えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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クリスマス・イブに入国し、これで3度目のアレキサンドリアとは、なかなか快調に飛ばしている。今回は、「現代日本の工芸展」と題して世界を巡回するコレクションを当地の現代美術館で展示するための出張だった。
アレキサンドリアは、その名のとおりアレキサンドリア大王が開いた港町で、グレコローマンの貴重な遺跡がそこここにある。そして、なにせ地中海。海と空は青々と輝き、魚が上手い。イタリアに来たのではないかと勘違いしそうなくらいだ。
かつて文化が栄えたこの町には、今も芸術家が好んで住みつき、そしてユネスコの支援で再建されたアレキサンドリア図書館(Biblioteka Alexandoria)がこの町の文化の中心に構えている。11月に日本とアラブ諸国の識者が集った日・アラブ会議は、この図書館を舞台にして行われた。
そんな町の現代美術館だから、建物はかつての宮殿を利用してとても立派。でも、設備はちょっと不十分。今回もっとも苦しんだのは、作品64点を載せるためのスタンドの確保だった。1月に下見をかねて館長と打ち合わせたときには、ここには10点ほどしかスタンドがないという。そんなわけで、僕らはカイロの美術館に頭を下げて、2つの施設から45台のスタンドを借り受けることに成功した。写真は、ゲジーラ・アート・センターから15台を運び出しているところ。
オープニングを3月27日午後7時に設定し、僕らスタッフは26日の朝9時にカイロを経った。作品のなかに漆器が含まれているため、木箱を開けたあと24時間は段ボールを開梱しないよう指示が出ていて、この日の作業はフロア・プランにあわせてスタンドとパネルを設置するところまで。これだけの作業のために、夜の8時半までかかったのは予想外だった。
美術館の人手が足りず、木箱を1階から2階に運び上げるために、近ばの駅からポーターを4人ばかり連れてこなければならなかったり。はたまた、美術館保有のスタンドには塗装してくれたのに、カイロで僕らがかき集めたほうにはノータッチだったり。思うようにいかない一日で、フラストレーションが蓄積した。
それをふきとばすように、9時すぎからスタッフ全員で魚料理のレストランに出かける。お目当てのレストランを発見できず、海沿いのコルニーシュ通りで車を止めて街の人に道を聞く。
親切で陽気なおじさんが、僕らが探しているのとは別の「アルース・エル・バハル(「海の花嫁」で人魚の意)」を絶賛するので、さらに30分ほど迷いつつ、10時過ぎにたどり着く。探し歩いた甲斐あって、そこで注文したエビと舌平目のフライは絶品だった。ホテルにチェックインしたら、11時半をまわっていた。
翌日は、予想以上に時間がかかることを見込んで、朝9時から作業開始。館のスタッフの手をほとんど借りることなく、6人の基金スタッフで効率よく作品を並べ、午後1時までには展示を完了。あとは照明を残すのみとなった。
照明のスタッフは午後2時半ころから始動。いい具合に腐ってよくしなる3メートルはある木製の脚立をもって、二人の若いお兄ちゃんがかけつける。フラフラしながら上のライトにぶつけたり、作品のすぐそばに急接近したり、見ている者をハラハラさせる作業ぶりだ。こちらは気が気でなく、脚立と作品の間に立って万が一に備えるが、先方は平然と猿のように、しなりの良いハシゴをスルスルと昇降し、ジャグラーのように上と下から電球を放り投げる。
脚立の脚をよく見ると、真ん中あたりで折れて、ロープで接ぎ木されている。自分が昇ることは、イメージすらできない恐ろしいハシゴであった。
気のいい師匠のおじさんと若いヤンチャなおにいちゃんが3人で、ほぼ3時間かけて、照明作業が完了。開会式の30分前のことだった。
美術館の招待者、アレキサンドリア-日本友好協会のメンバー、アレキサンドリア名誉総領事館のメーリング・リストから、80名近い美術愛好家たちが出席し、主賓には文化省美術局長で自らもアーティストであるモフセン・シャーラン氏がカイロよりいらして、にぎやかな開会式となった。誰もが、工芸品に技巧と個性的表現を盛り込む日本人の徹底ぶりに驚嘆し、惜しみない賛辞の言葉をかけてくれた。
この日もまた、前日に探し出せなかった魚料理店、カッドゥーラを見つけだし、エビ、イカ、スズキに舌鼓をうった。アウェイでのプロジェクトは行ってみるまで予測がつかないことが多く、苦労が多かったが、アレキの土地の魅力はそれを補ってあまりあった。
帰途、アレキとカイロを結ぶハイウェーを、今春はじめての巨大な砂嵐(ハマシーン)が襲った。これが過ぎ去れば、いよいよ本格的な夏到来だ。
アレキサンドリアは、その名のとおりアレキサンドリア大王が開いた港町で、グレコローマンの貴重な遺跡がそこここにある。そして、なにせ地中海。海と空は青々と輝き、魚が上手い。イタリアに来たのではないかと勘違いしそうなくらいだ。
かつて文化が栄えたこの町には、今も芸術家が好んで住みつき、そしてユネスコの支援で再建されたアレキサンドリア図書館(Biblioteka Alexandoria)がこの町の文化の中心に構えている。11月に日本とアラブ諸国の識者が集った日・アラブ会議は、この図書館を舞台にして行われた。
オープニングを3月27日午後7時に設定し、僕らスタッフは26日の朝9時にカイロを経った。作品のなかに漆器が含まれているため、木箱を開けたあと24時間は段ボールを開梱しないよう指示が出ていて、この日の作業はフロア・プランにあわせてスタンドとパネルを設置するところまで。これだけの作業のために、夜の8時半までかかったのは予想外だった。
翌日は、予想以上に時間がかかることを見込んで、朝9時から作業開始。館のスタッフの手をほとんど借りることなく、6人の基金スタッフで効率よく作品を並べ、午後1時までには展示を完了。あとは照明を残すのみとなった。
気のいい師匠のおじさんと若いヤンチャなおにいちゃんが3人で、ほぼ3時間かけて、照明作業が完了。開会式の30分前のことだった。
この日もまた、前日に探し出せなかった魚料理店、カッドゥーラを見つけだし、エビ、イカ、スズキに舌鼓をうった。アウェイでのプロジェクトは行ってみるまで予測がつかないことが多く、苦労が多かったが、アレキの土地の魅力はそれを補ってあまりあった。
帰途、アレキとカイロを結ぶハイウェーを、今春はじめての巨大な砂嵐(ハマシーン)が襲った。これが過ぎ去れば、いよいよ本格的な夏到来だ。
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日本の外務省が主導する「イスラム世界との文明間対話セミナー」の6回目が、サウジアラビアのリヤドで開催された模様。朝日のウェブニュースでは、アブドッラー国王が席上で、イスラーム教、キリスト教、ユダヤ教の3宗教による文明間対話(「サミット」を提唱したと報道されている。
http://www.asahi.com/international/update/0325/
TKY200803250258.html
昨日の話の続きだが、エジプトのリーダーシップ失墜を埋め合わせるかのように、サウジアラビアが西側世界とアラブ世界との調停に汗をかいている。先日は、アッバス政権とハマスとの間に入って、統一政権の再編を促した。パレスチナやイラクの状況に対する国民の不満や、過激主義の気運上昇をなんとしても押さえ込まねばならないという内側からの要請もあってのことのようだが、それにしてもエジプトの無策ぶりとは好対照である。
「イスラム世界との文明間対話セミナー」については、東京にいた頃に関係者と会って話をしたりしていたので、懐かしくなってネットで検索していたら、専用のウェブサイトが開設されているのを発見した。
http://www.dialogue-jpis.net/
直近のリヤド会合の報告については、近々の掲載を期待したい。
ページを色々繰っているうちに、僕の赴任前(2007年11月19日)にエジプトのアレキサンドリア図書館で開催され、国際交流基金が参画した「日・アラブ会議」のレポートを発見した。
http://www.dialogue-jpis.net/modules/newbb/
viewtopic.php?viewmode=flat&order=ASC&
topic_id=149&forum=12&move=next&topic_
time=1195021290
その第3セッション「平和構築に向けた文化交流」の報告は、以下のとおり。
「継続性」と「子供を対象」。このキーワードをふまえて、ここアラブの地の平和構築のために文化交流は何ができるのかを、とりあえずは投げ出さずに考えてみようと思う。
26日から28日まで、現代日本工芸展の仕込みのため、アレキサンドリアへ出張です!文化の仕事は幅広いですなあ、ふぅ~。
http://www.asahi.com/international/update/0325/
TKY200803250258.html
昨日の話の続きだが、エジプトのリーダーシップ失墜を埋め合わせるかのように、サウジアラビアが西側世界とアラブ世界との調停に汗をかいている。先日は、アッバス政権とハマスとの間に入って、統一政権の再編を促した。パレスチナやイラクの状況に対する国民の不満や、過激主義の気運上昇をなんとしても押さえ込まねばならないという内側からの要請もあってのことのようだが、それにしてもエジプトの無策ぶりとは好対照である。
「イスラム世界との文明間対話セミナー」については、東京にいた頃に関係者と会って話をしたりしていたので、懐かしくなってネットで検索していたら、専用のウェブサイトが開設されているのを発見した。
http://www.dialogue-jpis.net/
直近のリヤド会合の報告については、近々の掲載を期待したい。
ページを色々繰っているうちに、僕の赴任前(2007年11月19日)にエジプトのアレキサンドリア図書館で開催され、国際交流基金が参画した「日・アラブ会議」のレポートを発見した。
http://www.dialogue-jpis.net/modules/newbb/
viewtopic.php?viewmode=flat&order=ASC&
topic_id=149&forum=12&move=next&topic_
time=1195021290
その第3セッション「平和構築に向けた文化交流」の報告は、以下のとおり。
「平和構築に向けた文化交流」がテーマとされ、モデレーターとして沼田貞昭国際交流基金日米センター所長(元駐カナダ大使)が、日本側パネリストとして、道傳愛子NHK解説委員が出席した。
平和構築に向けた文化交流には、継続性が重要であり、子供を対象とした取組を推進する重要性につき議論された。また、NHKやアル・ジャジーラ等の国際的な発信力を強め、文化相互理解をより一層促進する必要性が確認された。
「継続性」と「子供を対象」。このキーワードをふまえて、ここアラブの地の平和構築のために文化交流は何ができるのかを、とりあえずは投げ出さずに考えてみようと思う。
26日から28日まで、現代日本工芸展の仕込みのため、アレキサンドリアへ出張です!文化の仕事は幅広いですなあ、ふぅ~。
なにを隠そう、パレスチナとイスラエルは、エジプトの隣国だ。アラブ諸国にとって積年の宿敵イスラエルが隣国にあり、同志が苦境にたたされているのだから、さぞかしカイロの日常にパレスチナ問題が横たわっているのだろうと想像して来てみたら、あてがはずれた。われわれ外国人居候者にとってみれば、日本から見ているのとほとんど変わらないくらいの存在感しかない。
もちろん、メディアでは毎日なにかしら関連ニュースが報道されてはいる。僕はテレビはほとんど見ないが、新聞ではパレスチナ・イスラエル関連の記事・論説を見ない日はないくらいだ。それでも、やはりパレスチナは遠い。
「あてが外れた」と思う一番の理由は、日常的に人々がこの話題を口にすることがないせいだ。あるいは、われわれの目に入ってくるほどには、パレスチナの大義を訴える運動が顕在化していないせいでもあるかもしれない。
もう一つは、いくら報道が騒いでいても、「他山の火事」という雰囲気がありありと漂っているからだと思う。ナセルの時代に高揚したアラブ民族主義は過去の遺物となり、政府もメディアも、国家が抱える課題の優先リストからこの問題を外してしまった感がある。そもそもからして、サダトのイスラエル電撃訪問に続くキャンプ・デービッド合意でイスラエルと国交を結んでしまった「アラブの盟主」は、その時点で国際政治におけるリーダーシップを放棄してしまったと、内外から認知されたのだ。
おまけに、巨額の財政赤字の埋め合わせとして米国の援助に依存しているから、湾岸戦争以降のアラブの危機に際して、アラブ・中東世界の利益のために立ち回ることができない。大局的にみると、アメリカに言いように押さえ込まれている、日本のような国なのだ。
1月9日、ブッシュ・オルメルト会談を、出張先のアレキサンドリアのホテルのCNN実況中継で見た。「実況」といっても、たまたま時差のない国にいてたまたまテレビのスイッチをひねったから、ライブになったに過ぎない。ブッシュはイスパレ訪問に続いてエジプトでムバラクにも会ったようだが、ムバラクがパレスチナの立場にたって何かを本気で訴えたというような報道には接していない。
1月23日、ハマスがガザとエジプトの国境の壁を破壊、物資欠乏にあえぐ20万人から30万人のガザ市民がエジプト側に流出し、市場で買い漁った。ハマスの行為は、ハマスによるガザ制圧、イスラエルによるガザ封鎖、人道支援物資以外の物資供給停止という一連の事態に対するやぶれかぶれの挙といえなくもなく、飢えに苦しむ市民の立場にたってみれば同情してしかるべきだ。しかし、数日をもって壁はふたたび閉じられ、ガザ市民の窮乏生活は今も続いている。ここでもエジプトは、アラブの同志としての大義を果たせないまま、結果として米国・イスラエルを利することになる。
かくいう僕自身に、パレスチナ問題に向き合う主体性がないため、一層隣国にいるという切迫感がないわけだが、少しばかり気持ちをもりあげたくて、2冊の本を読んだ。一冊は、エドワード・サイードの『パレスチナへ帰る』(四方田犬彦訳、作品社)。もう一冊は、コミック・ジャーナリズムの名著『パレスチナ』(ジョー・サッコ著、小野耕世訳、いそっぷ社)。
前者所収の「悲嘆の普遍性のなかのふたつの民族」は、世界が絶賛し当事者にノーベル賞が贈られたオスロ合意への徹底的な不服表明として書かれた。
「もし過去を忘れて、二つの分離国家を築こうなどと口にすることは、いかなる意味でも受け入れがたいことだ。過去を忘れることが、ホロコーストのユダヤ人の記憶のなかで侮蔑であればあるほど、イスラエルの側の手で土地を奪われ続けているパレスチナ人にとっても、それはひとしく侮辱なのである。」(同掲 p. 129)
このとき「現実的解決」とマジョリティが礼賛した解決策=分離案に対しサイードが敢えて哲学的高みから理想を語らざるを得なかった絶望的状況から、事態はさらに絶望の度合いを深めている。西岸のアッバス政権、ガザのハマスにパレスチナ自体が引き裂かれた状況は、イスラエルとの間の未来に向かってのなんらかの対話すら不可能にしている。
サッコのコミックは、遠く日本で読んだとしたら違った感想をもったかもしれないが、隣国で読むには二重にきつすぎる。二重の意味は、一つにはサッコが描くパレスチナの現実の厳しさとイスラエルの非道さへの悲しみや怒りの感情を刺激されるから。もう一つは、「現場」にいるサッコが作品のなかで「観察者」としての自分自身のあいまいな立場に負い目を見せたり皮肉を言ったりしている「揺れ」がこの作品の強さなのだろうが、じゃあ、それをさらに高みから、カイロの高級住宅地のソファに寝そべって紅茶を啜りながら眺める自分は一体なんなのか?隣国で、なまじっか関心をもってしまうから、こんなことになる。どうせなら、自分の世界から存在として消してしまえばいいものを。
国際交流に従事する者として、たまたまパレスチナの隣国で仕事をする好機をもらったものの、いまはただ、エジプトにとってそれが「他山の火事」であるように、静観するしかない。サッコの描く厳しい現実と、サイードが唱える理想を前にして、「何かしたい」というナイーブな気持ちだけでは、どうしようもない。
もちろん、メディアでは毎日なにかしら関連ニュースが報道されてはいる。僕はテレビはほとんど見ないが、新聞ではパレスチナ・イスラエル関連の記事・論説を見ない日はないくらいだ。それでも、やはりパレスチナは遠い。
「あてが外れた」と思う一番の理由は、日常的に人々がこの話題を口にすることがないせいだ。あるいは、われわれの目に入ってくるほどには、パレスチナの大義を訴える運動が顕在化していないせいでもあるかもしれない。
もう一つは、いくら報道が騒いでいても、「他山の火事」という雰囲気がありありと漂っているからだと思う。ナセルの時代に高揚したアラブ民族主義は過去の遺物となり、政府もメディアも、国家が抱える課題の優先リストからこの問題を外してしまった感がある。そもそもからして、サダトのイスラエル電撃訪問に続くキャンプ・デービッド合意でイスラエルと国交を結んでしまった「アラブの盟主」は、その時点で国際政治におけるリーダーシップを放棄してしまったと、内外から認知されたのだ。
おまけに、巨額の財政赤字の埋め合わせとして米国の援助に依存しているから、湾岸戦争以降のアラブの危機に際して、アラブ・中東世界の利益のために立ち回ることができない。大局的にみると、アメリカに言いように押さえ込まれている、日本のような国なのだ。
1月9日、ブッシュ・オルメルト会談を、出張先のアレキサンドリアのホテルのCNN実況中継で見た。「実況」といっても、たまたま時差のない国にいてたまたまテレビのスイッチをひねったから、ライブになったに過ぎない。ブッシュはイスパレ訪問に続いてエジプトでムバラクにも会ったようだが、ムバラクがパレスチナの立場にたって何かを本気で訴えたというような報道には接していない。
1月23日、ハマスがガザとエジプトの国境の壁を破壊、物資欠乏にあえぐ20万人から30万人のガザ市民がエジプト側に流出し、市場で買い漁った。ハマスの行為は、ハマスによるガザ制圧、イスラエルによるガザ封鎖、人道支援物資以外の物資供給停止という一連の事態に対するやぶれかぶれの挙といえなくもなく、飢えに苦しむ市民の立場にたってみれば同情してしかるべきだ。しかし、数日をもって壁はふたたび閉じられ、ガザ市民の窮乏生活は今も続いている。ここでもエジプトは、アラブの同志としての大義を果たせないまま、結果として米国・イスラエルを利することになる。
かくいう僕自身に、パレスチナ問題に向き合う主体性がないため、一層隣国にいるという切迫感がないわけだが、少しばかり気持ちをもりあげたくて、2冊の本を読んだ。一冊は、エドワード・サイードの『パレスチナへ帰る』(四方田犬彦訳、作品社)。もう一冊は、コミック・ジャーナリズムの名著『パレスチナ』(ジョー・サッコ著、小野耕世訳、いそっぷ社)。
前者所収の「悲嘆の普遍性のなかのふたつの民族」は、世界が絶賛し当事者にノーベル賞が贈られたオスロ合意への徹底的な不服表明として書かれた。
「もし過去を忘れて、二つの分離国家を築こうなどと口にすることは、いかなる意味でも受け入れがたいことだ。過去を忘れることが、ホロコーストのユダヤ人の記憶のなかで侮蔑であればあるほど、イスラエルの側の手で土地を奪われ続けているパレスチナ人にとっても、それはひとしく侮辱なのである。」(同掲 p. 129)
このとき「現実的解決」とマジョリティが礼賛した解決策=分離案に対しサイードが敢えて哲学的高みから理想を語らざるを得なかった絶望的状況から、事態はさらに絶望の度合いを深めている。西岸のアッバス政権、ガザのハマスにパレスチナ自体が引き裂かれた状況は、イスラエルとの間の未来に向かってのなんらかの対話すら不可能にしている。
サッコのコミックは、遠く日本で読んだとしたら違った感想をもったかもしれないが、隣国で読むには二重にきつすぎる。二重の意味は、一つにはサッコが描くパレスチナの現実の厳しさとイスラエルの非道さへの悲しみや怒りの感情を刺激されるから。もう一つは、「現場」にいるサッコが作品のなかで「観察者」としての自分自身のあいまいな立場に負い目を見せたり皮肉を言ったりしている「揺れ」がこの作品の強さなのだろうが、じゃあ、それをさらに高みから、カイロの高級住宅地のソファに寝そべって紅茶を啜りながら眺める自分は一体なんなのか?隣国で、なまじっか関心をもってしまうから、こんなことになる。どうせなら、自分の世界から存在として消してしまえばいいものを。
国際交流に従事する者として、たまたまパレスチナの隣国で仕事をする好機をもらったものの、いまはただ、エジプトにとってそれが「他山の火事」であるように、静観するしかない。サッコの描く厳しい現実と、サイードが唱える理想を前にして、「何かしたい」というナイーブな気持ちだけでは、どうしようもない。
事務所のすぐそば、タハリール広場は、いつも市民のデモでかまびすしい。
もっとも声高に叫ばれるスローガンは、「パンを値上げするな!」
いろいろ不満は尽きないが、当然ながら「食えない」ことへの恐怖感、その恐怖感の元凶である政府の無策ぶりや腐敗に対する憤りは、市民の心に蓄積して沸点に達っせんとしているように感じられる。
この土地の主食は、米というよりは、パンだ。袋状のピタに似たそれは、この土地の食文化がトルコ料理の影響を強く受けていることの象徴だ。焼きたてはフカフカして上手い。
そして、上流・下流を問わず、人々が日々食するパンの価格が常に政治の争点となる。70年代、サダトの開放政策「インフィターハ」によりパンなど主食への補助金削減が行われたとき、国内で暴動が起きたという。それ以降、政府は自由化政策の必然的帰結としての補助金削減への願望を、市民の顔色を見ながら実行にうつそうとするが、前例の再発への惧れからいつも矛を下ろしているという訳だ。
英語誌"Egypt Today"3月号は、'A PORTRAIT OF POVERTY'という特集を組み、市井の人から政治家、学者まで立場の違う人たちの声を拾い、現代エジプト社会における貧困問題の実相に迫っている。
以前、スークでの買い物体験を記したとき、6枚で1.5ポンド(約30円)と報告したが、われわれが消費しているパンは随分と高級なものであることがわかった。同誌によると、下層の庶民は1枚5ピアストル=1円のパンを買っているらしい。移動中の車窓から、時折、パンを求めて行列をなす人々を見かけることがある。これが、配給で買う補助金ののっかったパン市場の現状である。
同誌で最初に登場する公務員のシングルマザーは、月給が240ポンド(4,800円)。それに対して、16歳の娘と暮らす部屋の家賃が月500ポンド。足りない分は母親と兄弟に支援してもらっているという。さらに、昨今の急激な物価上昇が生活苦に追い討ちをかける。秋のラマダーンのとき1本7ポンド(140円)だった食用油が今では10ポンドに、キロ4.5ポンドだったレンズマメが9.25ポンドになった。2007年に7.1パーセントを記録した経済成長率も、それを凌ぐインフレと低所得層の固定的賃金のせいで、まったく庶民に還元されていないという。
次に登場する世界銀行のエコノミストは、マクロの数字を持ち出して、エジプトの経済成長を肯定的に評価してみせる。すなわち、貧困を年収980ポンド(約2万円)以下の「最貧層(extremely poor)」、1400ポンド(28,000円)未満の「貧困層(poor)」、1800ポンド(36,000円)以下の「準貧困層(near poor)」に分類・整理してみると、「最貧層」は人口のわずか3.8パーセント、「貧困層」がこの10年~15年の間20%程度で微増、「準貧困層」が2000年の25.5%から2005年には20%まで縮小している。準貧困層が社会的に上昇していわゆる中間層に厚みが出ているということが言えるというわけだ。
むしろ、問題は実態としての貧困ではなく、願望と実態との格差認識にあるとする。都会生活では、自由化とマクロ成長の恩恵をうけて、市場にものがあふれ、実際にそれを消費する階層が増加している。それにもかかわらず、自分たちにはその恩恵がおこぼれしてこない不満、目の前に出現してしまった豊かな生活に自分は届かないという不満こそが、人々の自己認識を「貧しい」と感じさせ、社会や政府への批判となって噴き出しているという。
その次に登場するのは野党左翼政党の議員で、こちらはすべての元凶を与党独裁政治の腐敗に帰す。配給をはじめとする物資の供給過程にさまざまな許認可がからみ、そのプロセスで権威をもった者が「着服」を行い、庶民のもとに届くときには経済成長の果実はすべてそれら権力者に食い尽くされてしまう。小説"Yacoubian Building”の作者Alaa Aswanyと共通の基本認識だ。
どの意見にも一定の真実があるように思えるが、最初に登場する庶民の声が現実の厳しい生活をリアルに主張していて、切なくなる。自分のまわりで自分を支えてくれる運転手さんやお手伝いさんは、まさにこの階層にいて、言葉のはしはしから、驚異的物価上昇と社会的サービスの低下の両方に押しつぶされた悲鳴が聞こえてくる。エコノミストが主張する「上昇願望が実現されないフラストレーション」にも一理あろうが、現実の厳しさにも目をむけて、彼らの生活のことを気にしてやることも必要だなーと思う、今日このごろである。
もっとも声高に叫ばれるスローガンは、「パンを値上げするな!」
いろいろ不満は尽きないが、当然ながら「食えない」ことへの恐怖感、その恐怖感の元凶である政府の無策ぶりや腐敗に対する憤りは、市民の心に蓄積して沸点に達っせんとしているように感じられる。
この土地の主食は、米というよりは、パンだ。袋状のピタに似たそれは、この土地の食文化がトルコ料理の影響を強く受けていることの象徴だ。焼きたてはフカフカして上手い。
そして、上流・下流を問わず、人々が日々食するパンの価格が常に政治の争点となる。70年代、サダトの開放政策「インフィターハ」によりパンなど主食への補助金削減が行われたとき、国内で暴動が起きたという。それ以降、政府は自由化政策の必然的帰結としての補助金削減への願望を、市民の顔色を見ながら実行にうつそうとするが、前例の再発への惧れからいつも矛を下ろしているという訳だ。
英語誌"Egypt Today"3月号は、'A PORTRAIT OF POVERTY'という特集を組み、市井の人から政治家、学者まで立場の違う人たちの声を拾い、現代エジプト社会における貧困問題の実相に迫っている。
以前、スークでの買い物体験を記したとき、6枚で1.5ポンド(約30円)と報告したが、われわれが消費しているパンは随分と高級なものであることがわかった。同誌によると、下層の庶民は1枚5ピアストル=1円のパンを買っているらしい。移動中の車窓から、時折、パンを求めて行列をなす人々を見かけることがある。これが、配給で買う補助金ののっかったパン市場の現状である。
同誌で最初に登場する公務員のシングルマザーは、月給が240ポンド(4,800円)。それに対して、16歳の娘と暮らす部屋の家賃が月500ポンド。足りない分は母親と兄弟に支援してもらっているという。さらに、昨今の急激な物価上昇が生活苦に追い討ちをかける。秋のラマダーンのとき1本7ポンド(140円)だった食用油が今では10ポンドに、キロ4.5ポンドだったレンズマメが9.25ポンドになった。2007年に7.1パーセントを記録した経済成長率も、それを凌ぐインフレと低所得層の固定的賃金のせいで、まったく庶民に還元されていないという。
次に登場する世界銀行のエコノミストは、マクロの数字を持ち出して、エジプトの経済成長を肯定的に評価してみせる。すなわち、貧困を年収980ポンド(約2万円)以下の「最貧層(extremely poor)」、1400ポンド(28,000円)未満の「貧困層(poor)」、1800ポンド(36,000円)以下の「準貧困層(near poor)」に分類・整理してみると、「最貧層」は人口のわずか3.8パーセント、「貧困層」がこの10年~15年の間20%程度で微増、「準貧困層」が2000年の25.5%から2005年には20%まで縮小している。準貧困層が社会的に上昇していわゆる中間層に厚みが出ているということが言えるというわけだ。
むしろ、問題は実態としての貧困ではなく、願望と実態との格差認識にあるとする。都会生活では、自由化とマクロ成長の恩恵をうけて、市場にものがあふれ、実際にそれを消費する階層が増加している。それにもかかわらず、自分たちにはその恩恵がおこぼれしてこない不満、目の前に出現してしまった豊かな生活に自分は届かないという不満こそが、人々の自己認識を「貧しい」と感じさせ、社会や政府への批判となって噴き出しているという。
その次に登場するのは野党左翼政党の議員で、こちらはすべての元凶を与党独裁政治の腐敗に帰す。配給をはじめとする物資の供給過程にさまざまな許認可がからみ、そのプロセスで権威をもった者が「着服」を行い、庶民のもとに届くときには経済成長の果実はすべてそれら権力者に食い尽くされてしまう。小説"Yacoubian Building”の作者Alaa Aswanyと共通の基本認識だ。
どの意見にも一定の真実があるように思えるが、最初に登場する庶民の声が現実の厳しい生活をリアルに主張していて、切なくなる。自分のまわりで自分を支えてくれる運転手さんやお手伝いさんは、まさにこの階層にいて、言葉のはしはしから、驚異的物価上昇と社会的サービスの低下の両方に押しつぶされた悲鳴が聞こえてくる。エコノミストが主張する「上昇願望が実現されないフラストレーション」にも一理あろうが、現実の厳しさにも目をむけて、彼らの生活のことを気にしてやることも必要だなーと思う、今日このごろである。
フラッシュで作成したすごい動画を発見した。
http://whazzupegypt.blogspot.com/
このサイトは、エジプトやアラブに関する書評サイトを検索していたときにひっかかってきた個人のものだが、読んだ本の感想だけでなく、良い書店や文化イベントの案内がのっかっていて実に面白い。
3月16日に立て続けにアップされた二つの動画は、神の目線から5千年の宗教と王朝の興亡を瞬時に疑似体験できるという優れもの。いずれも90秒だから、わずか3分でみんな世界史通になれること間違いない。
こうして大局的に俯瞰して気がつくことは色々あるが、そのなかの一つは、キリスト教がコロニアリズムと期を一にしてものすごい勢いで拡張したということだ。植民地主義と布教とが抱き合わせで展開されたということが、宣教に携わった者の意志は別にして、実感されないだろうか。
http://whazzupegypt.blogspot.com/
このサイトは、エジプトやアラブに関する書評サイトを検索していたときにひっかかってきた個人のものだが、読んだ本の感想だけでなく、良い書店や文化イベントの案内がのっかっていて実に面白い。
3月16日に立て続けにアップされた二つの動画は、神の目線から5千年の宗教と王朝の興亡を瞬時に疑似体験できるという優れもの。いずれも90秒だから、わずか3分でみんな世界史通になれること間違いない。
こうして大局的に俯瞰して気がつくことは色々あるが、そのなかの一つは、キリスト教がコロニアリズムと期を一にしてものすごい勢いで拡張したということだ。植民地主義と布教とが抱き合わせで展開されたということが、宣教に携わった者の意志は別にして、実感されないだろうか。
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すっかる・ちーにー・しゅがー
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
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