えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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8年もの長きにわたるブッシュ政権が幕を閉じた。この8年を振り返り、日本を含む世界からの評価は当然良いはずもなく、どのメディアも直情的にブッシュ政権の8年が世界を破壊したと報じているよう。
その直接の犠牲者といってよいアラブ世界では、ブッシュ大統領への批判の目はことさら厳しく、彼の肩をもつような意見を聞いたことは皆無と言ってよい。バグダッドにて、地元記者の靴投げパフォーマンスに誰もが喝采を送っていたのが、その鬱積していた感情を体現していた。
他方、オバマ新大統領への期待が対照的にすさまじく高いかというと、そういうこともなく、どこかしら、「誰になってもアメリカは変わらない。ユダヤロビーに突き動かされるアメリカ政治は変わりようがないため、中東和平が誰が指導者になろうとも達成されえない。」という諦念が漂っている。ユダヤロビーの最右翼、ラーム・エマニュエルが大統領主席補佐官にアポイントされたとの報道に、世論は「やっぱりか。」との失望を禁じえない模様である。
さて、1月20日の大統領就任演説。若干22歳の天才スピーチライターの手が入ったなかなかに魅力的な演説ではあったけれど、当地の人々にはどのように聞こえただろうか。関連する箇所を拾ってみた(出典和訳はasahi.comより)
防衛と安全保障を語るくだりにて。現在、アメリカが直接的に戦闘状態にあると言ってよいイラクとアフガニスタンに焦点を絞っての言及。対中東向けのメッセージというよりは、泥沼のイラク占領からの撤退とバーターで元の木阿弥に戻りつつあるアフガニスタンへの兵力増強をという予算シフトを国民にアピールすることが主な狙いか。イラク、アフガニスタンの話しの流れで、この1ヶ月弱で1300人以上もの死者を出したイスラエル=パレスチナ紛争のことが一言も語られないのは、なぜか?
この二つのパラグラフを切り離して語ったレトリックには、テロとイスラム、権威主義政権と市民を峻別して語り、イスラム世界の民衆からいらぬ批判をぶつけられないようにしようという配慮が見てとれる。「テロを~」のくだりでは、イスラムへの言及は一切なく、これだけ読めば、LTTEのような非宗教的なテロ行為までを含むと解することができる。このあとで、アメリカが多宗教、多信条を包摂する共存の倫理をはぐくんできたことを語り、それを世界にあまねく普及する使命を語り、そのあとで、「イスラム世界よ~」以下のくだりが続く。切り離しつつこの2つのパラグラフを接近させることで、聞き手には、これがひとつづきの意味のかたまりであると理解される効果があったように思われるが、そこまで狙って巧妙に設計されたのかもしれない。
また、「イスラム世界よ~」の次に続く文が「紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ~」となっているところにも、ロジックとしてはこの二つは別のよびかけ対象でありながらも、スピーチの流れとしてはこの二者が同列にとらえられてもおかしくない。つまり、イスラム世界の指導者こそが、紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする、と。暗に中東の権威主義的独裁政権、特にイランのアハマディネジャドあたりを狙ったメッセージと、うがった見方ができなくもない。
その直接の犠牲者といってよいアラブ世界では、ブッシュ大統領への批判の目はことさら厳しく、彼の肩をもつような意見を聞いたことは皆無と言ってよい。バグダッドにて、地元記者の靴投げパフォーマンスに誰もが喝采を送っていたのが、その鬱積していた感情を体現していた。
他方、オバマ新大統領への期待が対照的にすさまじく高いかというと、そういうこともなく、どこかしら、「誰になってもアメリカは変わらない。ユダヤロビーに突き動かされるアメリカ政治は変わりようがないため、中東和平が誰が指導者になろうとも達成されえない。」という諦念が漂っている。ユダヤロビーの最右翼、ラーム・エマニュエルが大統領主席補佐官にアポイントされたとの報道に、世論は「やっぱりか。」との失望を禁じえない模様である。
さて、1月20日の大統領就任演説。若干22歳の天才スピーチライターの手が入ったなかなかに魅力的な演説ではあったけれど、当地の人々にはどのように聞こえただろうか。関連する箇所を拾ってみた(出典和訳はasahi.comより)
「我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。」
防衛と安全保障を語るくだりにて。現在、アメリカが直接的に戦闘状態にあると言ってよいイラクとアフガニスタンに焦点を絞っての言及。対中東向けのメッセージというよりは、泥沼のイラク占領からの撤退とバーターで元の木阿弥に戻りつつあるアフガニスタンへの兵力増強をという予算シフトを国民にアピールすることが主な狙いか。イラク、アフガニスタンの話しの流れで、この1ヶ月弱で1300人以上もの死者を出したイスラエル=パレスチナ紛争のことが一言も語られないのは、なぜか?
「テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。
(中略)
イスラム世界よ、我々は、相互理解と信頼に基づき、新しく進む道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱えるhとを黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。」
この二つのパラグラフを切り離して語ったレトリックには、テロとイスラム、権威主義政権と市民を峻別して語り、イスラム世界の民衆からいらぬ批判をぶつけられないようにしようという配慮が見てとれる。「テロを~」のくだりでは、イスラムへの言及は一切なく、これだけ読めば、LTTEのような非宗教的なテロ行為までを含むと解することができる。このあとで、アメリカが多宗教、多信条を包摂する共存の倫理をはぐくんできたことを語り、それを世界にあまねく普及する使命を語り、そのあとで、「イスラム世界よ~」以下のくだりが続く。切り離しつつこの2つのパラグラフを接近させることで、聞き手には、これがひとつづきの意味のかたまりであると理解される効果があったように思われるが、そこまで狙って巧妙に設計されたのかもしれない。
また、「イスラム世界よ~」の次に続く文が「紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ~」となっているところにも、ロジックとしてはこの二つは別のよびかけ対象でありながらも、スピーチの流れとしてはこの二者が同列にとらえられてもおかしくない。つまり、イスラム世界の指導者こそが、紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする、と。暗に中東の権威主義的独裁政権、特にイランのアハマディネジャドあたりを狙ったメッセージと、うがった見方ができなくもない。
こうしてみると、オバマの就任演説を見た「こちら側」の人たちが、ブッシュ時代の8年とは違うばら色の時代がやってくると期待に涙したということは、どうもありえそうもない。翌朝、通勤途上の車中、うちの運転手も不機嫌そうな顔で、「テレビをつければオガマ、オガマの大合唱で、いい加減に終わりにしろという気分だった。どうせ世の中はなにも変わらないのに・・・・・まあ、せいぜい、彼の健勝を祈ることにしよう。」と言っていた。ミドルネームのフセインを強調していたが、ラストネームが「オガマ」になっていた。なんとなく、彼にとってはどうでもいいことのような気がして、間違いを正すことがためらわれた。
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読売新聞1月16日夕刊の記事に、ロシアの言論の自由のことが書かれていた。国境なき記者団の調査で、言論の自由度世界ランキングが144位と低迷。人々は不満をブログにぶつけるしかない、とのこと。
国境なき記者団のウェブサイトで他国の順位を確認。
第一位は、アイスランド。金融で国が崩壊しそうになっても、現実をごまかされずに知ることのできる国民は幸せか?
日本は29位。自慢できる順位とまでは言えないポジション。アメリカ(36位)よりはマシ。自由の国アメリカの言論の自由は以外にもあまり保障されていないのか?
中東をざっと眺めてみると、もっとも高位置にあるのがレバノンの66位。続いてアラブ首長国連邦の69位。自由主義経済政策によって積極的に外資を受け入れてきた二国の位置が相対的に高いのは、もっともなこと。世界の報道のあり方をゆるがすアルジャジーラを抱えるカタールは以外に低くて74位。ジャジーラだけがある種の国策でオルターナティブな視点をグローバルに提供しようとしているだけであって、自由は国民には与えられていないということか?
そして、われらがエジプトは、146位!読売さんが悲惨だと書いたロシアを僅差で追随するポジション。こちらはむしろ、ブロガーをどんどんしょっぴいて個人の発言レベルで自由を抹殺している点が、低評価につながったらしい。
この土日にマリオットホテルで盛大に催された途上国シンクタンク会議の席上、アハラーム政治戦略研究所所長アブデルモネイム・サイード氏は、エジプトでは報道の自由はほぼ完璧に保障されていて、どんなテーマについて何を書いても許される、と言っていたけど、(評価方法は各国記者へのアンケートとしかわからないのだが)客観評価が146位とあっては、さすがに同氏の発言も誇張といわざるを得ないか。
国境なき記者団のウェブサイトで他国の順位を確認。
第一位は、アイスランド。金融で国が崩壊しそうになっても、現実をごまかされずに知ることのできる国民は幸せか?
日本は29位。自慢できる順位とまでは言えないポジション。アメリカ(36位)よりはマシ。自由の国アメリカの言論の自由は以外にもあまり保障されていないのか?
中東をざっと眺めてみると、もっとも高位置にあるのがレバノンの66位。続いてアラブ首長国連邦の69位。自由主義経済政策によって積極的に外資を受け入れてきた二国の位置が相対的に高いのは、もっともなこと。世界の報道のあり方をゆるがすアルジャジーラを抱えるカタールは以外に低くて74位。ジャジーラだけがある種の国策でオルターナティブな視点をグローバルに提供しようとしているだけであって、自由は国民には与えられていないということか?
そして、われらがエジプトは、146位!読売さんが悲惨だと書いたロシアを僅差で追随するポジション。こちらはむしろ、ブロガーをどんどんしょっぴいて個人の発言レベルで自由を抹殺している点が、低評価につながったらしい。
この土日にマリオットホテルで盛大に催された途上国シンクタンク会議の席上、アハラーム政治戦略研究所所長アブデルモネイム・サイード氏は、エジプトでは報道の自由はほぼ完璧に保障されていて、どんなテーマについて何を書いても許される、と言っていたけど、(評価方法は各国記者へのアンケートとしかわからないのだが)客観評価が146位とあっては、さすがに同氏の発言も誇張といわざるを得ないか。
年末から手をつけていたが、引越しやらなにやらで手が離れてしまっていた小説を、新居にて読了。ロンドン在住パキスタン人、Mohsin Hamidの小説、"The Reluctant Fundamentalist"を読もうと思ったのは、いわゆる「ジャケ買い」。ヒゲの厳しい目つきの若者の肖像の上に、アメリカ国旗の13本の紅白線を象徴する7本のラインと緑地に月と星のパキスタン国旗がかぶさるイメージは、タイトルとあいまって、そこはかとないスリラーを感じさせる装丁。
といっても、タイトルには「Fundamentalist=原理主義」の対立概念といってよい「Reluctant=躊躇する」という修飾がついていて、登場人物のキャラクターに深刻な分裂があることを予感させもする。
パキスタンはラホール出身で米プリンストンを優秀な成績で卒業し、企業業績の格付けを行う難関の企業で活躍する主人公Changezは、国籍や出自を問わず万人に成功のチャンスを提供するアメリカの懐の深さを実感していた。そして、大学時代に知り合った美しい女性エリカとの関係も順調に発展し、主人公の人生の船出は順風満帆に思われた。911の前までは。
911を境に、エリカが死んだ昔のボーイフレンドの亡霊に取り付かれるが、それはいかにも未来の限りなき成長を原動力としてきたアメリカが突然過去に回帰したことを象徴的にあらわす事件として語られる。アメリカが変わっていくなかで、Changez自身も自らのアイデンティティの揺らぎを感じはじめ、攻撃される隣国アフガニスタンの人々への同情と攻撃するアメリカ軍に対する怒りに引き裂かれていく。エリート格付け会社Underwood Samsonの社是である「原理にもどづく行動」、すなわち、経済学的価値の最大化という原理にもとづいて、それ以外の文化的、人間的、情緒的、etc.な価値を捨象することに疑いをもたなかった主人公の内部で、原理への信念に対する疑いが生じ始め、それは、自分の格付けがまさにつぶさんとしているペルーの書店の経営者が、はるか彼方パキスタンの自分の叔父の本をおいていることを知ったことで、決定的な崩壊をもたらす。この書店経営者は、オスマン帝国に雇われ、もともとのトルコ軍人よりも皇帝への忠誠を示し勇猛に戦ったとされる、キリスト教徒の傭兵、イェニチェリに例えてみせた。祖国のことを忘れ、新しい帰属先である帝国の拡張欲望に奉仕するという点で、いまのChangezはイェニチェリとおんなじである、と。ただ、イェニチェリの場合には、もっと若いときに連れ去られ、もともとの帰属への記憶がないのだが、Changezの場合にはあまりにもパキスタンへの帰属意識が強すぎるために、内部で引き裂かれていると、彼は主人公の苦悩を見事に言い当ててみせる。
アメリカのアフガン攻撃の後、パキスタンはもう一つの隣国インドと厳しい緊張関係に陥り、しかもアメリカはどうやらインドを支持する雰囲気であるなか、もう一つの原理=祖国、家族へと帰還し、彼らと運命~それがどんなに過酷なものであろうとも~をともにしようと決心した主人公には、しかし、彼をアメリカに引き止めずにはおかない、もう一つの原理~エリカへの愛~が遺されていた。そのエリカは、精神病棟で亡き幼馴なじみとの思い出のなかに閉じこもったまま出てこなくなっている。ペルーでの仕事を中途で投げ出し、エリカのもとへ駆けつけたChangezは、彼女が崖の上に衣服だけを残して失踪してしまったことを知らされ、失意のままラホールへ帰還する。
パキスタンへ戻ってからの彼の営みは最終章で語られるが、果たして、Changezは、どうやってアメリカのやむことのない帝国主義的な拡張と破壊への欲望を止めようとしてきたかということを、この長い物語をラホールの食堂にて聞いているアメリカ人(おそらくはジャーナリスト?)に対して話してきかせる。エンディングは"Reluctant"というタイトルよろしく、はっきりさせないまま、不気味に幕を下ろすわけだが、『誰がダニエル・パールを殺したか?』を読んだ人ならば、僕のように、この実際に起きた事件を想起させられ、恐ろしい結末を想像してしまうかもしれない。
グローバル経済の中枢に傭兵として雇われた辺境出身者が、自らが加担する資本主義的暴力装置の手が祖国に及んだことを知ったとき、何を思い、どうふるまうのか?オスマン・トルコのイェニチェリを引き合いに出して見せたことで、読者はこの問いがはるか昔から続いている問題であることを知るに違いない。
といっても、タイトルには「Fundamentalist=原理主義」の対立概念といってよい「Reluctant=躊躇する」という修飾がついていて、登場人物のキャラクターに深刻な分裂があることを予感させもする。
パキスタンはラホール出身で米プリンストンを優秀な成績で卒業し、企業業績の格付けを行う難関の企業で活躍する主人公Changezは、国籍や出自を問わず万人に成功のチャンスを提供するアメリカの懐の深さを実感していた。そして、大学時代に知り合った美しい女性エリカとの関係も順調に発展し、主人公の人生の船出は順風満帆に思われた。911の前までは。
911を境に、エリカが死んだ昔のボーイフレンドの亡霊に取り付かれるが、それはいかにも未来の限りなき成長を原動力としてきたアメリカが突然過去に回帰したことを象徴的にあらわす事件として語られる。アメリカが変わっていくなかで、Changez自身も自らのアイデンティティの揺らぎを感じはじめ、攻撃される隣国アフガニスタンの人々への同情と攻撃するアメリカ軍に対する怒りに引き裂かれていく。エリート格付け会社Underwood Samsonの社是である「原理にもどづく行動」、すなわち、経済学的価値の最大化という原理にもとづいて、それ以外の文化的、人間的、情緒的、etc.な価値を捨象することに疑いをもたなかった主人公の内部で、原理への信念に対する疑いが生じ始め、それは、自分の格付けがまさにつぶさんとしているペルーの書店の経営者が、はるか彼方パキスタンの自分の叔父の本をおいていることを知ったことで、決定的な崩壊をもたらす。この書店経営者は、オスマン帝国に雇われ、もともとのトルコ軍人よりも皇帝への忠誠を示し勇猛に戦ったとされる、キリスト教徒の傭兵、イェニチェリに例えてみせた。祖国のことを忘れ、新しい帰属先である帝国の拡張欲望に奉仕するという点で、いまのChangezはイェニチェリとおんなじである、と。ただ、イェニチェリの場合には、もっと若いときに連れ去られ、もともとの帰属への記憶がないのだが、Changezの場合にはあまりにもパキスタンへの帰属意識が強すぎるために、内部で引き裂かれていると、彼は主人公の苦悩を見事に言い当ててみせる。
アメリカのアフガン攻撃の後、パキスタンはもう一つの隣国インドと厳しい緊張関係に陥り、しかもアメリカはどうやらインドを支持する雰囲気であるなか、もう一つの原理=祖国、家族へと帰還し、彼らと運命~それがどんなに過酷なものであろうとも~をともにしようと決心した主人公には、しかし、彼をアメリカに引き止めずにはおかない、もう一つの原理~エリカへの愛~が遺されていた。そのエリカは、精神病棟で亡き幼馴なじみとの思い出のなかに閉じこもったまま出てこなくなっている。ペルーでの仕事を中途で投げ出し、エリカのもとへ駆けつけたChangezは、彼女が崖の上に衣服だけを残して失踪してしまったことを知らされ、失意のままラホールへ帰還する。
パキスタンへ戻ってからの彼の営みは最終章で語られるが、果たして、Changezは、どうやってアメリカのやむことのない帝国主義的な拡張と破壊への欲望を止めようとしてきたかということを、この長い物語をラホールの食堂にて聞いているアメリカ人(おそらくはジャーナリスト?)に対して話してきかせる。エンディングは"Reluctant"というタイトルよろしく、はっきりさせないまま、不気味に幕を下ろすわけだが、『誰がダニエル・パールを殺したか?』を読んだ人ならば、僕のように、この実際に起きた事件を想起させられ、恐ろしい結末を想像してしまうかもしれない。
グローバル経済の中枢に傭兵として雇われた辺境出身者が、自らが加担する資本主義的暴力装置の手が祖国に及んだことを知ったとき、何を思い、どうふるまうのか?オスマン・トルコのイェニチェリを引き合いに出して見せたことで、読者はこの問いがはるか昔から続いている問題であることを知るに違いない。
2009年の幕開けは、展覧会のオープニングとともにはじまった。
1994年から15年間にわたって、油絵の技法でピラミッド、スフィンクス、アブシンベル神殿など古代エジプトの遺跡を中心とするエジプトの風物を描いてきた、木下和(きのした・かず)さんの個展を、国際交流基金カイロ事務所が現地主催者となって受け入れた企画だ。
この事業は、自分が赴任する前、いまから3年以上前に基金カイロ事務所にもちこまれていた提案で、僕としては作家にも作品にも面識のない状態から引き継いだこともあり、勝手がつかめない時期が長く続いた。カイロオペラハウスのギャラリーに交渉に出かけ、元旦からの10日間でよければ無償で会場を提供いただけるということになり、いよいよ広報と作品受け入れの準備という段階になっても、僕はもちろんのこと、事務所のエジプト人スタッフにも、どういう展示になって観客がどんな反応をするのか、そもそも観客は来るのか、という疑問符がたくさん並んだ状態だった。というのも、この1年、エジプト人と接していて、彼らが古代エジプトの偉大なる栄光とどう向き合ったらいいかわからず、それをもてあましているのではないかと感じていたからだ。エジプトでの初仕事であったピラミッドでの凧揚げ大会においても、下見に出かけたうちのスタッフは、ピラミッドを見るのは小学生以来だし、ほとんどのエジプト人は古代遺跡に関心がないと言っていた。そんなエジプト人が、古代の遺跡を描いた絵画を見に来るだろうか、しかもお正月に。これが、不安の正体である。
ところが、フタをあけてみたら、連日100人から200人の観覧を記録し、20件以上のメディアが取材に訪れた。取材は個別に作家インタビューを希望してきたため、最短10分のテレビ取材から最大2時間の雑誌取材まで、僕や事務所スタッフが通訳に駆り出された。この数字は、カイロでの展覧会としては、相当にいい数字である。
しかも、特筆すべきは、リピーターが多かったこと。まず、一人一人、じっくりと鑑賞し、写真をとったりメモをとったり、作家に質問したり、実に熱心だった。そして熱心が高じた数名は、翌日家族を連れてやってきて、後日、友人を連れてまたやってきたりした。メディアの広報効果もすごかったが、口コミの力も大きかったのは、まだコミュニティが生きているカイロらしさが現れた結果といえる。
元旦のオープニングに果たして人が集まってくれるか、最後の瞬間まで気をもんでいた事務所の広報担当スタッフも、200人近い人だかりに驚きと安堵の表情を浮かべていた。後日、彼女がこの現象を分析したところによると、エジプトはいま落ちるところまで落ちていて、みな自信をなくしている。今回のガザ攻撃をめぐってエジプトがアラブ中から非難されているのを見ても、外からも評価や感謝の声が聞かれない。これはアラブ民族主義を唱え、第三世界の盟主の名をほしいままにしたナセルの時代からすると、いかにも対照的な事態だ。そんなとき、日本のアーティストが、エジプトのことをよく評価してくれたことが、彼らの誇りを刺激したのではないか、と。王朝の断絶や紛争があったとしても、厳然とそこにあり続ける古代遺跡、太古から変わらずナイルを照らしてきた月・日は不変であり、それを大切にし後世へ伝えていくことが、現在を生きるわれわれの責務である。この木下さんの普遍的なメッセージが、年初に新たな気持ちでギャラリーを訪ねたカイロ市民に通じたということだろうか。先日紹介したバレンボイムのコメントではないが、言葉を超えた芸術の訴求力を実感した瞬間だった。
1994年から15年間にわたって、油絵の技法でピラミッド、スフィンクス、アブシンベル神殿など古代エジプトの遺跡を中心とするエジプトの風物を描いてきた、木下和(きのした・かず)さんの個展を、国際交流基金カイロ事務所が現地主催者となって受け入れた企画だ。
この事業は、自分が赴任する前、いまから3年以上前に基金カイロ事務所にもちこまれていた提案で、僕としては作家にも作品にも面識のない状態から引き継いだこともあり、勝手がつかめない時期が長く続いた。カイロオペラハウスのギャラリーに交渉に出かけ、元旦からの10日間でよければ無償で会場を提供いただけるということになり、いよいよ広報と作品受け入れの準備という段階になっても、僕はもちろんのこと、事務所のエジプト人スタッフにも、どういう展示になって観客がどんな反応をするのか、そもそも観客は来るのか、という疑問符がたくさん並んだ状態だった。というのも、この1年、エジプト人と接していて、彼らが古代エジプトの偉大なる栄光とどう向き合ったらいいかわからず、それをもてあましているのではないかと感じていたからだ。エジプトでの初仕事であったピラミッドでの凧揚げ大会においても、下見に出かけたうちのスタッフは、ピラミッドを見るのは小学生以来だし、ほとんどのエジプト人は古代遺跡に関心がないと言っていた。そんなエジプト人が、古代の遺跡を描いた絵画を見に来るだろうか、しかもお正月に。これが、不安の正体である。
ところが、フタをあけてみたら、連日100人から200人の観覧を記録し、20件以上のメディアが取材に訪れた。取材は個別に作家インタビューを希望してきたため、最短10分のテレビ取材から最大2時間の雑誌取材まで、僕や事務所スタッフが通訳に駆り出された。この数字は、カイロでの展覧会としては、相当にいい数字である。
しかも、特筆すべきは、リピーターが多かったこと。まず、一人一人、じっくりと鑑賞し、写真をとったりメモをとったり、作家に質問したり、実に熱心だった。そして熱心が高じた数名は、翌日家族を連れてやってきて、後日、友人を連れてまたやってきたりした。メディアの広報効果もすごかったが、口コミの力も大きかったのは、まだコミュニティが生きているカイロらしさが現れた結果といえる。
元旦のオープニングに果たして人が集まってくれるか、最後の瞬間まで気をもんでいた事務所の広報担当スタッフも、200人近い人だかりに驚きと安堵の表情を浮かべていた。後日、彼女がこの現象を分析したところによると、エジプトはいま落ちるところまで落ちていて、みな自信をなくしている。今回のガザ攻撃をめぐってエジプトがアラブ中から非難されているのを見ても、外からも評価や感謝の声が聞かれない。これはアラブ民族主義を唱え、第三世界の盟主の名をほしいままにしたナセルの時代からすると、いかにも対照的な事態だ。そんなとき、日本のアーティストが、エジプトのことをよく評価してくれたことが、彼らの誇りを刺激したのではないか、と。王朝の断絶や紛争があったとしても、厳然とそこにあり続ける古代遺跡、太古から変わらずナイルを照らしてきた月・日は不変であり、それを大切にし後世へ伝えていくことが、現在を生きるわれわれの責務である。この木下さんの普遍的なメッセージが、年初に新たな気持ちでギャラリーを訪ねたカイロ市民に通じたということだろうか。先日紹介したバレンボイムのコメントではないが、言葉を超えた芸術の訴求力を実感した瞬間だった。
年末にカイロの知人からメールをもらって、1月12日にカイロ・オペラハウスでWest-Eastern Divan Orchestraの公演があることを知った。ただし、発表されたその日に開始されたイスラエルによるガザ空爆のため、公演実施は実際には危ういとも書いてあった。知人から受け取ったメールによると、West-Eastern Divan Orchestraのカイロ公演は2年前にも企画されていたのだが、このときはイスラエルのレバノン攻撃であえなく中止となった経緯があり、今回もこの公演を中止にすることが目的であったかのように、空爆が開始されたのだった。
僕自身はクラシック音痴で、最近になって、のだめブームでにわか勉強を始めた程度。頭でっかちのそしりを受けて当然ではあるが、アルゼンチン生まれのイスラエル人ダニエル・バレンボイムとレバノン生まれ、カイロ育ちのパレスチナ人故エドワード・サイードが互いの思想に共鳴して作り上げた、イスラエル人とパレスチナ人を中心とするアラブ人によるオーケストラという、その成り立ちに惹かれて、この楽団に関心をもってきたのだった。作曲家バレンボイムはもちろんのことだが、アラブを代表する知識人サイードもまた音楽を心底愛していた。音楽をともに奏でることで言葉を介さずに理解しあえることを、二人は対談をまとめた本『Parallels and Paradoxes』のなかで繰り返し称え、その一点こそが二人をこの楽団の結成へとつき動かしていったという。
ウィキペディアでWest-Eastern Divan Orchestraを引くと、そこにバレンボイムの面白いコメントが紹介されていた。
"The Divan is not a love story, and it is not a peace story. It has very flatteringly been described as a project for peace. It isn't. It's not going to bring peace, whether you play well or not so well. The Divan was conceived as a project against ignorance. A project against the fact that it is absolutely essential for people to get to know the other, to understand what the other thinks and feels, without necessarily agreeing with it. I'm not trying to convert the Arab members of the Divan to the Israeli point of view, and [I'm] not trying to convince the Israelis to the Arab point of view. But I want to - and unfortunately I am alone in this now that Edward died a few years ago - and...I'm trying to create a platform where the two sides can disagree and not resort to knives."
つまり、このオーケストラはよく平和のためのプロジェクトとして認識され紹介されることが多いが、そうではない。それは、「無視」「無知」に対抗するプロジェクトであ り、音楽を通して他者の考えや思いを理解することが目的なのだ。合意が形成されなくともよい、一方が他方に同化したりする必要もない。両者が凶器に手をか けることなく「不同意」するためのプラットフォームを作ろうというのが、この企てである。
異なる考えをもつ人々の対話=相互理解=合意形成=平和
というのが、国際交流や他者間の対話に携わる者のなかに意識的・無意識的を問わず作られたイメージだろうと思うが、ここでバレンボイムとサイードがやろうとしていることは、共通の考えを作ることではなく、違う考えのままに共存することなのだ。楽譜を解釈し、それを楽器でともに表現する行為のなかで演奏者たちはお互いを理解し、お互いが違うということを尊重し、そして決して傷つけあうことはない。百の言葉を重ねるよりも音楽を一緒に作ることが、お互いの理解を促すという確信は、アマチュアなれど、音楽をやったことのある自分にも共有できるものだ。
世界のだれもが音楽家で、いたるところに音楽があふれていたら、この血なまぐさい世の中は、少しは癒されるだろうか。このようなときだからこそ、カイロの地で、彼らの公演を見てみたかった。
今日、大使公邸での賀詞交換会にて、先の知人より、公演のキャンセルを知った。
僕自身はクラシック音痴で、最近になって、のだめブームでにわか勉強を始めた程度。頭でっかちのそしりを受けて当然ではあるが、アルゼンチン生まれのイスラエル人ダニエル・バレンボイムとレバノン生まれ、カイロ育ちのパレスチナ人故エドワード・サイードが互いの思想に共鳴して作り上げた、イスラエル人とパレスチナ人を中心とするアラブ人によるオーケストラという、その成り立ちに惹かれて、この楽団に関心をもってきたのだった。作曲家バレンボイムはもちろんのことだが、アラブを代表する知識人サイードもまた音楽を心底愛していた。音楽をともに奏でることで言葉を介さずに理解しあえることを、二人は対談をまとめた本『Parallels and Paradoxes』のなかで繰り返し称え、その一点こそが二人をこの楽団の結成へとつき動かしていったという。
ウィキペディアでWest-Eastern Divan Orchestraを引くと、そこにバレンボイムの面白いコメントが紹介されていた。
"The Divan is not a love story, and it is not a peace story. It has very flatteringly been described as a project for peace. It isn't. It's not going to bring peace, whether you play well or not so well. The Divan was conceived as a project against ignorance. A project against the fact that it is absolutely essential for people to get to know the other, to understand what the other thinks and feels, without necessarily agreeing with it. I'm not trying to convert the Arab members of the Divan to the Israeli point of view, and [I'm] not trying to convince the Israelis to the Arab point of view. But I want to - and unfortunately I am alone in this now that Edward died a few years ago - and...I'm trying to create a platform where the two sides can disagree and not resort to knives."
つまり、このオーケストラはよく平和のためのプロジェクトとして認識され紹介されることが多いが、そうではない。それは、「無視」「無知」に対抗するプロジェクトであ り、音楽を通して他者の考えや思いを理解することが目的なのだ。合意が形成されなくともよい、一方が他方に同化したりする必要もない。両者が凶器に手をか けることなく「不同意」するためのプラットフォームを作ろうというのが、この企てである。
異なる考えをもつ人々の対話=相互理解=合意形成=平和
というのが、国際交流や他者間の対話に携わる者のなかに意識的・無意識的を問わず作られたイメージだろうと思うが、ここでバレンボイムとサイードがやろうとしていることは、共通の考えを作ることではなく、違う考えのままに共存することなのだ。楽譜を解釈し、それを楽器でともに表現する行為のなかで演奏者たちはお互いを理解し、お互いが違うということを尊重し、そして決して傷つけあうことはない。百の言葉を重ねるよりも音楽を一緒に作ることが、お互いの理解を促すという確信は、アマチュアなれど、音楽をやったことのある自分にも共有できるものだ。
世界のだれもが音楽家で、いたるところに音楽があふれていたら、この血なまぐさい世の中は、少しは癒されるだろうか。このようなときだからこそ、カイロの地で、彼らの公演を見てみたかった。
今日、大使公邸での賀詞交換会にて、先の知人より、公演のキャンセルを知った。
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