えじぷとの文化、芸術、エンターテインメント堪能記です。
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1月27日、オペラAIDAを鑑賞。
恥を忍んで言うが、これが僕のオペラ初体験。文化交流を生業とする者がこんなことでは困りますね。
とにかくも、カイロにやってきたら、そこには日本の援助で20年前に作られたカイロオペラハウスがあり、これまで敬遠してきたクラシックやオペラと業務上おつきあいすることが多くなったので、ときどきではあるがカイロシンフォニーの定期演奏会に顔を出したりして、少しずつクラシック音痴を脱しようとしているのところではある。田村響さんとカイロシンフォニーの共演も、そんな縁で自分に訪れた貴重な機会だったわけである。
AIDAは、古代エジプトのロマンスに着想を得、19世紀、ちょうどカイロオペラハウスの創設にあわせて、イスマイール・パシャからヴェルディに委嘱された作品で、その仲介とオリジナルのアイデア提供は、当時カイロ考古学博物館館長だったオーギュスト・マリオットが担ったとのこと。
エチオピアの王女アイーダはエジプトの王女アムネリスに奴隷として仕えているが、エジプト軍司令官のラダメスと相思相愛の関係にある。愛する男が自分の祖国を討伐に行くというプロットが、すでにして悲劇を予感させる。そこでラダメスは、身分を隠した国王を捕虜として連行するが、王はアイーダを使ってラダメスから次の行軍の情報を聞き出す。その事実が知れてしまい、同じくラダメスを愛するがゆえに助命を嘆願するアムネリスの願いむなしく、処刑されるラダメス。その処刑に道連れとなり、心安らかに心中していくアイーダ。筋書きはとてもシンプルだが、叙情を表現する優れた音楽の力が、感動をおしあげていく。
交響楽団同様、あまり上手だとの評判のないカイロオペラだが、イタリアとの共同制作で、北京五輪に総力をあげてもちこんだ作品だからだろうか、オケの演奏にもムラがなく、そしてセットがなによりも美しくて、幕が開いて舞台が入れ替わるたびに、客席から拍手が沸いた。オペラ初体験の僕自身も、多いに楽しむことが出来た。
なにせ、チケットも安いので(500円程度)、ヨーロッパのオケの演奏レベルを期待しなければ、とても気楽にクラシックを堪能できるカイロライフ。この3~4年のカイロ滞在を生かせば、長年のクラシックへの食わず嫌いも克服できるかもしれない。
この週末は、事務所の図書室から加藤典洋の『戦後的思考』をひっぱりだしてきて、夜な夜な読みふけった。この前著になる『敗戦後論』に続いて、戦後日本の精神分裂状況をいかにして克服すべきかを考えに考え抜いた同氏の思考の足跡を、読者も忍耐をもって、追体験することになる。戦後左翼の進歩的知識人のように、戦時中皇国思想に染まらなかったとの善性のポジションからその他大勢を非難するのでもなく、保守思想家のように、戦前的価値の呼び戻しを唱えるでもなく、吉本隆明のように、戦時下の全体的気分に染まったがゆえに、あるいは三島由紀夫のように、戦時中の徴兵から逃避した卑怯さと天皇の責任の取り方を重ね合わせることによって、敗戦によってボッキリと折れてしまったところを基点にして、戦後の哲学を築くことが、今もなお求められていると、加藤氏は言う。グローバリゼーションの時代にいまさら、60年以上前の国の戦争責任を議論して、あえてナショナルな議論に火をつける必要もあるまいとのリベラル勢力からの批判に対して、この60余年、日本政府がきちんとした対応をしてこなったがゆえに、いまもなお、我々の言論は、それを受けとめる他者(アジア諸国)から容認されえないのだとし、簡単に国というものから自由にはなれないのだと、警告を発する。加藤氏のこの2冊の著書は、右からも左からも多くの批判を受けたようだが、戦争責任をめぐっていまだに「謝罪」と「失言」を続ける日本の精神分裂状態を見るにつけ、加藤氏の視座をいかに多くの人々が共有するかこそが、本当の日本の戦後の終焉をもたらすのだと思わずにはいられなかった。
恥を忍んで言うが、これが僕のオペラ初体験。文化交流を生業とする者がこんなことでは困りますね。
とにかくも、カイロにやってきたら、そこには日本の援助で20年前に作られたカイロオペラハウスがあり、これまで敬遠してきたクラシックやオペラと業務上おつきあいすることが多くなったので、ときどきではあるがカイロシンフォニーの定期演奏会に顔を出したりして、少しずつクラシック音痴を脱しようとしているのところではある。田村響さんとカイロシンフォニーの共演も、そんな縁で自分に訪れた貴重な機会だったわけである。
AIDAは、古代エジプトのロマンスに着想を得、19世紀、ちょうどカイロオペラハウスの創設にあわせて、イスマイール・パシャからヴェルディに委嘱された作品で、その仲介とオリジナルのアイデア提供は、当時カイロ考古学博物館館長だったオーギュスト・マリオットが担ったとのこと。
エチオピアの王女アイーダはエジプトの王女アムネリスに奴隷として仕えているが、エジプト軍司令官のラダメスと相思相愛の関係にある。愛する男が自分の祖国を討伐に行くというプロットが、すでにして悲劇を予感させる。そこでラダメスは、身分を隠した国王を捕虜として連行するが、王はアイーダを使ってラダメスから次の行軍の情報を聞き出す。その事実が知れてしまい、同じくラダメスを愛するがゆえに助命を嘆願するアムネリスの願いむなしく、処刑されるラダメス。その処刑に道連れとなり、心安らかに心中していくアイーダ。筋書きはとてもシンプルだが、叙情を表現する優れた音楽の力が、感動をおしあげていく。
交響楽団同様、あまり上手だとの評判のないカイロオペラだが、イタリアとの共同制作で、北京五輪に総力をあげてもちこんだ作品だからだろうか、オケの演奏にもムラがなく、そしてセットがなによりも美しくて、幕が開いて舞台が入れ替わるたびに、客席から拍手が沸いた。オペラ初体験の僕自身も、多いに楽しむことが出来た。
なにせ、チケットも安いので(500円程度)、ヨーロッパのオケの演奏レベルを期待しなければ、とても気楽にクラシックを堪能できるカイロライフ。この3~4年のカイロ滞在を生かせば、長年のクラシックへの食わず嫌いも克服できるかもしれない。
この週末は、事務所の図書室から加藤典洋の『戦後的思考』をひっぱりだしてきて、夜な夜な読みふけった。この前著になる『敗戦後論』に続いて、戦後日本の精神分裂状況をいかにして克服すべきかを考えに考え抜いた同氏の思考の足跡を、読者も忍耐をもって、追体験することになる。戦後左翼の進歩的知識人のように、戦時中皇国思想に染まらなかったとの善性のポジションからその他大勢を非難するのでもなく、保守思想家のように、戦前的価値の呼び戻しを唱えるでもなく、吉本隆明のように、戦時下の全体的気分に染まったがゆえに、あるいは三島由紀夫のように、戦時中の徴兵から逃避した卑怯さと天皇の責任の取り方を重ね合わせることによって、敗戦によってボッキリと折れてしまったところを基点にして、戦後の哲学を築くことが、今もなお求められていると、加藤氏は言う。グローバリゼーションの時代にいまさら、60年以上前の国の戦争責任を議論して、あえてナショナルな議論に火をつける必要もあるまいとのリベラル勢力からの批判に対して、この60余年、日本政府がきちんとした対応をしてこなったがゆえに、いまもなお、我々の言論は、それを受けとめる他者(アジア諸国)から容認されえないのだとし、簡単に国というものから自由にはなれないのだと、警告を発する。加藤氏のこの2冊の著書は、右からも左からも多くの批判を受けたようだが、戦争責任をめぐっていまだに「謝罪」と「失言」を続ける日本の精神分裂状態を見るにつけ、加藤氏の視座をいかに多くの人々が共有するかこそが、本当の日本の戦後の終焉をもたらすのだと思わずにはいられなかった。
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インドで4年生活し、今度はエジプトへ!この国の人々の生態、面白情報をお届けします。
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