となるのだろうが、それは作者ではなく外国人である自分の問題ではある。
この日は、ハシゴをして、夜10時半(!)からスーダンの劇団を見た。翌日のバーレーンの芝居、そして昨日のエジプトの芝居については、また今度。
それにしても、はじまる前まではまったく全貌の見えなかった実験演劇祭、主催団体の知人に問い合わせて、開会式の前前日にようやく招待状を入手。でも、このときはまだ全体プログラムはできていない。開会式の日、会場でようやく冊子になったプログラムを受領し、翌日からこれを頼りに劇場へ足を運ぶことになったが、劇団のプロフィールや作品のシノプシスなどはまったく入手できない状態。劇場の住所や電話番号も載っていない。外国人が渡り歩くには結構しんどいのだが、それでも立派だと思うのは、期間中毎日、前日の報告と翌日の予定を掲載した"EXPERIMENTAL"という情報誌が会場に置かれていることだ。しかも、これがウェブサイトからpdfファイルでダウンロードできるから、すごい。
http://www.cdf-eg.org/English/exp_theater/index_e.htm
中に入るまでは大変だが、一旦なかに入ってしまえば、居心地の良い空間が用意されているという訳だ。
ストーリーは、村に住むある男女が、女の一族の者たちにその逢瀬を目撃され、それが対立する部族同士の許されざる恋だったため、男はその場で射殺され、そして女は風評を避けて、カイロへと流れダンサーになる。都会のクラブで歌い踊る彼女はスターとなるが、ある日、クラブのマネージャーの部屋に呼ばれ関係をせまられ、抵抗しているうちに、マネージャーの女が入ってきて、男を銃殺してしまう。その女は失神した主人公のダンサーにもっていた拳銃を持たせ逃亡。ダンサーは裁判にかけられる。法廷では、検察と弁護士の攻防が繰り広げられるが、当の被告は上の空。ところが最後には、当の真犯人が自首することで、ダンサーは自由の身となる。愛した男との村での逢瀬を思い出し悲嘆にくれる彼女のもとに、彼女のことをずっと見守っていた将校が現れ、プロポーズする。こうして映画はハッピー・エンドで幕を閉じる。
一緒に見に行ったアラビア語のわかる友人が、ときどき現れる字幕を部分的に解説してくれたおかげでもあるが、なによりもサイレント映画特有の身体表現を中心とする非言語コミュニケーションの文法をこの芝居がしっかりと踏襲しているのが、僕でもこの程度にはストーリーの流れを追うことが出来た所以だろう。重要なシーンで使われる叙情的歌謡曲もまた、個人個人というよりは、場に流れる感情表現を補っていたように思う。
惜しむらくは、参照され模倣・パロディー化された各シーンの原典がわかればもっと深い味わいが可能となるのだろうが、それは作者ではなく外国人である自分の問題ではある。
この日は、ハシゴをして、夜10時半(!)からスーダンの劇団を見た。翌日のバーレーンの芝居、そして昨日のエジプトの芝居については、また今度。
それにしても、はじまる前まではまったく全貌の見えなかった実験演劇祭、主催団体の知人に問い合わせて、開会式の前前日にようやく招待状を入手。でも、このときはまだ全体プログラムはできていない。開会式の日、会場でようやく冊子になったプログラムを受領し、翌日からこれを頼りに劇場へ足を運ぶことになったが、劇団のプロフィールや作品のシノプシスなどはまったく入手できない状態。劇場の住所や電話番号も載っていない。外国人が渡り歩くには結構しんどいのだが、それでも立派だと思うのは、期間中毎日、前日の報告と翌日の予定を掲載した"EXPERIMENTAL"という情報誌が会場に置かれていることだ。しかも、これがウェブサイトからpdfファイルでダウンロードできるから、すごい。
http://www.cdf-eg.org/English/exp_theater/index_e.htm
中に入るまでは大変だが、一旦なかに入ってしまえば、居心地の良い空間が用意されているという訳だ。
世界的にもよく知られているカイロ実験演劇祭が10月10日から20日にかけて、カイロ市内の複数の劇場で開催中だ。
今年で20回目を迎える歴史ある演劇祭は、42カ国から55の劇団の参加を得て大規模に行われている。
10日夜、オペラハウス大ホールでの開会式を見にいったが、参加劇団など関係者中心とはいえ1000人以上の人々が集まり、ファルーク・ホスニ文化大臣列席のもと、華やかに行われた。
開会式に続いて上演されたのは、イタリアのカンパニーによるアンティゴネー。王とアンティゴネーとのダイアローグは演劇的だが、その合間には複数の女性ダンサーによるダンスが披露され、全体としてはフィジカルな動きのある舞台だった。期待していなかったのだが、英語字幕が投影されていたのは理解を助けた。舞台そでのわずかな白い壁に向けたものの、壁がちょうど角度を変えるところで画像が屈折して一部見えなくなっていたのは、残念だったが。作品そのものは、ダンスは美しく、役者の台詞には力があったけれど、両者が融合することなく最後までバラバラな感じがしたのは、自分だけだろうか?
昨日までに、エジプトの作品1本、スーダンの作品1本、バーレーンの作品1本を見た。
エジプトの作品は、カイロオペラハウス所属のダンス・シアター・カンパニーによる作品"The Virgin Butterfly Story"。このカンパニーのことがちょうど発刊されたばかりの月刊誌"EGYPT TODAY"で紹介されていた。15年前にレバノン人Walid Aouni氏によって結成された同カンパニーは、国立オペラハウスの傘下におかれながらも、コンテンポラリー・ダンス、あるいはモダン・ダンスがまったく紹介されていなかったエジプトにおいて、宗教的な禁欲主義の影響もあって、他国におけるよりもより強い差別や厳しい非難を受けながら、少しずつ理解と共感を育てていったという。現在も、イスラーム法学者の一部からは宗教的禁忌(ハラーム)に抵触しているということで、劇団を支援している文化省(=文化大臣のホスニ氏)をも断罪しているという状況は変わっていない。肌の露出の多い服装で、かつ男女が舞台上で接触を重ねるパフォーマンスは、「いたずらに人々を扇情する」というわけだ。
そんなわけで、さっそくこの論争渦中の劇団を見に行くことにしたのだが、上演された作品は、予想していたものとは全く違ったものだった。
(ここで今日は時間切れ。また明日、続きを書きます。今日はこれから、エジプトの芝居を一本、見てきます。)
今年で20回目を迎える歴史ある演劇祭は、42カ国から55の劇団の参加を得て大規模に行われている。
10日夜、オペラハウス大ホールでの開会式を見にいったが、参加劇団など関係者中心とはいえ1000人以上の人々が集まり、ファルーク・ホスニ文化大臣列席のもと、華やかに行われた。
開会式に続いて上演されたのは、イタリアのカンパニーによるアンティゴネー。王とアンティゴネーとのダイアローグは演劇的だが、その合間には複数の女性ダンサーによるダンスが披露され、全体としてはフィジカルな動きのある舞台だった。期待していなかったのだが、英語字幕が投影されていたのは理解を助けた。舞台そでのわずかな白い壁に向けたものの、壁がちょうど角度を変えるところで画像が屈折して一部見えなくなっていたのは、残念だったが。作品そのものは、ダンスは美しく、役者の台詞には力があったけれど、両者が融合することなく最後までバラバラな感じがしたのは、自分だけだろうか?
昨日までに、エジプトの作品1本、スーダンの作品1本、バーレーンの作品1本を見た。
エジプトの作品は、カイロオペラハウス所属のダンス・シアター・カンパニーによる作品"The Virgin Butterfly Story"。このカンパニーのことがちょうど発刊されたばかりの月刊誌"EGYPT TODAY"で紹介されていた。15年前にレバノン人Walid Aouni氏によって結成された同カンパニーは、国立オペラハウスの傘下におかれながらも、コンテンポラリー・ダンス、あるいはモダン・ダンスがまったく紹介されていなかったエジプトにおいて、宗教的な禁欲主義の影響もあって、他国におけるよりもより強い差別や厳しい非難を受けながら、少しずつ理解と共感を育てていったという。現在も、イスラーム法学者の一部からは宗教的禁忌(ハラーム)に抵触しているということで、劇団を支援している文化省(=文化大臣のホスニ氏)をも断罪しているという状況は変わっていない。肌の露出の多い服装で、かつ男女が舞台上で接触を重ねるパフォーマンスは、「いたずらに人々を扇情する」というわけだ。
そんなわけで、さっそくこの論争渦中の劇団を見に行くことにしたのだが、上演された作品は、予想していたものとは全く違ったものだった。
(ここで今日は時間切れ。また明日、続きを書きます。今日はこれから、エジプトの芝居を一本、見てきます。)
ラマダーンが終わり、イード・アル・フィトルと呼ばれるお祝いの休日がやってきた。
「ラマダーンって、どんな感じかな」と興味がそそられたものだったが、そうちょくちょく家庭のイフタール(日没後最初の食事)に誘ってもらえるでもなく、いつものようにお店がやっていない不便などと抱き合わせてみると、楽しい時間だったという感想はそれほど残っていない。この土地で受け入れられ、ラマダーンを心から楽しめるようになるには、まだまだ修行が必要か。あるいは、来年は自分も断食をやってみるか。
でもって、断食明けの休日も、お祭りというに明白な祝祭的儀礼がストリートで展開されるわけではないようで、そのうえにやはりお店などは通常営業とは違うようだから、カイロで5日間じっとしているのもいかがなものかと思い、休みに入る前日の午後、急遽家族でアレキサンドリアへ2泊3日の小旅行をすることに決め、電車の切符を買った。大人片道46ポンド(約1000円)で2時間半の旅は、飛行機のビジネスクラス並の広さの席で社内販売も充実していて、なかなかに快適。出張ではいつも砂漠ロードを時速100キロでつっぱしる旅ばかりだったのだが、鉄道の旅のほうが格段に快適だった。
内陸のカイロで暮らすわれわれにとって、アレキサンドリアの魅力はといえば、海、否、魚。地中海から水揚げされた新鮮な魚を堪能することができる。こちらの食堂の定型的スタイルはといえば、店の入り口付近に氷を敷き詰めた台をおき、そこに魚介類を並べ、客に食べたいものを選ばせるという形式。ブラックバスやひらめなどのお魚さん、カニ、イカ、エビなど甲殻類、それにムール貝などの貝がびっしりと横たわっている。そのなかからお目当てを指差し、分量(キロ単位)を告げ、そして調理法を店のスタッフに指示する。この調理法というのが、ぼくの知る限りでは、「焼く」か「揚げる」かの二種類しか、ない。食材は新鮮でおいしいのだが、欲を言えば、「煮る」とか「蒸す」とか「炙る」とか「乾す」とかいったヴァリエーションが欲しいと思うのは、僕が日本人だからだろうか。さらにハーブと塩の味付けが単調といえば単調で、われわれは醤油が欲しくなる。それでも、とにかく素材がいいので、うまい。なかでも病みつきになるのが、エビ。特にフライのエビはどの店でも絶品で、一人で1キロはいける。
われわれは滞在中に2件のレストランをまわった。1件目は、出張でも何度か使ったFISH MARKET。カイトゥーベイ要塞近くの海沿いの店は、立地も景色も最高で、外国人観光客でごったがえしている。もう1件は、街の東の果て、アブー・イールという村にあるゼフェリオンという老舗。街の中心から車で1時間はかかるのが、思い切ってタクシーに乗って行ってみた。ギリシャ人が経営しているらしく、白と青を基調としたいかにもギリシャ的なデザインの建物。食べ比べてみると、ゼフェリオンのほうがハーブを使わずシンプルな塩味で、素材の味がにじみ出てくる感じ。実際、素材もこちらのほうが新鮮なのかもしれない。ただし、メニューが限られているのとパンが焼きたてでないのが欠点。エビ・イカに集中したいなら、ゼフェリオン。景色とメニューとバラエティと焼きたてのおいしいパンが欲しければFISH MARKETがオススメだ。ほかにも、海沿いではないが、有名なカッドゥーラやアルース・ル・バハルなどのお店があるが、どちらも地元の人好みな感じではある。
アレキでは、魚を食べる以外に、一応、海にも出かけてみた。ゼフェリオンのあるアブー・イールの海水浴場は人がいっぱいいて賑やか。それから、砂浜ではあるが、入ると間もなく岩肌となる感じも好みが分かれるところ。モンタザ宮殿の公園からつながるプライベート・ビーチの入り口で、おそるおそる警備のおにいさんに聞いてみたら、入っていいということで、僕らだけできれいなビーチを独占して、こどもたちを存分に遊ばせることができた。
こちらの人たちは、どうやって海で遊ぶのかと思ってみていたら、女性用にはヒジャーブ(頭のスカーフ)から全身を覆う布まで一体型の水着を着て、全身を水に沈めて海水浴を楽しんでいた。体型が気になる人、日焼けが気になる人など、非イスラーム圏でも普及可能性のある品物かもしれない。
海と魚以外にも、アレキサンダー大王が興したグレコローマンの古都らしく、コリント式の巨大な神殿跡やらカタコンベやら、イタリアにいるかのような錯覚をもたらす遺跡にも恵まれたアレキサンドリアは、カイロからの交通の便もよく、しばしばカイロの喧騒を離れて行ってみたくなる街である。あ、「喧騒を離れて」といっても、あくまでカイロと比べれば離れた感覚がちょっとはあるだろうという程度なので、あしからず。
「ラマダーンって、どんな感じかな」と興味がそそられたものだったが、そうちょくちょく家庭のイフタール(日没後最初の食事)に誘ってもらえるでもなく、いつものようにお店がやっていない不便などと抱き合わせてみると、楽しい時間だったという感想はそれほど残っていない。この土地で受け入れられ、ラマダーンを心から楽しめるようになるには、まだまだ修行が必要か。あるいは、来年は自分も断食をやってみるか。
でもって、断食明けの休日も、お祭りというに明白な祝祭的儀礼がストリートで展開されるわけではないようで、そのうえにやはりお店などは通常営業とは違うようだから、カイロで5日間じっとしているのもいかがなものかと思い、休みに入る前日の午後、急遽家族でアレキサンドリアへ2泊3日の小旅行をすることに決め、電車の切符を買った。大人片道46ポンド(約1000円)で2時間半の旅は、飛行機のビジネスクラス並の広さの席で社内販売も充実していて、なかなかに快適。出張ではいつも砂漠ロードを時速100キロでつっぱしる旅ばかりだったのだが、鉄道の旅のほうが格段に快適だった。
内陸のカイロで暮らすわれわれにとって、アレキサンドリアの魅力はといえば、海、否、魚。地中海から水揚げされた新鮮な魚を堪能することができる。こちらの食堂の定型的スタイルはといえば、店の入り口付近に氷を敷き詰めた台をおき、そこに魚介類を並べ、客に食べたいものを選ばせるという形式。ブラックバスやひらめなどのお魚さん、カニ、イカ、エビなど甲殻類、それにムール貝などの貝がびっしりと横たわっている。そのなかからお目当てを指差し、分量(キロ単位)を告げ、そして調理法を店のスタッフに指示する。この調理法というのが、ぼくの知る限りでは、「焼く」か「揚げる」かの二種類しか、ない。食材は新鮮でおいしいのだが、欲を言えば、「煮る」とか「蒸す」とか「炙る」とか「乾す」とかいったヴァリエーションが欲しいと思うのは、僕が日本人だからだろうか。さらにハーブと塩の味付けが単調といえば単調で、われわれは醤油が欲しくなる。それでも、とにかく素材がいいので、うまい。なかでも病みつきになるのが、エビ。特にフライのエビはどの店でも絶品で、一人で1キロはいける。
われわれは滞在中に2件のレストランをまわった。1件目は、出張でも何度か使ったFISH MARKET。カイトゥーベイ要塞近くの海沿いの店は、立地も景色も最高で、外国人観光客でごったがえしている。もう1件は、街の東の果て、アブー・イールという村にあるゼフェリオンという老舗。街の中心から車で1時間はかかるのが、思い切ってタクシーに乗って行ってみた。ギリシャ人が経営しているらしく、白と青を基調としたいかにもギリシャ的なデザインの建物。食べ比べてみると、ゼフェリオンのほうがハーブを使わずシンプルな塩味で、素材の味がにじみ出てくる感じ。実際、素材もこちらのほうが新鮮なのかもしれない。ただし、メニューが限られているのとパンが焼きたてでないのが欠点。エビ・イカに集中したいなら、ゼフェリオン。景色とメニューとバラエティと焼きたてのおいしいパンが欲しければFISH MARKETがオススメだ。ほかにも、海沿いではないが、有名なカッドゥーラやアルース・ル・バハルなどのお店があるが、どちらも地元の人好みな感じではある。
アレキでは、魚を食べる以外に、一応、海にも出かけてみた。ゼフェリオンのあるアブー・イールの海水浴場は人がいっぱいいて賑やか。それから、砂浜ではあるが、入ると間もなく岩肌となる感じも好みが分かれるところ。モンタザ宮殿の公園からつながるプライベート・ビーチの入り口で、おそるおそる警備のおにいさんに聞いてみたら、入っていいということで、僕らだけできれいなビーチを独占して、こどもたちを存分に遊ばせることができた。
こちらの人たちは、どうやって海で遊ぶのかと思ってみていたら、女性用にはヒジャーブ(頭のスカーフ)から全身を覆う布まで一体型の水着を着て、全身を水に沈めて海水浴を楽しんでいた。体型が気になる人、日焼けが気になる人など、非イスラーム圏でも普及可能性のある品物かもしれない。
海と魚以外にも、アレキサンダー大王が興したグレコローマンの古都らしく、コリント式の巨大な神殿跡やらカタコンベやら、イタリアにいるかのような錯覚をもたらす遺跡にも恵まれたアレキサンドリアは、カイロからの交通の便もよく、しばしばカイロの喧騒を離れて行ってみたくなる街である。あ、「喧騒を離れて」といっても、あくまでカイロと比べれば離れた感覚がちょっとはあるだろうという程度なので、あしからず。
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