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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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日本の外務省が主導する「イスラム世界との文明間対話セミナー」の6回目が、サウジアラビアのリヤドで開催された模様。朝日のウェブニュースでは、アブドッラー国王が席上で、イスラーム教、キリスト教、ユダヤ教の3宗教による文明間対話(「サミット」を提唱したと報道されている。

http://www.asahi.com/international/update/0325/
TKY200803250258.html

昨日の話の続きだが、エジプトのリーダーシップ失墜を埋め合わせるかのように、サウジアラビアが西側世界とアラブ世界との調停に汗をかいている。先日は、アッバス政権とハマスとの間に入って、統一政権の再編を促した。パレスチナやイラクの状況に対する国民の不満や、過激主義の気運上昇をなんとしても押さえ込まねばならないという内側からの要請もあってのことのようだが、それにしてもエジプトの無策ぶりとは好対照である。

「イスラム世界との文明間対話セミナー」については、東京にいた頃に関係者と会って話をしたりしていたので、懐かしくなってネットで検索していたら、専用のウェブサイトが開設されているのを発見した。

http://www.dialogue-jpis.net/

直近のリヤド会合の報告については、近々の掲載を期待したい。

ページを色々繰っているうちに、僕の赴任前(2007年11月19日)にエジプトのアレキサンドリア図書館で開催され、国際交流基金が参画した「日・アラブ会議」のレポートを発見した。

http://www.dialogue-jpis.net/modules/newbb/
viewtopic.php?viewmode=flat&order=ASC&
topic_id=149&forum=12&move=next&topic_
time=1195021290

その第3セッション「平和構築に向けた文化交流」の報告は、以下のとおり。

「平和構築に向けた文化交流」がテーマとされ、モデレーターとして沼田貞昭国際交流基金日米センター所長(元駐カナダ大使)が、日本側パネリストとして、道傳愛子NHK解説委員が出席した。
平和構築に向けた文化交流には、継続性が重要であり、子供を対象とした取組を推進する重要性につき議論された。また、NHKやアル・ジャジーラ等の国際的な発信力を強め、文化相互理解をより一層促進する必要性が確認された。

「継続性」と「子供を対象」。このキーワードをふまえて、ここアラブの地の平和構築のために文化交流は何ができるのかを、とりあえずは投げ出さずに考えてみようと思う。

26日から28日まで、現代日本工芸展の仕込みのため、アレキサンドリアへ出張です!文化の仕事は幅広いですなあ、ふぅ~。

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以前このブログで紹介したプライベートの文化施設、El Sawy Cultural Wheel(通称Sakia=アラビア語で「車輪」の意味)が創立5周年を迎えるということで、国内外の文化機関の参加を得てフェスティバルが催された。

1月末、次席交代の挨拶に行った際に国際交流基金への参加要請を受け取ったのだが、会期中(2月27日~29日)に出産予定日(27日)が被っているという専ら個人的都合から、どの程度の協力が可能か考えあぐねていたのだった。

というのも、ブースでの組織・事業紹介のほか、ステージでのパフォーマンスなども期待されており、ギター1本もって歌うこともやぶさかではないという、持ち前の出たがり精神が頭をもたげかけたものの、いつ妻が「来た来た」と言い出さぬとも限らない不安を思うと、そのような色気は吹きとんでしまったのだった。

そこで、自分が現場にいなくとも、事務所のスタッフが自前でやれる範囲のアクティビティーで、且つ単なる組織紹介ブース以上に面白いことを考えることとし、折り紙と凧作りのワークショップを企画した。凧作りは、2月初旬に招いた大橋栄二・瑛子ご夫妻からいただいた免許皆伝を頼りに、会期前日にみんなで1時間程度練習した。折り紙も、オプションを拡げすぎるとボロが出るので、あらかじめアイテムを限定して、やはり2時間程度、みっちりと練習した。選んだアイテムは、鶴、キャンディボックス、風船、あやめ、カエルの5つ。折り紙に強いY職員が「比較的簡単」といって選んだピースだったが、なかなかに複雑なパートがいくつかあって、頭をひねりつつなんとか仕上げることができた。凧も折り紙も、そうした準備作業からしてすでに、笑いの絶えない楽しい時間が流れた。

CIMG1723.JPG会場にはブリティッシュ・カウンシルやゲーテ・インスティテュート、セルバンテス協会など各国の文化機関のブースがすでに出来上がっていたが、どこもパンフレットやジャーナルを置きポスターを貼っているくらいで、我々のような参加型の企画は見られなかった。その結果、来客のほとんどが国際交流基金のブースに群がる大活況を呈し、スタッフは嬉しい悲鳴を上げながら、制作指導に精を出した。折り紙にしても、凧にしても、素材が具体的なシェイプを見せたときに顔に浮かぶ喜びを発見したとき、我々も一緒に喜ぶことができるのが醍醐味だろうと思う。

CIMG1724.JPGそして、どちらもコンパクトな素材とわずかなスペースでたくさんの人たちの参加を得られるのが良い。このような資質は、日本文化特有のものかもしれない。職業柄われわれはハイ・アートを志向しがちだが、かといって予算や準備時間の制約のため、そうしょっちゅう舞台モノや展示モノを組めるわけでもない。コンパクトさと機動性をもち、そして我々スタッフの一定の修練でワークショップを用意できるという点で、折り紙や凧は昔も今も貴重な文化紹介ツールだ。そんな「常識」を再確認できたので、今後、週に1つでも新たに折り紙を覚えていくようにしていきたいものだ。

CIMG1741.JPGなお、大橋師匠からお墨付きをもらった我々だが、カイロで凧を作るに際して悩ましいのは素材の調達だ。凧糸からしてあれほどの強度のものを探すのに苦労してしまう。なんとかかんとか見劣りしないものを見つけられるのだが、困ったのが竹ひごの代用品探し。あれこれ市場調査をした結果、とりあえず落ち着いたのが「ケバブ串」。竹ひごの2倍程度の太さと重さがあって、オリジナルと比べると随分浮力を削いでしまうのだが、当面はこれで行こうと思っている。

CIMG1746.JPGワークショップに精を出していると、舞台上でインドのシェーナイそっくりの笛二本と太鼓に続いて、竹刀のような棒をもった屈強が男たちが群舞を始めた。笛はミズマールといい、太鼓はインドとは違う両面打ちだが、名前は同じでタブラと言う。面白いので写真を撮っていると、踊り手の一人が舞台から降りてきて、僕の手をとり舞台に誘導する。結局、出たがりの僕はその気になって、棒をもって見よう見真似で彼らの踊りの輪に入り、気持ちいい一汗をかいた。つい1,2週間前まではジャンパーを着て震えていたカイロの夜は、いまやナイルの涼風が心地よい春の風情を帯びている。この祝祭すべてが、つい数日前に誕生した新しい命を祝福してくれているような気がして、凧と折り紙に忙殺されるスタッフを横目に踊り続けた。

76924e5ajpeg2月5日から、凧の専門家、大橋栄二・瑛子ご夫妻をカイロに迎えている。年齢の話題ばかりもちだすと気分を害されるのだが、記さないわけにはいかない。栄二さん76歳、瑛子さん71歳。縁側で日がなお茶を飲んでいてもおかしくない年代のお二人は、いまも年の半分ほどは凧の指導・実演で世界中を飛び回っている。



今回は、大きく2つの事業を行った。その1つが「ピラミッドで凧揚げ」。日本人学校の生徒さんに凧を作ってもらうほか、大橋さんが持参した凧も使って、エジプト人も大人も子供も一緒になってピラミッドで凧を揚げるのだ。カイロに夜遅く着いたその翌朝に設定された日本人学校での凧作りワークショップで、お二人はさっそく時差ぼけをふっとばして熱心に指導にあたる。桃太郎や龍やピカチュウの図柄をウォッシュプリントした縦30cm×横15cmほどの和紙に、子供達がマーカーで色をつけていく。絵ができたら、縦半分のところにまっすぐの、横は上下とも中央部にむかって湾曲した竹ひごを、セロテープで接着。上から3分の1程度のところに空いている小さな穴に凧糸を結びつけ、最後に左右の角にしっぽをつけて完成だ。小学校1年生から中学校3年生までが、それぞれのペースで凧づくりに励み、予定どおり2時間で全員の凧が完成した。



a2ea59dbjpeg72a79e85jpeg2日後の2月8日。エジプト考古庁に特別に許可いただいたヘリポートのスペースを借りて、日本人学校の生徒、カイロ大学の学生など100人あまりを集めた、ギザの3大ピラミッドでの凧揚げ大会が幕を切った。日本人学校の子供たちは自分達が作った凧を、それ以外の参加者たちは大橋さんが用意した大凧や、ビニール袋で作った小型の「インベーダー凧」を揚げる。そして極めつけが、大橋さん発明の「アーチ凧」。原理は連凧だが、このアーチ凧のユニークな点は、2つの連凧をつないでアーチ上に揚げることにある。発明者の大橋さんの解説によると、これまでの連凧は切れたら飛んでいって回収不能となる点、そしてある枚数を越えると負荷が強くて一人では支えられなくなる点が問題だったが、これを2つ繋ぐことによってこれらの問題の解消に成功したとのこと。実際、300枚以上が上空に舞ってもなお、負荷はなんとか一人で支えられる程度だった。これまでもお二人は湾岸戦争直前のクウェート・タワーや、壁崩壊前後のベルリンなどでこのアーチ凧を揚げており、とうとうピラミッドという長年の夢を果たしたのだった。風のほうは残念ながら弱い南風で、ピラミッドに向かってアーチをかけることはできなかったが、群青の空に高々と舞う連凧が、カイロの冬の終わりを告げていた。



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2つ目のプロジェクトが、エジプト人の子供たち対象の凧制作と凧揚げのワークショップで、われわれは、ピラミッドでの凧揚げの疲れを他所に、翌日2月9日早朝から、子供たちと日が暮れるまで遊んだのだった。



会場として選んだのは、イスラミック・カイロ地区のアズハル公園に隣接したAl Darb Al Ahmar(ダルブ・エル・アハマル)というコミュニティ。ここにオフィスを構えるアガ・カーン財団の敷地内で凧作りをして隣の公園でできたての凧を揚げるという3時間のプログラムを、午前と午後の2回行った。



10dcd3cbjpegダルブ・エル・アハマルは、もともとは四方をゴミが覆いつくすような低開発地域だったらしいが、イスラーム世界において開発、雇用創出、人材育成などさまざまなプログラムを実施しているアガ・ガーン財団がこの地域に公園をつくる計画をたて調査をした際に、ごみの山のなかからアイユーブ朝期の城壁が現れたことで、一躍注目を集めることになった場所だ。この城壁が十字軍から人々を守ったという。そんな「生きた」歴史遺産の復興の音頭とりをアガ・カーン財団が担い、住民の意識向上を通した住民自身のオーナーシップによるコミュニティの活性化がすすめられている。c95a9f0ajpegこのコミュニティの子供たちに凧作りを楽しんでもらおうという今回の着想も、ダルブ・エル・アハマルの将来を担う世代にものを作って遊ぶ楽しさを味わってもらおうというささやかな気持ちから出たもので、カイロで30年以上にわたって子供たちの教育やスポーツ振興に取り組むマリヤム進士さんから国際交流基金が提案を受けて実現した。





6d28c390jpeg45fc5471jpeg凧作りの手順は日本人学校でのワークショップとまったく変わらない。全体を通して作業の手際良さとか器用さという点では、授業を通して経験を積んでいる日本人のほうが若干勝っていたが、ドローイングや色塗りについてはエジプトの子供たちのほうがお手本を気にせずユニークな作品を作ったように思う。低学年の児童に対しては大人や高学年生が手を貸してやり、午前も午後も一人一個、自分の凧が出来上がった。お隣のアズハル公園は外からの一般客からは入場料をとるようや立派な公園で、それだけにとても綺麗に管理されているが、ダルブ・アル・アハマルの子供たちは地続きで自由に入って楽しめる。周囲をモハンマド・アリ・モスクなどの歴史的建造物に囲まれた広い草地で、たくさんの凧が上空を舞った。



02a2dcf6jpeg大橋ご夫妻は、気前よく何百人分もの凧の材料を無償で提供してくださり、出来上がった凧も子供たちに持って帰ってもらっている。こうして何十年にもわたって、世界中で子供たちとともに凧を作り、飛ばし、自然と遊ぶお二人が、実年齢以上に若々しいのは当然のことと、この数日間ご一緒して肌で実感した。明日帰国して、今度は18日からはマレーシアのジョホールバルのフェスティバルに出かけるそうで、栄二さんはフェスティバル期間中に喜寿を迎える。大橋栄二さんにいただいたご著書『創って揚げる手づくり和凧入門』(1990年、山海堂)の扉に直筆で書かれた言葉は、「凧下太平」。凧の下には太平の世が広がる。戦乱の地、心が荒廃した地には凧は上がらない。思い返すと、最後に凧揚げをしたのはいつのことだったろうか。「凧下太平」という金言に照らしてみたとき、現代の日本社会の危うさに思い至った。

27日に続いて28日もカイロの主要文化・芸術機関詣でで出ずっぱり。いくつかの施設は、たとえばオペラハウスのように同じ敷地内にあって移動が楽ではあるにしても、1日に6件のアポイントメントはちょっと疲れた。



訪問先のなかで面白かったのは、Gezira Art Center、Palace of Arts、Beit El-Oud(ウード・ハウス)の3つ。



Gezira Art Centerは、マリオット・ホテルのすぐ傍にあり、昔の宮殿をギャラリーとして使用した文化コンプレックスだ。正面のメイン・ギャラリーには、11世紀ファーティマ朝エジプトから17世紀オスマン・トルコにいたるまでの陶磁器のコレクションが展示されていて、美しく効果的にアレンジされたライティングと相まって、イスラーム美術の極みを堪能させてくれる。オスマン朝の陶磁器ともなると植物などを模した抽象的な文様をモチーフにしたデザインが完成の域に達しているのだが、ファーティマ朝時代の器には、牛やウード弾きの図柄が生き生きと描かれていて、一瞬、インドの陶磁器を見ているような錯覚に陥った。無料で見せてくれるので、休日にゆっくりと来たい場所のひとつである。裏側の3つのギャラリーは企画展のために外部貸し出しをしていて、71年生まれの作家の銅や石を使った彫刻展、74年生まれの作家の銀のジュエリー展など、比較的若い作家にスペースを提供している様子。

0f0cc663jpeg9443404ejpeg建物の裏庭には実験演劇のためのオープン・シアターもあり、メインの伝統物と著しい対象をなしているのが面白かった。






カイロ・オペラ・ハウス敷地内のPalace of Artsは、現在企画されている展覧会を見た限りでは、エジプトの現代芸術の最前線の発信基地という印象。かつて国際交流基金のフェローとして訪日もした作家のMohamed Abou El Nagaさんが、自分の作品を含めて今回の展示作家・作品を丁寧に案内してくれた。Abou El Nagaさんの作品タイトルは"The Lion!"。

0961677djpeg325のライオンを意味する単語を並べたカリグラフィーがまず目に飛び込んでくる。その単語一つ一つに人間がライオンという生き物に仮託した意味の集合が詰まっているということを表現したかったのだそうだ。日本語でそのように数百もの異名をもつ動物がいただろうか、考えてみたい。


bcfc579fjpeg別の作品は、獅子像に被せられた白布が角度を変えて見ると取り払われる仕掛けの上に、もう一つイスラームの古い碑文をかぶせた3Dアート。ライオンも歴史的な貴重な教えも、檻や布でプロテクトしすぎると腐れてしまう。大事なのは変化である。というのがメッセージだそうだ。



同氏の社会貢献活動も世界的に高く評価されているとのことであり、『ニューズウィーク日本版』2007-7・18号「世界を変える社会起業家100人」のなかで、

農産物から紙を作り、アーティストたちの自己表現を支援
-ムハンマド・アブル・ナガー(Muhamed Abou El Naga:エジプト、雇用)

エル・ナフェザ・センター:http://www.elnafeza.com/

というふうに紹介され、紙漉きを通した雇用創出と創作支援で注目を集めているそうだ。いずれ、彼らの活動を視察してみたい。



最後に訪れたのが、世界的ウード奏者、ナシール・シャンマが代表を務めるウード・ハウス。ナシール・シャンマは、国際交流基金による訪日公演やテレビアラビア語会話などでおなじみの人も多いと思うが、カイロを拠点に公演と教育活動を行っているイラク人ウード奏者である。訪日公演をカイロサイドから動かしたM君の帰任挨拶にくっついていく形で、イスラミック・カイロの中心、アズハル・モスクの裏手にあるウード・ハウスに彼を訪ねた。

薄暗く細い路地を抜けたところにある建物から、ランプシェードの明かりとともにウードの深く哀愁を帯びた旋律が漏れてくる。外国人の異国趣味をさっそくに大いに刺激する佇まいのなかから、細身にノーネクタイのスーツを軽く着こなしたダンディーが現れ、僕達を迎えてくれた。東京公演で遠巻きには眺めて見てはいたが、実際に会うと、これが実にカッコイイ。彼のオフィスに通されるとカイロ国際ブックフェアに来ているパレスチナの詩人と出版関係者の一向が先客としていて、ナシールとアラビア語で昨今の難しい政治・社会状況について語り合っていた。ほとんど理解できなかったけれど、受難のただなかにある2つの民族ゆえの共感がそこにはあるようだった。

ここでウードを習いたいと言うと、快く受け入れてくれると言う。実際に習っている知人にあとで聞いたところ、ナシール本人から教えを受けることはほとんどなく、教官となるのはそのお弟子さんらしいが、それは世界中どこでもそういうものだろう。ナシールの優れた人間性とウード・ハウスの佇まいだけで、僕を虜にするには十分すぎたようだ。第二子の出産と育児が軌道に乗り出したら、いずれ門を叩いてみたいと思っている。

http://www.naseershamma.com/
1ヶ月任期を重ねてカイロに残ってくれている前任のMくんの帰任がいよいよカウントダウンとなった。
引継ぎの締めくくりとしての、カイロの文化や芸術に関係した事業を行う団体の代表者への表敬訪問が、今日から始まった。


CIMG1575.JPGCIMG1576.JPG1件目は、ザマーレクにあるEl Sawy Culture Wheel。Mくんの説明によると創設者のMohamed A.M. El Sawy氏の父親はかつて大臣を経験した政治家で、Mohamed氏も経済的に不自由することなく、こうして文化や慈善活動に全精力を傾けているという。来月で創設5周年を迎えるこの文化センターは、カイロではそう多くはない民間のイニシアチブによる文化活動の拠点として、いまでは月に100件を超えるプロジェクトを行っているという。


CIMG1579.JPG実際、会場でもらった1月のプログラムを見ても、音楽公演、映画上映、ワークショップ、講演会、シンポジウムなどが途切れなく計画されていた。日本で国際交流基金が招聘公演を行ったウード奏者ナシール・シャンマも、よくここで公演するらしい。



12時のアポイントにあわせて到着してみると、Mohamed氏はまさに進行中の子供向け環境教育プログラムの只中にいて、しかもゲストの環境大臣をホストしていて大忙しだった。そんななか、カイロをまもなく離れるMくんに挨拶すべく、時間を作ってこちらに来てくれた。7月26日通りがゲジーラ島の西側でナイル川に面する川岸にしつらえられた施設は、屋外コンサート会場がひとつ、室内オーディトリアムが大・小ひとつずつ、ギャラリーがひとつ、それに図書館からなる文化コンプレックスで、今日は、まもなくはじまるセミナーを前にして、数百人の子供達と来賓たちでごったがえしていた。7月26日通りの喧騒が室内にも若干反響しはするが、ナイル川を背景にコンサートだなんて、興をそそられる日本のアーティストが結構いるかもしれない。


2件目は、Muhammad Mahmoud Khalil Musium。そのまんま美術館の名前になってしまったムハンマド氏は世界の美術品のコレクターで、死後、ご遺族がそのコレクションを美術館という形で一般に公開するようになったものだそうだ。今日訪問したのは別館のOfiq Hallのほうで、こちらは国内外のアーティストの作品展を企画・実施している。僕達を迎えてくれた館長のIhab Ellabban氏は、自身も彫刻家の若き俊英で、この施設の経営をまかされているだけでなく、本年12月に予定されているカイロ・ビエンナーレの総合ディレクターという大役も背負っているという。同氏は、いまだカイロに本格的な日本の美術が紹介されたことがないと嘆き、両国のトップ・アーティストの作品を共通のコンセプトのもとに紹介する展覧会をいずれ開催したいとの希望を力強く述べていた。


この2つの施設を動かす人たちと話していて確認できた共通点は、この若い世代のエジプト人たちが、かつて栄華を誇ったエジプトの文化・芸術の復興を真剣に考えていて、そのために特に若い世代に対して本物を見せ、創作のためのスペースを提供しているということにある。1930年代から60年代くらいまでの、エジプトがアラブの文化的な拠点であった時代のことを先代から語り伝えられた彼らは、現在のエジプトがその地位から転落しつつあることを正確に認識し、現状を憂い、そして復活のために必要な作業を自ら率先して実践している。インドでもこうしたプライベート・セクターで活躍する教養人たちが、欧米世界のファンダーたちから資金その他のサポートを上手に確保しながら、行政とはまた違ったアプローチで文化の再生・活性化にとりくんでいたが、ここカイロでも同じ香りのする人たちががんばっていることを確認できたことがうれしかった。


この先、彼らとどんなことができるかわからないけれど、足しげく出かけてプログラムを楽しみながら、一緒に面白いアイデアを出し合っていきたい。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。

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