忍者ブログ
えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
[1] [2]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2週間の海外出張から休む間もなく怒涛のイベント漬け2週間もなんとか乗り切り、ようやく訪れた凪の時間が愛おしく、近所のアメリカン大学付属書店に出かけ、本あさりをしてみた。

アウトプット続きで枯れてきたので、仕事がちょっと落ち着く春の季節にエジプトや中東のことをもう少し理解すべく、がんばって読書などしてみようと考えてみた。といっても、たいてい冒頭の数十ページで飽きてしまって、読みきらない本のほうが多いのだけれど。

今回買ってきたのは、以下の6冊。

1. "See of Poppies"  by Amitav Ghosh
2. "Contemporary Iraqi Fiction"
3. "The Arabu National Project in Youssef Chahin's Cinema"  by Malek Khouri
4. ”Global Dreams--Class, Gender, and Public Space in Cosmopolitan Cairo"  by Anouk de Koning
5. "Civil Society Exposed--The Politics of NGO's in Egypt"  by Maha M. Abdelrahman
6. "Egypt's Culture Wars--Politics and Practice"  by Samia Mehrez

1は、世界的に愛読されているインド人作家の新作。この人の本は邦訳も何冊かあって、ビルマ王朝の最後の王族の末路を描く大河ドラマ『ガラスの宮殿』は、世界史の大きなうねりのなかで翻弄されながらも自分らしく生きようとする人々を印象深く描いている。エジプトに長く逗留して、シナゴーグの古文書研究をしたり、村で文化人類学的フィールドワークをしたりもしている人なので、エジプトつながりという意味でもこの人の作品は愛読しているのだ。

2は、イラクの人々の暮らしや思いを文学を通して感じてみたいという素朴な関心から。

3は、とても興味深い。カンヌの功労賞受賞などを通して世界的にも著名な故シャヒーン監督のまとまった映画批評・分析で英語で書かれたものはあまりないようなので、これを読んで、改めて彼の映画を見てみたい。

そして4~6は、グローバリゼーションと長期独裁の影響で流動化するエジプトの市民社会のうごめきを知るよすがとして、面白そうな本が新刊でまとまって出ていたので、買ってみた。扉の著書紹介をパラパラやった感じでは、どの本も基底に、「この社会、このままじゃヤバイんじゃない?」という警告が流れていると感じる。カイロで生活して、多くはないにせよエジプト人の生の声を聞いている実感としてもヤバさは伝わってくるのだけれど、専門家の分析を通して、どのくらいどんなふうにヤバいのかを勉強しておきたい。


PR
最近、DIWANなどの本屋さんでよく平積みになっている英語小説があって、気になって購入。

本棚に飾っただけになっていたのを今週とりだして、一気に読んだ。

以下、ネタバレ注意。

ニューヨークのNew Amsterdam Booksという出版社が出しているTWENTIETH CENTURY LIVESというシリーズからの1冊で、1989年に出版されたもの。もともとエジプト人のWaguih Ghaliが1964年に書いた本が20年後にアメリカで出版され、そのまた20年後にエジプトで脚光を浴びているというのが、可笑しい。とにかく、不世出の天才が書いたエジプト人のアイデンティティを問う名著が、出版当時どの程度読まれたのかはわからないが、世紀を超えてエジプトに帰ってきたのは、喜ぶべき兆候と言って良いのだろう。

状況設定は、50年代のエジプトとロンドン。ナセル率いる自由将校団の革命から56年のスエズ動乱にかけての、激動の時代を生きた、カイロの上流インテリに属する若者3人を主人公に据える。

一人称でナレーションを引き受ける第一の主人公RAM(本名RAMOS)は、作者の分身で、ネットの書評などを見ると、相当にこの本が半自伝的な色彩をもっているという。家系としては超リッチ、でも父を亡くし母は資金ぐりに困って、兄弟姉妹に頼っているクリスチャン。親友のFONTも、富裕層のクリスチャン。そして、RAMが熱烈に恋に落ち、RAMとFONTを自分のお金でロンドンへ連れていくユダヤの富豪の娘、EDNA。

RAMは、知識人を自称し、実際膨大な読書を通じて世界のありようを複合的に捉える能力を持っているだけでなく、誠実さをも持ち合わせているために、ナセル革命が裏側で大量のコミュニストを投獄・拷問している状況や、スエズで何万人もの若きエジプト人(大半が貧農)がイギリス人に虫けらのように殺されている状況に対して、目をつぶれずにいる。それでいて、その矛盾を構造的に支持する上流階級の瀟洒な生活から足を洗うこともできずに、毎日のようにクラブで人の奢りで酒を飲み、玉突をしている。

EDNAは、自分自身もアラブ世界のユダヤ人という微妙な立ち位置のなかで、共産党を支持し(この本によると、エジプト共産党はイスラエル建国に対して容認の立場をとっていたという)、欧米の帝国主義的な暴力に対して、RAMやFONT同様の怒りをもてあましていた。

RAMとFONTの知性を見込んだEDNAは、エジプトで職もなく、王政以来の贅沢暮らしに浸って身動きがとれなくなっている二人を、自分のお金でロンドンに連れていって、世界に対する新しい視点を与えようとするのだが、そのうちに深く恋に落ちたRAMとEDNAは、立場の違いやEDNAの抱える秘密のせいで絶望的に破局を迎え、EDNAとFONTだけがエジプトに戻り、RAMはロンドンとドイツを転々としながら、スエズを含めて第三世界の悲劇を生み出すヨーロッパ側の人々の世界認識や考え方を観察する。

帰国したRAMは、EDNAと寄りを戻そうとするが、再会した彼女の顔には官憲からムチで打たれたアザが刻まれ、そして心は固く閉ざされてしまっていた。そこでRAMは、EDNAが実はユダヤ人の男性と結婚していて、その男が共産党活動を理由に収容所で暴行を受け、命からがらイスラエルに亡命していたという事実をはじめて知る。そんな強烈な体験をした後では、二人がいかに愛し合っていたとしても、幸せに結ばれることはできなかった。

EDNAとの愛が悲劇的に終わる一方で、RAMはスエズで命を落とす若者のように向こう見ずに突進することはなく、相変わらず、親戚のスネをかじりながら、バーやクラブをはしごする毎日を送り、そして、EDNAが去った後のロンドンでしばらく恋人として同棲した金持ちの女性を誘惑して、彼女との結婚を選ぶ。そんな一見ハチャメチャに見える生活の裏で、収容所の暴力の証拠写真をプレスに横流しするきわめて危険な仕事をしていたRAMは、妻となる女性からそんな危険なことはやめてと懇願されるが、陰で大義のために危険を冒すことによってしか、世の中を知りすぎた男は正気を保てなかったのだった・・・

アラスジだけを追いかけると、絶望的な小説のように思われるかもしれないが、全編を通して、作者の諧謔的ユーモアが満載で、面白い。EDNAとの決別を宣言するくだりでは、エリートに属する者はエジプト人ではないといつかEDNAに言われたことを話題にして、でも、自分はエジプト人であって、エジプト人ではないのはEDNAの方だと罵るのだが、自分がエジプト人であるその根拠は、自分にはエジプト人特有のユーモアがあるからだと言い、エジプト人というのは、このユーモアの精神がなかったら大昔に絶滅していただろうなんて誇張した言い方をしている。

世の中がどんなに絶望的に不条理で不公正であっても、エジプト人はユーモアの精神でもって生きていくと言ったRAM(作者)は、その不公正さの上に成り立つ上流階級の遊戯と危険な政治運動との間のきわどい綱渡りを続けながら、最後には、バランスを崩して、自死を選んでしまったということらしいけれど。

40年代から50年代にかけてのエジプト社会を知るうえで役立つというだけでなく、世の中の不公正な構造を知ってしまって、しかも自分がその構造を強化する側にいることを知りすぎてしまった者が、どうやって正気でいられるかという、いまなお終わっていない存在論的課題を考えさせられる本でありました。





ザマーレクのハッサン・サブリ通りに、Shrouk社の直営ブックストアがオープンしていたので、タブラ教室の帰りにプラプラ寄ってみた。Shroukから出版されている本が中心なのはもちろんだけれど、それ以外の本もとりそろえていて、アメリカン大学、DIWANに次いで、英語で読めるアラブ関係図書のレパートリーにもうひとつ、新しいオプションが現れた感じ。

他にはなかった感じの本の第一は、マンガ。2冊のコミックが目にとまった。
1冊はレバノンの内戦を描いた作品で、こちらはとりあえず買わずにおいておく。
もう1冊は、その名も『CAIRO』。著者はエジプト人じゃなくって、アメリカ人ジャーナリストの原作をアメリカ人コミックライターがマンガ化したものなのが残念といえば残念。パラパラとめくると、絵がカイロの街の空気感を伝えていて、好感が持てたので、購入。

ea339b8b.jpeg家でゆっくり読んでみると、ちょっとがっかり。アマゾンの商品の説明にあるとおり、いくつかの魅力的なサブプロットのかみあわせ方が強引で、盛り上がりがないままに終わってしまった。エジプト人麻薬バイヤー、イスラエルからの脱走兵、左翼独立系ジャーナリスト、自爆テロをもくろむレバノン系アメリカ人、水タバコに閉じ込められたジン、など、個々のキャラクター設定は魅力的なだけに、構想力の弱さが悔やまれる。

アラブを舞台にしたマンガでは、やはり、ジョー・サッコの『PALESTINE』が段違いに秀逸。土地の人たちからこういう批評精神をもったコミック・ライターが出てきたら面白いのだけれど、アラブ、特にエジプトではコミックを読むという文化があまりないようなので、土壌的に難しいだろうか。
この週末に一気読みした本。ナギーブ・マフフーズを包括的かつ体系的に紹介する日本語で書かれた唯一の本ではないだろうか。

アラブ世界唯一のノーベル文学賞受賞作家ナギーブ・マフフーズについては、僕自身、エジプトへ行くことが決まるまで名前くらいしか聞いたことがなかった。赴任前にあわててアマゾンで検索をかけたら、翻訳としては、『バイナル・カスライン』と『蜃気楼』の二冊の長編と、短編集が一冊あるのみだった。『バイナル・カスライン』は上下二巻におよぶ大著だが、たまたま勝手まもなく盲腸で入院することになったので、その1週間あまりの時間で読みきった。

この八木先生のご著書は、赴任から半年ほどして一度日本に短期間帰ったときに発見。持ち帰ったものの本棚に長いこと暖めていた。でも、一度読み始めたら、ぐいぐい引き込まれていく力を持った本だった。マフフーズ自身が自分の文学を説明した「社会主義スーフィズム」というタームを通して、マフフーズが認識していたエジプト社会の問題と理想の社会を検証した本著では、著者自身によるかなりの数の小説からの引用があって、日本語訳では読めないマフフーズ作品の雰囲気を感じながらおおまかなストーリーラインを把握することもできる。

ただ、マフフーズが理想としたスーフィズムを基礎とする社会は、著者自身が認めているように、スンナの教条的解釈が主勢力となり、個人の信仰としてではなく、制度としてのイスラームが強調されていく傾向の強い昨今のエジプトでは、なかなかに実現の難しいものであると思われる。

そんなことを思いつつも、マフフーズをとても身近に感じられるようになったので、ぼちぼち、英訳を読んでいきたいとも思っているところである。


51elgZelZeL._SL500_AA240_.jpg前の日記に書いたとおり、エジプトのお勉強そっちのけで司馬遼太郎と村上春樹に浸っていた今日この頃。少しだけ心を入れ替えて、数ヶ月前からちびり読みしていた”Inside Egypt: The Land of the Pharaohs on the Brink of a Revolution"(John R. Bradley著、Palgrave Macmillan)を昨夜読みきった。あんまり時間をかけてしまったため、最初のほうに何が書いてあったか、記憶が不明瞭。いま現在のエジプトの政治と社会がよくわかる、一級のジャーナリストによる分析なので、いまいちど読み直してみようと思っている。

著者は、最初の章で人気作家のアラ・アスワーニーと彼の出世作『ヤコービアン・ビルディング』をとりあげ、ひとつには、彼を囲むダウンタウンのカフェで行われたある日の知識人サロンを取材する。その日は、文化大臣ファルーク・ホスニが、女性のスカーフを文化的に遅れた行為であると発言して各方面から非難・攻撃を受けていることについて、みなが意見を交換していた。大臣の発言に賛同するかどうかの問題ではなく、世の中にこれだけ多くの社会問題があふれているなか、こうしたアイデンティティや文化をめぐるコントラヴァシーに限って、どうしてこうも世論やメディアが沸騰してしまうのか、という点に著者は疑問を投げかける。

章を追っていくごとに著者のエジプト社会に対する視座がはっきりしてくるが、それは、独裁といってよい強権政治が、政治の失敗についての報道や発言をほとんど抹殺している状況下で、一種のスケープゴートとして、こうした日常生活に直結しない問題への飛びつきを放任しているという分析によっている。アラ・アスワーニーのような著名な知識人や左翼系独立メディアを中心とするキファーヤ(もうたくさん)運動なども、問題への言及が政権が許容できる範囲であれば泳がせておき、もって、中東地域の民主化を監視する米国などのご機嫌をとるが、その範囲を逸脱した瞬間、逮捕状なしの拘留、軍事法廷での裁定、投獄、拷問など、人権を無視した言論の抹殺が行われる。

しかし、そうやって社会問題に対する世俗的アプローチでの穏健な政治批判をたたきつぶすことによって、人々の不満のよりどころは宗教に集中していき、ムスリム同胞団という原理主義組織の台頭を許したばかりか、元来、他の宗教や信条に対して寛容なコスモポリタンであったエジプト(特にカイロ)の人々の文化そのものの非寛容性、非協調性を強化する方向へと進んでしまっているという。

ナセルの革命の評価、ムスリム同胞団、イスラム神秘主義とキリスト教、ベドウィン、拷問、腐敗、失われた尊厳といった形で、章ごとに明確に扱う対象を区分していて、独立した章だけを切り取って読んでも、十分に面白い。その点は、全体の論文のストラクチャーのなかでの論理構成から章立てを作っていくアカデミックなアプローチとは違っていて、読みやすい反面、読後感は散漫な印象を残してしまうというのが、この本の弱点でもあるだろう。

最終章は、「ムバラク以降のエジプト」という大胆なタイトルで、著者は、イランのイスラム革命をひきあいに出しながら、エジプトにおいてもそのような宗教革命によってレジームがひっくりかえる可能性があると予言している。そして、エジプト近現代史においてほぼ30年おきにクーデター、革命などの社会騒擾がおきていて、前回が1977年の食糧補助金廃止による暴動だったから、「そろそろ何かおきるぞ」と警告して、231ページの本書は終了。

学術論文ではないので、非常に読みやすく、短時間で現代エジプトの政治社会状況がつかめるので、十分にオススメできる本である。

片や、もう一冊、同時期にカイロ・アメリカン大学出版から出たその名も"Egypt After Mubarak"という本があって、こちらはアメリカの大学の准教授が書いた学術書だ。字数も多いので、Bradley氏の本よりも手をつけるのが躊躇われる。いつか、力尽きなければ、レポートしたいと思う。


カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[05/13 Backlinks]
[12/27 すっかる]
[12/26 やもり]
[11/25 すっかる]
[11/25 跡部雄一]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
すっかる・ちーにー・しゅがー
性別:
男性
職業:
国際文化交流
趣味:
カレー
自己紹介:
インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]

Template by MY HEALING ☆彡