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えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。 twitter: @sukkarcheenee facebook: http://www.facebook.com/koji.sato2
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最近、ハマってしまったもの。
youtubeで玉置浩二モノをおっかけること。

石原真理子との電撃再入籍のニュースで、はたと玉置浩二のことを思い出した。安全地帯の頃よりもむしろ、ソロになってからの彼の歌が好きだった。最近、海外に出たこともあってご無沙汰していたのだけれど、youtubeでたくさんの楽曲を聴いているうちに、久方ぶりにはまってしまった。youtubeのクリップのなかで玉置さん本人が語っている映像があり、そのなかで、安全地帯の頃と歌い方をずいぶん変えて、感情をまっすぐに表現できるようになったという趣旨のことを言っていた。「うまく歌ってやろう」という気張りをなくして、ビブラートをかけない自然体の歌にもっていくのに、ずいぶん時間がかかったのだという。そこに、ソロになってからの歌のほうが少数とはいえ熱狂的なファンを離さない、強い魅力があるのだろう。

さらにはまってしまったのが、98年に放送された連ドラ、『キツイ奴ら』。玉置浩二と小林薫が、少年院あがりでなかなか地道な生活に戻れない男を好演。玉置役のカンジがしょった借金返済のため、二人でいろんな仕事をするのだが、見せ場が居酒屋での'流し'。シンプルな弾き語りの美しさに、誰もが魅せられるはずだ。youtubeで全話見れてしまうので、興味がある人は是非、どうぞ。

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1年ちょっと前エジプトにやってきて右も左もわからないときに、ほとんど唯一といって良い民間の文化施設、EL SAWY CULTURE WHEEL(通称SAKIA=アラビア語でWHEELの意)を訪ね、オペラハウスなど政府経営のそれとは違う客層と自由な空気を感じた。直感的に、ここがエジプトの文化活動の拠点だということが感じられた。

右も左もわからないまま代表のモハンマド・サウィーさん、スタッフのドニカさんらから、2月のSAKIA5周年にブースを出してくれと頼まれた。ただ机に資料をのせとくだけではつまらないので、何か楽しめることをやろうと思って、折り紙と凧づくりのワークショップをやった。他のほとんど全てのブースが机に資料をのせとくだけだったせいもあって、日本のブースに人だかりができて、大忙しとなった。

これがきっかけで、SAKIAで折り紙講座をはじめた。うちの若くて吸収力のあるエジプト人スタッフに勉強してもらって、にわかじこみの先生になってもらった。そして、1ラウンド3回の講座の最後の会に、アレキサンドリアに住む折り紙の天才、オサマくんに出講してもらうことにした。4月から3ラウンド目の講座をはじめるが、すでにSAKIAの折り紙講座はけっこう話題になっていて、申し込みが殺到すること間違いない。

5周年をやったということは、次は10周年だろうから、自分はエジプトにいないかもしれない、などと思っていたら、6周年の案内とともに、またブース出店の依頼が舞い込んできた。あ、毎年、やるのね。はい、おつきあいしますよ、あなたとは!

ということで、今年も、2月25日と26日の二日間、折り紙を折った。老若男女が足を止め、最初はおっかなびっくり、だんたんと興がのってきて真剣に、1枚の紙と格闘した。何人かのお客さんから、日本人が折り紙など精緻な作業ができるのは遺伝だと思う、と強弁され、間違っても生物学的遺伝などではないと否定するが、なかなか譲ってくれない。親の世代から子の世代へ、家庭、学校、公民館などの共同体の機能を通じて文化的継承がなされてきたという意味で、これを「文化的遺伝」と呼ぶならば、間違ってないかも、というような話をした。日本は特殊である、日本人は優れている、というナショナリズムを満足させるためにやっている仕事ではない。日本の土地ではぐくまれた優れて創造性と教育効果の高い文化ツールを、世界の多くの人たちに楽しみながら共有してもらいたい。そういう思いで、一見地味な折り紙普及を続けている。その活動を、カイロの若者にとってほとんど唯一自由な文化発信の場といって良いSAKIAでやれることに、意味であると思っている。

26日、午後9時から、室内のホールでは世界屈指のイラク人ウード奏者、ナシール・シャンマの公演があった。ナシール氏がカイロに亡命し、この地にウード・ハウスを開校して10周年を記念した公演は、教え子30人をバックに従えた贅沢なアンサンブルだった。ほぼ月1の頻度でナシール・シャンマが聞けることは、SAKIAの売りの一つだ。他方、もう一つの極には、アラブポップが市場を独占するなか音楽活動の場が与えられないロックやヒップホップなど若者の音楽の発信基地であるという、この国特有のニーズに基づく活動がある。後者の事情は、やはりボリウッド映画音楽に独占されたインド音楽市場にも共通していて、ロックなど新しい音楽の場を作るために、Friends of MusicなどのNPOが郊外のファームハウスや大学の校庭を借りてコンサートを展開していた。そこで、国際交流基金で現代モノの音楽をやるときには、彼らと組んで、新しいカルチャーに飢えた若者たちに直接届けるようにした。これから先、エジプトで現代モノをやるときには、やはりSAKIAがその舞台としてふさわしいと思っている。

SAKIAでは、去年7月、現代日本写真展を開催し、アラーキーや森本大道、橋口譲二などの写真を紹介した。日本写真協会の協力を得て、写真評論家の平木収さんにお越しいただいて、SAKIAとアレキサンドリアで講演いただいた。SAKIAには100人近い写真愛好家が集まり、熱心に耳を傾けてくれた。SAKIAの6周年を祝い、折り紙を折っていたさなか、2月24日に平木さんが亡くなったという悲報を受けた。勝手な跡付けを承知で、SAKIAの6周年に参加できたことが、自分なりの弔いになればと思った。


先週から、新しいテキストでのアラビア語レッスンが始まった。
アメリカン大学プレス発行の、"Kallimni Arabi"インターミディエート・コース。CD付、408ページの豪華本。
事前に、"Kallimni Arabi"の2冊目のテキストを買っておくように、と言われており、アメリカン大学が近所なもんで出かけていっても、よりによって2冊目だけがないので、先生に買ってきてもらうことにしていた。この2冊目というのが、いわゆるビギナーコースの4冊セットの2冊目のことと僕は理解しており、内心、「まがりなりに1年やってきて、まだ初級の2冊目かよ・・・」と自分のレベルの低さにがっかりしていたのだが、先生が持ってきたテキストは、ビギナー終了後の中級にあたるものだったので、一応、安心した。

結構、テキストの量が多いけれど、先生は週二ペースで4月までに終わらせたいと言っている。のっけから、第1課はこれまでにやったことの復習だからと、すごい勢いで飛ばしていく。これからは、自分なりでも、ちいとは復習や予習をやっておかないといけないかも・・・

今朝から二泊三日のアレキサンドリア出張。ファロス大学の要請を受けて、日本文化祭をやってきます。朝、自宅からタクシーでオフィスまで飛ばしていったら、オフィス手前でカギを忘れたことに気づき、運ちゃんに引き返してもらい、カギをとって、また同じタクシーでオフィスへ。運転手さんはいい感じのおじさんだったので、「忘れ物に気づいてよかったのー。ハムドリッラー、ハムドリッラー。」と、ニコニコして神のご加護のおかげと言ってくれた。こんななにげないタクシーでの時間も、それなりに土地の言葉に自分がなじんでこれた証と思うと、朝のとんだ失態も、また悪くなかったかなと思えてくる。

というわけで、アレキ行ってきます。エビをいっぱい、食べてきます。
このブログで何度か紹介してきたエジプトにおけるヘヴィーメタル事情、友人の読売新聞記者が同紙で紹介してくれました。2月13日(金)夕刊17頁。タイトルは、「ヘビメタ 音を上げず」。
シャウトしないといった理不尽な抑制(おとを上げない!)に対しても、「ねを上げない」というよく出来たかけことば。写真入りでヴィジュアルにも魅力的に紹介されているので、ぜひ、読んでみてください!
村上春樹さんがエルサレム賞というイスラエル政府筋が運営する文学賞を受賞したことをめぐり、大阪のパレスチナ支援団体が村上さんに対して受賞を拒否するよう公開書簡を出したという報道に接し、強い違和感をもった。

① なぜ、この団体は、授賞する側ではなく受賞する側だけに抗議しているのか。
② この団体は、受賞者が村上春樹ではない、たとえば外国の作家・知識人であったとしても、果たして同じように書簡を出しただろうか。

イスラエルの国家としての暴力を問い、その当の国家が「社会における個人の自由」を讃える賞を出すなどという欺瞞を糾弾するという主張は、正当だろう。手紙の効力の有無を問う前に、だからこそ、彼らは当のイスラエルの主催者に対して、このような欺瞞は許さないという手紙を出すべきではなかったか。

また、受賞者も国民の信託を得た公人だったらば、まさに国家間の外交においてこの欺瞞を隠蔽することは許されないと糾弾することも許されただろう。しかし、私人である村上氏がこれを受けるか受けないかは、まぎれもない、彼の自由に所属する問題であった。それを、公開書簡という形式でもって公に問う必要はどこにあっただろうか。彼らが自分たちの主張が正当で村上氏を動かすことができると信じていれば、なにもこの問題を公に顕わにしなくともよく、800の署名を集めようと躍起にならずともよく、ただまっすぐ、本人に手紙を郵送すればよかったのだ。相手が同じ日本人だから、同族とのしての情に訴えようとでも思ったのだろうか。だとしたら、そこには、個人の選択の自由とそれに伴う責任ということに対する、認識の甘さがあるのではないか。ガザで1000人を超す人命が奪われた直後にこの賞を受け、授賞式に赴くことを全き自由でもって選択し、その選択がもたらすであろう結果に対する責任を負うのは村上氏自身である。彼らが公開書簡であげつらっているような批判がありうべきことなど、当人は百も承知なのである。そのうえで、受賞を決めた村上氏を、なぜに公を語って引き止める権利があると、彼らは考えたのか?自分たちこそが正義を独占的に語っているのだという錯誤があったのではないか。

今日、新聞報道で、村上氏の受賞スピーチの概要を知った。

「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」

「壁は高く勝利が絶望的に見えることもあるが、我々はシステムに利用されてはならない。我々がシステムの主人なのだ」

賞を与える側にとっては心地よくないスピーチだっただろうし、見方によっては賞を与える側に対して失礼ではないかとの意見もあるやもしれない。しかし、まぎれもなく、この賞を受け、そして現地に乗り込んで賞を受けるという選択を、村上氏は責任もって行ったのだ。賞を辞退するというのも一つの見識だろうが、こうして出かけていって、手を差し伸べる相手を言葉で切りつける勇気のことを考えると、村上春樹という人の人間としての強さを感じずにはいられない。それは、「自分だったらどうしたか」、と胸に手をあててみたら、よくわかることだ。


ちなみに、過去の受賞者のアーサー・ミラーも、スーザン・ソンタグも、スピーチでイスラエルを批判したと言うが、それは当人は現場にいないビデオメッセージだったという。
村上春樹は、わざわざ出かけていって、その場で、相手を批判した、おそらくははじめての受賞者となったのである。

一人で責任を引き受ける、ということの意味を考えさせられた。
群れるな。
もたれあうな。
自分自身の主人たれ。
そういう声が聞こえてきた気がした。


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